キリスト教の聖書(旧約聖書と新約聖書)によると,「神は全能である」(つまり,何でもできる)と書かれています(創世記18章14節,エレミヤ書32章17節,27節,マタイの福音書19章26節,ルカの福音書1章37節など参照)。 しかし,何でもできるというのなら,神は悪も行えるのではないか,と考える人がいるかもしれません。 そうでなければ全能とは言えないのではないか,と考える人がいるかもしれません。 しかし,聖書全体を読むと,神の全能性というのは,何でもかんでもできる,という意味ではないことが分かります。 神は,ご自分の性質(愛・聖・義)やみこころにかなうことは何でもできます。 その意味で神は全能です。 しかし,神のご人格は完全であるので,ご自分の性質(愛・聖・義)やみこころにかなわないことは,何一つなさいません。 いや,それどころか,不正や悪を行おうとは,これっぽっちも思われないのです。 その意味で,神にもできないことがあります。 しかし,だからと言って,神の全能性が否定されたわけではありません。 先に述べたように,神ご自身の性質やみこころにかなうことなら,神は何でもできる,つまり全能なのです。 この問題を考える時に大事なのは,単なる言葉遊びとするのではなく,神はどのようなお方かを考えることです。
では,矛盾の故事については,神はどのように考えるでしょうか。 つまり,どんな盾をも破ることができる矛と,どんな矛をも防ぐことができる盾を使ってお互いに戦ったらどうなるか,という問題に対して,神はどのように答えるでしょうか。 実は,この問題の解決法は簡単です。 結論から言うと,2つの前提(どんな盾をも破ることができる矛と,どんな矛をも防ぐことができる盾との両方が存在するということ)は,両立することが論理的に不可能です。 ゆえに,論理的に成り立ち得ない前提を想定した上で,その結論はどうなるかを考えること自体,間違っているのです。 つまり,この問題自体,無意味なのです。 神が全能なら,矛盾の故事の問題も人間には理解できない仕方で解決できるはずだ,と考えるかもしれませんが,実は上記のように簡単に解決できます。 そして,神ご自身も論理的なお方なので,上記と同じ答えを出されると思います。 そしてその結論は,神の全能性とは何の矛盾も生じません。
以上,2つの問題を考えてみましたが,神の全能性が否定されることは全くありません。 また,「神は全能である」ということの意味もご理解いただけたと思います。