ヨハネの福音書19章14節「過越の備え日」の正しい意味と,ヨハネの福音書に記されている時刻の正しい解釈について

イエス様が十字架上で死なれたのは,ニサンの月の14日か15日か

イエス様が十字架上で死なれた日時が,共観福音書(マタイ,マルコ,ルカ)とヨハネの福音書では異なっていると主張する人たちがいます。 そこで,そのような問題がある証拠として『新聖書辞典』(いのちのことば社,1985年)と『新実用聖書注解』(いのちのことば社,2008年)から該当箇所の解説を引用します。

イエス・キリストの十字架刑がニサンの月の14日,金曜日(ヨハネの福音書ではそのように思われる)だったのか,ニサンの月の15日,金曜日(共観福音書によるとそのように読み取れる)だったのかが問題になるが,当時の事情をはっきりと説明してくれる資料がないため,今のところ共観福音書とヨハネの福音書の記述の調和の決定版は残念ながら得られない
(『新聖書辞典』巻末付録19頁)

ヨハネは最後の晩餐から埋葬までをニサンの月の14日の出来事として描く(18:28,19:14)。 ヨハネによれば,小羊がほふられる14日の午後にイエスは十字架上で死なれたことになる。 この対立をどう解釈するかは,まだ決着を見ていない難問である
(『新実用聖書注解』1384頁(マルコの福音書14章12~25節の解説))

本福音書は,裁判の場所と共に裁判の日時についても言及する(14)。 <過越の備え日>は,金曜日であった。 <第6時>というのは夜中から数えるローマ式ではなく,夜明けから数えて第6の時と考えられ,昼頃のことである。 マコ15:25は十字架刑が始まった時刻を朝の9時頃としており,本福音書とは異なる報告をしている。 本福音書によれば,裁判の開始がお昼頃であり,イエスが十字架にかかられたのがまさに過越の小羊が祭司たちの手によってほふられる時である(出12:6)。 注解者によってはヨハネの時刻を,過越の小羊としてほふられるイエスを描こうとする神学的なモチーフで説明する。
(『新実用聖書注解』1480頁(ヨハネの福音書19章12~16節の解説))

<備え日>(31)とはこの場合,14節の「過越の備え日」のことではなく,通常の安息日の備えの日,すなわち木曜日の日没から金曜日の日没までを指す。
(『新実用聖書注解』1482頁(ヨハネの福音書19章31~37節の解説))

特にこの時は,過越の祭りを控えた,大いなる安息日の前日であった
(『新実用聖書注解』1482頁(ヨハネの福音書19章31~37節の解説))

この問題のポイントは,その人が聖書信仰に立つかどうかにあります。 聖書信仰とは,「聖書は原典(原本)において,誤りのない神のことばである」と信じる信仰のことです。 聖書信仰に立つと,ヨハネの福音書の記録も共観福音書の記録と調和するように説明できます。

聖書信仰の立場からの説明

聖書信仰が正しいことは聖書が信頼できる理由で説明しました。 つまり,聖書は究極的にはひとりの著者(聖霊)によって書かれたので,どの福音書の記録も調和しているのです。

まず,確かなことは,共観福音書によれば,イエス様が十字架上で死なれたのはニサンの月の15日(金曜日)です。 (過越の規定については,出エジプト記12:1~20,レビ記23:5~8,民数記28:16~25,申命記16:1~8を参照して下さい。 また,「アビブの月」=「ニサンの月」です。) ということは,ヨハネの福音書も,イエス様が十字架上で死なれたのはニサンの月の15日(金曜日)だと記録していることになります。 その前提でヨハネの福音書を読むと,ヨハネ13:2~14:31までが,一般のユダヤ人がニサンの月の15日の夜に食べる過越の食事だとわかります。 つまり,イエス様も弟子たちも,ユダヤ人が守るべきモーセの律法に従って過越の食事を食べたということです。 (もしこの食事を食べたのがニサンの月の14日だったら,イエス様はモーセの律法に違反したことになり,メシアとしての資格を失ってしまったことになりますが,そのようなことは聖書のどこにも書かれていません。 よって,この食事を食べたのは,ニサンの月の15日だと結論づけられます。)

また,文脈から,ヨハネは時系列に沿って13章から21章までを書いたことがわかります。 13章から14章までは過越の食事の場面,15章から17章まではゲツセマネの園へ向かう途中の場面,18章から19章まではゲツセマネの園での逮捕と,それに続く宗教裁判と政治裁判,そして十字架につけられ死んで墓に葬られた所までを記録しています。 そして,20章から21章までは復活されたイエス様を記録しています。

疑問点について

上記のように聖書信仰の立場から説明しても理解しがたい箇所があると思いますので,それらの疑問点についても説明します。

ヨハネ19:14a

まず,ヨハネ19:14aの訳文について説明します。 ギリシア語の原文では次のように書いてあります。

ἦν δὲ παρασκευὴ τοῦ πάσχα, ὥρα ἦν ὡς ἕκτη.

文法事項は以下のとおりです。

原文ἦνδὲπαρασκευὴτοῦπάσχα
文法事項
(辞書の見出し形)
未完了過去・能動・直説法
3人称単数
εἰμί
接続詞
δέ
第1変化女性名詞
主格単数
παρασκευή
中性定冠詞
属格単数
τό
無変化中性名詞
逐語訳~だったさて備え日
準備の日
過越の
過越祭の

原文ὥραἦνὡςἕκτη
文法事項
(辞書の見出し形)
第1変化女性名詞
主格単数
未完了過去・能動・直説法
3人称単数
εἰμί
副詞序数詞
ἕκτος
逐語訳~だったおよそ第六の

これを直訳すると「さて,過越の備え日(過越祭の準備の日)だった。およそ第六の時だった。」となります。 ここで問題となるのは,「過越の備え日」ということばと,「第六の時」ということばの解釈だと思います。

「備え日」「準備の日」は「パラスケウエー(παρασκευή)」で,文脈から,安息日の前日のことです。 (ヨハネ19章の文脈から,14節,31節,42節の「備え日」「準備の日」はすべて同じ日です。) 「過越の」「過越祭の」は「トゥー・パスハ(τοῦ πάσχα)」で,属格です。 よって,「過越の備え日」「過越祭の準備の日」とは「過越の祭りに属する,安息日の前日」という意味になります。 つまり,この日(ニサンの月の15日)はすでに過越の祭りの期間に入っていて,日没後から安息日が始まるということです。

もう少し文法的説明をすると,原文では属格なので,「過越の祭りに属する備え日(準備の日)」という意味になります。 もし「過越の祭りのための備え日(準備の日)」であれば,属格の「トゥー・パスハ(τοῦ πάσχα)」ではなく,与格の「トー・パスハ(τῷ πάσχα)」になっていなければなりません。 しかし,原文は属格なので,「過越の祭りのための備え日(準備の日)」という意味にはならず,「過越の祭りに属する備え日(準備の日)」という意味になります。

次に,「およそ第六の時」を共観福音書の記録と調和するように考えてみます。 これを午前六時からカウントするユダヤ式で考えると「正午ごろ」となります。 しかし,これではおかしな話になってしまいます。 なぜなら,上記の考察から,ニサンの月の15日の正午ごろにイエス様はピラトの裁判に出ていながら,その日の午前九時(マルコ15:25)に十字架につけられていることになるからです。 このような問題を回避するには,ヨハネ19:14aの時刻をローマ式で考えればよいのです。 ローマ式では午前零時,あるいは,正午から時間をカウントするので,「およそ第六の時」は「午前六時ごろ」になります。 これなら,話の筋は通ります。 イエス様は午前六時ごろにピラトの政治裁判に出て,午前九時に十字架につけられたことになるからです。

ヨハネ18:28

ヨハネ18:28に書いてある「過越の食事」は,祭司たちだけが食べる過越の食事のことです。 これについては,信頼できる書籍から該当箇所を引用しておきます。 (ハーベスト・タイムの「メッセージステーション」『マタイの福音書(27前半)』も参照して下さい。)

当時のユダヤ人の習慣では,過越の祭りが始まる日の日没から,大祭司が神殿で過越の小羊をほふる翌日の午前九時までの間に,都の中に死体があれば,都は汚れた状態にあると見なされた。
一般庶民は,前日の午後に過越の子羊をほふり,日没後にそれを食した。 この過越の子羊と,翌朝九時にほふられる過越の子羊とは,別のものである。 後者の子羊は,大祭司と祭司長たちだけに食することが許されていた。 もし都は汚れていると見なされた場合は,過越の子羊がほふられることは許されなかった。 都の汚れを清める方法は,神殿の南側の城壁からヒンノムの谷にその死体を投げ捨てることである。
イスカリオテのユダは,木曜の夜から金曜の朝までの間に首を吊った。 つまり,都に汚れをもたらしたということである。 ユダヤ人たちは都を清めるために,ユダの死体を城壁から谷に投げ捨てた。 その結果,ユダの体は真っ二つに裂け,内蔵が外に飛び出した。
(中川健一著『日本人に贈る聖書ものがたり Ⅲ メシアの巻』初版,文芸社,2005年,564~565頁)

要塞の中には,ローマ法に基づいて裁判を行なうための法廷が設置されていたが,祭司長たちはそこに入ることを拒み,イエスだけを送った。 長老たちや律法学者たちも,それに同調した。 ユダヤ人にとっては,異邦人の家に足を踏み入れることは,汚れを意味していた。 もし汚れたなら,祭司長たちは過越の食事が食べられなくなる。 再度繰り返すが,この過越の食事は,過越の祭りの最初の夜に食べる食事のことではない。 その時間は,すでに終わった。 ここで言う過越の食事とは,祭りの一日目,午前九時にほふられる子羊を食べる食事のことである。 この食事に与るのは,大祭司と祭司長たちだけである。
(中川健一著『日本人に贈る聖書ものがたり Ⅲ メシアの巻』初版,文芸社,2005年,569頁)

イエスをピラトのもとに連れて来たユダヤ人たちは,ピラトの官邸には入りませんでした。 「彼らは,過越の食事が食べられなくなることのないように,汚れを受けまいとして,官邸に入らなかった」(28節)とある通りです。 ここに書かれている「過越の食事」とは,前の夜に食された通常の「過越の食事」とは別のもので,翌朝に祭司たちだけが食するものです(これをハギガーと言います)。 彼らは,罪なき神の御子を告発するという大罪を犯しながら,異邦人の家に入って汚れを受けることを恐れたのです。 ここには典型的な形式主義的信仰があります。 実質が伴わないなら,形式には意味がありません。
(中川健一著『クレイ聖書解説コレクション「ヨハネの福音書」』紙版,ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,2016年,231頁)

ここで起こっていることを理解するには,当時のユダヤ法を知っておく必要がある。 ユダは過越の祭りが始まった日の夜に自殺した。 その翌朝は,祭司だけがあずかる過越の朝のいけにえがささげられる時である。 ユダヤ法では,その時エルサレムに死体があれば町が汚(けが)れているとみなされ,朝のいけにえをささげてはならないとされていた。 ただ,この規定には続きがあって,死体をヒンノムの谷に投げ落とせば,町はきよめられ,過越のいけにえをささげることができるとも言われていた。 そのような死体は,いけにえがささげられた後に集められ,葬られた。
(アーノルド・フルクテンバウム著/佐野剛史訳『メシア的キリスト論―旧約聖書のメシア預言で読み解くイエスの生涯―』紙版,ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,2016年,240頁)

ヨハネの福音書に記されている時刻の正しい解釈

ヨハネ19:14aの時刻をローマ式で考えた結果,共観福音書の記録と調和することがわかりました。 よって,ヨハネの福音書に記されている他の3つの時刻(1:39,4:6,4:52)もすべてローマ式で考える必要があります。

ヨハネがローマ式を採用したと言える根拠は,他にもあります。 ヨハネが福音書を書いたのは,紀元70年のエルサレム崩壊以降で,場所は離散の地(伝承によるとエペソ)だと言われています。 そして,ヨハネは異邦人読者に配慮して福音書を書いたと考えられます。 というのも,1:38の「ラビ」,1:41の「メシア」,1:42の「ケファ」,9:7の「シロアム」,20:16の「ラボニ」というユダヤ人なら誰でも知っていることばを,わざわざギリシア語に訳しているからです。 しかし,ヨハネの福音書に出てくる時刻表記について,ギリシア語の原文には何も補足説明がありません。 何も補足説明がない理由は,ヨハネの福音書が書かれた当時の異邦人はもちろん,離散の地のユダヤ人も,ローマ式の時間の数え方を常識的に知っていたからだと考えられます。 もしユダヤ式を採用していたら,愛の使徒ヨハネの性格を考えれば,ヨハネは異邦人にも理解できるように,必ずローマ式の時刻も書いたはずです。

もう一つの根拠は,マタイ,マルコ,ルカと違って,ヨハネは19章19節と20節で「罪状書き」と訳されているギリシア語を「ティトロス(τίτλος)」というローマ式の用語で書いていることです(参考文献:織田昭編『新約聖書ギリシア語小辞典』教文館,2002年,590頁)。 (ギリシア語の「ティトロス(τίτλος)」は,「碑銘」という意味のラテン語「ティトゥルス(titulus)」の借用語(loanword)です。) ヨハネが意図的にローマ式の用語を用いたのは,間違いなく異邦人読者に配慮したからだと思います。 ならば,ヨハネは時刻もローマ式で書いたと考えるのが合理的です。

さて,ヨハネの福音書に出てくる他の3つの時刻を実際にローマ式で考えてみました。 (1)ヨハネ1:39「およそ第十の時」=「午前十時ごろ」。 「午後十時ごろ」は時間的に遅すぎると思います。 (2)ヨハネ4:6「およそ第六の時」=「午後六時ごろ」。 「午前六時ごろ」なら,他のサマリアの女たちも水を汲みに来ているはずです。 他の女たちと同じ時間には行きたくない事情を抱えていたので,「午後六時ごろ」。 (3)ヨハネ4:52「第七の時」=「午後七時」。 もし「午前七時」だったら,ガリラヤのカナ(山地の村)とカペナウム(湖畔の町)との距離は約30km,高低差は約600mという情報から考えて,日が出ている間中,歩き続けて,日没前にはしもべたちと出会えたことになると思います。 そうすると,治ったのは「昨日」ではなく「今朝」になります。 よって,「午前七時」ではありません。 また,サマリアの女の箇所のように,ヨハネの福音書に流れる「光と闇の対比」というテーマや,ヨハネ1:5の「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった」というみことばを印象づけるために,ヨハネはわざわざ時刻を書いたと考えるなら,やはり「午後七時」と考えるのが妥当だと思います。 その場合,夜に歩くのは危険なので,おそらくカナで明け方まで待ってから,カペナウムへ戻る途中,日没前に,しもべたちと出会えたのだろうと思います。

結論

ヨハネの福音書19章14節を正しく理解することにより,ヨハネは共観福音書の記録と矛盾したことは何も書いていないことがご理解いただけたと思います。 「偉い肩書きを持っている専門家たちが書いた翻訳や注解書に間違いがあるわけがない」というような思い込みは危険です。 権威を盲信せず,何が正しいのか,自分の頭で判断できる思考力を養っていただきたいと思います。 最後に,ヨハネは事実を正確に書いたことを,以下の聖句により,ご確認下さい。

これらのことが書かれたのは,イエスが神の子キリストであることを,あなたがたが信じるためであり,また信じて,イエスの名によっていのちを得るためである。
(『聖書 新改訳2017』ヨハネの福音書 20章31節)

これらのことについて証しし,これらのことを書いた者は,その弟子である。 私たちは,彼の証しが真実であることを知っている。
(『聖書 新改訳2017』ヨハネの福音書 21章24節)

アーメン。

参考文献

2019年6月23日更新
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