クリスチャンの中には,「クリスチャンはヘヴィ・メタルを聴くべきではない」と考えている人がいます。 その考えが聖書的に正しいかどうかを,私なりに考えてみました。
まず,「ヘヴィ・メタル(Heavy Metal)」とはどんな音楽なのかを簡単に説明したいと思います。 普段からヘヴィ・メタルを聴かない人にとっては,「ヘヴィ・メタル」とは,「ロック音楽(rock music)」よりも激しい,過激なサウンドの音楽という程度の認識だと思います。 また,うるさくて,とても退廃的な音楽だとも思われているようです。 しかし,私のような長年(30年以上)のファンから言わせれば,「ヘヴィ・メタル」と呼ばれる音楽スタイル(music style)は,「メタル音楽(metal music)」あるいは単に「メタル(metal)」と呼ばれるジャンル(genre)に含まれる,一つの音楽スタイルにすぎません。 そもそも,メタルは歴史が浅いにもかかわらず,その音楽性は様々に分化しています。 たとえ同じアーティストのアルバムでも,同じようなスタイルの曲ばかりが収録されているとは限りません。 以下に示すように,現在のメタルのスタイルは非常に多種多様になっています。
そこで,メタルをさらに細分化し,以下に構造化してみました。 メタル以外の音楽も含めた理由は,それらがしばしばメタル雑誌や,主にメタルを扱う専門店などで取り上げられることがあるからです。 ちなみに,音楽スタイルとは,メロディ,リズム,テーマなどによって表現される個性的な作品の特質のことを言います。 音楽スタイルのことをジャンルと呼んでも良いと思います。 また,以下は私個人による大まかな分類ですが,このような分類は概ね広く受け入れられているのではないかと思います。 (メタルに重点を置いたので,抜けている音楽スタイルがあっても,大目に見て下さい。)
ここで少々難しい話になりますが,上記のように分類される音楽スタイルについて,補足説明をしておきます。 実際に行われている音楽スタイルの区分は,単にメロディやリズムによる区分だけではなく,テーマ別の区分も含まれています。 つまり,実際には複数の区分原理(メロディ,リズム,テーマなど)を用いて,総合的な判断が行われているのです。 別の言葉で言うと,実際には交叉分類が行われているのです。 このために,ある曲やあるアルバムに対して,音楽スタイルを一つに決定することが困難な場合があります。 例えば,ある人は「これはパワー・メタルだ」と言う一方で,ある人は「これはファンタジー・メタルだ」と言うことがあります。 そのように,ある曲やあるアルバムに対して音楽スタイルを一つに決定することが困難な場合がありますので,聴く人によって異なるスタイルが与えられる場合があります。 また,上記の分類は組み合わせて使うことができます。 例えば,Atmospheric Black Metalとか,Melodic Power Metalといった具合です。 このような組み合わせは,実際よく使われています。
さて,ハーベスト・タイムの中川健一牧師は,聖書入門.comの3分動画「ヘビメタを聴くことは,悪魔崇拝になりますか。」で,クリスチャンがメタルを聴くことについて回答されています。 しかし,中川先生の回答には納得できない点がありますので,それを一つずつ検討してみたいと思います。
まず一番目に,中川先生は「どのような音楽ジャンルであれ,それ自体が『悪』だということはありません」と回答されていますが,例えば,Satanic Black Metalに分類できる全ての曲は,それ自体が「悪(evil)」だと思います。 歌詞だけでなく,メロディや,ミュージシャンのパフォーマンスや白塗りメイクも,邪悪さで満ちあふれています。 (音楽というのは,単に聴くだけのものではなく,観るものでもあります。) 例えば,ノルウェーのMelodic Black MetalバンドDIMMU BORGIRは,Satanic Black Metalに当てはまると思います。 実際にYouTubeの動画を観ていただければ分かると思いますが,歌詞の意味が分からなくても,メロディやパフォーマンスから,反キリスト教的なメタルだと判断できます。 また,例えば,ウクライナのNS Black MetalバンドNOKTURNAL MORTUMのアルバム『To The Gates Of Blasphemous Fire』に収録されている曲は,全て反キリスト教的です。 他にも,ウクライナのBlack MetalバンドLUCIFUGUMの曲も反キリスト教的です。 明らかに反キリスト教的な音楽でさえも,それ自体は「悪」ではないという考えには,私は同意できません。 特に,悪魔崇拝をしている音楽は,いかなるジャンルであろうとも,それ自体が悪だと私は思います。 なぜなら,そのたぐいの音楽は,聖書の神に対するあからさまな反抗心から作られたものだからです。 そのような音楽は人を汚すと聖書は教えています(マルコ7:20~23参照)。 実際,反キリスト教的な音楽は,クリスチャンに対して不快感を抱かせると思います。 あるいは,場合によっては自己陶酔感を抱かせることもあるかもしれません。 そのような感情は,神の子どもであるクリスチャンにとって不健全です。 ゆえに,メタルに限らず,明らかに悪魔崇拝をしている音楽を好んで聴くことは,クリスチャンにとって良くないことだと思います。
また,中川先生は「クリスチャンの中には『大音量で過激なサウンド,こういうのを聴いていると,精神に悪影響を及ぼすんだ』と主張する人もいます。けれども,こういう主張には科学的裏付けがありません」と主張されています。 つまり,「メタルを聴いていると,精神に悪影響を及ぼす」という主張には科学的根拠がない,と主張されているのです。 しかし,私自身の体験を言うと,クリスチャンになってからは,割と好みだったBlack MetalやDoom Metalを聴いていても,心からの喜びは得られなくなりました。 その他のメタルに関しても,あまり聴かなくなりました。 その最たる理由は,平安が得られないからです。 (ただ,何か作業をしている間に,BGMとして,小さな音量で好きなメタルを流しておくことはあります。) この私の体験から,クリスチャンがメタルを大音量で聴いていると,精神に悪影響を及ぼすのかもしれないと推測できます。 科学的に調べたわけではありませんが,自分の経験から考えると,クリスチャンになる前にメタルが大好きだった人は,クリスチャンになってからは,以前と同じようにはメタルを聴けなくなっているのではないかと思います。 したがって,メタルを聴く場合には,その音楽を聴くことで励まされるかとか,霊的に悪影響を受けてしまわないかなど,自分でよく吟味する必要があると思います。
二番目に,中川先生は「ヘビメタに問題があるとすれば,メロディーではなく,歌詞にあります」と回答されていますが,これは歌詞の意味が理解できることを前提にした回答です。 もし,歌詞が自分の知らない言語だったり,聞き取れない言葉だったら,何も問題ないのでしょうか。 例えば,ロシア語を知らない人が,先ほど例に挙げたNOKTURNAL MORTUMのアルバム『To The Gates Of Blasphemous Fire』に収録されているロシア語の曲「Под Знамёнами Рогатого Князя」(直訳「有角(ゆうかく)の公(こう)の旗の下(もと)で」)を好んで聴くことは,何も問題ないのでしょうか。 また,例えば,ウクライナのBlack MetalバンドHATE FORESTのアルバム『the gates』に収録されている,後半のインストゥルメンタル曲「in cold empty darkness」のような寒々しい曲を好んで聴くことは,何も問題ないのでしょうか。 そんなことはないはずです。 歌詞が分からなくても,あるいは,特に歌詞がないメタルの場合にも,クリスチャンは聴かない方が良い曲があるのではないかと思います。 (バンド名と曲名については,Encyclopaedia Metallum: The Metal Archivesを参考にして下さい。)
また,中川先生は「クリスチャンでない人がクリエイトするヘビメタの曲は,ほぼ例外なしに退廃的な内容を歌っています。例えばドラッグ,怒り,苦痛,死,極端な場合は自殺,などの礼賛がヘビメタのテーマですね」と言っておられますが,これは非常に偏った見方です。 確かに,そのような退廃的な内容を礼賛しているメタルはあります。 しかし,そうでないノンクリスチャンのメタル・バンドは,私の経験から考えても,たくさん存在します。 例えば,フィンランドのMelodic Power MetalバンドSTRATOVARIUSやロシアのMelodic Power MetalバンドCATHARSISが,すぐに思い浮かびます。 また,私が1997年から約20年間追い続けてきたロシアのハード・ロック/ヘヴィ・メタルの中から,少なくともメタル好きなロシア人にはよく知られているであろうバンドを,「例外」としていくつか挙げてみます。 ロシアで最も有名なヘヴィ・メタル・バンドの一つであるАРИЯ(アーリヤ),そのАРИЯ(アーリヤ)から分かれ出たАРТУР БЕРКУТ(アルトゥール・ベルクト)やСЕРГЕЙ МАВРИН(セルゲイ・マヴリン),КИПЕЛОВ(キペロフ),ファンタジーをテーマにしたЭПИДЕМИЯ(エピデミヤ),また,ソ連でメタルが流行し始めた1980年代のバンドからは,АВГУСТ(アヴグスト),ЛЕГИОН(レギオーン),ЧЕРНЫЙ КОФЕ(チョールヌィ・コーフェ)などが挙げられます。 日本のメタル・バンドでは,GALNERYUS(ガルネリウス),Versailles(ヴェルサイユ),Unlucky Morpheusなどが「例外」に挙げられると思います。 (ただし,これらのバンドのどの曲も問題ないとは考えていませんので,誤解のないように。) 他にも「例外」を探せば,たくさんあると思います。 つまり,メタルのテーマは,必ずしも退廃的な内容,ましてや礼賛ではないのです。 是非,ご自分で事実を確かめてみて下さい。 中川先生のようなメタルに対する見方は間違っていることが分かるはずです。
続けて,中川先生は次のように言っておられます。 「クリスチャンがヘビメタの曲を聴く場合は,その点に注意する必要があります。精神的な防御がないと,知らないうちに虚無的な世界観に落ち込む危険性があるからです」。 これは,「クリスチャンの中には『大音量で過激なサウンド,こういうのを聴いていると,精神に悪影響を及ぼすんだ』と主張する人もいます。けれども,こういう主張には科学的裏付けがありません」と言われたことと矛盾しています。 なぜ矛盾しているのかを説明します。 まず,「大音量で過激なサウンド,こういうのを聴いている」という言葉の意味は,文脈から,「大音量でメタルを聴いている」という意味だと分かります。 メタルを聴く場合,インストゥルメンタルでない限り,歌声(ヴォーカル)も一緒に聴くことになります。 つまり,中川先生は,「ヴォーカルが聞き取れて,かつ,その歌詞の意味が分かる場合でさえ,大音量でそのメタルを聴いていても,精神に悪影響を及ぼすとは言えません。なぜなら,科学的裏付けがないからです」と主張しておられるのです。 これは矛盾です。 なぜなら,もしメタルを聴いていても精神に悪影響を及ぼすとは言えないのなら,精神的な防御は必要ないはずだからです。 ゆえに,中川先生の言っておられることは矛盾していることになります。
三番目に,「趣味の世界を論じる場合は,それが信仰に基づくものであるかどうかを確認することです」と言われていますが,これは確かにそのとおりだと思います。
最後に,「メタルを聴くことは,悪魔崇拝になりますか」という質問に,私なりの回答をしてみたいと思います。 「もし,メタルを聴くことは悪魔崇拝になると考えているなら,メタルを聴くのは止めましょう(ローマ14:23参照)。 そうでなければ,信仰に基づいて聴けば問題ないと思います。 ただし,メタルを好まない日本人は多いので,周囲に人がいる場合は,その人への配慮もしましょう。」
「クリスチャンがメタルを聴いても良いかどうか」という問題に対して,私が出した結論は以下のとおりです。 ただし,以下の結論はメタル以外の全ての音楽にも適用されるものであり,また,この世に存在する多くの娯楽に対しても適用される,基本原則だと思います。 参考となる聖書箇所は,ローマ人への手紙14章です。
「ノンクリスチャンがクリエイトしたメタルを聴いても良いかどうか」という問題は,中川先生の回答を用いれば,「退廃的」という言葉を具体的にどのように定義するかによって,答えが変わると思います。 そこで,『広辞苑』第七版から「退廃的」の意味を引用しておきます。
【退廃的】
道徳・気風などがくずれて,不健全なさま。
(新村出編『広辞苑』第七版,岩波書店,2018年)
クリスチャンが持つべき道徳・気風はどのようなものかは,人によって意見が分かれる問題だと思います。 例えば,クリスチャンの徳を高めないものは全て退廃的だと主張される人もいると思います。 しかし,何がその人の徳を高めることにつながるのかは,他者が判断すべきではありません。 よって,自分で考えて答えを出すしかないと思います。 ただし,毎回毎回,曲を聴くたびに内容をチェックしていたら,何も楽しめなくなると思いますので,聴いていて不快感や空しさを覚えないなら,そのまま聴いて良いと私は思います。 歌詞があまり聞き取れない曲は,BGMとして楽しむこともできると思います。 実際,歌詞の意味を考えずに,音だけ楽しむという楽しみ方をしても良いと私は考えています。
具体例として,「クリスチャンが聴いても良いのではないだろうか」と私が思う作品を,以下に少しだけ挙げておきます。 もし興味がありましたら,実際に聴いてみて下さい。 世界的に有名なアーティストたちがクリエイトした作品です。 (お勧めしているわけではありませんので,誤解なさらないで下さいね。)
クリスチャンがメタルを聴いても良いかどうかという問題は,クリスチャンがお酒を飲んでも良いかどうかという問題と本質的に同じだと思います。 聖書は,お酒に溺れてはいけないと命じていますが,溺れるような飲み方をしなければ,お酒を飲んでも良いと教えています(箴言20:1,エペソ5:18)。 メタルについても同じことが言えると思います。 要は,クリスチャンとして節度ある楽しみ方をしたら良いというのが,聖書的に正しい教えだと思います。