「目には目を歯には歯を」の本当の意味

一般的によく使われる慣用句に「目には目を歯には歯を」というものがありますが,この慣用句は本来,聖書的に理解されるべきものなのです。 というのも,この慣用句の意味は聖書の文脈の中において,初めて正しく理解されるものだからです。 まずはこのことについて説明してみます。

この慣用句は,考古学的な資料の中ではハンムラビ法典(ハムラビ法典)に最初に出てきます。 ハンムラビ法典とは以下のようなものです。

【ハンムラビ法典】
ハンムラビが発布した,原形が残るものとしては世界最古の法典。 以後の古代オリエントの法に大きな影響を与えた。 1901~02年,玄武岩製石柱に刻まれた碑文がイランのスーサで発見され,条文の数282と整理された。
(新村出編『広辞苑』第七版,岩波書店,2018年)

「ハンムラビ(Hammurabi)」とは,『広辞苑』第七版によると,「バビロン第1王朝第6代(または第5代)の王。バビロンを首都とする王国を作り,バビロニアを政治的・文化的に統一。『ハンムラビ法典』を制定。ハンムラビ。ハムラビ。(在位前1792~前1750)」と書かれています。 上記からも分かるように,「目には目を歯には歯を」というのは法律でした。 また,この法はその内容から同害報復法とも呼ばれています。

では聖書にはどう書いてあるかというと,旧約聖書には次のように書かれています。 (これは,人と人の争いが,身ごもった女に傷害を与えた場合についての条項です。)

人が人と争っていて,身ごもった女に突き当たり,早産(そうざん)させた場合,重大な傷害がなければ,彼はその女の夫が要求するとおりの罰金を必ず科せられなければならない。 彼は法廷が定めるところに基づいて支払う。
しかし,重大な傷害があれば,いのちにはいのちを,
目には目を,歯には歯を,手には手を,足には足を,
火傷(やけど)には火傷を,傷には傷を,打ち傷には打ち傷をもって償わなければならない。
(『聖書 新改訳2017』出エジプト記 21章22~25節)

さて,出エジプト記よりも古いハンムラビ法典に出てくるのなら,この法律は人間が作ったものであり,聖書や聖書の神は関係ないのではないか,という意見があると思います。 しかし,聖書の神様は遍在(どこにでもおられる)なので,イスラエル人以外の人々にも神様は働いておられると考えられます。 ならば,たとえ聖書に書かれていなくても,モーセに与える以前に,神様はバビロンの王ハンムラビの良心を通して,この命令を与えたと考えても良いでしょう。 その可能性を否定する根拠はどこにもありません。 しかし,ハンムラビ法典は神様が与えられた完全な命令ではないはずです。 というのも,神様はイスラエル人をご自分の民として選ばれたことから,それ以外の人々に対しては完全な啓示は与えておられないと考えられるからです。 そして旧約聖書の律法(「目には目を歯には歯を」を含む613の命令を「モーセの律法」と呼びます)は,神様から全人類の救いの器として選ばれた民であるイスラエル人に与えられたものなので,その律法は完全であると考えられます。 申命記4章2節に「私があなたがたに命じることばにつけ加えてはならない。また減らしてはならない。」(申命記12章32節も参照)とあることからも,モーセの律法が完全であることが分かります。 (ちなみに,新約聖書は旧約聖書の続きなので,神様の契約が更新されない以上,その戒めは新約時代においても完全なものとして有効となります。 ただ,モーセの律法自体はイエス・キリストの十字架上の死によって無効となったので,もはや現代人はモーセの律法を守る必要はなくなりました。) 以上のことから,慣用句「目には目を歯には歯を」は聖書において完全な意味を持つので,聖書を通してでないと正しく理解できないのです。 そして,モーセを通して与えられた律法は「目には目を歯には歯を」以外にもたくさんあるので,この命令は,そのたくさんある律法の中できちんと調和がとれるように解釈する必要があります。

人々の中には,「目には目を歯には歯を」と聞くと,この命令が復讐を勧めるものだと考えるかもしれません。 しかし旧約聖書・新約聖書の両方を通して,復讐はいけないことだと教えています。 例えば,旧約聖書には次のように書かれています。

あなたは復讐してはならない。 あなたの民の人々に恨みを抱いてはならない。 あなたの隣人(となりびと)を自分自身のように愛しなさい。 わたしはである。
(『聖書 新改訳2017』レビ記 19章18節)

不正な裁判をしてはならない。 弱い者をひいきしたり強い者にへつらったりしてはならない。 あなたの同胞を正しくさばかなければならない。
(『聖書 新改訳2017』レビ記 19章15節)

レビ記に書かれた律法もモーセを通して与えられたものなので,上記の律法と「目には目を歯には歯を」は調和していなければなりません。 したがって,正しく解釈すれば,復讐心を持って人を裁いてはならず,あくまでも正義の心を持って,神のことばに従って人を裁きなさい,ということになります。 言い換えれば,傷つけられたものと同価の償いによって賠償させなさい,という教えなのです。 これが,「目には目を歯には歯を」の正しい意味です。

旧約聖書には,他の箇所(レビ記24章20節,申命記19章21節)にも「目には目を,歯には歯を。」という言葉が出て来ますが,いずれも同じ意味を持ちます。 つまり,「人がその同胞に傷を負わせるなら,その人は自分がしたのと同じようにされなければならない」(レビ記24章19節)のです。 そしてこの法には,同害より大きな報復をしてはいけない,という意味もあります。 「無用の報復の拡大を抑えるのが目的」(『新実用聖書注解』いのちのことば社,2008年,215頁)でもあるのです。

新約聖書には次のように書かれています。

『目には目を,歯には歯を』と言われたのを,あなたがたは聞いています。
しかし,わたしはあなたがたに言います。 悪い者に手向かってはいけません。 あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい。
(『聖書 新改訳2017』マタイの福音書 5章38~39節)

このことばは,イエス・キリストが大勢の群衆に対して言われた教えで,「山上(さんじょう)の垂訓(すいくん)」と呼ばれています。 このことばやマタイの福音書18章21~22節を読むと,戒めることなくただ赦しなさい,という意味に解釈するかもしれません。 しかし,マタイはユダヤ人に向けて福音書を書きました。 ユダヤ人は,赦されるためには悔い改めが必要だと知っていたので,マタイはわざわざ悔い改めのことまで書く必要がなかったのです。 しかし,ルカは異邦人(ユダヤ人でない人)に対して福音書を書いたので,その部分を丁寧に説明しています。 つまり,ルカの福音書17章3~4節に書いてある通り,罪を犯した人がいたら,その人に対してその罪を戒め,その罪を悔い改めたなら,赦しなさい,というのが聖書的に正しい解釈なのです。 また,上記で引用したイエスのことばは,復讐してはいけない,復讐心から解放されなさい,という意味でもあります。 「しかし」と言われたのは,人間が勝手に作った口伝律法(先祖からの言い伝え)によって,人々が復讐心を持って「目には目で復讐しろ,歯には歯で復讐しろ」という意味だと考えていたので,モーセの律法の正しい意味はそうではないと教えるためでした。 上記のみことばの詳しい解説が『新実用聖書注解』(いのちのことば社,2008年)に書いてありますので,以下に引用しておきます。

前18世紀のハムラビ法典にまでさかのぼるこの同害報復法の意図は際限のない復讐に歯止めをかけることにあったが,実際には報復の要求の根拠となっていた。 目や歯の要求は金銭による償いに代えられていたが,復讐の精神に変わりはない。 それに対しイエスは無抵抗を命じる。 これは社会における悪や不正を放置せよ,ということではない。 イエスご自身役人による不当な平手打ちに抗議し(ヨハ18:23),正規の手続きなしにむち打たれ牢につながれたパウロとシラスも抗議の声を上げている(使16:37)。 イエスは,神の御心は復讐をなくすこと,人が仕返ししようとする思いから解放されることにある,と教えようとしている。 <右の頬を打つような者には,左の頬も向けなさい>(39)は,復讐心から解放された姿を衝撃的に示す1つのイラストである。
(『新実用聖書注解』1303頁)

以上のことから,旧約聖書・新約聖書の両方を通して,復讐はいけないことだと教えていることが分かります。 この「復讐してはいけない」という教えは,ヨハネの福音書13章34節などの「互いに愛し合いなさい」というイエス・キリストの教えから,現代のクリスチャンにも適用されることが分かります。 そして,先に挙げたレビ記19章15節の精神は現代でも有効(ヨハネの福音書7章24節参照)なので,私たちは,罪を犯した人を正しく裁く必要があります。 (罪を犯した人を正しく裁くことについては,クリスチャンは兄弟姉妹を裁いてはいけないのかを参照して下さい。) また,「赦す」ということは「愛する」ということです。 以上のことから分かることは,私たちは,正義を行いつつも,復讐心から解放され,互いに愛し合うように,神様から求められているのです。

パリサイ人たちはイエスがサドカイ人たちを黙らせたと聞いて,一緒に集まった。
そして彼らのうちの一人,律法の専門家がイエスを試そうとして尋ねた。
「先生,律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」
イエスは彼に言われた。 「『あなたは心を尽くし,いのちを尽くし,知性を尽くして,あなたの神,主を愛しなさい。』
これが,重要な第一の戒めです。
『あなたの隣人(となりびと)を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも,それと同じように重要です。
この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」
(『聖書 新改訳2017』マタイの福音書 22章34~40節)

「律法と預言者」とは旧約聖書のことなので,ここでイエス様が言われたことは旧約聖書全体の要約になっているのですが,この精神は新約時代の現在にも適用されます。 第二の戒めについては,以下に3つのみことばを引用しておきます。 (「わたしがあなたがたを愛したように」という所が重要です。)

わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。 互いに愛し合いなさい。 わたしがあなたがたを愛したように,あなたがたも互いに愛し合いなさい。
互いの間に愛があるなら,それによって,あなたがたがわたしの弟子であることを,すべての人が認めるようになります。」
(『聖書 新改訳2017』ヨハネの福音書 13章34~35節)

わたしがあなたがたを愛したように,あなたがたも互いに愛し合うこと,これがわたしの戒めです。
(『聖書 新改訳2017』ヨハネの福音書 15章12節)

あなたがたが互いに愛し合うこと,わたしはこれを,あなたがたに命じます。
(『聖書 新改訳2017』ヨハネの福音書 15章17節)

2018年1月12日更新
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