ヴィゼンディアワールド・ストーリー
 虹の翼のシルフィード


29.魔を狩る騎士

 目次
「クララ!」
 テリオスは、とっさにクララを抱いて床へと身を伏せる。次の瞬間、撃ち込まれた熱衝撃波がフロアを刺し貫いた。激震が建物を揺らし、目映い白色に満たされる室内。すべてを灼き尽くす高温を発する光は、触れる物全てを融解させながら過ぎさった。
「うおおおっ!」
 クララをきつく抱きしめて庇い、高温の衝撃波から守るテリオスが呻く。
 体中が高熱に炙られ、体中の血液が沸騰しそうになる。身を焦がす熱波が過ぎ去り衝撃が収まったフロア内は、見るも無惨に焼け爛れていた。
「あの野郎……。クララ、大丈夫か?」
「わたしは大丈夫です」
 テリオスはやっと顔を上げ、胸に抱いたクララを気遣う。テリオスを見返す青い瞳、クララの声と表情はしっかりとしている。心なしか頬に赤みが差し、先ほどまでの頼りなさが薄らいでいるようだ。
「さっきのを、もう一回撃ち込まれたらひとたまりもない。行くぞ」
「はい」
 テリオスはクララを抱き上げると、破壊されて大きな穴となったフロアの扉から飛び出した。その直後、再び撃ち込まれた光熱波により、完全にフロア内の全てが炭化した。
 大きく破壊された建物から逃げ出したテリオスとクララは、走り続けて裏路地を抜け、人気のない広場へと出た。関わりなき人々を巻き込みたくはない、今は降り続く長雨に深く感謝する。
 ひたひたと背後から迫る、圧倒的な殺意――。
 降り続く雨と背中に受けた傷は、テリオスの体力を徐々に奪っていく。すでに走り続ける体力は残っていない。テリオスは覚悟を決めてクララを下ろすと、背後から迫る魔術師の男と向き合った。
「諦めろ。逃げる事などかなわぬ、その娘を返せ。『スプライト・ユニット』まだ試作品に過ぎぬが長い研究期間を要した成果だ、我らの目的を果たすための力となる」
「うるせぇよ。魔術師のはた迷惑な研究なんぞ、知ったことか」
 苦痛に口元を歪めるテリオスは、素早く拳銃を抜くと立て続けに発砲する。乾いた音が湿った空気を震わせ、弾け飛んだ空の薬莢が石畳に転がった。しかしテリオスが放った弾丸は、男が前に張った目に見えぬ障壁に阻まれて一発も届いてはいない。
「ふん、豆鉄砲か。くだらないな、それで終わりか?」
「まだだっ! この魔術師野郎っ!」
 障壁に阻まれて銃弾は通用しないが、姉が来てくれるまで何としても時間を稼がなければならない。
 石畳を蹴ったテリオスが跳躍する。体を捻り鞭のようにしなる長い足、鋭い蹴りが男の顎、急所を狙う。
「無駄だ」
 しかし男はテリオスの足を左手で鬱陶しそうに止めると、無造作に右腕を振るった。テリオスの脇腹に鋼鉄製のように固い拳が食い込み、弾き飛ばされた痩躯が地面に叩きつけられる。
「まぁ、一応は誉めてやるよ」
「この野郎……」
 見下すような男の口ぶりは、魔術師達が見せる特有の癖だ。
 薄い笑みを口元に浮かべ、男はテリオスを誘おうとする……闇よりも、さらに深い暗黒へと。
「貴様。貴様の瞳の色は」
 訝しげな表情で、魔術師の男が呟いた瞬間だった。
『そこを動くんじゃないよ、テリオスっ!』憤激を押さえつけようともしない姉の思念が、テリオスの耳へと届いた。
 同時に、凄まじい唸りを上げるエンジン音が響き渡る。勢い良く低い植え込みを飛び越えた一台の車が、四輪の全てを滑らせたまま魔術師の男に迫る。
「おおおおっ!」
 アリオスが運転する車は、驚愕に表情を凍り付かせた男に激突した。避ける事も出来ず、棒立ちになったままの男に激突した車は止まることなく滑り続ける。
「これならっどうだぁっ!」
 アクセルを床まで踏み込んだアリオスが叫ぶ、車はそのままの勢いで男の体を街灯に挟み、根本から薙ぎ倒して止まった。
「ぬがああっ!」
 口から血を吐き、獣じみた咆吼を上げた男の手が車のボディに食い込んだ。金属が軋む不気味な音が響き、男の指が車体に食い込んでいく。
「大丈夫かい、テリオスっ!?」
「駄目だ! 逃げろ、姉さんっ!」
「そんな、まだ動けるなんて!」
 車のドアを開けたアリオスが、激しく軋む車体の音に驚いて声を上げる。男は重たい車を抱え上げたのだ。アリオスは慌てて車を抜け出すとボディを蹴って跳躍し、空中で体を捻るとクララのすぐ側に着地した。
「追われてるってのは、この子かい? テリオスっ、あんたその怪我っ!」
「大丈夫だ、死ぬほどじゃない。それよりあの野郎を、魔術師を何とかしないと」
「がああああっ!」
 魔術師の男は凄まじい叫び声と共に、軽々と頭上に掲げていた車を足下に叩き付けた。
 激しい衝撃でひしゃげ、部品を撒き散らしてバラバラになる車。
「なんて奴だい……」
 金色の瞳を見開いたアリオスが、震える声を漏らす。
「姉さん、下がれっ!」
 テリオスは、男の足下に広がる車から漏れ出した燃料を見逃さない。乾いた破裂音を響かせて拳銃から発射された弾丸は、ひしゃげた車体に命中し跳弾の火花を散散らす。火花は漏れ出た燃料に引火し爆発燃焼が起こった、一瞬にして吹き上がる炎と黒々とした煙。
 しかし身を焦がす激しい炎になぶられても、男はまったく動じたりしない。ぎらつく瞳でアリオスとテリオスを睨み付ける。
「化け物かよ、手前ぇは」
 双子の前に立ちはだかる魔術師の男は、長い舌でべろりと顔をなぶる炎を舐めた。
「金色と銀色の瞳。ふん、貴様等はバルバロック伯爵家の末裔か!」
「う、うるさいっ! 伯爵家なんて、あたし達にはもう関係無いんだ!」
 動揺するアリオスの、金色の瞳が輝きを増す。
「関係無いだと? 笑わせるな。金と銀の瞳は、トゥエイユハーゲン騎士を統べる者の証だ。貴様等が生きている限り、受け継いだ騎士たる称号は無くなりはせぬ。憎き騎士共めが!」
 遙かな昔……。多くの命が失われた大陸の動乱が治まると、戦乱の最中に重用されていた魔術師達はその存在を疎まれるようになった。各国の王達は戦乱の禍根を魔術師達に背負わせる事で、己が為した罪を正当化しようとしたのだ。
 魔術師を駆逐、殲滅するために、各国の協力体制はすぐに整った。供出された技術はひとつに集約され、数種の優れた武具を生み出した。そして魔術師達の血を引く者達の研究は進み、彼等に対抗出来る強靱な人体の完成に至った。バルバロック伯爵家により結成された魔を狩る騎士団、その名はトゥエイユハーゲン。
 そして苦境に立たされた魔術師達は己の身を守り、蓄えた知識や術式を守るために連携を強め、ひとつの組織を作り上げた……。それがフェンリルの牙だ。その結果、大陸各地で繰り広げられる事となった、追う者と追われる者の激しい戦い。
 平和など、所詮は儚い夢でしかないのだろうか。
「覚悟しろっ!」
 呪いを吐く男の手のひらへと、光が収束していく。
 大きく振り上げられた腕、放たれた閃光が地面を切り裂き、巻き起こる爆風がクララを庇うアリオスの体を吹き飛ばした。
「きゃあああああっ!」
「姉さんっ!」
 ばらばらと降り注ぐ瓦礫。倒れたアリオスは気を失っているのか、ぴくりとも動かない。
「さぁ『スプライト・ユニット』よ、私と共に来い。私はお前を連れ帰り、バルバロックの血を大地に吸わせなければならぬ」
「おいコラ、勝手に決めるな! クララは渡さねぇぞ」
 地面に腕をついて、地面に血を吐き捨てたテリオスが、ゆっくりと体を起こした。
「いいか? 二度は言わねぇ、よく聞いとけよ。もう伯爵家は潰えたんだ、俺達は継承者なんかじゃない」
「貴様等の命がある以上、我等が憎しみを向ける矛先である事に変わりはない」
 魔術師の男は、クララへと腕を差し伸べる。
「さぁ、来い。お前には役目があるのだ」
 ぎゅっと、本を胸に抱いたクララが俯いた。小さな身体、細い肩が小刻みに震えている。
 その心は、逃れられぬ絶望に縛られていく。
「俯くな! 俺の声を聞け、クララっ!」
 テリオスの叫び声に、クララは弾かれたように顔を上げた。テリオスは銀色の瞳でしっかりとクララを見つめ、無理矢理に微笑んで見せた。
 ――絶対にあきらめるな。
 その強い想いを、クララに伝えるために。
 クララの姿は、空腹と寒さ、心細さに脅え路地裏で泣いていた、自分と姉の姿に重なった。
「なぁ、クララ。雨が降ったら、俺と姉さんが傘になってやるよ」
 テリオスは歯を食いしばり、口元の血を拭う。
「そうだよ……。雨の日は、傘を打つ雨粒の音へ静かに耳を澄ますんだ。そして晴れたなら、頬に温かい光と風を感じるんだよ」
 喉の奥から言葉を絞り出す、アリオスも顔を上げる。
「おら、相手をしてやるぜ。かかって来いよ、魔術師のおっさん」
 ゆらりと立つテリオスが放つ、銀色の鋭い眼光。
「無論だ。我等魔術師の仇敵であるトゥエイユハーゲンの騎士め、貴様達を生かしておく訳にはゆかぬ」
 魔術師がテリオスに向かって、ゆっくりと歩みを進め始める。
 炎に炙られ焼ける魔術師の体は、己の体を強化するために魔術を施されている。
 男の容貌は次第に人の形を失い、異形へと変化していく。そのおぞましい姿は、まさに闇から這い出る悪魔だ。
「テリオス、アリオス……」
 厳しい表情のクララが、手に余る大きな本をぎゅっと胸に抱いた。
「私は、神が造りたもうた理に反した存在。でも、私は敢えて神に誓う……。この命ある限り、私は貴方達のお側に!」
 クララが天を振り仰ぎ、高らかに宣誓した。
「銀色の瞳を持つ射手よ、貴方の真なる姿を!」
「ああ、仕方がないよな」
 クララの声に、テリオスは左手を高く掲げた。
 闇に蠢く魔を狩る騎士、それは伝承の中で静かに息づく血脈。
「魔と相対し時……」
 テリオスが呟いたその瞬間、光と共に左手へと現れた美しい純白の長弓。
 美しい飾り柄の青いラインが、眩しい輝きを放つ。
「月の女神……アルテミスの加護」
 小さな体から力を振り絞るように、高らかに詠うクララ。
 テリオスはゆっくりと長弓を構えた。その全身に陽炎の様に現れる、美しく真っ白な鎧のイメージ。
 魔を狩る騎士が纏う、トゥエイユハーゲンの鎧が実体化した。
 その姿を睨み付ける、異形と化した魔術師の双眸がぎらりと輝き、現れた幾本もの光の槍がテリオスに向かって殺到する。
「テリオス、光槍を防ぐ盾をっ!」
 クララが叫んだ瞬間、鏡のように光る幾つもの盾が現れ、テリオスを守るように展開した。まるで意志があるかのように動く盾は、魔術師が放った光の槍を阻み次々に己の中へと吸収していく。
 その青い光の輝きは、テリオスが纏う純白の鎧を照らした。
「金色の瞳は闇を討ち滅ぼす黄金色の光」
 心の中に響くクララの凛とした声は、テリオスの心に力を与えてくれる。
「銀色の瞳は闇もを見通し貫き通す」
 テリオスは両足でしっかりと地面を踏みしめると、呼吸を深く落ち着かせ、構えた長弓の弦を引き絞る。
 同時に右手へと現れる光の矢が目映い輝きを放つ、銀色の瞳が狙うのは、すでに人ではなくなった憎悪の化身だ。
 テリオスの胸中に甦る、消し去る事が出来ない真実。
 それは、数年前の出来事だった。
 疲弊したフェンリルの牙を、後ひと息で滅亡させるところまで追い詰めた、バルバロック伯爵家に異変が起こった。
 虹彩異色……金色と銀色のオッドアイを持っているはずの継承者。騎士団を率いるための、唯一無二と定められたバルバロック伯爵家の継承者が誕生した。しかし母から産まれ出でたのは、それぞれに金色と銀色の瞳を持った、双子の女の子と男の子だった。
 双子の誕生は伯爵と周囲を驚かせたものの、双子は母の慈愛に包まれてすくすくと育った。
 しかし継承者はただ一人、左右に金色と銀色の瞳を持っていなければならぬ。
 アリオスが持つ金の瞳を、継承者として選ばれたテリオスが受け継ぐ事。それは同時に、姉の死を意味する。
 テリオスは、魂の半分を分け合った大切な姉を失う事など、絶対に承知出来るはずがなかった。
 そして、悲劇は起こった――。
 バルバロック伯爵家の居城は跡形もなく崩れ去り、激しい炎に包まれた。
 魔を狩る騎士たる象徴、美しい白銀の鎧はひしゃげて焼け爛れ、瓦礫の中には騎士達の亡骸が累々と横たわる。
 渦巻く炎の中で姉の名を呼び、泣き叫ぶのは幼いテリオスの姿。
 アリオスは、魂を無くしたようなテリオスの手を取って、廃墟から逃げ出した。
 その後の、バルバロック伯爵家を知るものは誰も居ない。
「そうさ……自慢じゃないが、俺もお前等と同じ化け物の一連さ」
 脳裏に浮かぶのは、すべてを焼き尽くそうとする、業火の中で立ちすくむ幼い自分の姿。
 金色の瞳など要らない、継承者になどならなくていい。ただ、姉がいてくれればそれでよかった。
 己が引き起こした恐ろしい惨劇、それは決して逃れられぬ過去。
 あの日、テリオスは姉に誓った。
 そうだ、己のためではない。今はクララを救う為に、その強大なる力を使うのだ。
 異形となった男が鋭い咆吼を上げる、テリオスは妖しい光を放つ双眸の中心を狙い、光の矢を解き放つ。
 その瞬間、目映い閃光が迸った――。
 
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