ヴィゼンディアワールド・ストーリー
 虹の翼のシルフィード


42.ドッグファイト(前編)

 目次
  ――翌朝。
 入り口の左右に大きく伸びた建物には、仮設とはいえ立派な食堂が開かれている。朝食にと準備されたのは柔らかなパン、肉を使った温かなスープなど、振る舞われているのは応援の気持ちを込めた心尽くしの料理だ。
 しかしテーブルについている多くの冒険者達は、夜更けまでウェンリーの語りに聞き入っていた為に皆とろんとした顔だ。それは大欠伸をするフリードも同じ、蜂蜜を塗ったパンを喉の奥に無理矢理押し込む。寝不足のためか、せっかくの料理もあまり味を感じない。
 目の前では、ヴァンデミエールが不機嫌そうに食事を続けている。
 昨夜遅く、冒険者達の集まりもお開きになり、フリードがコテージへ戻ると扉の前には腕を組んだヴァンデミエールが仁王立ちしていたのだ。
 コテージから逃げ出した理由について、また問い詰められるかと思ったがそうではなかった。
 賊が部屋に侵入し、シルフィードの起動キーが狙われたとヴァンデミエールは語った。
 幸いな事に起動キーが奪われる事はなく、ヴァンデミエールに怪我も無かった。賊は彼女が一人で撃退したらしい。いったいどんな手を使ったのだろうかと目を丸くしたフリードだったが、とにかく何もなくて良かったと胸を撫で下ろした。
 この一件を運営委員会に報告したのだが、遺留品や手掛かりがある訳でもない。その夜のうちに警備員も増員されたものの、犯人の目星もつかない。
 夜更けにゴタゴタしたその上にヴァンデミエールの怒りは収まらず、フリードは明け方近くまで彼女から厳しいお説教を貰う羽目になった。確かに不注意だったと思うが、ヴァンデミエールは賊を取り逃がしてしまった事が、よほど悔しいらしい。
 フリードにしてみれば、何となく八つ当たりされているような気分だ。しかしたとえ八つ当たりでも、ヴァンデミエールが見せた激しい感情に驚いた。
「出発の時刻が迫っています。食べ終えたのなら、速やかに移動しましょう」
「ああ、分かった」
 そわそわとした様子のヴァンデミエールがフリードを急かす、どうやらシルフィードが心配のようだ。フリードは肯いて、空になった木製のトレイを持って席を立つ。
「頑張りなよ、可愛いお嬢ちゃんもねっ!」
 カウンターへ食器を置くと、厨房から顔を出しおばさんが、にっこりと笑って景気の良い声を掛けてくれる。その励ましの声に、気持ちも前向きに明るくなるようだ。
「温かい料理をありがとう、ご馳走様でした」
 頭を下げて丁寧に礼を言うフリード、ヴァンデミエールはぎこちなく無言で目礼して足早に食堂を出ていく。はやる気持ちは分かるがと、フリードは寡黙な少女の小さな背を見つめる。
「ヴァンデミエール、待ってくれ!」
「おう、フリード! もう出発の時刻か?」
 ヴァンデミエールを追って、駆け出そうとしたフリードを呼び止める声。振り返るとウェンリーが大きな手をあげた。朗らかな笑顔を浮かべるウェンリーは寝不足ではないのか、とても爽やかな表情をしている。これくらいの体力がなければ、冒険者などやっていられないのだろう。
「おはようございます。ウェンリーさんは、まだ出発の時刻ではないんですか?」
「ああ、俺はずっと後だよ。それに飯は食える時に、ゆっくりと食わないといけねぇ」
 ボサボサの金髪を掻き上げてウインクしたウェンリーが、突き出した拳に親指を立てて見せた。
「俺は速いぜ、ぶち抜かれないように気を付けてろよ」
 にっと白い歯を見せて、ウェンリーはまるで少年のように笑う。自信家だが嫌みには感じない、フリードはその言葉につられるように、精錬とした闘志を掻き立てられる。
「背中に注意しておきます。でも、負けませんよ……。僕は、絶対に負けられませんから」
「へへ。燃えてくるような事を言ってくれるねぇ」
 無精髭でざらつく顎を撫でながら、ウェンリーがニヤリと笑う。表情を引き締めたフリードは、生意気かなと思いつつもささやかな宣言をしておいた。
「そうだ、お前にひとつ教えておいてやるよ。アルの甥っ子だからな、これは特別だぜ」
「え?」
 表情を改めたウェンリーは「黙って聞け」と、口元に人差し指を当てた、そしてぴんと立てた右手の人差し指を左右に振る。
「広い空にも、薄汚ねぇハイエナがいるんだ。なんたって、お前のシルフィードはブロウニングカンパニーの機体だからな、十分に用心しろよ」
「それは、どういう……」
 ウェンリーの意味深な言葉に不安を覚えたフリードが、問い返そうとした時だった。
「フリード、何をしているのですか!」
 背後から、ヴァンデミエールの声が響いて来た。後戻りをしてきたらしい。
「ほら急ぎな、相棒のお嬢ちゃんが呼んでいる」
「は、はい!」
 どうやら詳しく教えて貰う暇など無いらしい。フリードはフライトジャケットの裾を踊らせて、ぱっと身を翻した。
「昨夜は、ありがとうございました!」
 ふと思い付いて再び勢い良く振り返ると、勇敢な冒険家としての先達、心躍る冒険譚の語り部たるウェンリーに、深々と一礼をして駆け出した。

 駐機場へ着くと、ヴァンデミエールは機体上部に飛び乗る。慌ててフリードも後に続き、フライトジャケットのポケットから起動キーを取り出して繰舵室の ロックを外す。ゆっくりとした動作で風防が開くと、ヴァンデミエールは待ちかねたように後部座席へと滑り込み、真剣な表情で計器の点検を始める。
 フリードは機体の周りを歩き、不思議な手触りをしている外装に覆われた各部をコツコツと叩いて、音に異常がないかを慎重に確かめる。賊に狙われたシルフィードだが、機体の外部に異常は無いようだ。
 出発の時刻が迫っている、念入りに機体外部の点検を終えたフリードが、シルフィードに搭乗しようとした時だった。
「おはよう、兄ちゃん!」
「え?」
 元気な挨拶に驚いて振り返ったフリードの視界に人影はない、琥珀色の瞳に映るのは朝の清々しい風景だ。澄んだ空気に触れている鼻の頭が少し冷たい。
「あ、あれ?」
 虚を突かれたフリードが、ふと下を向くと大きな黒い瞳と視線がぶつかる。
「えへへ」
 人差し指で鼻の頭をひと擦りした少年が、白い歯を見せて笑った。ぴんぴんに立った短い黒髪が朝の冷たい風に逆らっている。
「ね、これ、ブロウニングカンパニーの機体だよね。俺、大好きなんだ! 兄ちゃん、ウインディって機体を知ってる?」
 ウインディ……それはフリードが失った愛機の名だ。
「もちろん知っているよ。君はウインディを知っているのかい?」
「うん、当ったり前じゃん! 小型軽量機の中じゃあ最高の名機だよ! しかも市場に出回っているのは。ダウンスペックしなきゃならないほどの、じゃじゃ馬なんだよね!」
「あ、ああ、そうさ!」
 きらきらと瞳を輝かせて、少年は興奮気味に語る。フリードもウインディで空を駆けていたその高揚感が甦り、胸が熱くなってくる。
 フリードが初めて触れたウインドシップ、銀色のウインディは確かにブロウニングカンパニーが誇る名機だ。高い瞬発力と旋回性能を誇る。フリードはウインディと共に感じた風を忘れない、心から少年の感想に共感した。
「兄ちゃん達は、レースに単独参加なんだろ?」
「ああ、そうだよ。でも、よく分かるね」
「そりゃ分かるよ、ほら」
 少年が駐機場の奥を指差した、フリードは少年の指が示す先を追う。他のレース参加者のチームなのだろう、たくさんの人が忙しげに、機体の整備と調整作業を行っている。
「ね、ね、ね、兄ちゃん! 聞いてくれよ。俺、ウインドシップの機関部を整備できるんだ!」
 少年はそう言うと、腰に吊っている大きな工具袋から、素早い手捌きでスパナを抜いた。少年の背丈には不釣り合いなほど大きなスパナだが、それを鮮やかな手捌きでくるくると回してみせる。工具を扱い馴れている事をアピールしたいのだろう。
 少年はしばらくスパナを操っていたが、拳銃をホルスターへ収めるように、すとんと工具袋にスパナを戻した。
 そしてまた、得意げな表情で鼻の頭をひと擦り。
「凄いだろ? 兄ちゃん、俺がそいつの面倒を見てやるよ」
「面倒を見るって、き、君が?」
「うん! いいだろ、兄ちゃん。俺を連れていってくれよ!」
 目を丸くして驚いたフリードは、期待に瞳を輝かせる少年の顔を見つめながら、顎に手を当てて思案する。
 シルフィードの動力炉については、メンテナンスの必要がないとアルフレッドが言っていた。しかし動力炉以外の可動部等はどうなのだろうか、普通ならば消耗部品などの準備が必要になるところだろう。
 ヴァンデミエールを疑う訳ではないが、フリード自身も機体については素人も同然なのだ。スタート時のように、何らかのトラブルに見舞われた場合、知識もなければ技術もない現状では対処する事が出来ない。
 しかし、目の前で得意げに笑っているのは少年なのだ。
「フリード、考える必要などありませんっ!」
 鋭い叫び声がフリードの意識を引き戻した。心の内を読んだのだろうか、シルフィードの後部座席から立ち上がったヴァンデミエールが、険しい表情でこちらを睨んでいる。
「シルフィードには、メンテナンスなど必要無いと説明を受けたはずです。そんな子供の言うことを信用するのですか!」
「お前、何を言ってるんだよ」
 上半身を前に突き出し、腰に手を当てた少年が挑戦的な態度で眉根を寄せた。
「機械っていうのは、きちんと手を掛けてやらないと能力を発揮できないんだぞ。まったく、これだから素人は困るよな」
 体を起こして頭の後ろで両手を組んだ少年が、呆れたようにヴァンデミエールへと言い放った。
 年に似合わぬ少年の口調は、まるで年季が入った熟練の整備工のようだ。
「それに、お前だって子供じゃんか」
「なっ! わ、私は……」
「背丈だって、俺と変わらないし」
「こ、この餓鬼が、言わせておけばっ!」
 少年がヴァンデミエールに向かって、べえっと舌を出した。きつく握りしめた拳を震わせるヴァンデミエールが、機体に足を掛けて少年を睨み付ける。
「ヴァンデミエール、やめるんだ」
「しかし、フリードっ!」
「ヴァンデミエール、お願いだ……」
 今にも少年に飛び掛かりそうなヴァンデミエールを、もう一度優しく制止した後。フリードは、ぽんと少年の頭に手を置いた。
「君もだよ」
「ちぇ」
 不満そうに唇を尖らせた少年に苦笑したフリードは、そのままぴんぴんに立っている少年の黒髪をぐりぐりと撫で回す。
「わあああ、やめてくれよ!」
 フリードがぴたりと手を止めると、慌てていた少年が「ふう」と息をついた。
「君は……」
 少年が落ち着いたのを見計らったフリードは、琥珀色の瞳に力を込めて少年を見据えた。
「え?」
 フリードは見つめ返す少年の黒い瞳の中に宿る光、そのひとつひとつに、そっと意識を向ける。
 柔らかく腕を伸ばして傷付けぬように、優しく、優しく……。周囲の喧噪が遠のき、時間の流れが止まったようだ。深い神秘の森に広がるような静けさが、フリードと少年を包む。
「君は、シルフィードを気に入ったのかい?」
 詰問したのではない、意地悪を仕掛けたのでもない。
 フリードは少年の心に映る、シルフィードの姿を知りたいと思った。
 光を吸収して深みを増す琥珀色の瞳は、静かに輝きながら少年に問い掛ける。時折瞬く虹色の輝きは、太古よりこの大陸を守り続けてきた神秘の存在の片鱗だ。
 その微かな力は温かな光となって瞬きながら、フリードに少年との縁を伝えてくる。
「お……俺、俺はっ!」
 両手をきつく握りしめた少年が、必死に言葉を探している。
 虚勢と不安、そして真実に紛れて見え隠れするわずかな嘘のようなものを感じる。しかし機械を一番身近なモノと感じている少年の真面目な姿勢を感じた。
 気持ちを伝えあぐね、言葉にならぬもどかしさを持て余す少年。真摯な態度で向き合うフリードは、小さく肯いてまだ成長途中である細い肩にそっと手を置いた。
 もう充分だ。旅路を共にすれば、少年の胸中にある気持に触れる機会もあるだろう。
 それよりも大切な事、少年に伝えておかねばならない事がある。
「僕は一人でレースに参加している訳じゃない。レースの全行程を制してゴールするためには、彼女の力が必要なんだ」
 少年は黒い瞳を見開いて、ヴァンデミエールの姿を映すフリードの横顔をじっと見つめた。
「彼女は、僕の大切なパートナーだから」
 フリードが想いを伝えようとする言葉。少年は深い輝きを見せる琥珀色の瞳に魅入られたように、こくりと肯く。
「僕は君を仲間として迎え入れたい。だから君も彼女を信頼し、大切に思ってもらいたい」
「仲間……」
「そうだよ」
 少年が小さくつぶやくと、フリードはにっこりと笑って見せた。
 その時、不意に掻き消える森の静寂、再び時間が流れ始めた。
「エントリーナンバー52。シルフィード、時間ですっ!」
 係員が、大声で出発の時刻を告げている。
 フリードは表情を引き締めて大きく肯き、少年にすっと右手を差し出した。
「僕はフリード。そして彼女はヴァンデミエール、ちょっとご機嫌斜めかな? ええと……」
 フリードはヴァンデミエールの分まで名乗った後、子供ながらに荒れている少年の小さな手を固く握った。
「俺はトール。トール・アルディアっていうんだ」
 夢から覚めたようにぼんやりしていたトールが力強く名乗った、そしてヴァンデミエールに向き直ると、ぐぐっと胸を張ってみせる。
「よ、よろしくなっ!」
 ぶっきらぼうな口調、トールに挨拶されたヴァンデミエールは思いも寄らなかったようで、びくりと体を震わせる。そしてトールをちらりと見た後、居心地が悪そうに固い軍靴の爪先へと視線を落とした。
 そうしてしばらく逡巡していたようだったが「……フリードが良いなら仕方がありません」そう呟いて後部座席に座り、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
 爽やかな朝の風に吹かれてさらさらと揺れている、ヴァンデミエールの黒髪を眺めていたフリードは、くすりと笑うと真っ直ぐ少年に向き合う。
「一緒に行こう、トール!」
「うん!」
 鼻の頭をひと擦りしたトールが、嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 フリード、ヴァンデミエール、トールの三人を乗せて、滑走路へ向かってゆっくりと動き出したシルフィードを、木立の影から睨む複数の目が光っていた。
 酔いが抜けきらぬ濁った男の瞳は血走り、口を大きく歪めて地面に唾を吐き捨てる。
「クソ生意気な小僧め」
 憎々しげにつぶやいたのは、アリエッタに絡んでいた小男だ。もはや参加しているレースになど興味がないのか、身を隠している木立を激しく蹴り付け、手にした酒瓶に口を付けて喉の奥に酒を流し込む。
「おい、手筈は話した通りだ。うまくいけば報酬の上乗せもあるみたいだからな、ぬかるなよ?」
 小男の言葉に、それぞれに顔を隠した危険な雰囲気を纏う男達が静かに肯く。
「見ていろよ、ほえ面をかかせてやる。あんな鶏ガラみたいにナヨナヨした機体、俺様がバラバラにしてやるぜ……」
 小男は背後で稼働を開始した愛機を見遣ると、薄気味の悪い笑みを浮かべた。
 
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