聖書が教える救いと終末論

聖書が教える救い

聖書が教える終末論を学ぶことは,クリスチャンにとっては希望であり,大きな祝福を受けます(黙示録1:3)。 しかし,終末論の学びをする前に,そもそも人はどのようにして救われるのかを,簡単におさらいしておこうと思います。 (聖書が教える「救い」とは,以下にまとめた終末に起こる出来事をお読みいただいても分かると思いますが,一言で言うと「神の怒りからの解放」です。 参照聖句は,ローマ5:8~9など。 また,聖書入門.comの「キリスト教で言う『救い』とはどういうことですか。」「そもそも,『救われる』とはどういうことですか。」も参照して下さい。)

人が救われる原則はいつの時代でも変わりません。 人は,恵みのゆえに,信仰によって救われるのです(エペソ2:8~9)。 これを「信仰義認」と言います。 しかし,信ずべき内容は時代によって異なります。 例えば,アブラハムは,神が「あなたの子孫は星の数のようになる」と言われた約束を信じたので,義と認められました(創世記15:5~6)。 アブラハムは,イエス・キリストの十字架を信じたから義と認められたのではありません。 アブラハムはそのような内容は知りませんでした。

では,現在の私たちは何を信じれば救われるのでしょうか。 私たちは以下の福音(「良い知らせ」という意味)を信じることによって救われると聖書は教えています。 その福音とは,「キリストは,聖書に書いてあるとおりに,私たちの罪のために死なれたこと,また,葬られたこと,また,聖書に書いてあるとおりに,三日目によみがえられたこと」です(1コリント15:3~4)。 この救いの福音については本物のクリスチャンとはでもっと詳しく説明しておきました。 異端と呼ばれるグループに所属されている方やまだクリスチャンでない方に読んでいただければ幸いです。 また,時々「一度信じただけではダメで,死ぬまで信じ続けないと救われない」と教える人がいますが,そのような教えは聖書にはありません。 「人は一度イエス・キリストを信じたら,永遠に救いを失うことはない」というのが聖書の教えです。 (参考文献:高木慶太著『恵みによる信仰生活1』改訂新版,いのちのことば社,2002年,68~77頁,212~218頁。)

また,終末論を学ぶ前に,聖書全体の流れを大まかにつかんでおくと,なぜ「終末」なのか,終末の希望とは何なのかが,よく理解できると思います。 そのために,聖書に啓示されている8つの契約と7つのディスペンセーションの関係を学ばれることをお勧めします。 (聖書入門.comの「ディスペンセーショナリズムとは何か(1)~(6)」などを参照して下さい。)

聖書が教える終末論

さて,実際にキリスト教会へ通っていても,聖書が教える終末論について詳しい解説を聞くことはあまりないと思いますので,自分の学びも兼ねて,以下にまとめてみました。 新約聖書の最後に収録されている「ヨハネの黙示録」をベースにして,その他の聖書箇所も記しておきました。 ただ,旧約聖書(特に預言書)を調べてみると,大患難時代からメシア的王国(千年王国)までに関する預言が非常に多く存在することが分かります。 私の理解力では,それらの預言の箇所の全てを網羅することはできませんので,終末論を詳しく学びたい方はページ末の参考文献などをご自分で調べてみて下さい。 聖書の終末論を説明するために多くの人は比喩的解釈を採用していますが,メシアの初臨に関する旧約聖書の預言が全て(「比喩的に」ではなく)文字通りに成就したこと(旧約聖書のメシア預言とその成就する確率参照)を考えれば,メシアの再臨に関する預言も文字通りに成就すると考えて良いと思います。 また,ヨハネの黙示録には,旧約聖書や新約聖書のあちこちに散らばっている終末に関する預言が時間順に並べて書かれています。 (ただし,7章,10章1節~11章14節,12~14章のような挿入句もありますので,ご注意下さい。 12章1~5節はメシアの生涯の要約になっています。) このヨハネの黙示録に書かれている象徴的なことばの意味を解釈するためには,黙示録の他の箇所でそのことばが解説されているかどうかを調べたり,黙示録以外の聖書箇所(旧約聖書)でそのことばがどのような意味で使われているかを調べる必要があります。 そのようなことから,ヨハネの黙示録は聖書全体の預言を要約した書と言えます。 以下に,終末に起こる出来事(主に地上の様子)を聖書から要約して並べてみましたが,詳しいことは実際に起こってみないと分からないと思いますので,聖書から読み取れること以上の推測はしないようにしました(1コリント4:6参照)。 また,根拠となる聖書箇所も書いておきましたので,ページ末の参考文献も利用しながら,聖書を開いて一つ一つ確認しながら理解を深めていただければ幸いです。

その前に,ユダヤ人と異邦人について,少しだけ解説を加えておこうと思います。 聖書によると,異邦人とは,ユダヤ人(=イスラエル人)ではない人を指します。 一方,ユダヤ人(=イスラエル人)とは,アブラハム,イサク,ヤコブの子孫を指します。 そして聖書によると,ユダヤ人か異邦人かは父親の血筋によって決まることが分かります(マタイの福音書1章の系図参照)。 もし父親がユダヤ人なら,母親が異邦人であっても,その子どもは生まれた時から永遠にユダヤ人です。 たとえクリスチャンになっても,ユダヤ人はユダヤ人のままです。 逆に,父親が異邦人なら,たとえ母親がユダヤ人であっても,その子どもは異邦人です。 たとえユダヤ教に改宗したとしても,異邦人は異邦人のままです。 つまり,ユダヤ人か異邦人かは生まれた時点で決まっていて,何をしても永遠に変更はないというのが聖書的定義です。 (参考文献:アーノルド・フルクテンバウム著/佐野剛史訳『ヘブル的キリスト教入門―メシアニック・ジューの歴史,神学,哲学から学ぶ―』紙版,ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,2016年,1~13頁。)

  1. 携挙(けいきょ)の前(教会時代=使徒2章の五旬節の日から携挙の時まで):イエス時代のユダヤ人は「ベルゼブル論争」(マタイ12:22~32,マルコ3:20~30,ルカ11:14~23)によって,メシアであるイエスを民族的に拒否した。その「赦されない罪」(マタイ12:31~32,マルコ3:28~30,ルカ12:10)の結果として,紀元70年に第二神殿は破壊され(マタイ24:1~2,マルコ13:1~2,ルカ21:5~6の成就),エルサレムは崩壊し(ルカ21:20~24の成就),ユダヤ人は世界中に離散し,迫害される民となった。ロシアで起こったポグロムやナチスによるホロコーストは,申命記28章で預言されていた呪いの一例である。ユダヤ人の世界離散とユダヤ人に対する迫害は,メシアが再臨される時まで続く。しかし,その前にユダヤ人は不信仰な状態のままで国家的回復を経験する(エゼキエル36:24,37:11~13。1948年のイスラエル建国により成就)。
    私たち異邦人クリスチャンが受けている霊的祝福は,本来はユダヤ人のものである(エペソ2:11~16,3:6,ローマ11:17~18,11:24)。また,キリストの福音は,まずユダヤ人に対して,次に異邦人に対して伝えるよう命じられている(ローマ1:16)。よって,私たちもまず第一にユダヤ人伝道を実践すべきである。具体的には,異邦人クリスチャンはユダヤ人に対して物質的なもの(献金など)でその負債を返す義務がある(ローマ15:27)。また,イスラエルの祝福と霊的救いのために祈るよう,神から命じられてもいる(詩篇122:6~9)。信仰によってこれらの命令を守り行う者は,アブラハム契約の条項(創世記12:3)に基づいて神から祝福を受ける。異邦人クリスチャンは,ユダヤ人の救いがメシアの再臨とメシア的王国(千年王国)をもたらすことを忘れてはならない。
    人々を惑わす「偽(にせ)メシア」=「偽(にせ)キリスト」が大勢現れ,地域紛争や小規模の戦争が起こる(マタイ24:4~6,マルコ13:5~7,ルカ21:8~9)。それから世界戦争,疫病,飢饉,大地震が起こる(マタイ24:7,マルコ13:8,ルカ21:10~11)。これら一連の苦難は,メシア的王国(千年王国)を産むための,陣痛の苦しみの始まりである(マタイ24:8,マルコ13:8)。つまり,これらの苦難は徐々に起こり,次第に強烈となることを意味する。
    現在はこの段階で,いつ携挙があってもおかしくない時代に私たちは生きている
    この教会時代に救われたクリスチャンは,主イエスを信じた瞬間に聖霊によるバプテスマを受け(1コリント12:13),キリストのからだである教会の一員となる(1コリント12:12~27,エペソ1:23,コロサイ1:24)。教会とは,教会時代の間に主イエスを救い主(キリスト,メシア)と信じて救われた人の群れであり,ギリシア語で「エクレーシアー(ἐκκλησία)」という。教会は,ユダヤ人信者と異邦人信者から成る「新しい一人の人」である(エペソ2:14~16)。
  2. 携挙(Rapture):一瞬のうちに,キリストにある死者(教会時代に死んだクリスチャン)は復活し,生きている信者(本当に救われているクリスチャン)とともに栄光のからだに変えられて,たちまち天へ上げられ,空中で主イエスと会う(1テサロニケ4:16~17,1コリント15:51~52,ピリピ3:21)。つまり,教会が天に上げられるので,地上に教会はなくなる。(黙示録4章の「24人の長老たち」を「教会」だと考えると,黙示録7:9~17で大患難時代に死んだ聖徒たちは別のグループとして書かれていることが分かるので,大患難時代に死んだ聖徒たちは教会には含まれていない。つまり,大患難時代に救われる人々は教会の一員ではない。)教会は携挙されるので,大患難時代を通過しない。
    教会の携挙は,教会に属する異邦人の数が満ちた瞬間に起こる(ローマ11:25)。
    教会の携挙の直後に,教会は「キリストのさばきの座」において,善であれ悪であれ,それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受ける(2コリント5:10,1コリント3:10~15,1:8)。このときに,神からそれぞれの人に称賛が与えられる(1コリント4:5)。
    携挙の時は父なる神だけがご存じで,主イエスも天使も人間も誰も知らない(マタイ24:36,マルコ13:32)。もし,携挙や再臨の日を予言する人がいたら,その人は間違いなく「偽(にせ)預言者」なので,惑わされないように気をつける必要がある(ルカ21:8)。
    携挙は普通に日常生活を送っている時に突然起こるので,いつ携挙が起こっても大丈夫なように,霊的に目を覚ましておく必要がある(マタイ24:37~42)。
    神のご計画を侮る不信者は,メシア的王国(千年王国)に入ることが許されず,外の暗闇(火の池)に放り出され,そこで泣いて歯ぎしりすることになる(マタイ8:12,13:42,22:11~13,24:51,25:30,ルカ13:28)。
    メシアの再臨への備えを教える5つのたとえ話が,マルコ13:33~37,マタイ24:43~44,24:45~51,25:1~13,25:14~30。
  3. 大患難時代の日):7年間続く(ダニエル9:25~27,12:11~12,黙示録6~18章)。
    太陰暦のヘブル暦に従って,1年=12か月=360日と計算する。1か月=30日。
    黙示録の中で前半の3年半を扱っているのは6~9章とその再記述である17章,前半と後半の中間期を扱っているのは10~14章,後半の3年半を扱っているのは15~16章とその再記述である18章。
    大患難時代が始まる前,マゴグの王ゴグ(おそらくロシアの政治的指導者)とその同盟軍がイスラエルの国を攻撃する(エゼキエル38:1~17,39:1~2)が,その日には必ずイスラエルの地に大地震が起こる(エゼキエル38:18~20)。そしてゴグとその侵略軍はである主によって滅ぼされる(エゼキエル38:21~23,39:3~8)。イスラエルの町々の住民は出て来て,7年間,敵の武器で火を燃やす(エゼキエル39:9~10)。イスラエルは死海の東にハモン・ゴグの谷と呼ばれる墓場を設け,7か月間,その地をきよめるためにゴグとその大軍の死体をそこに埋葬する(エゼキエル39:11~16)。
    また,大患難時代の前に,は預言者エリヤ本人(2列王記2:1~11)をイスラエルに遣わされる(マラキ4:5~6)。
    1. 前半の3年半:一般的に教会で「反キリスト」と呼ばれている特定の人物(ローマ人の血を引く人物で,おそらく母親がローマ人)がイスラエル(ユダヤ人国家の政府)と平和的な契約を結んだ時点から,7年間の大患難時代が始まる(ダニエル9:25~27,8:23,ホセア5:13,10:4~8,創世記3:15)。
      ちなみに,反キリストの名前をヘブル語で表記して数字に換算すると,六百六十六となる(黙示録13:18)。
      大患難時代が始まった時点では,生き残っている人々は全員,信者ではない。携挙の時に生きていた信者は全員天に上げられているから。
      反キリストはサタンの力を受けて,奇跡や不思議なことを行い,人々を魅了する(ダニエル8:24~25,2テサロニケ2:9~12)。
      反キリストは,統一化された偽(にせ)の教会(背教の教会,黙示録17:1の「大淫婦」,黙示録17:5の「大バビロン」)と結託して,政治的な面で世界を支配する(黙示録6:1~2,17:1~6)。統一化された偽(にせ)の教会は世界の宗教を支配する(黙示録17:1~6)。
      世界大戦が起こる(黙示録6:3~4)。
      世界的な食糧難に見舞われる(黙示録6:5~6)。
      世界の人口の4分の1が死に絶える(黙示録6:7~8)。
      世界中に離散しているユダヤ人の中で,信仰を持ったユダヤ人の中から14万4千人が福音宣教のために召され,彼らの宣教活動によって,多くの異邦人が救われる(黙示録7章)。
      しかし,大患難時代に入ってから救われた聖徒たちへの激しい迫害により,彼らの多くは殉教の死を遂げる(黙示録6:9~11,7:9~17,17:6,マタイ24:9~14)。また,多くの人が互いに裏切り,憎み合う(マタイ24:10)。また,偽預言者が大勢現れて,多くの人を惑わす(マタイ24:11)。
      自然界に異変(大地震,太陽が暗くなる,月が血のようになる等)が起こる(黙示録6:12~17,ゼパニヤ1:14~16,ハガイ2:6,2:21b)。
      続いて,7つのラッパのさばきのうち,第六のラッパのさばきまでが起こる(黙示録8~9章)。具体的には,地上の3分の1が火で焼かれる。海の生物の3分の1が死に絶える。川の水の3分の1が汚染され多くの人が死ぬ。地上に届く光の3分の1が失われる。悪霊どもが地上に出て来て,不信者にだけ5か月間も死ぬほどの苦痛を与える。2億もの悪霊の軍勢によって人類の3分の1が殺される(ヨエル1:15~2:11)。この時点で,大患難時代が始まってから人類は2分の1以下にまで激減している計算になる。
      これほどまでの神のさばき(怒り)を受けながらも,殺されずに生き残った人々は全く悔い改めようとはしない(黙示録9:20~21)。
      また,前半の3年半(1260日)の間,二人の証人が登場し,預言をする(黙示録11:3~6)。彼らの役目は3年半で終了し,殺されて死んだ反キリスト(黙示録17:8,17:10~11)が復活して,誰も殺せなかった彼らを殺し,3日半の間,二人の証人の死体はエルサレムの大通りにさらされる(黙示録11:7~8)。世界中の人々がその死体を眺めるが,3日半の後,彼らは復活し,天に上げられる(黙示録11:9~12)。その時,エルサレムで大地震が起こり,都の10分の1が破壊され,7千人が死ぬが,生き残った人々は天の神に栄光を帰する(黙示録11:13~14)。
      すぐに第七のラッパのさばきが起こる。稲妻がひらめき,雷鳴がとどろき,地震が起こり,大粒の雹(ひょう)が降る(黙示録11:15~19)。
      統一化された偽(にせ)の教会(黙示録17:1の「大淫婦」,黙示録17:5の「大バビロン」)は10人の王と反キリストによって滅ぼされ,反キリストが宗教的にも政治的にも世界の支配者となる(黙示録17:7~18)。
    2. 後半の3年半:反キリストがイスラエルと結んだ契約を破棄し,この時点でエルサレムに建っている第三神殿でのいけにえとささげ物をやめさせる時が,大患難時代の後半の3年半(1260日)の始まり(ダニエル9:27,12:11~12)で,反キリストは第三神殿の至聖所で自分こそ神だと宣言する(2テサロニケ2:4)。
      一方,天使長ミカエル(ユダ9)と天使たちに敗北したサタンは,悪霊どもとともに地上に投げ落とされ,自分の時が短いことを知り,激しく怒って,イスラエルを滅ぼそうとする(黙示録12:7~18)。イスラエルが滅びてしまえば,メシア再臨の条件(それは,イスラエルの民族的回心)が整わないことをサタンは知っているから。しかし,イスラエルを滅ぼすことは誰にもできない(エレミヤ31:35~37)。
      大患難時代を生きるユダヤにいる聖徒たち(イスラエル)は山(荒野)へ逃げるが,彼らへの迫害は熾烈を極める(マタイ24:15~26,マルコ13:14~23,イザヤ33:16,ダニエル7:21,11:36~39,ホセア2:14~15,ミカ2:12,黙示録12:6)。
      同じく,大患難時代を生きる全ての聖徒たちへの迫害もさらに厳しくなる(黙示録13:7,13:10)。
      特に,偽キリストたち,偽預言者たちが現れて,イスラエルさえ惑わそうと,大きな奇跡や不思議なことを行うが,決して彼らを信じてはいけない(マタイ24:23~26,マルコ13:21~23)。メシアであるイエスは,誰にでも分かるような姿で再臨されるからである(マタイ24:27,マルコ13:26,ルカ21:27)。
      神を信じない人々はサタン,そして反キリストを礼拝する(黙示録13:1~4,13:8)。
      反キリストは神を冒瀆(ぼうとく)し(黙示録13:5~6),10人の王のうち3人の王を打ち倒す(ダニエル7:8,7:20,7:24~25,11:40~45,黙示録17:11)。
      偽預言者(彼は他の偽預言者たちとは違う,ある特定の人物)は復活した反キリストを礼拝させ,また,人々の前で大きな奇跡を行って,人々を惑わす(黙示録13:11~14)。
      偽預言者は反キリストの像を人々に造らせて神殿に据え,ものを言うことさえできるようにし,反キリストの像を礼拝しない者を殺させる(黙示録13:14~15)。
      また,偽預言者は人々の右の手か額に反キリストの名の刻印を受けさせ,この刻印を受けていない者には経済活動に参加できないようにする(黙示録13:16~17)。
      その前に,ひとりの天使によって最後の救いのチャンスが全世界の人々に届けられる(黙示録14:6~7)。
      しかし,それでも反キリストを礼拝し,反キリストの名の刻印を受けるなら,その人々にはもはや救いのチャンスは二度と与えられない(黙示録14:9~12)。
      それから,7つの鉢のさばきが起こる(黙示録15~16章)。具体的には,反キリストの刻印を受けている人々と彼の像を拝む人々に,ひどい悪性の腫れものができる(黙示録14:9~11の成就)。海が血になり,海の中の生物は死に絶える。川と水の源が血になり,聖徒たちの血を流した人々はその血を飲む。不信者たちは太陽の激しい炎熱で焼かれる。全世界を暗黒が覆い,不信者たちは苦しみのあまり舌をかむ。不信者たちはその苦しみと腫れもののゆえに天の神を冒瀆(ぼうとく)し,自分の行いを悔い改めようとしない。そして,ユーフラテス川が枯れ,日の出るほう(メソポタミア)から来る王たちが西へ進軍できるようになる。悪霊どもが全世界の王たちを「ハルマゲドンの戦い」のために召集する。人類史上最大の地震が起こる。エルサレムが三つに裂かれる。バビロン(反キリストが再建した世界の首都で,黙示録18:2の「大バビロン」)は一日のうちに,様々な災害,死病と悲しみと飢えに襲われ,火で焼き尽くされ,一瞬にして荒廃に帰する(黙示録18章)。地形が激変する。35kgほどの大きな雹(ひょう)が降る。この雹の災害が非常に激しいので,人々は神を冒瀆(ぼうとく)する。
  4. 再臨(Second Coming of Jesus Christ):昇天されたイエス本人が地上に再臨される(使徒1:11)。
    キリストの再臨の前に,天において,キリスト(子羊)と教会(キリストの花嫁)の婚姻(婚礼)が行われる(黙示録19:7~8)。
    再臨の様子を描写している箇所は,マタイ24:27,29~31,マルコ13:24~27,ルカ21:25~28,2ペテロ3:3~12,ダニエル7:13,ハバクク3:3~15,ゼパニヤ3:8。
    ハルマゲドンの戦いは,まず反キリストの軍勢がハルマゲドン(ヘブル語でהַר מְגִדּוֹן,「メギドの丘」という意味)と呼ばれる場所に集結し(ヨエル3:9~11a),ユダヤ人を滅ぼすためにエルサレムを攻め,陥落させる(ゼカリヤ14:2)。次に,反キリストの軍勢はユダヤ人が避難しているボツラ(現在のヨルダン領ペトラ)に進軍する(マタイ24:28,ルカ17:37)。そして,ユダヤ人たちに悔い改めの霊(聖霊)が注がれ,彼らはイェシュア(イエス)をメシア(キリスト)として受け入れるようになる(ホセア14:2~3,ヨエル2:28~32,ゼカリヤ12:10,イザヤ10:20~21,エゼキエル39:29)。こうして,地上にいるユダヤ人はみな救われる(オバデヤ17,ヨエル2:32,イザヤ4:2~3,37:31~32,ローマ11:26)。「祝福あれ,の御名(みな)によって来られる方に(בָּרוּךְ הַבָּא בְּשֵׁם יְהוָה)」(詩篇118:26)というユダヤ人たちの祈り(マタイ23:39,ルカ13:35)に答えて,キリストがシャカイナ・グローリー(の栄光)を帯びてボツラに再臨され,反キリストの軍勢を殺す(ミカ2:12~13,イザヤ34:6,63:1~6,ゼカリヤ14:3,詩篇110:5~6)。残りの軍勢も最終的に都(エルサレム)の外で殺される(黙示録14:20,エゼキエル39:17~20)。その後,キリストは勝利の王としてオリーブ山の上に立たれる(ゼカリヤ14:4)。
    このハルマゲドンの戦いの時,エルサレムを攻めに来る軍勢に対して,は4つの災害を加えられる(ゼカリヤ14:12~15)。
    このハルマゲドンの戦いにより,反キリストと偽預言者は捕らえられ,硫黄の燃える火の池に生きたままで投げ込まれる(黙示録19:11~21,2テサロニケ2:8,ダニエル7:11,7:26)。
    携挙された聖徒たちは,キリストの再臨とともに地上に戻って来る(ゼカリヤ14:5,ユダ14)。
    天使たちも再臨されるキリストにつき従って来る(黙示録19:14,マタイ16:27,25:31,マルコ8:38,2テサロニケ1:7)。
    サタンはひとりの天使によって捕らえられ,千年の間,底知れぬ所に閉じ込められる(黙示録20:1~3)。
    大患難時代を生き延びたイスラエルは回復する(エゼキエル39:21~29,ホセア14:4~8,アモス9:14~15,ゼパニヤ3:11~20,ローマ11:25~26)。ただし,大患難時代にユダヤ人の3分の2は殺され,残った3分の1が救われる(ゼカリヤ13:8~9,マラキ3:2~6)。
    離散していたユダヤ人は世界中から集められる(マタイ24:31,マルコ13:27,申命記30:1~10,イザヤ27:12~13,49:8~13,エゼキエル28:25~26)。
    大患難時代の後半の3年半(1260日)が終了してから千年王国が始まるまでの,30日の間(1290日)に偶像が取り除かれたり(ダニエル12:11),75日の間(1335日)に千年王国がスタートするための全ての準備が整えられる(ダニエル12:12)。
    この準備期間中に,地上でキリスト(子羊)の婚宴が開かれ,復活した旧約時代の聖徒たちと大患難時代に死んで復活した聖徒たち(ダニエル12:2,黙示録20:4~6,ヨハネ3:29)が,招待客として招かれる(黙示録19:9)。キリストの花嫁は教会である。
    大患難時代を生き延びた異邦人に対するさばきが,ヨシャファテの谷(キデロンの谷の一部)で行われる(ヨエル3:1~3,3:12)。さばきの基準は,信仰のゆえにユダヤ人を助けたか,助けなかったか。ユダヤ人を助けた人(親ユダヤの人=「羊」)は,信仰のゆえに永遠のいのちを得,千年王国に入る。ユダヤ人を助けなかった人(反ユダヤの人=「やぎ」)は,その不信仰のゆえに殺され,永遠の刑罰を受ける(ヨエル3:13~15,ゼパニヤ3:9~10,マタイ25:31~46,3:12,ルカ3:17,マルコ9:48;マタイ13:30,13:36~43,13:47~50,22:8~13)。このキリストによるさばきはアブラハム契約の条項(創世記12:3)に基づくものである。このさばきの準備については,ダニエル7:9~10。
    キリストの復活と,全ての聖徒たちの復活が「第一の復活」である(黙示録20:4~6)。第一の復活にあずかるのは,まず初穂としてのキリスト(既に復活されました。ハレルヤ!),次に携挙の時に復活したクリスチャン,それから旧約時代の聖徒たちと大患難時代に死んだ聖徒たちである(1コリント15:20~23)。
    聖書が教える復活のからだとは,朽ちないからだ(死ぬことがないからだ,全く病気にならないし老化もしないからだ)であり,栄光のからだ(聖化が完了して栄化されたからだ)であり,罪の性質が全くない,罪から完全に解放された聖なるからだである(1コリント15:42~57,黙示録20:6)。これは100パーセント,神の恵みであり,神からの愛のプレゼントである。まさに「アメイジング・グレイス(amazing grace)」である!
    復活した聖徒は天使のように,めとることも,とつぐこともない。つまり,復活した人は結婚しないので,子どもを生むことがない(マタイ22:30,マルコ12:25,ルカ20:35~36)。
    復活した聖徒はキリストから聖霊によるバプテスマを受けている(マタイ3:11,マルコ1:8,ルカ3:16,ヨハネ1:33~34)。
  5. 千年王国(メシア的王国,Messianic Kingdom):メシアが支配するこの国は永遠に滅びることがない(ダニエル2:34~35,2:44~45,7:14,7:18,7:27)。
    再臨されたキリストがエルサレムから「王の王,主の主」(黙示録19:16,17:14)として全世界を統治される(2サムエル7:16,1歴代誌17:14,詩篇2:8,22:27~31,ミカ4:7b,イザヤ1:26,11:2~5,61:2b~3,エレミヤ23:5~6,33:15~18,ダニエル7:14,ヨエル3:17,3:21,オバデヤ21,ゼカリヤ9:10)。これは「ダビデ契約」(1歴代誌17:10b~14)の成就である。
    その統治の下,復活したダビデが王(君主)としてイスラエルの民を統治する(エゼキエル34:23~24,37:24~25,エレミヤ30:9,ホセア3:5)。12使徒もイスラエルの12の部族を治める(マタイ19:28,ルカ22:29~30)。復活したゼルバベルも高い地位に就く(ハガイ2:20-23)。
    千年王国が始まった時点で地上で生きている人々は,第一の復活にあずかった聖徒たちと,大患難時代を生き延びたユダヤ人信者と異邦人信者のみ。つまり,全員が信者。
    第一の復活にあずかった聖徒たちは,父なる神とキリストとの祭司となり,キリストとともに千年の間,王として治める(黙示録20:6)。
    再臨の結果,光源が変化し(ゼカリヤ14:6~7),エルサレムの神殿から湧き水が流れ出し(ゼカリヤ14:8,ヨエル3:18,エゼキエル47:1~12),は地のすべてを治める王となられ(ゼカリヤ14:9),地形が激変しエルサレムは非常に高い山になり(ゼカリヤ14:10,ミカ4:1,イザヤ2:2,エゼキエル40:2),エルサレムが平安になる(ゼカリヤ14:11)。
    神殿が再建される。この神殿はソロモンが建てた神殿(2歴代誌3:1~5:1,1列王記6:1~10,6:14~38,7:13~51)よりも豪華なものである(エゼキエル40~46章,ハガイ2:7~8)。
    イスラエル12部族は1部族たりとも失われることはない(エゼキエル47~48章)。
    はイスラエルと「平和の契約(=永遠の契約=新しい契約)」を結ばれる(イザヤ54:10,55:3,59:21,エゼキエル34:25~31,37:26~28,16:60~63,エレミヤ31:31~34,32:37~41,ホセア2:16~23)。そしてイスラエルは罪を犯さなくなる(イザヤ27:9,エゼキエル36:25~29,37:23,エレミヤ31:31~34)。
    「土地の契約(「パレスチナ契約」とも言う)」(創世記13:14~15,15:18~21,17:8)が成就する(アモス9:15)。
    異邦人はのみおしえを学ぶためにエルサレムへ上り(ミカ4:2,イザヤ2:3),二度と戦うことを学ばない(ミカ4:3,イザヤ2:4)。
    多くの異邦人が,復活したアブラハム,イサク,ヤコブと一緒に食卓に着く(マタイ8:11,ルカ13:28~29)。
    大患難時代を生き延び,信仰によって救われたユダヤ人信者と異邦人信者は,復活のからだを与えられていないまま千年王国に入るので,結婚して子どもを生むことができる。その子どもたちには生まれつき罪の性質があるので,やはり信仰によって救われる必要がある。ユダヤ人信者の子どもたちはみな信仰によって救われるが,これほど恵まれた時代においてさえ,信仰を持とうとしない異邦人信者の子どもたちが出てくる(イザヤ65:18~24)。
    大患難時代を生き延びた異邦人信者は,毎年,を礼拝し,仮庵の祭りを祝うためにエルサレムへ上る(ゼカリヤ14:16~19)。この仮庵の祭りの規定は,エゼキエル45:25。
    回復された自然界の様子を描写している箇所は,イザヤ11:6~9,35:1~2,35:6b~7,65:25,アモス9:13。
    病気や障害のある人が癒やされる(イザヤ35:5~6a)。
    千年王国では長寿が回復されるが,罪人であり続ける不信者だけは,このような恵まれた時代においても死ぬことになる(イザヤ65:20)。つまり,千年王国においても死は存在するのである。
    エドムはイスラエルと親戚関係にあったにもかかわらず,反ユダヤ主義(anti-Semitism)によってイスラエルを苦しめ続けたので,エドムの地は千年王国においても荒れ果てた荒野(あらの)のまま放置される(オバデヤ1~18,ヨエル3:19,エゼキエル25:12~14,35章,イザヤ34:5~15)。これはアブラハム契約の条項(創世記12:3)に基づいたさばきである。
    反キリストが建設し,神である主によって滅ぼされた都市バビロンは,千年王国の間,焼かれる煙が立ち上り(黙示録19:3),悪霊の住みかとなる(黙示録18:2)。このように,バビロンも荒れ果てた地のまま放置される(エレミヤ50~51章)。
    千年の終わりにサタンが底知れぬ所から解き放たれ,千年王国の間に生まれた多くの異邦人を惑わす。彼らはイスラエルの民とエルサレムを攻撃する(彼らは不信者で救われていないから,神に反逆する)が,天から下ってくる火によって焼き尽くされる(黙示録20:7~9)。
    サタンは火と硫黄の池に投げ込まれ,千年前からそこにいた反キリストと偽預言者と同じで,永遠に苦しみを受ける(黙示録20:10)。サタンが滅ぼされるということは,サタンのしもべである悪霊ども(2コリント12:15)も当然滅ぼされる。
    終わりに,キリストは王国を父なる神にお渡しになり,神がすべてにおいてすべてとなられる(1コリント15:24~28)。
  6. 白い御座のさばき:創世記1章以来存在していた地と天は,跡形もなくなる(黙示録20:11)。マタイ24:35,マルコ13:31,ルカ21:33の成就。
    キリスト(大きな白い御座に着座しておられる方)にすべてのさばきが委ねられる(黙示録20:11)。
    あらゆる時代の不信者が「ハデス(よみ)の苦しみの場所」(ルカ16:23~28)から復活し,「いのちの書」から名前が消し去られていること(詩篇69:28,139:16;黙示録3:5によると「勝利を得る者」=「本当に救われている信者」の名は消されない)が確認され,「数々の書物」に書かれていることにしたがい,それぞれ自分の行いに応じてさばかれ,火の池に投げ込まれる。これが「第二の死」である(黙示録20:12~15,21:8,21:27,22:15)。彼らはキリストから火によるバプテスマを受けるのである(マタイ3:11,ルカ3:16)。
    ちなみに,不信者がさばかれる理由は,自分を救う真理を愛をもって受け入れなかったからであり,偽りを信じ,真理を信じないで,不義を喜んでいたからである(2テサロニケ2:10~13,ヨハネ3:18~20)。また,彼らは欲望を神とし,恥ずべきものを栄光とし,地上のことしか考えず,キリストの十字架の敵として歩んだからである(ピリピ3:18~19)。彼らに弁解の余地はない(ローマ1:16~2:16)。「人はうわべを見るが,は心を見る」(1サムエル16:7)のである(詩篇139篇,ルカ16:14~15)。
    第一の復活にあずかった者にとって,第二の死は無関係である(黙示録20:6,22:14)。
    最後の敵である死(1コリント15:26)もハデス(よみ)も火の池に投げ込まれる(黙示録20:14)。
    しかし,火の池はハデス(よみ)同様,真っ暗な闇である(詩篇49:19,ユダ13,2ペテロ2:17)。
  7. 新天新地(永遠の秩序):永遠に続く新しい天と新しい地が創造される(黙示録21:1~22:5)。
    もはや海もない。
    聖なる都である「新しいエルサレム」が天から降(くだ)って来る。
    新しいエルサレムは,三位一体の神,無数の天使たち,あらゆる時代の聖徒たちにとっての永遠の住まいとなる。
    神が永遠に人とともに住んで下さる。これは,シャカイナ・グローリー(の栄光)が永遠に人とともにある,という意味。
    もはや死はなく,悲しみも,叫び声も,苦しみもない。創世記3:16~19の呪い(罪から来た呪い)が全て取り去られる。呪われるものは何もない。
    聖なる都エルサレムには神の栄光がある。その輝きは最高の宝石のようである。
    都には高さが約65メートルの城壁があり,12の門がある。12の門には,イスラエルの12部族の名前が刻まれていて,12人の天使がいる。
    都の城壁には12の土台石(どだいいし)があり,12使徒の名前が刻まれている。
    都の形は立方体であり,1辺の長さは約2220キロメートルである。
    都の城壁は碧玉で造られ,都は透き通ったガラスに似た純金でできている。
    都の城壁の土台石はあらゆる宝石で飾られている。
    12の門はそれぞれ一つの真珠からできている。
    都の大通りは純金で,透明なガラスのようである。
    都の中には神殿はない。全能の神である主とキリストが,都の神殿だからである。
    都には太陽も月もない。神の栄光(シャカイナ・グローリー)が都を照らし,キリストが都の明かりだからである。
    都には夜がないので,12の門は一日中,決して閉じられない。聖徒たちだけが都に入ることができる。
    水晶のように輝く,いのちの水の川が父なる神とキリストの御座(みざ。単数形)から出て,都の大通りの中央を流れている。
    いのちの水の川の両側には,12種類の実がなるいのちの木があり,毎月一種類の実を結ぶ。
    父なる神とキリストの御座が都の中にあり,神のしもべたちは神に仕え,御顔(みかお)を仰ぎ見る。彼らの額には神の御名(みな)が記されていて,彼らは永遠に王として治め,祝福された生活を送る。

神による人類救済計画がこれほど詳細に書かれているとは,聖書とはまさに驚くべき書です。 聖書とは,まさに神の栄光を現す書です!

上記のまとめを読んでもご理解いただけると思いますが,教会時代のことと新天新地のことは旧約聖書の中には全く出て来ません。 これらは新約聖書において,初めて啓示されたことです。 旧約聖書の預言は,メシアの再臨とその後のメシア的王国で終わっています。 ヨハネの黙示録20章によって,メシア的王国は文字通り一千年間で終わることが明らかにされました。 このように,徐々に啓示の内容が進んでいくことを,「漸進的(ぜんしんてき)啓示」と呼びます。 また,教会時代に起こることは,マタイの福音書13章3~52節に書かれています。 教会時代に何が起こるかは,旧約聖書には預言されていなかったので,イエス様はこの時代に起こることを「天の御国(みくに)の奥義(おくぎ)」(マタイ13:11)と言われたのです。

また,聖書の終末論(特に千年王国に対する考え方)には,千年期前再臨説(キリアズム,chiliasm),無千年王国説,千年期後再臨説の三つの解釈が存在していて,どれが正しい解釈なのか分からないという方もおられると思います。 しかし,聖書を字義通りに素直に読めば,千年期前再臨説(キリアズム)が正しいことが分かります。 つまり,神のご計画は,メシアの死と埋葬→メシアの復活→メシアの昇天→聖霊降臨と教会の誕生→教会時代→教会の携挙→大患難時代→メシアの再臨→メシア的王国(千年王国)という順序で進むことが,明確に分かります。 例えば,レビ記23章に書かれている7つのの例祭は,メシアの生涯を予表しています。 (1)過越の祭りはメシアの十字架の死,(2)種なしパンの祭りはメシアの血による贖い,(3)初穂の祭りはメシアの復活,(4)七週の祭りは聖霊降臨,(5)ラッパの祭りは教会の携挙,(6)贖罪の日(ヨム・キプール)は大患難時代,(7)仮庵の祭りはメシア的王国(千年王国)の予表です。

そして,ヨハネの黙示録で神の自己啓示の書(すなわち聖書)は完結したことが,ヨハネの黙示録22章7節と18~19節によって保証されています。 したがって,神の自己啓示の書である聖書は,39巻から成る旧約聖書と27巻から成る新約聖書の合計66巻で完成しているのです。 (クリスチャンでない方が時々,「これらの正典は,書かれてから何百年も後の教会会議によって決定された」と主張していますが,それは正確ではありません。 もともと信者たちが「これが正典だよね」と認識していた書が,教会会議によって公式に確認されたというのが正確です。 わざわざ教会会議を開いて「どの書が正典なのか」を確認する必要があった理由は,異端的な教えや異教の教えに人々が惑わされないようにするためでした。 聖書入門.comの「聖書の成り立ちについて教えてください。」参照。) ヨハネの黙示録は紀元95年頃に書かれたと考えられているので,それ以降に書かれたあらゆる「経典」(例えば,ユダヤ教の「タルムード」やイスラム教の「クルアーン」など)は神の自己啓示の書ではありません。 また,66巻から成る聖書には含まれていない「外典」や「偽典」などと呼ばれる多くの書(写本)が存在していますが,それらも神の自己啓示の書ではありません。 理由は,66巻の聖書の内容と矛盾していたり,今で言う「なりすまし」によって書かれたりしているからです。 (詳しくは,『新聖書辞典』(いのちのことば社,1985)の「がいてん」の項を参照。 「なりすまし」の典型的な例としては「ユダの福音書」があります。 「ユダの福音書」は,イスカリオテのユダとは全く関係のない人物(グノーシス主義者)によって書かれたものと言われています。 そもそも,マタイの福音書27章3~5節を読めば,イスカリオテのユダには福音書を書けた時間など全くないことが分かります。) 聖書以外の書は神の自己啓示の書ではありませんが,歴史的資料としての価値はあると思います(「聖書外典(アポクリファ)とはなんですか。」「『ユダの福音書』をどう理解するか」参照)。

終わりに

最後に,主イエスを愛し信頼する全ての方々へ,聖書から励ましのみことばを贈ります。

ですからあなたがたは,すべての悪意,すべての偽り,偽善やねたみ,すべての悪口(あっこう)を捨てて,
生まれたばかりの乳飲み子のように,純粋な,霊の乳を慕い求めなさい。 それによって成長し,救いを得るためです。
(『聖書 新改訳2017』ペテロの手紙 第一 2章1~2節)

御使いは私に言った。 「これらのことばは真実であり,信頼できます。」 預言者たちに霊を授ける神である主は,御使いを遣わして,すぐに起こるべきことをしもべたちに示された。
「見よ,わたしはすぐに来る。この書の預言のことばを守る者は幸いである。」
(『聖書 新改訳2017』ヨハネの黙示録 22章6~7節)

これらのことを証しする方が言われる。 「しかり,わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ,来てください。
主イエスの恵みが,すべての者とともにありますように。
(『聖書 新改訳2017』ヨハネの黙示録 22章20~21節)

参考文献

2023年9月30日更新
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