聖書に出て来る数字に意味はあるか

ある人は,聖書に出て来る数字には隠された意味があると主張しています。 しかし,聖書には「数字の意味を探りなさい」という教えは全くありません。 したがって,私たちは聖書に出て来る数字の意味を探る必要はありません。

ヨハネの黙示録13章18節の「獣」の数字

ここに,知恵が必要である。 思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。 それは人間を表す数字であるから。 その数字は六百六十六である。
(『聖書 新改訳2017』ヨハネの黙示録 13章18節)

この箇所で言われている「獣」とは,大患難時代に現れる「反キリスト」のことです。 (聖書が教える救いと終末論参照。) この「獣」はローマ皇帝ネロを指すという説がありますが,字義通りに聖書を読めば,将来現れる一人の人間を指していると分かります。 その人物(反キリスト)が誰なのかは,実際に彼が現れてからでないと特定できません。 彼が現れたなら,その名をヘブル文字で書き,数字に置き換えれば,合計が666になります。

余談ですが,中川健一牧師は『ヨハネの黙示録(24)―地からの獣―』で,「中川健一」の数字は,苗字が260,名前が166,合計426と言っておられますが,苗字と名前の数字が逆です。 正しくは,苗字の「中川」はנקגוואで166,名前の「健一」はקניצ׳יで260,合計426です。 (ヘブル語の表記法には2通りあります。 一つは,母音記号を付けて読み方を示した表記法で,文法的表記法とかクティーブ・ハセル(כְּתִיב חָסֵר)と呼ばれます。 この表記法は,1つ1つの単語を正確に発音して理解できるので,ヘブル語聖書,低学年用教科書,子供向けの本などに用いられています。 これに対して,母音記号の代わりにヴァヴ(ו)とユッド(י )を用いて読み方を示す表記法はクティーブ・マレー(כְּתִיב מָלֵא)と呼ばれ,日常生活で一般的に用いられています。 現代ヘブル語は通常,母音記号を使わない表記法,つまり,クティーブ・マレーで表記します。 さて,日本人の名の「ワ」はואと書きますが,クティーブ・マレーにおいては,子音ヴァヴが語中に来た場合は,ヴァヴを重ねて書くという規則があるため,「中川」はנקגוואとなります。 参考文献:キリスト聖書塾編集部『ヘブライ語入門』第3版,日本ヘブライ文化協会,2004年,24頁;キリスト聖書塾編『現代ヘブライ語辞典』改版,日本ヘブライ文化協会,2006年,520~521頁。)

以下に,ヘブル文字と数字の対応表を示しておきます。 また,参考までに,ギリシア文字と数字も対応させておきました。 (参考文献:キリスト聖書塾編集部『ヘブライ語入門』第3版,日本ヘブライ文化協会,2004年,188頁;古川晴風編著『ギリシャ語辞典』第1版,大学書林,平成元年,1264頁。)

ヘブル文字と数字の対応表
(ギリシア文字は参考までに)
ヘブル文字数字ギリシア文字
א1α´
ב2β´
ג3γ´
ד4δ´
ה5ε´
ו6
ז7ζ´
ח8η´
ט9θ´
י10ι´
כ20κ´
ל30λ´
מ40μ´
נ50ν´
ס60ξ´
ע70ο´
פ80π´
צ90
ק100ρ´
ר200σ´
ש300τ´
ת400υ´
500φ´
600χ´
700ψ´
800ω´

イエス・キリストの御名の数字

ヨハネの黙示録13章18節の「獣」の数字が666であるのに対して,イエス・キリストの名である「イエス(Ἰησοῦς)」は888なので,イエスのほうが上位にあると主張する人がいます。 しかし,この論法には無理があります。 第一に,「イエス(Ἰησοῦς)」という名の人物は,イエス・キリスト以外にもいるからです。 例えば,人殺しの男バラバの名も「イエス(Ἰησοῦς)」でした(マタイ27:16~17)。 第二に,イエス・キリストの御名を「獣」の数字と対比するのなら,ギリシア語ではなく,ヘブル語で考えなければ論理に一貫性がありません。 「イエス・キリスト」はヘブル語で,「イェシュア・ハ・マシアフ(יֵשׁוּעַ הַמָּשִִׁיחַ)」です。 クティーブ・マレーで表記しても綴りは同じです。 (カタカナ表記は「イェシュア・ハ・マシアハ」でも構いません。 英語表記では「Yeshua the Messiah」となります。) 「イェシュア」はישועで386,「ハ・マシアフ」はהמשיחで363,合計749です。 (参考文献:中川健一著『クレイ聖書解説コレクション「ヨハネの黙示録」』紙版第2版,ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,2016年,86頁。) もし「イェシュア」という名だけを考えるなら,「イェシュア」は386,「獣」の数字は666なので,「獣」のほうが上位にあることになります。

これも余談ですが,「バラバ・イエス」をヘブル語とギリシア語で表記して,数値を計算してみます。 (1)ヘブル語では「イェシュア・バル・アバ(יֵשׁוּעַ בַּר־אַבָּא)」で,数値は592です。 クティーブ・マレーで表記しても綴りは同じです。 「バル・アバ(בַּר־אַבָּא)」とは「お父さんの息子」という意味です。 (2)ギリシア語では「イエースース・バラバース(Ἰησοῦς Βαραββᾶς)」で,数値は1,197です。 もし「獣」の数字と「バラバ」(ギリシア語)の数字を比較するなら,バラバのほうが数値は高いので,バラバのほうが「獣」よりも上位にあることになります。 そんなことがあるでしょうか。

このような数字の比較には何の意味もないことを確実に証明するために,ヘブル語聖書に出て来る神の御名(神聖四文字)「ヤハウェ(יהוה)」の数字を考えてみます。 神の御名「ヤハウェ(יהוה)」の数字は26なので,上記と同じ論法によると,まことの神は「獣」どころか,バラバよりも下位になってしまいます。 そんなことがあるでしょうか。 絶対にありませんよね。 したがって,このような数字の比較には何の意味もないのです。

だめ押しとして,ヘブル語聖書に出て来る偶像の名の数字を書いておきます。 「テラフィム(תְּרָפִים)」(創31:19等)は730,「アシェラ(אֲשֵׁרָה)」(出34:13等)は506,「モレク(מֹלֶךְ)」(レビ18:21等)は90,「ケモシュ(כְּמוֹשׁ)」(民21:29等)は366,「バアル(בַּעַל)」(士2:13等)は102,「アシュトレト(עַשְׁתֹּרֶת)」(1列11:5等)は1,370,「ミルコム(מִלְכֹּם)」(1列11:5等)は130,「バアル・ゼブブ(בַּעַל זְבוּב)」(2列1:2等)は119,「リンモン(רִמּוֹן)」(2列5:18)は296,「スコテ・ベノテ(סֻכּוֹת בְּנוֹת)」(2列17:30)は944,「ネルガル(נֵרְגַל)」(2列17:30)は283,「アシマ(אֲשִׁימָא)」(2列17:30)は352,「ニブハズ(נִבְחַז)」(2列17:31)は67,「タルタク(תַּרְתָּק)」(2列17:31)は1,100,「アデラメレク(אַדְרַמֶּלֶךְ)」(2列17:31)は295,「アナメレク(עֲנַמֶּלֶךְ)」(2列17:31)は210,「ニスロク(נִסְרֹךְ)」(2列19:37)は330,「ベル(בֵּל)」(イザヤ46:1等)は32,「ネボ(נְבוֹ)」(イザヤ46:1)は58,「メニ(מְנִי)」(イザヤ65:11)は100,「アモン(אָמוֹן)」(エレミヤ46:25)は97,「メロダク(מְרֹדַךְ)」(エレミヤ50:2)は264,「タンムズ(תַּמּוּז)」(エゼキエル8:14)は453,「シクテ(סִכּוּת)」(アモス5:26)は486,「キユン(כִּיּוּן)」(アモス5:26)は86です。 いずれも,「ヤハウェ」の26より数値は上です。 (ただし,イザヤ65:11の「ガド(גַּד)」は7です。)

モーセの杖の先に上げられた蛇の数字

ヨハネ3.14は,モーセの杖の先に上げられた蛇と十字架に上げられるイエスを対比して,この二者をあたかも同等と見なす予型論的解釈を述べていますが,これはヘブライ語での数値は「蛇」נחשは358となり,「メシア」משיחも358となることに基づいています。
(橋本滋男著『it's Greek! ちんぷんかんぷん!―聖書ギリシア語おもしろ講座』再版,日本キリスト教団出版局,2005年,78頁)

ヘブル語の数値が同じだから予型論的解釈が成り立つという教えは,聖書にはありません。 そもそも,モーセが荒野(あらの)で上げたのは「青銅の蛇」であり,単なる蛇ではありません(民数記21:9)。 (ヨハネ3:14には「蛇」と書かれているではないか,と反論されるかもしれませんが,これはユダヤ人であるイエス様とユダヤ人であるニコデモの対話です。 それも,ラビ同士の対話です。 つまり,お互いに旧約聖書の内容を熟知しているという前提でなされている対話なのです。 ゆえに,イエス様が「モーセが荒野で上げた蛇」と言われた瞬間に,ニコデモは「青銅の蛇」のことだと理解したのは言うまでもありません。)

さて,「青銅の蛇」(英語訳聖書では「the serpent of brass」とか「the bronze snake」などと訳されています)はヘブル語聖書では「ネハシュ・ハ・ネホシェト(נֵחַשׁ הַנְּחֹשֶֶׁת)」で,数値は1,121となります。 これに対し,次の3通りのヘブル語を考えてみます。 (1)まず,ヨハネ3:14で使われている「人の子(the Son of Man)」をヘブル語で書くと,「ベン・ハ・アダム(בֶּן־הָאָדָם)」となり,数値は102です。 クティーブ・マレーで表記しても綴りは同じです。 (2)次に,「人の子」とはメシアの称号(タイトル)なので,「メシア(the Messiah)」をヘブル語で書くと,前述したように,数値は363です。 (3)最後に,「イエス・キリスト(Yeshua the Messiah)」をヘブル語で書くと,前述したように,数値は749です。 どれも「青銅の蛇」と数値は一致しませんので,橋本滋男氏の説明は間違っていることが分かります。

考える必要はないと思いますが,一応ギリシア語でも確認してみます。 「青銅の蛇」は七十人訳聖書では「ホ・オフィス・ホ・カルクゥース(ὁ ὄφις ὁ χαλκοῦς)」で,数値は2,241です。 これに対し,ヘブル語の場合と同様に,3通りのギリシア語を考えてみます。 (1)「人の子」は「ホ・ヒュイオス・トゥー・アントゥロープー(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου )」で,数値は3,030です。 (2)「メシア」は「ホ・メシアース(ὁ Μεσσίας)」で,数値は726です。 あるいは「キリスト」は「ホ・クリーストス(ὁ Χριστός)」で,数値は1,550です。 (3)「イエス・キリスト」は「イエースース・クリーストス(Ἰησοῦς Χριστός)」で,数値は2,368です。 やはりどれも「青銅の蛇」と数値は一致しません。

153匹の魚

ヨハネ21.11によると,復活したイエスの言葉によって魚153匹が採れたとあります。 そこでこの153を次の数式に分解してみます。
153=1+2+3+…+17=(1+2+…+10)+(1+2+…+7)+(10×7)
この数式から,復活したイエスとは,天地創造の7と十戒の10を合せた人物であることが明らかとなるという具合です。 初期キリスト教ではこのような謎解きがいろいろおこなわれました。
(橋本滋男著『it's Greek! ちんぷんかんぷん!―聖書ギリシア語おもしろ講座』再版,日本キリスト教団出版局,2005年,78頁)

上記の説明以外にも,153という数字は何通りにも分解できます。 例えば,153=3×3×(10+7),153=2×3×5×5+3など。 このように,153という数字の意味は一意に決定できません。 したがって,153匹の魚に,ある特定の隠された意味があると断定するのは無理があると思います。 事実,聖書は153匹の魚に隠された意味があるとは教えていません。 聖書が教えていないことを,あれこれ詮索すべきではないと思います。 私たちにとって必要なことは全て聖書に書かれているので,余計なことは考えなくて良いのです。 ヨハネ21:11も他の箇所と同様に,字義通りに解釈するのが妥当だと思います(参考文献:中川健一『メシアの生涯(208)―復活(6)―』)。 聖書を字義通りに解釈すれば良い理由は,聖書の著者である神は愛だからです。

153という数字

また,153匹の魚は最終的に救われる人間の数(それは,全人類の3分の1)を象徴していると主張する人たちがいます。 その人たちの考え方を簡単に説明してみます。

153や99のような3の倍数について,10進数で各位の数字に分割し,それぞれの数を3乗して足し合わせるという操作を繰り返すと,最終的に必ず153になります。 例えば99について計算してみます。
93+93=729+729=1458
13+43+53+83=1+64+125+512=702
73+03+23=343+0+8=351
33+53+13=27+125+1=153
153も同様に計算すると,153となります。
13+53+33=1+125+27=153
このように,153が行き止まりになっています。 これを一般化して証明することもできると思いますが,私には難しいので省略します。

(1)3の倍数は,ある操作を繰り返すことにより,必ず最終的に153になります。 (2)3の倍数でない数は,同じ操作を繰り返しても決して153にはなりません。 (3)この2つのことから,ある条件の下で,3の倍数(自然数の全ての数の3分の1)は153になることが分かります。 言い換えると,ある条件の下で,153は自然数の全ての数の3分の1を代表する数になると考えることができます。 (4)以上のことから,網に入っていた153匹の大きな魚は,福音を信じて最終的に救われる人間の数(全人類の3分の1)を象徴しているのだという主張がなされています。

しかし,この解釈には重大な欠陥があります。 (1)論理の飛躍があります。 「ある条件の下で,153は自然数の全ての数の3分の1を代表する数になる」ことから,「153匹の魚は最終的に救われる人間の数,つまり全人類の3分の1を象徴している」という結論を導くことはできません。 そもそも,自然数は無限集合であり,人間は有限集合です。 無限集合と有限集合という,根本的に性質の異なるものを,あたかも同じであるかのように考えること自体,間違っているのです。 (2)聖書的根拠が何もありません。 ゼカリヤ13:8~9を根拠として挙げる人がいますが,ゼカリヤ書13章は,文脈から,イスラエルの民のことだと分かります。 より詳しく言うと,ゼカリヤ13:8~9に書いてある「3分の1」とは,大患難時代を生き延びて救われるユダヤ人の数です。 (3)ヨハネの福音書を書いた使徒ヨハネは数学者ではなく,漁師でした。 ヨハネが上記のような数学的意図を込めて書いたとは,到底考えられません。 事実,そのような意図は聖書からも全く読み取れません。 (4)以上のことから,153匹の魚が全人類の3分の1を象徴しているという主張には,何の根拠もないことがご理解いただけると思います。 ヨハネは,捕れた魚を数えたら153匹もあったという事実をそのまま書いただけです。

2022年1月10日更新
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