ヴィゼンディアワールド・ストーリー
 虹の翼のシルフィード


56.ヴァスティーユの砦

 目次
  フリードは仕方なく、喜々として荷ほどきを始めたリュティスに習ってその場に腰を下ろした。ヴァンデミエールはフリードの側に座り、トールは歩き疲れたのか足を投げ出して大きく息をついた。
 リュティスは背納袋の口紐をするりほどくと無造作に手を袋へと突っ込み、中からあれこれと品物を引っ張り出す。小さなランプ、ナイフと水袋。から煎りして塩を振った木の実の種子を詰めた麻袋。布の包みを開くと大きなパン、油紙に包まれているのは燻製にした肉だ。
 燻製肉を手に取ったリュティスが、ナイフを使って器用に切り分けた。
「ほら食えよ、坊主。お嬢ちゃん、臭いは大丈夫だと思うが燻製肉は食えるか?」
 トールの両手に肉を乗せ、ヴァンデミエールの前には木の実の種子が詰まった麻袋と共に、燻製肉とパンを置いた。なかなか面倒見がよい男のようだ。
「ほら、お前も」
「あ、ありがとうございます」
 薄暗く訳が分からない場所で、食欲などまったく無いが断るのも失礼だろう。フリードは丁寧に礼を言って差し出された肉を受け取る。鼻腔をくすぐる香ばしい匂い、それほどに固くはないが何の肉だろうか。
「わ! これ、美味いよ!」
「へへ、そうだろう? ジェーンが持たせてくれたんだ。あ、ジェーンってのはな、俺がやっかいになっている屋敷のお手伝いさんだ。とびっきりの美人さ、それに賢くて優しいんだぜ」
 歩きづめで腹を空かせていたのだろう、燻製肉にむしゃぶりついていたトールが絶賛した。一生懸命に肉を頬張る少年を満足そうに眺めながら、リュティスはまた得意げにべらべらと喋る。
 手のひらに乗せた木の実の種子をひとつ口の中に入れたヴァンデミエールは、言葉を発することなくじっとリュティスの顔を見つめている。表情を見ていれば、話を聞いていれば、その人となりが見えてくるものだ。
 おしゃべりで人当たりが良い武官というのも、おかしなものだとフリードは思う。なんとなく、この自称三流騎士の立ち位置が分かったような気がした。
「たくさん食えよ、空腹を満たすのは大事なことさ。腹がふくれりゃあ体に力が漲る、何事にも立ち向かう勇気が湧いてくる」
 リュティスの意見はもっともだろうが、フリードはそれどころではない。姿が見えないシルフィードの所在が気になって仕方がないのだ。
 そんな事を考えているフリードの困り顔に気付きもせず、しばらく食欲を満たす事に専念していたリュティスは、もぐもぐと咀嚼していた肉を喉の奥に押し込んだ。
 水袋をくわえてのどを潤すと人心地がついたのか、こほんと咳払いをする。
「さてと、腹の虫も満足したようだな」
 フリード、ヴァンデミエール、トールの顔を順々に見回して、腹をぱぱんと叩いてみせる。まったくもって品位がない騎士だ。
「ここはヴァスティーユの砦、その内部さ」
「え、ええ!?」
 思いもしなかったリュティスの一言に、肉を噛みしめる口の動きを止めたフリードが立ち上がり、あらためて眼下に広がる街を眺めた。朽ち果てた灰色の街を見渡して言葉を失ったフリードは、脳裏に焼き付いている戦場の光景を思い出して身震いをした。
 もう数百年も昔に築かれたとされる砦、その内部に街がある事は知っていたが、その規模がまさかこれほどだとは。大きな大きな街の姿は、人の温もりなどまったく感じられない廃墟だ。
「ここが砦の中だなんて……。じゃあ、盗掘っていうのは」
「ああ、創世戦争期の遺品を狙う馬鹿共さ」
 リュティスの言葉に目をぱちくりさせていたトールが何か言い掛けたが、すかさずヴァンデミエールが鋭い視線で少年を射貫いた。宝物でも想像していたの か、びくりと体を震わせたトールはヴァンデミエールを睨み返して唇を尖らせたが、話の続きが気になるのだろう。頬を膨らませてしぶしぶと黙り込む。
「創世戦争期、この砦と呼ばれた建造物は重要な拠点だった。だが、もっと大切な役割を含んでもいた」
「砦なのに、戦略より重要な役割があったのですか?」
「ああ。砦の中に造られたこの大きな街は避難場所だったのさ、人々が戦いに巻き込まれぬようにと。あらゆる種の保存……そんな役割を担っていたんだ。なに しろ大陸全土が焦土と化しちまったからな。そして創世戦争が終焉を迎えた後は、この砦を足掛かりにリィフィート国は興った。そうだな、大陸五大国はみな 同じようなものだ」
 歴史的に貴重な遺跡であるのは理解している。そして、この砦は後々も幾多の戦いを起こす引き金となったこともフリードは学んでいる。砦には大戦期に蓄え られた巨大な力が残されていたのだ。その力が今も燻り続けているのか、それは分からないが。フリードは古の巨大な遺跡を徘徊する黒衣を纏う騎士、その濃いブルーの瞳を真っ直ぐに見つめる。
 そんなフリードの視線に気付いたのだろう、リュティスが傍らに置いた長剣の鞘にそっと触れた。美しい装飾を施された鞘に収められた剣は、主の傍らで何を想うのか。
「お宝を狙う馬鹿は後を絶たない、冗談じゃねぇよ。煌びやかな装飾品が眠っているって言われているがな、そんな物はありゃしない。ここで戦火を逃れていた人々は生きる事で精一杯だったんだ」
 探検気分だったのだろうか。身を乗り出して話を聞いていたトールは、バツが悪そうな表情で下を向くと頭を掻く。
 リュティスはそこで何かを思い出したように、ほんの小さな舌打ちをした。
「俺はここへ仕事で来ていたんだ。調査の護衛を頼まれていてな……」
 口を開けたまま、かくんと肩を落としたリュティスが口籠もる、フリードは首を傾げて騎士の顔を見た。
「あの、リュティスさん?」
「……その、なんだ、依頼人とはぐれちまった」
「え」
 気まずそうな一言に、呆れたフリードとトールが顔を見合わせる。盗掘が横行しているという物騒な遺跡で、護衛が依頼人とはぐれてどうするのだろう。乾いた笑いを続ける騎士にフリードは呆れた。
「ま、心配は要らねぇよ。あいつは魔術の素養に長けているんだ。盗賊程度の輩なら、間違っても遅れをとったりしねぇ。俺はもしもの時の為の護衛だからな」
「魔術……」
「魔術師にも変わり者がいるのさ、お嬢ちゃん」
 つぶやいたヴァンデミエールの翠色をした瞳が鋭さを増す。その変化に気付いたのか、リュティスが少女を安心させるように柔らかな表情を見せた。
「相反する光と闇の女神、エリスティリアとグローヴィア。お前達は、その存在を信じるか?」
「はい」
 神妙な表情で力強く頷くフリード。
 この大陸では程度の差はあれ、真っ当な人間ならば光の女神エリスティリアを信仰しているのだ。
「そりゃあ敬虔なことだな。おっと、お前の信心を馬鹿にする訳じゃないぜ? だが結論から言えば、神には光も闇もありゃしねぇよ」
「それは、どういう事ですか?」
「ふん」
 リュティスはひとつ鼻を鳴らすと、燻製肉を包んでいた油紙を背嚢の中へと突っ込んだ。
「数々の伝承は今でも大陸の信仰、その礎となっている。しかし実際、神なんてものはこの世に存在しねぇ。考えてもみろよ。敬虔な信者が腹を空かせた時、いくら熱心に祈ったところで女神が都合良く目の前に現れて、パンを差し出してはくれないよなぁ。そうだろう?」
「そ、それは、そうですけど」
 フリードは眉を顰めた。
 信仰する守護女神の存在を真っ向から否定されるのは、正直なところ良い気持ちではない。心の在り方と気持ちの持ちよう、それを定める羅針盤と考えるべきか。物理的な救済だけを求めて祈りを捧げる訳でもないであろうに。
「気を悪くするなよ? 俺は信仰心の話をしているんじゃないんだ」
 リュティスは背嚢袋の口を紐で結び、ぽんと傍らに置いた。フリードの表情を観察するように瞳を細めた後、微かな笑みを浮かべて再び口を開く。
「創世戦争は光と闇の戦いだったと伝えられる、また聖と邪の戦いだとも伝えられている。しかし歴史書は対決の構図ばかりで、本来の意味を記してはいない」
「本来の意味……ですか?」
「光と喩えられる女神エリスティリア、そして闇と喩えられる女神グローヴィア。互いが相反する意志を持つ事には変わりないがな」
 ゆるりと言葉を紡ぐリュティスは何を語ろうとしているのだろうか、耳を傾けるフリードは己の信仰を見失わぬように僅かに力を込めて唇を噛んだ。
「女神の正体を明かすのは簡単なことさ。エリスティリア、グローヴィアは共に優秀な力を持つ魔術師だった。魔術師が扱う術は、創世戦争期に女神が行使したとされる神秘の力と相違ない。違うのは展開される術式の規模と、その威力だ」
「そんな! 女神が魔術師だと言うんですか?」
「気持ちは分かるが真実だよ。荒廃した人心を立て直すには拠り所ってのも必要だったのさ、大戦の元凶たる二人の魔術師を神格化とは笑っちまうがな」
 魔術師は邪悪な存在である……。それは大陸での共通な認識であり、にわかには信じがたい。驚いたフリードは頭を振った。知識や信仰といった自分の中にある確固たるものが、音を立てて崩れていくようだ。
 リュティスはひどく真面目な顔で僅かに視線を落とし、
「大陸は刻々とその姿を変えてゆく。その姿を見つめていた二人の女性には理想、思想の絶対的な違いがあったんだ」
 苦みを含む言葉を吐く。
 フリードは手に持っている燻製肉を見た。リュティスの話を聞いていると口の中に残る肉の味に変わって、苦みが広がっていくようだ。
「魔術という力と相互作用を起こし、実に様々な技術が産み出され、多くの人間は喜んでその恩恵を享受した。だが、エリスティリアはその変化に懸念を覚えた のさ。人という種の意識は幼く、その変化についていく事が出来ないとな。しかしグローヴィアはそんな天秤の平衡など考えず、さらに高度で危険な技術をも求 め始めた」
 魔術師グローヴィアは己が編み出した魔術の術式をさらに強化し、また多系統へと幾筋にも分岐させたのだ。物理現象に作用する術に加え、生体……人や獣の肉体に変化を及ぼすような術までも。
 その術で産み出された生体兵器は戦乱の最中に投入されることになる。史実に残るおぞましい魔物の類は、元々人や獣といった生物であったのだ。
「二人の魔術師が歩む道は真逆の方向さ、思えばそんな結末しかなかったんだろうな。エリスティリア、グローヴィアはそれぞれの理想と思想を討ち滅ぼそうとした。それが、大陸全土を巻き込んだ長い長い創世戦争の始まりさ」
 静かに語る騎士の顔を、食い入るように見つめるヴァンデミエール。数回瞬きした後、濃いブルーの瞳を閉じたリュティス。トールは神妙な顔で口を開かず、自分が内包する想いを確かめているようだ。
 顔を上げたフリードは静かに眠る、廃墟の街並みへと目を向けた。
「エリスティリアは光の女神と称され、グローヴィアは闇の女神と呼ばれた。魔術も元を辿れば流れはひとつなのさ、扱う者次第だな」
 教え諭すように語るリュティス。
 黒衣を纏う騎士が、ヴァンデミエールへと向けた言葉の意味だ。
「新たなる時の始まりを目指した女神と、緩やかな時の流れを愛する女神の想い。闇の女神と恐れられるグローヴィアだが、彼女なりの真摯な願いがあったんだ。それは、時に哀しい擦れ違いを起こす人と人の心を……」
 僅かに揺れた黒髪。リュティスがぷつりと言葉を切り、濃いブルーの瞳を細めた。同時に立ち上がったヴァンデミエールが姿勢を低くして身構える。
「フリード、気を付けて!」
「ヴァンデミエール?」
 フリードは訳が分からずに少女を見た。いつになく切迫したその声音に、トールが驚いて目を丸くしている。
「いい勘をしているな、お嬢ちゃん」
 リュティスが長剣を杖にして、ゆらりと立ち上がった。
「地面が揺れている」
 フリードは固いブーツが踏んでいる石畳を凝視した、足下に感じる振動はだんだんと大きくなってくる。何が起こっているのだろうか、フリードの背筋にじわりと汗が滲んでくる。 
 先程登ってきた石造りの階段、その両脇に整然と立ち並ぶ巨大な柱が淡い光を放った。突如、空間にぽっかりと空いた穴を潜り抜け、それは姿を現した。
「こ、これは……」
 翠色の瞳を見開いたヴァンデミエールが、自分の身の丈以上はある銀色の鎧を前にして、愕然とした表情で構えを解いた。
 
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