ヴィゼンディアワールド・ストーリー
 虹の翼のシルフィード


69.対艦砲ブリュンヒルド

 目次
 社長室のソファに深く身を沈め、両足を床へ投げ出してだらしなく伸びているのはアルフレッドだ。その姿は一見するとだらけきっている駄目社長にしか見えない。
 苦虫を噛み潰したような表情で天井の一点を睨み据え、何かの思案に耽っている。時折、ぼりぼりと頬を掻く以外は体を動かす事がない。アルフレッドがこの姿勢でいる時は危険だ、いつも側にいるサラはそれを心得ているので普段は声を掛ける事はないが、今日は少しばかり事情が違う。
「あの、社長」
 サラが何度目に呼び掛けた時だろうか、アルフレッドの視線が僅かに揺らいだ。
「なんだ、何か用か?」
「い、いえ……。な、なんでもありません」
 鋭利な刃物を想像させる鋭い視線に射貫かれて、首筋に冷たい汗が浮かぶのを感じたサラが尻すぼみに小さくなる声で答え体を退いた。
「おいこら、この馬鹿野郎! サラが怯えているだろうが!」
 その大声は、アルフレッドを現実の世界へと呼び戻したようだ。
「お、おお! 工場長じゃないか!」
 その途端に、いつもの調子に戻ったアルフレッドが目を丸くする。ぱん! と膝を叩いてソファから立ち上がると、苦笑いを浮かべてサラの後ろに立つ人物を迎え入れた。アルフレッドに容赦ない言葉を投げ付けたのは、ブロウニング・カンパニーで工場長を務める老練の技術屋カージーだ。
「いや、すまねぇ、工場長。気付かなかった」
「構わんよ、俺が勝手に押しかけたんだ。その、なんだ、今日はな……」
 カージーは短い灰色髪の頭を掻きながら言い淀んだ。
 オイルの染みた痕が所々に見られる作業服の裾を何度か引っ張っていたが、大きく息を吐き出すとアルフレッドを睨み据える。
「シルフィードの事で、お前に話がある」
「あ、ああ……」
 カージーの訪問を予想していたのか、アルフレッドはどこかバツが悪そうに苦笑した。
 サラはコーヒーをお持ちしますと言って社長室から退出し、アルフレッドとカージーは向かい合う形でソファーに腰を下ろす。ソファに浅く腰掛け背を丸めたカージーは居心地が悪そうに身動ぎをすると、ごつごつとした大きな両手を握り合わせた。
 職人気質のカージーは、現場を預かる責任者として工場に常勤している。事務方が苦手だと本人が言う通り、この事務所にはほとんど顔を見せる事など無い。
 そのカージーが現れたのだ、余程の要件があるのだろう。
「おいアルフレッド。お前は何を考えているんだ?」
 息を吸い込み、アルフレッドをじろりと睨んだカージーは、ポケットからくしゃくしゃになった数枚の紙を取り出す。その紙を無造作にテーブルの上へと放り投げ、厳しい口調でそう切り出した。
「おいおい、親父さん。どうしたんだよ? 何をって、俺は何も……」
「とぼけるなよ、お前はブリュンヒルドの安全装置を外しただろう」
 紙の皺を伸ばさずとも、何が記されているのかが分かる。いきなり話の核心へと触れられたアルフレッドは、めずらしく動揺して眉間に皺を寄せた。
 『ブリュンヒルド』それは高出力対艦砲の名だ。シルフィードの主砲と呼ぶべき大掛かりな兵装であり、その長大な砲身は機体の右舷側面に折り畳まれている。小型の戦闘艇に搭載する為の主装備を目指したのだが、当時は推力を同時に生み出す強力な動力炉の開発が叶わなかった。起動すら出来ぬ無用の長物と成り下がっていたブリュンヒルドは、動力炉『SHYLPEED』得て見事に起動したのだ。
「アルフレッド、てめぇはいつの間にこんなことをしやがった!」
 強張った表情のカージーが、大きな拳でテーブルを叩き付ける。
 派手な音を立てて灰皿が跳び上がり、驚いたアルフレッドもついでにソファから腰を浮かせた。大きな靴を履いた足で、床を踏みつけたカージーは勢いよく立ち上がると、腕を伸ばしてアルフレッドの胸倉を乱暴に掴み上げる。
「お、親父さん。頼むから落ち着いてくれよ」
 目を剥いてアルフレッドを睨みつけていたカージーは、ぎりっと奥歯を噛み締めると力任せに絞り上げていた、アルフレッドのワイシャツの襟元を掴む手を開いた。
「正直に話すんだろうな?」
 アルフレッドに宥められ、やや気を落ち着かせたカージーは首を数回横に振ると力が抜けたように再びソファへと腰を下ろす。
「言わなくてもお前には分かるだろう、この紙に記されているのは「SHYLPEED」とブリュンヒルドの接続回路だ。おい、ヴァンデミエールって娘は何者なんだ? これまでは、ブリュンヒルドの発射と機体の推力を同時に得られる、動力炉の制御なんて不可能だったんだぞ」
 放心したようにソファの背もたれに大きな背中を預けたカージーは、アルフレッドがそうしていたように天井をじっと見つめて呟いた。
「ああっ! くそ、そうじゃねぇ。そんな事を話しに来たんじゃない!」
 体を起こしたカージーは、ぶんぶんと激しく首を振る。
「ブリュンヒルドは……。あいつはとんでもない武器だ」
 悔やむような声音でそうつぶやき、バリバリと髪の毛を掻きむしっていたカージーは、ふと手を止めてアルフレッドへと視線を向けた。
「シルフィードの調整はレース開始直前まで掛かった、ブリュンヒルドを降ろす時間が無かったのは確かだ。だが、どういうことなんだ? ウインドシップレースにあんな兵器は必要ない。お前は、なぜあの対艦砲の安全装置を外したりしたんだ」
 シルフィードに装備されているのは、決して抜いてはならぬ剣だ。
 試作段階の計算上とはいえ、その威力の恐ろしさを知っているからだろう、カージーは身震いする体を落ち着かせるように再び両手を握り合わせた。
「ブリュンヒルドは暗雲を吹き払う聖なる剣の一撃だ。だが考えてもみろ、この国が誇る旗艦ヴェルサネスでさえ、一発で轟沈させる威力があるんだぞ? 機構的に誤射なんて事は考えられないが、使い方を誤ればとんでもないことになる」
 自らの胸中でカージーへの答えを探していたのだろうか、目を閉じて微動だにしなかったアルフレッドが静かに息を吸い込んだ。見開いた瞳には、ある決意が光として反射している。
「現状のシルフィードは、あの物騒な対艦砲を一発しか撃つ事が出来ねぇよ、それは親父さんも分かっているだろう?」
「そんなことは分かっている!」
「あの剣を抜き放つのはフリードだ。そりゃあ、そんな事態にならねぇように祈っている。俺もそう動いているんだ。あいつはブリュンヒルドの事を知らない、もしもその時が来れば、ヴァンデミエールが伝えるだろうさ」
「フ、フリード様が!?」
 驚愕の表情、カージーが身を硬くした。
 やや俯いた姿勢で足元を見つめる、アルフレッドの表情は憔悴している。
「親父さん、事の始まりはな……」
 絞り出したような声には僅かな迷いが感じられる、一度言葉を切ったアルフレッドは気持ちに整理をつけたのか再びゆっくりと口を開いた。
「情報屋をやっている、コーディの仲間が調べた情報なんだよ。御大層に風を祀る神の名前を冠した戦艦が四隻、北方の険しい山脈で眠っているのさ。おまけにその四隻とも超弩級ときていやがる」
 忌々しげに吐き捨てるアルフレッドを見ていたカージーが鋭く息を呑んだ。
「せ、戦艦だと? まさか反乱か? 首謀者は何者なんだ?」
 焦りが滲む口調で、アルフレッドへと矢継ぎ早に言葉を浴びせかけるカージーが身を乗り出す。
「お前は指をくわえて見ていたのか! そんなことになる前に、なぜ手を打たなかった!」
 アルフレッドはゆっくりと右手を上げて、カージーの言葉を遮った。
「今回ばかりは相手が悪いんだ、おまけにエクスレーゼは行方不明。『鷹の剣姫』の、皇女様の力を借りることが出来ねぇ、俺のちっぽけな力じゃ太刀打ち出来ないんだ」
 舌打ちとともに、アルフレッドの眉間に刻まれた皺が深くなる。
「相手が悪いってのは、どういうことなんだ!」
 カージーは苛立ちを募らせる。勿体をつけるわけではないが、指で摘んだ眉間を揉んだアルフレッドは顔を上げた。
「この国のお坊ちゃんさ、内紛なんかじゃねぇのは分かるだろう」
「なん……だと」
 言葉を失ったカージーが、呆けたように口を開けた。
 大陸は創世戦争の禍根である「砦」をめぐる幾つもの戦いを乗り越えた、聖王国アリアレーテルを始め五大国の尽力により、大陸の情勢は概ね安定している。魔術師達の暗躍の影は認められるが、未だ深刻な事態とは言えない。
 アルフレッドの懸念はそんな大陸の情勢にもある。大陸の現状は、そういった危機感が薄いのだ。揺らぎのない静かな水面に小石を投げ込めば、大きな波紋が広がる。
「だがどんなにでかくても、たかが戦艦が四隻だ。頼りないお坊ちゃんの思想や理想だけで、大陸に存在する全国家を相手に喧嘩を売るんなんて、そんな馬鹿げたことが出来るわけがねぇ」
 アルフレッドが憎々しげに絞りだす言葉とともに、眉間に刻んだ皺がいよいよ深くなる。 
「まだ何かが、何かがあるはずなんだよ。俺にはお坊ちゃんの自信を裏付ける事が出来ない」
 解けぬ謎に翻弄され、疲れたように小さな吐息を漏らしたアルフレッド。
「なんにせよこれまでとは違う、起こりうる事態の規模が大き過ぎるんだ。不本意だが今はフリードに賭けるしかない。そうでなきゃ、可愛い甥っ子を死地に向かわせたりしねぇ」
「フ、フリード様を死地にだと? おいアルフレッド、お前は何を言っているんだ。ウインドシップ・レースに、そんな物騒な事が起こるっていうのか? これは戦争じゃない。レースだよな、レースなんだろう!?」
「もちろんだよ。だがレースの最終行程で、航路が北部山脈を掠めるんだ」
 たったひとつ示された謎解きの鍵がある。
 そうだ。アルフレッドには何者がシルフィードを、いや搭載されている動力炉「SHYLPEED」を狙っているのかという目星がとうについている。
 アルフレッドは、フリードとともにカーネリアの湾内でヴァンデミエールを救った。
 少女を追っていたのは盗賊などではない、間違いなく盗賊に偽装していた軍……グランウェーバー国の軍だ。ヴァンデミエールが奪った動力炉「SHYLPEED」を必要としているならば、シルフィードがレース終盤で四神が待機する北部山脈に近づけば何らかの動きがあるはずだ。
 翠色の瞳を持つ少女はどう考えたのだろう。工場の片隅で眠る未完成のシルフィードを前にして、ヴァンデミエールは取引きを申し出た。フリードを完成したシルフィードの操舵手にするならば、「SHYLPEED」を使えるようにする。少女が示した条件をのんだアルフレッドは取引に応じた。そしてシルフィードが完成したのだ。
「アルフレッド、お前……」
「分かってくれよ、親父さん。あいつは、ヴァンデミエールはフリードを選んだんだ」
 貴族の御曹司。お坊ちゃんに見えたのだろうが、だからこその伸びしろであるのか。
 少女は、誰かの幸せを願える優しさを軸としたフリードの心の有り様に、そして未来を求める姿に何かを賭けようとしたのかもしれない。
 ヴァンデミエールの話では、未だ「SHYLPEED」は本来の力を発揮する事が出来ず、それは操舵手の問題ではないという。成長させるための時間がどうしても必要だと少女は語った。
 ウインドシップレースは格好の舞台だったのだ。フリードには事の全て打ち明けてはいない、それが心苦しく悔やまれるのだが、ヴァンデミエールが示した条件に沿うのならば仕方がなかった。
「シルフィードには俺が乗るつもりだったんだがな。どう説得しても、ヴァンデミエールは聞き入れてくれなかったよ」 
 高出力対艦砲の安全装置を解除することを決めていた。それでも足りなければ大陸を揺るがす大きな大きな存在、神の名を与えられた船にシルフィードをぶつけるつもりでいたのだ。
 自分でも気づかぬうちに、アルフレッドは人生の幕を下ろすつもりでいたのかもしれない。
「若い頃は随分と無茶をしたもんさ、命を狙われた事だって何度もあった。だが、これっぽっちも怖く無かった。トゥーリアとエクスレーゼ。考えてもみなよ……。神秘の森の番人、姫巫女様と一国の皇女様が相棒だったんだぜ?」
 危険と隣合わせではあったが濃密な時間を過ごした、それは望んだとしても決して得られぬ時間だった。
 そんな自分は幸せ者だと思う、だがアルフレッドは自惚れている訳では無い。自分の存在など、ちっぽけなものだと知っている。この大陸を善き道へと導こう、そんな大それた考えなど持った事は無い、目指した事も無い。
 渦巻く悪意が気に入らなかったのだ、ただそれだけだ。
 だが少女にとって、役目を終えようとしている中年男の感傷になど用はないということだったのか。思い出を頭の片隅に寄せ、アルフレッドが浮かべたのは自嘲の笑みだった。
「この一件に決着がついたら、俺は荒事から引退するつもりだ」
 背中を丸め、大きな手を握り合わせるアルフレッド。
  彫像のように動かぬまま、アルフレッドの話を聞いていたカージーは開いた両手を膝に打ち付けると、そのままソファから立ち上がった。
 鼻を鳴らして少しだけ、 少しだけ目を細めると、何かが溢れぬように上を向いて乱暴に咳払いを繰り返す。カージーは腰を伸ばした後、社長室の奥に据え置かれたアルフレッドの机へと 歩み寄った。
 机の上に置かれているのは一丁の拳銃だ。弾倉は六連装、回転式の旧型である。銃身には若草の葉と蔓、豊かな実を模した美しい彫り込みが施されていた。
 カージーはオイル汚れが染み付いた指で銃身に触れる。
 毎日のように機械やオイルを扱い、荒れて癒えてを繰り返してきた手の皮は厚くなっている。
「随分と懐かしくて、物騒なモノを磨いているじゃないか。エクスレーゼ様から、何か連絡があったのか?」
 俯いたままのアルフレッドが、力なく頭を振る。
 危機が迫っているというのに、まだ機は熟していないというのだろうか。溜め息と共にカージーは机の上に置かれている銃を手に取った。時を経ても硝煙の匂いが消えぬ銃は使い込まれてくたびれて見えるものの、その牙はいまだ鋭さを秘めている、アルフレッドが駆け抜けた時間を刻み込んでいる。
 おもむろに弾倉をスイングアウトさせたカージーは、銃身、薬室と撃鉄の具合を確認すると無造作に懐へと突っ込んだ。
「こいつは俺が預かるぜ」
「親父さん!」
「馬鹿野郎。お前がいじり回したんじゃ使い物にならなくなるからだ、俺に任せておけよ。最後の舞台なんだろう、手伝わせて貰うぜ」
 勘違いをするなとばかりに、笑みを浮かべたカージーは、ふと真顔に戻った。
「なぁ、アルフレッド……」
 言葉を切って僅かに言い淀み、逡巡の後に両手の拳を握りしめると再び口を開く。
「お前は、何と戦おうって言うんだ?」
 その問いに、アルフレッドは迷うことなく口を開いた。
「闇の女神、グローヴィアの遺志だよ」
 それは幾度も掲げられた、創世戦争期よりの思想だ。
 その答えが聞こえたのだろう、応接室の扉の前でコーヒーを運んできたサラが不安げな表情で立ち尽くしていた。
 
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