ヴィゼンディアワールド・ストーリー
 虹の翼のシルフィード


13.空への扉を開く鍵

 目次
「いやいや、ウインドシップの性能向上等、ブロウニングカンパニーの輝かしい功績には、心より敬服いたしますよ」
「いやいやいや。御社の躍進こそ目を見張ります、まったく羨ましい」
 七色の舌を使って、心にもないお世辞を口の中から放り出したアルフレッド
は、口直しとばかりにコーヒーをすすった。
 目の前に座っているのはユーゼイ氏、同業の「ボーウェン社」常務……。だったと思うが、名刺をちらりとしか見ていないので自信がない。
 テーブルの上には、ウインドシップの制御系に組み込んで使用するという、追加部品の説明書が置かれている。
 普通ならば、まずは営業社員が訪問するのだろうが、何しろブロウニング・カンパニーは創業も古い老舗である。常務という役職のユーゼイが訪れたのは、ブロウニングカンパニーの業界における存在に配慮したといったところか。
 しかし昨今の業績を見れば、同業他社に大きく水を開けられているブロウニングカンパニーのシェアはとても低い。
 ボーウェン社も、本気で営業をかけているわけでもないのだろう。それがよく分かっているので、アルフレッドもまったく相手をする気がない。既存のウインドシップに追加装着する強化部品ならば、もっとシェアが高い他社だけ相手していれば良いだろうに。
(それにしても、胡散臭いパーツだ)
 パンフレットの説明書きを斜めに読んだアルフレッドは部品ではなく、パンフレットの豪華な装丁に感心した。
 あまりにきらびやかな装飾は、何かを覆い隠しているかも知れない。
 少しでも商品に関する情報を、引き出してやろうとするものの……。敵も然る者。常務ともなれば、なかなかのタヌキだ。
 そう言えばこいつの顔もタヌキ顔だなと、アルフレッドは心の中で妙に感心しながら、この退屈な時間を潰していた。
「ところで、社長……」
 お互いに舌も滑らかになった頃、ユーゼイが、ぐっ! と身を乗り出した。
(おい、コラ。顔を近づけるな、俺の顔を間近で見て良いのは女性だけだ)
 アルフレッドがあからさまに嫌な顔をして身を引くと、ユーゼイはちょっとむっとしたようだ。たかが中年男が不機嫌になっても一向に差し支えがない。
「……ごほん」
 咳払いをして気持ちを仕切り直したのだろうが、ユーゼイは親密さを求めた態度では無くなっていた。
「御社は王立軍に誇る、竜騎士殿の機体を手掛けておられる……そこでです。ぜひ、我が社の部品を推して頂ければ……など。いいえ、これは今夜の懇親会で、社長の方からご相談させていただきますが」
 懇親会の雰囲気を思うだけで気が滅入る、面倒な予定思い出したアルフレッドは顔をしかめた。
 なるほど、媚びへつらう理由はそれか。まぁ薄々感づいてはいたが、アルフレッドはにやりと笑う。
「部品の詳細な図面は、拝見出来ないものですかな?」
 さあ、これでどう出る? 絶対に無理だと言うに違いないだろうが。
 相手をするのも面倒臭くなって来たので、そろそろ退散して貰いたい。
「いやいやいやいや、その、そこはそれ、お察し下さいよ。これがこの、いやははは、企業秘密という奴でして」
(それを承知で言ってるんだよ)
 思った通りだ。アルフレッドはユーゼイの反応を見て、心の中でほくそ笑む。
(俺も、なかなかのタヌキだよな)自分でも思うが……もちろん顔の事ではない。
「飛竜は王都防衛の要、竜騎士殿の大切な機体ですからな。この目でしっかりと確かめられぬなら、推しも引くも出来かねます」
「むむむ。困りましたな、ですが私の一存ではとてもお返事致しかねます。誠に申し訳ございませんっ! この件は社に持ち帰り、すぐに協議いたしますのでっ!」
 テーブルへ額を擦り付けるほどに頭を下げたユーゼイは、ささっとテーブルへ広げていた資料をまとめて鞄に入れた。
「今日は、この辺りで失礼いたします。こちらの資料は置いておきますので、また目をお通し下さい。なにとぞ、ご検討頂ければと……」
 へこへこと、しつこいくらいにお辞儀を繰り返すユーゼイは営業用の笑みを張り付けたまま、そそくさと帰っていった。
「あの野郎、また来る気かよ。ああ鬱陶しい」
 アルフレッドはネクタイを緩め、ずるずるとソファに沈み込む。
 ユーゼイが去った後も鼻に絡み付く嫌な臭いに顔をしかめていると、サラがひょいと社長室に顔を覗かせた。
「社長、ご苦労様でした」
「ああ、まったくご苦労様だよ」
「ボーウェン社、最近勢い付いてますわね。これは、そんなに優れた商品なのですか?」
 テーブルの上のパンフレットを手にしたサラが、興味深そうにぱらぱらとページを繰っている。
「それ、飛竜に採用してくれだとさ、気になるか?」
「いいえ、少しも」
 固い表情で答えたサラは、パンフレットをテーブルへと置いた。
「あの野郎、さすがに詳細は話さねぇ。しかしどうにも胡散臭い品物さ、ほとんど真っ黒のマル秘パーツだ。機体の制御系に組み込むタイプで、性能のアップ……燃料消費率を改善、整備頻度を下げるやらなにやら……良い事ずくめだってよ」
「真偽はどうなのでしょう、社長はどう思われます?」
「どうだかな? 興味も湧かねぇよ」
「そうですわ! 工場長に確かめて頂いては?」
「おいおい。こんな部品の事で、あのご老体にお伺い立ててみろよ、血圧が上がっちまうぞ?」
 サラの提案に、アルフレッドが苦笑いをした。
『ああん? てめえは俺が手塩に掛けた機体が、気に入らねぇってのか!?』
 既存の機体を強化するパーツだなどと聞けば、カージー工場長は気を悪くするに違いない。
 ブロウニング・カンパニーの工場は長を務めるカージーの元、老齢の技術屋ばかりが集まっている。
 職人達の腕は確かなものだ。その熟練の腕を欲しがる各社が、彼らを引き抜こうと躍起になってあれこれ仕掛けてくるようだが、職人達は一向になびく様子がない。
 ありがたい事だと、アルフレッドは思う。
 もちろんそう思うだけでは、彼らはこの先も力を貸してはくれないだろうが。今のところ、その恩に報いる事も適わず、心苦しい思いをしているのだ。
「それにしても……」
 眉根を寄せて、アルフレッドは顎を撫でた。
 ボーウェン社は、このところ急激に業績を伸ばしている新興勢力だ。後発ながらも様々な用途の機体を揃え、宣伝も派手に行っている。そして、各国の軍備に対する影響力も無視出来ない。ボーウェン社の新型戦闘艇が、多数の国家に採用され始めている。
 表の宣伝には、戦闘艇を扱う会社である事など見せる事もない、きらびやかでクリーンなイメージだ。
 しかし裏では、軍需でがっぽり儲けている武器商人なのである。
 これまでは、各国の軍事力のバランスがとれていた。だがボーウェン社が台頭してきたおかげで、戦闘兵器……バトルシップの保有数が底上げされている状態である。大陸のどこかで火が付けば大変な事になるだろう。人間は弱い生き物だ、牽制し合う程度は仕方ないが、互いの存在を根絶やしにするほどの強力な兵器など必要ない。
 それに気付いたからこそ、ブロウニングカンパニーは王立軍の依頼を受けて進めていた、新型の機体開発を打ち切った。
 ウインドシップの新たな活躍の場を、模索するためである。
 新型機へそれぞれが持つ全ての技術を集約させようと意気込み、精力的に取り組んでいた老練の技術屋達の心情を思うと、アルフレッドも断腸の思いだった。
 完成間近だったその機体は今も、工場の片隅でシートを掛けられたまま、静かに眠っている。
 結局、王立軍が誇る巨大なバトルシップ『旗艦ヴェルサネス』と、竜騎士達が搭乗している現行の『飛竜』が、軍に納入した最後の機体となり……それから、ブロウニング・カンパニーの業績は低迷を始めたのだ。
「社長、どうなさいました?」
「ん!? おお、いや、なんでもねぇ」
「夕刻に予定されている協同組合の懇親会、ちゃんと覚えていらっしゃいますか?」
 手帳を片手にしたサラは、まったくもって優秀な秘書だ。赤いスーツはいつでもきちんとしていて姿勢も良く、隙などまったく見つけられない。
 しかし、そんなサラに比べアルフレッドの方は、渋い顔でソファにだらしなく体を沈み込ませたままだ。サラに気付かれないように、あくびを噛み殺し目に滲んだ涙をしれっと拭う。
 すうっと目を細め、ちらりとアルフレッドを睨んだサラは、綺麗な右手の人差し指で眼鏡をくいっと押し上げた。
 二人とも何も言わないが、なんとも微妙な雰囲気が漂っている。
「社長! 飲み過ぎて、く・れ・ぐ・れ・も・何かしでかさないように、お気を付け下さいねっ!」
 サラの痛い忠告を、アルフレッドが聞き咎めた。
 傍らに立つサラを、じろりと見上げる。
「何かって、なんだよ」
「ご自分の胸に手を当てて、良〜くお考え下さいませ」
 つん! とそっぽを向いたサラが、手帳に何やら書き加えながら冷ややかに答えた。
「お前、だんだん古女房みたいになってきたな……。眉間に皺なんかあったか?」
「し、皺? い、い、今、皺っておっしゃいませんでした?」
 アルフレッドの不用意な一言を聞いた、サラのこめかみ辺りに、ぎりぎりっと太い血管が浮き上がる。
「皺が増えるような苦労をさせるのは、誰なんでしょうねぇ? 私、分かりませんわ! ええ、分かりませんとも! 社長、ご存じなら教えて下さいませんこと!?」
 刺々しい声を出し、すっと右手を眼鏡の縁に掛けるサラ。
 背後で揺らめく炎、陽炎が立ち上り部屋の温度が上がったように感じられる。
「この美貌を保つために、その愚か者をこの手で成敗してやりますわ。そうすれば無用なストレスも溜まりませんし、みずみずしい肌に戻ると思いますの……」
 危険な光を湛えたサラの瞳が爛々と輝く、毎度の事、錯乱一歩手前の兆候だ。
 多少の事では動じたりしないアルフレッドも、そのサラの迫力に額へじわりと冷や汗を浮かべた。灰皿を投げつけられたり、灰皿で殴られたりするのは、まだじゃれているに過ぎない。サラが本気で右腕を振るえば、正直なところ非常にまずい。
「落ち着け、分かった。よく分かったから、落ち着いてくれ、サラ!」
 ソファに座り直したアルフレッドは、懐から櫛を取り出して、失言を誤魔化すように髪を撫でつけた。
「ああ、夕刻からの懇親会にも出るつもりは無い。心配には及ばん、という事だ」
「社長っ! またそんな勝手な事を……」
「だから慌てるなよ、今からフリードに会いに行くんだ」
「フリード様に?」
 ぎゅっと吊り上がった眉と、微かな眉間の皺。
 困り果てた顔をしていたサラが、きょとんとアルフレッドを見つめた。
「お手柄だったらしいからな、ご褒美だよ。叱るばかりじゃ、人間ってのは成長しねぇ」
 アルフレッドがぶら下げた、ウインディの起動キーが光を弾いた。
 それはフリードが心から求める、空への扉を開く鍵だ。
「そうですわね! フリード様、大活躍だったそうですね!」 
 どうやら、怒りはどこかへ飛んでいったらしい。サラの笑顔に、アルフレッドは心底ほっとした。
「大活躍? 墓穴を掘ったのは、あいつだが。まぁ自分で始末をつけたんだ、大した成長ぶりさ」
 頼りになる優秀な執事や、まして父に泣きつく事も無く、己の機知だけで乗り切ったのだ。これは評価してやらねばならないだろう。
(おまけに、さんざんトゥーリアにからかわれたみたいだしな)
 トゥーリアは剣を抜いて追い掛け回したり、レイルをけしかけたりしたに違いない。
 アルフレッドは、姫巫女の不機嫌そうに見える顔を思い出して、くっくっと笑った。トゥーリアの姿はあの頃のまま、昔と少しも変わっていないのだろう。
「さてと、出掛けてくるか。サラ、後を頼む」
 上着を羽織ったアルフレッドは、ウインディの起動キーを懐にしまった。
(好都合だ、ボーウェン社とは付き合いたくねぇからな。しかし、どうも気になるな)
 アルフレッドの勘が、そう告げているのだが……まだ、それが何故か分からない。
「社長?」
 扉の前に突っ立ったまま、自らの思考に沈みつつあったアルフレッドは、サラに声を掛けられて我に返った。
「ああ、今出るところだ」
 次第に強くなる、ちりちりとした焦燥感。
 アルフレッドはこの感覚を、どれほど経験してきた事だろう。
(仕方ねぇ。また、コーディの奴に突かせてみるか)
 情報を得る為には、出費がかさむ。資金難に喘ぐ会社、金庫番のサラがなんと言うか……そこだけが問題だが。
 建て付けが悪い扉を押し開いて社屋を出ると、降り注ぐ日差しに手かざして目を細める。
「今日はいい天気だ。待っていろよ、フリード」
 心配事など、空へは持って行けない。なにより心にそんなものを抱えていれば、体が重くて飛び立つ事など出来ないではないか。
 車のドアに手を掛けたアルフレッドは、何となく気になって会社の窓を覗いてみた。
 ……が、ブロウニング邸は、まさか歩いて行ける距離でもない。
 アルフレッドは苦笑を閃かせ、さっと車に乗り込んだ。
 
戻<   目次   >次

HOME

ヴィゼンディアワールド・ストーリー

 虹の翼のシルフィード