The Story of Art Gallery Coffee shop Memories

35.黒衣の画家(後)
 目次
 ご飯を済ませた私は、自室へと戻った。
 お酒を一杯飲もうか……そう思ったけど、たくさん食べちゃってお腹がぱんぱんだわ。それに今アルコールを飲んじゃうと、捜索の精度が下がるものね。
 うぷ、食べ過ぎて苦しい。でも食休みなんてしていられない。スケッチブックの前に座り、再び精神を集中する。暗闇を探るように、慎重にイメージを求める。私が目星をつけた街で、その子が暮らしているのは間違いない。
 どんな笑顔なの? どんな泣き顔なの? 怒った顔は? 拗ねた顔は?
 様々な色が、私の心に溢れ出す。
 それは混じり合うことなく、存在を示すひとつひとつの情報として私の意識へと流れ込む。意識の奥深くで激しくうねりせめぎ合う、狂おしいほどに鮮やかな色彩。
 やがて絡み合う色の情報はひとつの形、少女の姿としてくっきりと現れた。
 なるほど……女の子ね。歳は十七歳、まだ高校生か。
 肩までの黒髪。可愛いというよりも、綺麗って雰囲気。性格は受動的で大人しい、優しい子みたいね。きちんとした倫理感を持っている。 
 でも……天然系って?
「みーつけたっ!」
 今すぐにでも飛んで行きたいけど、もう真夜中だって。
 我慢我慢、落ち着け私。
 大きなあくびをひとつすると、毛布にくるりとくるまってごろんと寝転ぶ。疲れた……長い月日をかけて、溜めた力を使い果たした感じ。
 あ〜いけない、歯だけは磨かなきゃ。のろのろと身を起こす。 
 今夜はきっと、夢も見ないわね。

 ☆★☆

 お昼過ぎに目を覚ました私は、シャワーを浴びて火照った体が落ち着いてから、ゆっくりと身支度を整える。黒いブラウス、黒いタイツに丈の長いスカート。ファンデーションを塗り、赤いルージュを引く。
 黒い外套を羽織り、黒い手袋をはめ、黒い帽子を被った。
「じゃあ、行ってくるわ」
 誰も居ない部屋へ言霊を残すのは、必ずここへ帰って来るという願掛け。
 階段を静かに降りた私は、食堂へ入った。横柄な態度で静寂が横たわり、人の気配は全く無い。
 静かに踵を返そうとした時、
「瑠璃子……」
 厨房から顔を覗かせたおじさんに、呼び止められた。
「おじさん、居たの」 
 おじさんは、ぽりぽりと頬を掻く。
 何か言いたそうな表情、私が向かい合うように姿勢を変えると、おじさんは口を開いた。
「あのよ。昨夜ユキナに聞いたんだが、ひょっとして、あいつの所で頼まれた人探しって……あいつの子供か?」
「そうよ。鋭いわね、おじさん。驚いて、女の子よ。お・ん・な・の・こ!」
「お前、もう見つけたのか!」
「ええ」
 えっへん。自慢げに頷いて、ついでに胸を張る。
 結構苦労したけど、それは言わない。
 おじさんは目を丸くした後、思い詰めたような顔になった。
「なぁ瑠璃子、何とかあいつに会わせてやれねぇのか?」
 視線を床に落とし、私は黙って首を横に振った。
「ごめんなさい、私にはそこまでの力がないの。あいつは店から離れられない。その子を連れてあいつの店を探して渡り歩く事なんて、私にはとても出来ないの」
 私の答えを予想していたのだろう。おじさんは、さほどがっかりしなかったようだ。
「瑠璃子、無茶を言ってすまねぇ。お前だって、そんな格好をしていないとヤバいんだものな」
 驚いた。
 私の心配なんて、しなくてもいいのよ?
 でも嬉しい、ちょっぴりくすぐったいけど。
「大丈夫よ、あいつは自分の娘を大切に思っていて、私に消息を確かめて欲しいと頼んだ。そして私は了解した……ここに私とその子の縁が出来た、そうやって縁は広がっていくの」
 黒い帽子のつばを、すっと人差し指で撫でる。
「あいつとあの子は親子よ。それだけでも、浅からぬ縁で繋がっている。強い縁があれば、いつか必ず会えるわよ」
 私はおじさんに、精一杯明るく微笑んだ。

 ☆★☆

 今日は時折、太陽が雲に隠れ昨日のような苦しさを感じない。私は体の温度上昇を緩和させながら、ゆっくりと通りを歩く。何かを暗示しているのか、うるさい蝉の鳴き声も聞こえない。
 程なく私は、目的の公園へ辿り着いた。
 生い茂る木々に身を隠し、そっと公園内の様子を窺う。 
 大きな木の木陰、砂場で遊んでいるのは幾人もの幼い子供達。
 そして、その子達に目を配りながら、ベンチに座って本を読む少女の姿。
 ……何か私、張り込みしている刑事みたいね。
 あんパンと、牛乳を想像するのはなぜかしら?
 ダメよダメダメ、様子を窺っている場合じゃないわ。
 風が黒い外套を巻き上げる、私は広い公園に足を踏み入れた。夏の日差しに乾いた土を踏んで歩く、芝生の濃い緑色が眩しい。
 活字を目で追う少女を視界に捉える。うん、優しそうな子ね。地味だけど、きちんとした紺色のセーラー服。
「こんにちは」
 こんな真夏に暑苦しい姿なので、驚かせてはいけない。
 しかし少女は私を見ると、ベンチに下ろしていた腰を少し横に移動させて、
「こんにちは」と、柔らかく微笑んだ。
 ううっ、とても良い子だわ。
「この子達、あなたの子供なの?」
「え、ええ!?」
 心底驚いたような顔をしている。なるほどねー面白い反応、もっとからかいたいけど。
「冗談よ。小さい子の面倒見ながら勉強なんて、感心ね」
「いいえ、そんな……」
 少女は照れたように頬を染め、学生鞄に本を仕舞った。
 まだだ、まだ私は確信していない。 
「隣、ごめんなさいね」
 少女が了解する前に、すとんと隣へ座る。
「ねぇ、あなた」
 そっと話しかけてみる。
「はい?」
 素直な瞳が、私の姿を映した。
 ああ、そうだ、この瞳の色だ。あいつの瞳と同じ色、深い紫色……『すみれ色の湖』
 私には、とても信じられない。あいつから受け継いだ強大な力が、こんなにも安定して人間の少女の瞳の中に存在している。
 その瞬間、私の体に流れ込んで来た暖かな感情。双眸から涙が溢れ出し、堪えきれなくなった私は隣に座る少女を、いきなりぎゅっと抱きしめた。
「あ、あの!?」
 怖がらせたかな、少女が体を堅くする。
 でも――。
「もしもし、どこかお加減が悪いのですか? 大丈夫ですか?」
 少女は気遣う言葉と共に、優しく背中をさすってくれる。 
 私はその時感じていた。母親となるあの娘は、この子の瞳に宿る力を封じ込めるために。この子をお腹に宿したままで、どんなに辛い思いをしたのだろう、苦しい思いをしたのだろう。
 生まれ来る我が子へ懸命に注いだ、深い愛情と慈しみ。
 そして、愛する彼……あいつへの一途な想い。自らの命と引き替えにしてまで、貴女はよくこの子へ光を与えてくれた。
 私は、心より貴女に敬意を表します……。
「ごめんなさい、色々とこみ上げて来ちゃって」
 懐から黒いレースのハンカチを出して涙を拭い、ついでだからちーんと鼻をかんだ。
 まだ心配そうな少女に、赤く腫れた目で微笑んでも説得力など無いけど。
「あなたの名前、聞いても良いかしら?」
「えっ! あの……」
 少女は口ごもった。
 無理もない。いきなり抱きついて、びーびー泣き出す怪しい女に名前など教えてくれないか……。
 でも。
「……川瀬 瞳子です」
 掠れる声が耳に届いた。
「それは違うでしょう? 親戚の姓じゃなくて、あなたの姓よ」
 すかさず突っ込む、少女は驚いたように私を見た。
 多分この子は、私の姿に何かを感じているはず、ちょっと鈍そうなので自信はないけど。
 光の加減で紫色に見える瞳の中で、頼りない光が揺れている。一度俯いて、唇を噛んだ少女は顔を上げた。
「水無月……水無月 瞳子です」
「ん、よろしい。瞳子ちゃん、あなたのお父さんもお母さんも、お互いに心から愛し合っていたわ。あなたは二人の愛情をたくさんその身に秘めて、この世界に生まれたの。大丈夫、誇りを持ちなさい。この私、黒衣の画家、真行寺 瑠璃子が保証するから」
 うあ……私、今何を言った?
 ストレートに伝え過ぎ。これじゃ、怪しい電波受信しているお姉さんじゃない。
 しかもフルネーム名乗っちゃった。しかも、そのままのふたつ名まで。 
「あ、あのっ! あなたは私の両親をご存じなんですか!?」
 すがるような瞳を私に向ける。
 あ、聞いてくれてた。
 でも、これ以上私に答えられるはずもない。
 その時……。
「お姉ちゃん、お腹空いたー」
「あたしもー」
 わらわらと駆け寄ってきた子供達が、口々に訴えかける。
 瞳子ちゃんの手を引く子供達の表情からは、彼女を信頼している事がよく分かる。
「ほら、子供達が帰ろうって」
 私がそう促すと、瞳子ちゃんは一瞬寂しそうな顔をしたが、すぐに学生鞄を提げてベンチから立ち上がった。
「うん。じゃあ、帰ろっか!」
 子供達に、明るく優しい笑顔で答える。
「お姉ちゃん、早くー」
「お姉ちゃんと手をつなぐのは、あたしー」
「あーっ、ずるいぞ!」
 私を見た瞳子ちゃんは、一瞬何か言おうとしたのか唇を開きかけた。
 ほんの、ほんの僅かな間逡巡した後。静かに微笑むと、さっぱりとした表情で深く丁寧にお辞儀をした。子供達に囲まれて彼女は家路につく、住んでいる施設の名前は……聞いておかなくてもいいだろう。瞳子ちゃんの後ろ姿を目に焼き付け、私は踵を返した。
 うまくいった。
 抱きついた時に彼女の心の中に少しだけ、私の存在の欠片を残して置いた。彼女に危機が訪れた時、きっと役に立つはずだから。
 あの瞳は、それだけの力を持っているのだから。

 ☆★☆

 部屋へと戻り、疲労感でぐったりとしながらも、私はあの子の『縁』に興味を覚えて辿ってみる。
 そっと、運命の糸をたぐり寄せる……。
 その時、私の脳裏に広がった色は、鮮やかなエメラルドグリーン。この色の光を纏う女を、私は一人しか知らない。
 はるか、ハルカ、沢渡 遙……。
「また、あんたかっ!」
 天然娘の遙は私の弟子だ。ええい、何だってあんたが……。私は床に転がって、じたばたと手足をばたつかせて駄々っ子のように喚く。ぱたりと床に大の字になったままで、じっと天井を見つめた。
 でも、遙との縁なら私も安心だわ。遙ならきっと、あの子をちゃんと導いてくれるだろう。
 ふと気が付くと、窓の外はもうとっぷりと日が暮れていた。
 あら、もう夜なの? 随分と長く、ここで過ごしたものね。
 私はふと思い付いて、スケッチブックを手に取ると鉛筆を走らせる。少し時間が掛かったけど、小さな古い喫茶店の絵が出来上がった。

 ☆★☆

 翌日の朝早く。
 ……旅支度は終わった。
 今から、あいつに会いに行く。娘の話を聞いたら、どんな顔をするのだろう。
 少し長い旅になるけれど。私にとって、時間はそれほどの障害にならない。
 ただ、深い孤独に飲み込まれなければいいだけだから。
 特別にお土産も用意した。緑色の屋根をした小さな喫茶店のスケッチ。父娘が対面出来るかもしれないから、その道標になればと思って描いた。
 あいつに会ったら、伝える事を伝えたら、私はまたここに戻ってくるつもり。
 いや、戻って来なきゃならない。
 遙のヤツ、私まで巻き込んでどうするつもりなの? まだ教わり足りない事があるのかしら?
 ううん、違うわね。私が興味を持ったのよ。あなたの時と同じ。ほんの少しだけ、あなたの息子に力を貸してあげるつもり。
 待っていなさいね、彩人君。いつになるか分からないけれど、近いうちに必ず顔を見に行くわ。

 そして瞳子ちゃん。私はもう、あなたに会う事はないでしょう。
 これから色々とあるのだろうけど……。
 あなたを大切に思ってくれる人達との、大切な絆を信じて頑張ってね。
 私は心から応援しているわ。

「じゃあ、行ってきます」

 トランクを手にした私は部屋へと言霊を残し、静かに扉を開いた。
 
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