ヴィゼンディアワールド・ストーリー
 虹の翼のシルフィード


41.狙われたシルフィード

 目次
 静まり返っている駐機場では本格的なレースの始まりを明日に控え、参加者達の大切な機体が整然と並んでいる。力を蓄えるように眠る機体達は、どんな夢を見ているのだろうか。
 明かりを手にした運営委員会の警備員が、数時間置きに見回りを行っているようだ。機体の陰に身を隠し、慎重に辺りを窺うテリオスは、通り過ぎた大柄な警備員の背を見て小さく息を付いた。
「さすがに、警備が厳重だな」
 姿勢を低くしたテリオスが、銀色の瞳を細めた。
 闇に包まれたシルフィードは、その蒼い翼をゆっくりと休めている。今は雲に隠れているが、月が姿を現しおぼろな光を浴びれば美しさが際立つだろう。その幻想的とも言える光景を見てみたいと思うものの、盗賊は月に己の影を映させる訳にいかない。
「シルフィードか……」
 テリオスは「風の姫」の意を持つ、その響きが良い名をつぶやく。ブロウニングカンパニーの事務所に忍び込み、機体の仕様書を見たときには驚いた。
 とても一般の軽量機に与えられる性能ではない。開発したのは王立軍に重用されていたブロウニングカンパニーだ、新鋭機の性能試験を兼ねた参加なのかもしれない。
 操舵手の青年は技術屋なのだろうか?
 それならば冒険者としては素人のように見える青年が、データ収集のために繰舵手としてレースに参加していることも納得出来る。
「まさか、首狩りが目的じゃないだろうな」 
 テリオスは思考の中に浮かんでくる、幾つかの可能性を検証してみる。
 ウインドシップレースでは各国の軍需産業を主体としてる企業が、冒険者達に機体を提供している場合も多い。その目的は新型の機体及び装備の実地試験だ、 機体を提供された冒険者は高度な装備を実装した新型の機体を得る。そして企業側のメリットは、より実践的なデータ収集が期待出来るなど、両者の思惑は合致 する。
 競技規定によれば戦闘は禁止行為であるものの、これは表向きに過ぎない。驚くべき事に連盟でも競技運営側でも、多少の戦闘行為に対しては暗黙の了解がなされている。こうした背景から、レースの裏側で小競り合いの戦闘が行われていることも確かだ。
 そして物騒な響きを持つ「首狩り」という言葉。性能試験を実行する為に、参加している機体へと無差別に戦闘を仕掛ける危険な輩の存在を指す。
 フリードと名乗った青年は、軍人である可能性があるだろうか? いや、それはないな……と、すぐに完全否定した。あの青年からは、軍属が持っている特有の「匂い」のようなものをまったく感じないのだ。
 そんな疑問を胸中で転がしていたが、仕事に不要な思考に囚われているのは危険だ。テリオスは答えの出ない疑問を保留にして、居並ぶ機体に身を隠しながらシルフィードへと向かうべく、じりじりと進む。
(あん?)
 シルフィードへと目と鼻の先まで近づいた時、何やら舌打ちのような声が聞こえた。機体後部の辺りで、小さな影が蠢いている。テリオスはそれ以上シルフィードに近づく事をやめると、地面に片膝をついた姿勢で様子を窺う。
(先客か? おいおい、何だ……子供かよ)
 シルフィードの下で、何やらごそごそ動いているのは子供の姿……間違いない、少年のようだ。
 少年が背後のテリオスに気付いた様子はない、手に握っている大きな工具に微かな月の光が反射した。まさかこの場所で、機体の分解でもしようというのだろうか。
(まいったな……) 
 気長に順番を待つことも出来ないテリオスは、地面に目をやると小石をひとつ拾い上げた。少年の動きを注意深く観察しながら、シルフィードよりも二機ほど先の機体に向かって小石を投げる。
 かつん。
 狙いは違わず、石は機体に当たって小さな音を立てた。
「わぁ!」
 その音に驚いたのだろう、飛び上がった少年が脱兎の如く逃げ出した。半端な逃げ足の早さではない。少年の極端な反応に、テリオスは吹き出しそうになるのを懸命に堪える。
「ご同業とも思えないが。やれやれ、人気者だな、お前は……」
 シルフィードに近づいたテリオスが、そう言いながら機体をぽんぽんと叩くと。
(くるる……)
 まるで小鳥のような、微かな鳴き声が聞こえた。
「な、何だ!?」
 ぎょっとしたテリオスが、懐に手を入れて辺りを窺う。鳥の羽音など聞こえなかった、それにこの夜の夜更けに鳥が飛ぶ訳もない。しばらく全身に緊張を漲らせていたテリオスは思い過ごしだったかと肩の力を抜き、あらためてシルフィードの機体を調べ始めた。
「思った通りだ。反則だよな……コイツは」
 そっと機体に手を触れてみる。手のひらに感じるのは、今まで触ったことがない感触だ。拳で叩いてみると、くぐもった音が返って来る、おそらく外装は鋼板製などではない。新しく開発された素材なのだろうか、磨かれた石のように艶やかな素材が形成するのは堅固な装甲だ。
 そのまま機体側面に沿ってゆっくりと歩く、武装を確認しようと思うのだが機関砲などの砲身がどこにも見当たらない。
 だが、右舷に折り畳まれているのが長大な砲身だと気が付いたテリオスは、思わず身震いをした。
(これは……。戦艦クラスのウインドシップが搭載している砲塔の砲身と変わらない、こいつはいったい何を相手にするつもりだよ?)
 機体中心部に装備された動力炉は、左右に分かれて双発となり推力を発するようだ。そして鋭角な蒼い翼、その深みがある空色は抑圧からの解放、自由を求める象徴の色だと聞いたことがある。そこには、何か真摯な想いが込められているのだろうか。
 テリオスにはその蒼い翼が、鎖のように体に絡み付いた宿命から解放してくれる救いをもたらしてくれるよう感じられ、じっと美しい翼に見入った。 
 少し調べただけで、シルフィードが有しているであろうその高性能が良く分かる。テリオスは素直に、この機体が欲しいと思った。
 辺りへの注意を怠らないように繰舵室を覗き込む、機能的でかつ洗練された各種の計器やレバーの配置。
 この機体に、どれだけの技術が凝縮されているのだろうか、設計に長い長い熟成期間を要したのかもしれない。テリオスはこの機体の開発に携わった、技術屋達の意気込みを感じて興奮してくる。
「繰舵室にはロックが掛かってるのか。はは、当たり前だよな」
 肩を竦めて嘆息したテリオスは、腕を組んで首を捻った。先ほど操舵手の青年に話を持ちかけた時に、さりげなく懐の様子を探ってみたのだが、機体の起動キーを持っていなかったのだ。
 青年は言った、パートナーである少女は眠っているかもしれないと。
「起動キーを手に入れるには、コテージに忍び込むしかないか」
 シルフィードをこつんと叩いたテリオスは、機体に大きく記されたエントリーナンバー「52」を確認した。

 早鐘を打つような、心臓の鼓動が収まらない。ふうっと大きく息を吐いて、冷や汗を拭う。
「ああ、驚いた……」
 駐機場を離れ、建ち並ぶコテージの影に身を潜めたトールは、どきどきしている胸を押さえた。
「何だよ、あの機体は!」
 鼻の頭をひと擦りしたトールは、悔しそうに唇を尖らせる。スタート地のカーネリアでは、目的の機体を見つけても接触出来ないだろうと考えた。だからレースに参加する機体が翼を休める、このキャンプ地で待ち構えていたのだ。
 そしてトールは、シルフィードと言う名の機体を見つけた。その名は父が研究開発していた動力炉の開発コードの名称と一致する。
 動力炉は機体内部に組み込まれているので、外見からでは分からない。しかし一部でも外装を取り外して、内部に納められている動力炉の形状を確認すればいい。
 トールは、はやる心を押さえてじっと夜更けを待ち、機会を窺っていたのだ。
 やっとチャンスを見つけて機体に近づき、解体しようとしたのだが、どこをどう分解すればいいのか見当も付かなかった。
 レースに出場するような機体だ、多くの輸送機と同じ程度の外装ではないと思っていたが、これほど精巧に組み上げられているとは。
 トールは、自分の考えの甘さに歯噛みをする。
「まぁ、いいや、別の方法を考えよう」
 明日も早く起きなければならない。トールは二、三日前から、このキャンプの雑用係として働かせて貰っている身だ。うまく競技運営側に潜り込めたのだ、この機会を逃す訳にはいかない。
 まだチャンスはある。一度だけ駐機場がある方向をぐっと睨み付け、トールは寝泊まりをしている宿舎の方へと歩き出した。

☆★☆

 コテージの群から少し離れた場所では、焚かれている炎が今も夜空を焦がしている。耳に届くのは陽気な冒険者達の声、まさか夜を徹して語り合うつもりなのだろうか。
 冒険譚にはわずかな興味があるものの、冒険者達の輪に入り目を輝かせて話に聞き入るなど、テリオスにはくすぐったくてとても出来ない。
 それに、おかげでコテージの周囲には人気が無く、仕事をするリスクも少ない。
 テリオスは息を殺し、足音を忍ばせてコテージに近寄った。丸太で組まれた壁に身を寄せ、一度辺りの様子を窺う。窓から明かりは漏れておらず、部屋の中を窺うことは出来ない。
 部屋の中の状況によって対処が異なる。あの青年が、パートナーの少女はもう寝ているかもしれないと言っていた、確かに室内から物音は聞こえてこない。
 テリオスは扉へにじり寄ると、そろりと取っ手に手を掛けた。息を止めて、ぐっと手に力を込める。鍵は掛けられていないようだ。
 取っ手はあっさりと回転して扉が自由になる。鍵を開ける手間が省けたが、余計に注意しなければならない。この世に、そうそう都合が良い事などありはしないのだ。
 懐の銃を確認したテリオスは、そのまま肩を扉に押し当てるようにゆっくりと開いた。
 僅かな隙間からするりと痩躯を滑り込ませ、慎重に室内の気配を伺う。
 二つ並んだベッドの片方に、膨らみが見える。規則正しく上下するその膨らみ、壁際で息を殺してその様子を窺った。青年のパートナーである少女は、やはり眠っているらしい。
(そのまま、ぐっすりと眠っていてくれよ)
 部屋を見回して、荷物を探す……と、床に投げ出されている衣服が爪先に当たった。床に落ちているのは、フライトジャケットのようだ。そしてテリオスの銀色の瞳は、フライトジャケットのポケットから覗いている起動キーを捉えた。
(おおっと、これだ。しかし、こんなに簡単に……)
 起動キーに手を伸ばそうとして、はっと動きを止めたテリオス。室内に闇を払いのけるような気配が産まれた。
「何だっ!」
 不覚にも小さな叫び声を上げたテリオスが起動キーを握り、瞬時にその場から跳び退いた。耳を掠めた風鳴り、髪を揺らすほど鋭い風圧に煽られた。
「……何者?」
 張りつめた空気の中から沸き上がるのは幼い声、暗闇にぼんやりと浮かび上がる人影。雲が晴れたのだろう。カーテンを通して淡い月明かりが部屋に差し込んでくる。軍服を身に纏う少女が手刀を構え、テリオスの眼前に立ちはだかっていた。
(しくじった、軍属かよっ!)
 薄暗闇の中で輝く少女の瞳から放たれた視線が、起動キーを握るテリオスの右手に固定された。たった今、少女の中でテリオスは敵と見なされたに違いない。
 殺気を放出する少女の力量を推し量りながら、テリオスも油断すること無く身構える。スタート時に青年と少女を観察していたつもりだったが、レースの雰囲気に舞い上がっていたのかもしれない。少女の軍服にまったく気が付かなかった。
「賊か。ならば……排除する」
 背筋が凍るような声で宣言した少女が右手を横へと伸ばし、姿勢を低くした瞬間だった。テリオスの周囲に彼の身の丈ほどもある、鏡の如く輝く盾が現れたのだ。発動しようとする力、身を守るために陽炎を纏い顕現する、トゥエイユハーゲンの真白き鎧に驚いた。
「魔術師の反応だと!? 馬鹿野郎、はやまるなっ!」
 迂闊にその武具を身に纏えば、どんな惨事が起きるか分からない。叫ぶように命じると、盾と鎧は揺らめいた後で姿を消した。注意が逸れたテリオスへと、少女の手刀が突き出される。咄嗟に左手を床に付き、長身の体を投げ出すようにして、その攻撃を避けた。
「ふっ!」
 鋭い手刀でテリオスを捉え損ねた少女は、身を翻すとともに右足を高々と振り上げた。凄まじい勢いで落下してくる踵が鼻のすぐ先を通り過ぎる、その早さは尋常ではない。
 床を踏み付けた少女が再び振り上げた足は、複雑に軌道を変えて死角から迫る。テリオスはその踵をからくも躱し、お返しとばかりに両腕で上体を支えたままで、少女の足を刈るように低い回し蹴りを放った。
 しかし少女はテリオスの足技に怯む事もなく軽やかに宙を舞い、体を捻ると音もなく着地した。その間に床から起き上がったテリオスの手から、起動キーがこぼれ落ちる。
「ちっ!」
 舌打ちをして、床に転がった起動キーを目で追う。起動キーを拾い上げようとしたテリオスは、背筋に寒気を覚えて咄嗟に身構える。
 眼前に、少女が放つ手刀が迫っていた。
「くそっ!」
 テリオスは少女の攻撃を受けるのではなく、勢いを殺ぐように力の方向を逸らした。思わぬ強敵だ、少女が繰り出す打撃をまともに受ければダメージを受けかねない。
 間隙を置かぬ攻撃に怯んだテリオスの脇腹へ、するりと近付いた少女の肘が打ち込まれる。あまりにも重く体を突き抜けるような衝撃に、意識が途切れそうになった。
「こんな事ばかりだな、くそったれ! たかが娘っ子一人によ!」
 少女からの一撃に弾き飛ばされたテリオスは背中を扉に打ち付け、そのままコテージの外へと転がり出た。
 酷く痛む背中、空気を求めて喘ぎながら身を起こす。背後で空気が振動するのを感じた。慌てて空を降り仰ぐと、静かに輝く月を隠すように跳躍する少女の影が視界に入る。
 首を狙われている事は瞬時に分かった。テリオスが体を半身に開いた次の瞬間、首の右側を掠めて少女の鋭い蹴りが襲い掛かる。
 テリオスは槍のひと突きのような蹴りをかわし、肩口と首で空振りした少女の脚をがっちりと挟み込む。まさか避けられると思っていなかったのか、淡い月の光を受けた少女の顔に動揺の色が浮かんだ。
 膝に向かって拳の一撃を見舞えば足の骨を折ることも出来たが、さすがにそれは躊躇われた。テリオスが力を緩めると、少女はテリオスの肩を蹴って再び跳躍し、大きく離れて着地した。
 姿勢を低くして身構える少女は、クララと歳が離れているようには見えない。しかしテリオスに向けられているのは可愛らしい笑顔ではない。激しい敵意を込められた翠の瞳、少女の鋭い視線はテリオスをその場に縫い付けた。
(なんて哀しい目をするんだよ)
 棒立ちになるテリオスの気持ちが萎え、急速に戦う気力がしぼんでゆく。
「失策した私に情けをかけているようでは、一流とは言えない。いつか命を落とすことになるだろう、今宵は見逃してやる。早々に立ち去れ」
「へっ! 足一本儲けたんだ、礼のひとつも欲しいところだな」
 思わず従ってしまうような少女の命令口調に、テリオスの銀色の瞳が半眼になった。しかし、もう戦う気も仕事をする気も失せている。
「……怖い顔をしていないで、にっこり笑ってみろよ。きっと可愛いと思うぜ?」
 その一言に、少女の体から凄まじい殺気が放出される。テリオスは素早く懐から白い玉を取り出し、足下に叩き付けた。火薬が弾ける音と共に、白煙が勢い良く吹き出して少女とテリオスの間を隔てる。
「危ねぇ危ねぇ、またしくじったか。最近はツイてねぇな、どこかで幸運を落っことしたみたいだ」
 どうやらシルフィードという機体には、絡み付いている思惑があるようだ。今のテリオスにそれが何なのか知る術はないが。
「シルフィード。風の姫君か……」
 何故か、自然と口元がほころんでくる。
 木の枝を伝って跳ぶテリオスは夜風に吹かれ、深い闇の中に消え失せた。
 
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