ヴィゼンディアワールド・ストーリー
 虹の翼のシルフィード


23.乙女が消える街

 目次
 輝く湖面……豊かな水が湛えられているが、自然湖というよりは農業用に利用されている、大きな貯水池なのかもしれない。
 ウインディが着水した湖を、鬱蒼とした木々がぐるりと囲んでいる。互いに絡まり合う蔦を抜けて少し歩くと、次第に道幅が広がり大きな道に行き当たった。大きく開けた視界に映るのは、遙に遠方まで続く広大な麦畑だ。
 ただ前を見つめて、土埃が舞う一本道を脇目も振らずに歩く皇女エクスレーゼ。
 両脇には麦畑、微風が黄金色の絨毯を揺らしている。
「……あの、皇女様?」
 少し離れてエクスレーゼの後ろを歩くアルフレッドは、襟元に人差し指を入れてネクタイを緩める。
 じりじりと陽光に灼かれて背中が熱い、すでに上着は脱いでいた。
「アルフレッド。私は待っていろと言わなかったか?」
 汗だくのアルフレッドに対して、エクスレーゼは全く汗をかいていない。
 アルフレッドが渡した外套を身に纏うエクスレーゼ。真っ白なドレス姿などでは、あまりに目立ってしょうがないからだ。上品な靴を見ればとても歩きにくいだろうに、涼しげな表情で力強く土を踏みしめる。
 聡明で美しく武芸にも秀でており、民の人気も非常に高い皇女エクスレーゼ。
 アルフレッドから見れば、生真面目で肩肘を張りすぎているという印象だが、エクスエーゼが皇女として国と民を想う、強い気持ちがあるからなのだろう。
 のろのろと、エクスレーゼの後ろ姿を追うアルフレッド、暑さでだんだん頭の回転が鈍くなってくる。
 ぜえぜえと息を切らせていると、前を歩くエクスレーゼがぽつりとつぶやいた。
「アルフレッド。お前は、アンディオーレ領に不穏な噂が囁かれている事を、知っているか?」
「……まぁ、人並みには」
 アルフレッドはやや答えをぼかして答えた、まさかまったく知らぬとも言えぬ。
「そうか。ならば私が、この領地を訪れた理由が分かるだろう」
 エクスレーゼは、ぎゅっと長剣の鞘を握りしめる。
「急がねばならん。ええい! 城の者どもめ、皆で私の邪魔をしおって!」
 語気も荒いエクスレーゼが、歩みを早めた。
 王都で静かに囁かれている、アンディオーレ領に関する噂がある……。街では次々と乙女が「神隠し」に遭い、姿を消しているというのだが。
(噂だけだと思うが……若い娘達の事だ、みんな都会に憧れるんだろうよ)
 若い娘達は辺境の地に飽き飽きして、アンディオーレ領を出て行ってしまうのではないか? 
 噂は所詮噂に過ぎぬと、そう高を括っているアルフレッドは、げんなりとした表情になった。
「ん? トラクターか……」
 息も絶え絶えで歩くアルフレッドの目に、大きな荷台を牽いてのろのろと走るトラクターが映った。
 大きく手を振ってトラクターを止め、運転している農夫に銀貨を渡して話を付けると、街に行くという陰気な農夫は干し草を満載した荷台に載せてくれた。
 二人して、のそのそと干し草の上によじ登る。
「む、ちくちくして、あちこち痛いぞ」
「贅沢言わないで下さいよ。あのまま歩いていたら、日が暮れてしまう」
 エクスレーゼは、固い干し草が肌に当たるのが不快らしい。
 アルフレッドはそんな皇女の文句に取り合わず、干し草に寝そべり青空を見上げた。のんびりと流れる白い雲、干し草から香る陽の匂い。こうしているとこの街の不穏な噂など、忘れ去ってしまいそうだ。
 横目でちらりとエクスレーゼを盗み見ると、剣を抱いたままの皇女は厳しい表情で唇を引き結んでいる。
(眩しい瞳だよな)
 アルフレッドは、少しの気恥ずかしさを覚える。
 しかし、そのエクスレーゼの真剣さを茶化してしまう程に、すり切れていない自分自身に安堵もした。
 ゆらゆらと荷台に揺られ、眠気を誘われた頃。
「ほい、着いたぜ。お二人さん」
 農夫にそう声を掛けられて、アルフレッドは干し草の山から跳ね起きた。農夫に礼を言って、エクスレーゼと共に荷台を降りると、
「おい、あんた。べっぴんさんを連れてるが、注意しろよ。この街は、狂っちまったんだ……」
 陰気な表情でそう言い残し、農夫はまたゆっくりとトラクターを走らせ始めた。
「聞いたか? アルフレッド」
「はい……こりゃあ、まずい事になってるみたいで」
 街に漂うただならぬ気配、宰相ルーセント殿の必死な様子が今なら分かる。
 ひょっとすると、グランウェーバー国の情報部も動き始めていたのかもしれない。
 少々軽率だったか……アルフレッドは見識を改めたが、まぁ、来てしまったものは仕方がない。アルフレッドとエクスレーゼは、注意深く街外れから中心街へと向かった。
 素朴で落ち着いた街並みの姿には、特に気になるところなどないが。
「妙だよなぁ……」
 忙しなく、視線を動かすアルフレッド。
 街が……あまりにも静かすぎるのだ。商店をはじめ宿屋と覚しき店舗まで、どの建物も固く扉を閉ざしカーテンを引いている。
 そして、明らかに人通りが少ない……いや、人の姿が無いのだ。
 静まり返った街の様子を映す、エクスレーゼの訝しげな蒼い瞳。
「城下の街では、このような様子を見たことがない。アルフレッド、辺境とはこういうものなのか?」
「まさか! いくらなんでも、こんな事はない!」
 アルフレッドは嫌な予感を覚えて、左脇へと手を触れた。
 右手に感じた銃の固い感触に安堵する、抜くような事態にならなければいいのだが。
 とにかく、情報を集めなければ始まらない。
「さて、エクスレーゼ様……。おおっ!?」
 まずは領主の屋敷にでも、聞き込みに行きましょう……。
 そう提案しようと思ったアルフレッドが振り返ると、そこにエクスレーゼの姿は無かった。
「こ、皇女様っ! ど、何処においでで!?」
 慌てて、きょろきょろと首を巡らせる。
 あっちの路地、こっちの辻と駆け回ってみるものの、何処にもエクスレーゼの姿はどこにも見えない。
「おいおいおい、冗談じゃねぇぞ!?」
 事態が理解出来ないアルフレッドは、混乱して頭を抱え込んだエクスレーゼは、今の今までアルフレッドの側に居たのだ。ボケるような歳でもないし、昨夜飲んだ酒が残っている訳でもない。
「ああっ畜生っ! 神隠しの噂っていうのは、こういう事か!」
 噂はただの噂ではなかった、後悔というものは決して先を歩いてはくれない。
 アルフレッドは髪をばりばりと掻きむしる、下手をすれば本当に自分の首が飛ぶ事態になってしまった。
「……えいくそ、焦るなよ。辺境でも警備兵は居るはずだ」
 アルフレッドは駆け出した。 

 真昼の静寂に、少しの不安を覚える。
 まるで死の街を彷徨う死霊にでもなった気分だ、狭い街だが人を頼って道を聞く事も出来ない。息が上がってきた頃に、アルフレッドはやっとの事で警備兵の詰め所を見つけた。
「す、すまねぇ、ちょっと尋ねたいんだが!」
 勢い良く、警備兵の詰め所に飛び込んだアルフレッドは驚いた。
 狭い詰め所に兵の姿はなく……ただ一人、猫を抱いた老婆が体を丸めて椅子に座っている。
「ば、婆さん! ここの警備兵は、みんな出払っちまってるのか!?」
「ん〜?」
 煩わしそうに振り向いた老婆はアルフレッドをじろりと睨み、陰気な表情に刻まれた皺をさらに深くしてニヤリと笑った。
「婆さん、笑ってる場合じゃねぇんだよ! 俺の連れの女が急に消えちまったんだ、嘘じゃねぇ!」
「嘘だなんて言ってやしないさ、煙みたいに消えた……だろ?」
 その老婆の言葉に、アルフレッドは冷水を浴びせ掛けられたような気がした。
「へへへ、諦めな……。この街に、警備兵なんぞ一人も居やしないよ。領主様がヒマを出しちまったのさ」
「ヒマって、領主がか!? なんでそんな馬鹿げた事をするんだよ!」
 街の治安を守る警備兵をクビにするなど、とても正気の沙汰ではない。
「あたしゃ理由なんて知らないよ。領主様が、頼りになる警備隊をお屋敷に雇ったんだとさ……」
 しわがれた声は、アルフレッドを嘲笑するようだ。
 老婆は枯れ木のような手で、くすんだ色の毛並みをした猫を撫で続けている。
「あんたも、面倒に巻き込まれないうちに早く立ち去りな」
「くそっ! そんな訳にいかねぇんだよ!」
 テーブルを思い切り殴りつけ、アルフレッドは詰め所から走り出た。
 街角に人影が目に映ったような気がして慌てて目を凝らすが、埃が風に舞っているだけでそこには何もなく。追い詰められた思考が、頭の中で逃げ場所を求めてぐるぐると回っている。
 この街は常識という物差しが崩壊している、頭の中は真っ白で、どうすればいいのか分からない。
 がっくりと肩を落としたアルフレッドは、ふと首から提げた若葉を模したペンダントを思い出した。

 その瞬間、色褪せかけた瞳が輝きを取り戻す。
 そうだ、今までも幾度となく追い詰められてきた。
 大丈夫だ、まだ希望はある……そう己に言い聞かせる。根拠はないが、あのじゃじゃ馬皇女ならきっと大丈夫だ。アルフレッドは、エクスレーゼの命に危険が及ばない事を祈る。
 閑散とした街、人通りが絶えた道を横切ると手近に見えた食堂らしき店へ向かった。
 今は、ほんの少しでも情報が欲しい。
「……ごめんよ、邪魔するぜ」
 焦りで上擦る声を何とか落ち着かせ、食堂の古びた扉を押し開く、窓のカーテンを締め切っているので店内は暗がりだ。
 客の姿もなく、どんよりとした雰囲気が床の上に堆く積もっている。
「邪魔をするなら帰りな」
 ワンテンポ遅れて、カウンターでぼんやりしていた店の女将が口を開いた。
 少々太めで暗い店内によく似合う陰気な表情、落ちくぼんだ灰色の目には、まるで生気が感じられない。
「おいおい、いきなり帰れって事はないだろう? なぁ、辺境じゃこの陰気な雰囲気が流行っているのか?」
「はん! うるさいよ、冷やかしかい?」
「冷やかしなんかじゃねぇさ、この店は食堂だろう?」
 アルフレッドは、カウンター席へどっかりと座った。
「たいした物は出せないよ」
「舌が肥えてる訳じゃない。腹が一杯になりゃあ、なんだっていいさ」
 アルフレッドが答えると女将はめんどくさそうに動き出し、エプロンを身に付けて手を洗い始める。
「蒸かした芋にサラダ、固いパンしかないよ」
「それだけ出して貰えりゃ、ご馳走だよ」
 アルフレッドは、大げさな身振りで喜んでみせる。女将は「へん!」と、顎をしゃくった。
 まぁ……。まんざら、悪い気はしていないようだ。
「あんた、この辺りじゃ見ない顔だね、何処から来たんだい?」
「ん? 王都から来たのさ、ちょっと野暮用でね」
「お、王都からだってっ!」
 大声を上げた女将の手から、パンを載せた皿が滑り落ちた。皿は床に落ちて粉々に砕け、固いパンがころころと床を転がった。
「おい、あの固そうなパンを噛んだら、歯が折れるぞ?」
 アルフレッドは石ころのように戸口まで転がったパンをジト目で見やり、女将に文句を言ったが、そんな文句は女将の耳に届かないらしい。
 女将は真剣な顔でテーブルへ駆け寄ると、アルフレッドの肩に掴み掛かった。
「あ、あんた! もしかして、お、王都のお役人かい!?」
 必死で叫ぶ、女将の目が血走っている。
「お、お役人ならさ、エイミーを、あたしの娘を捜し出しておくれよっ!」
「おい、待ってくれ……役人? 違うよ、俺はただの旅行者さ」
「あ? あああ……」
 切羽詰まった女将の表情に気圧されたアルフレッドがそう答えると、女将は酷く落胆して大きな溜息をついた。
「王都は……王様は、やっぱり知らん顔なのかい」
 今にも泣き出しそうな女将の落胆振りに、アルフレッドは表情を改めた。
 テーブルへ肘を突き、身を乗り出して声を押し殺す。
「女将さん。アンディオーレ領で何があったのか、俺に教えてくれよ」

 ☆★☆ 

 日は暮れて、静寂の街はさらに不気味さを増していた。
 遠目に見下ろすのは領主が住まう屋敷……クラム邸。広い敷地にぽつんと建っている二階建ての母屋、その右に納屋、左には厩舎がある。
「この造りなら上半分は客室だな、奥に厨房、使用人が出入りする通用口が狙い目か。出来るなら、通風口とか天井裏とかは勘弁して欲しいが……」
 アルフレッドは、半眼で頭を掻く。
「そりゃあ、無理だよな」
 食堂の女将が語った話は、こうだった――。
 半年位前に、アンディオーレ領では領主の息子が跡を継いだらしい。
 前領主ホフマンの息子、セシルという名の青年だ。しかし青年といっても、まだ十六歳になったばかりだという。
 そしてその頃から、アンディオーレ領に事件が起こり始めたらしい。年の頃、十五歳から二十歳までの娘達が、次々に姿を消してしまったのだ。
 ……それこそ、神隠しのように。
 異変に気付いた街の人々は警備兵へと訴えようとしたが、領主は屋敷に私設の警備隊を創設したからという理由で、街を守るすべての警備兵を解雇してしまったのだ。
 困り果てた街の人々が領主を頼って屋敷へ赴いても、まるで取り合って貰えず早々に追い返される始末。痺れを切らせて、その怪異の謎を解こうとした者達は、誰一人として帰らなかった。
 辺境の地アンディオーレから王都まではあまりにも遠く、人々は自身に降り掛かる災厄を恐れ、ただじっと身を潜め続けているらしい。
「街の異変を放置している領主が怪しい、宰相殿の様子じゃあ城でも何か握っているな。それでも動かねぇんだから、相当な厄介事か。人身売買なんて犯罪じゃ、終わりそうにないな……」
 アルフレッドはぶつぶつ言いながら、ネクタイをきゅっと締めた。
 左脇のホルスターから回転式弾倉の拳銃を抜き、装填されている弾丸の数を確かめる。
「厳しいな」
 予備を含めて、十二発の弾丸。
 なんとも心許ないが、荒事でもあればこれで決着を付けなければならない。
 窓から明かりが漏れる屋敷を睨む。
 美女を捜し当てるアルフレッドの勘は侮れない。領主の屋敷から、皇女の微かな気配が感じられるのだ。強い命の輝きを放つエクスレーゼは未だ美女未満ではあるのだが、もう少し時が経てば絶世の美女と呼べるだろう。
「……行ってみるか」
 面倒に首を突っ込む事には慣れている、アルフレッドは領主の館へと侵入を開始した。
 身を屈めて、壁伝いに屋敷の裏手をそろりそろりと進む。 
 吸い込んだ息を止め、通用口の取っ手に手を掛けると手応えは軽い、どうやら鍵など掛かっていないらしい。 
(不用心な屋敷だ) 
 アルフレッドは口元を歪めた。しかし、これはまさに僥倖。 
 人目をはばかり気配を消し、腹の虫まで遠慮させ、屋敷内に忍び込んだのだが……。
 あまりに拍子抜けだ。
 使用人を捕まえて様子を聞き出そうにも、屋敷には人気が無く、しんと静まりかえっている。人が住んでいれば、何かしら温もりのようなものを感じられるのだが。
(厨房にも火の気を扱った様子がない。こりゃいったい、どうなってるんだ?)
 気配を探りながら、慎重に薄暗い邸内を進む。
(ん?)
 アルフレッドが誇る勘、感度の良い感知器に微かな反応があった。
 絶対的な信頼を寄せる己の勘を頼りに、方向を定め壁を背にゆっくりと進む。
(……ここか)
 扉の前で姿勢を落とし、アルフレッドは懐からそっと拳銃を抜いた。
 親指で重たい撃鉄を起こし、引き金に人差し指を掛ける。ゆっくりとノブに手を掛けて音を立てないように回し、ほんの僅かに押し開いて部屋の中を覗く。
「こ、こいつは……」
 廊下の後先を確認し、急いで部屋の中へと体を滑り込ませる。
 後ろ手に扉を閉めたアルフレッドは、ひんやりとした部屋の暗がりに見えた光景に戦慄した。部屋中に置かれた幾つもの寝台に横たわる人の姿、それはたくさんの娘達だ。間違いない、アンディオーレの街で姿を消した娘達だろう。
「おい、しっかりしろよ、おい!」
 アルフレッドは、微動だにせず横たわる少女に近づいた。
 しかし声を掛けようが、体を激しく揺さぶろうが、娘は目を覚まさない。
「まさか」
 嫌な予感に、少女の首へと指を当ててみる。
「いや、脈はあるが……これじゃあ、生きているとはいえねぇ」
 顔をしかめたアルフレッドの脳裏に閃いた、ひとつの答え。
「間違いねぇ。この一件には魔術師が噛んでいやがる、こりゃあ本格的にまずいんじゃねぇのか?」
 己の魂を魔術という炉にくべて、光の破壊衝撃波を放つ。
 死をも厭わぬ、知の探求者。
 それは古より存在する、忌まわしき存在。
 部屋に満ちている冷気のせいではない、アルフレッドの肌は粟立った。
 
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