占い 人生相談 こわいほど当たる運勢鑑定

より良い未来への道筋を構築するためのホームページ。




from 2005/1/15
Welcome

運営方針



はじめまして

ホームページ主催の鑑定士です。

鑑定士 てんびん座。AB型。群馬県 伊勢崎市 在住。
鑑定 四柱推命、手相占い、九星気学など。


日本人の信仰の対象はかなりデタラメです。まずは、仏壇に祭られたご先祖様。日本古来の神道の天照大神。 仏の頂点に君臨する釈迦如来。知恵や学問の神さまである文殊菩薩。福徳や財宝を司る弁財天。病や薬関係には薬師如来。戦の守り神には毘沙門天。 歴史上の人物である菅原道真。日光東照宮には徳川家康。明治神宮には明治天皇。さらには、富士山、宮崎の高千穂峡、夫婦岩。元旦には初日の出。夕日。満月。 加えて、クリスマスやハロウィンなど、キリスト教由来の行事まで取り入れています。見境がありません。何でも拝んでしまいます。

共通する背景は「ご利益信仰」です。日本人の信仰心は、崇拝の見返りとしてのご利益に支えられています。 不思議なもの神秘的なものに潜む偉大な力に手を合わせ、その見返りとして、我が方に対するご利益を要求しているのです。 日本人にとって「信仰」とは「お願い!何か頂戴!」と同義となります。ご利益を授けてくれるものなら崇拝する対象は何でもかまわないということで、 神話に登場する神さま、大陸から伝来した仏さま、歴史上の偉人、自然の地形や太陽や月など、八百万の神(数多ある神さま仏さま)の中のひとつという位置に落ち着いています。

日本には他の宗教に見られるような「唯一神 God を崇拝する」という宗教観はありません。 この世が神に支配されているという概念がないので、神にすがって生きて行く必要もありません。 唯一神を崇拝する他の文化から見れば、八百万の神からのご利益というものを信仰の対象としている日本文化は奇異に映ることでしょう。 日本人にとって、神仏とは自分勝手で都合のよいお願いをする対象でしかありません。 ひとたび手を合わせれば、我が方に対するご利益を要求します。日本は神に束縛されることのない自由でおおらかな文化?なのです。

100% 必ず絶対当たる占いに見てもらったとしても、自分に都合の悪い結果は外れてもらわないと困るのが人情というものです。 時代は移り変わっても、願いはただひとつ。「明日は、今日よりもよくなる」です。 当たる当たらないではなく、未来に希望を持てるようにするためのオマジナイの在り処を知りたいわけです。 誰かに背中を押してもらいたい。何かに不安を払拭してもらいたい。もっと良い人生を授けてもらいたい。 神仏に手を合わせ、ご利益を要求するのと同じように、占いに『人生を都合よく変えるための魔法』としての役割を期待しているのです。

果たして、占いの正体とは。

太古の昔から、多くの文明において、「神」という概念が存在します。 その神のご意向を伺う手段が「占」、神に願いを伝える手段が「祈」となります。すなわち、「神」「占」「祈」は三位一体です。 現実には、神は実在するものではありません。神は心の中で信じるものです。一方で、社会の成り立ちから、神という概念は必要不可欠なものでもあります。 そのため、宗教的・商業的な側面から神は存在するものとして扱い、かろうじてこの関係(神にまつわる一連の設定)を維持しているというのが実状です。 占いの正体とは、人類有史以来の『お約束』です。

所詮、超自然的存在などというものは空想上の存在に過ぎません。神仏が存在するという思想それ自体が、迷信を出所とする嘘八百のデタラメです。 嘘八百をどう捏ね繰り回した所で、現実問題として、何も起こりません。 困った時には、誰か何かに助けてもらいたいと思うのは人情ですが、たとえ、どんなに心を込めて祈ろうとも、その想いが届くわけでもありません。 突如として空から現れた誰か何かが、あなたを助けてくれるわけもありませんし、邪魔をするわけでもありません。 巷に氾濫する迷信に振り回されないようにして頂きたいと思います。

その時は、ある日突然やって来ます。人の一生は、人智では計り知れないものです。 未来には、自分に都合の良い出来事だけが待っているわけではありません。当然、悪い事もあります。いや、悪い事しかないかもしれません。 もし、そうであっても、これから起こる事柄が予知できないからこそ、今この瞬間、将来に希望を持って努力することができるのです。 何事も決まっていないから、何事もわからないから、面白いのです。何でもお見通しの未来には、希望がありません。 結末がわからないからこそ、薬として作用することを忘れないでください。

この世界は、たまたま偶然が織り成す人生物語です。 我々の身の回りで起こる事柄すべてが、それぞれの当事者の自由意思に委ねられているからこそ、人生に当たり外れが出てくるのです。 その結果として、人生の妙というものが生まれてくるのです。 もし、人智を超えた超自然的存在が何らかの意思を持って人間の営みに介入したりすれば、この世界は偏った社会、すなわち、神さまの意思に沿った人生の集合体になってしまいます。 超自然的世界は何もしない(偏った意思など存在しない)からこそ、良くも悪くも様々な人生物語が生まれてくるのです。

当たり前ですが、何もしなければ、何も起きません。何もしないで、ただ待っているだけで、思い通りになることはありません。 これすなわち、慣性の法則です。幸せは天から与えられるものではありません。自分自身の努力によって勝ち取るものです。 ある簡単な方法で開運することができ、人生ウハウハになれるなら誰も苦労しません。 困った時には、誰か何かに助けてもらいたいと思うのは人情ですが、超自然的存在に助けを求めたところで、現実がどうなるものでもありません。 運命を変えて行くのは自分自身だということを、まず肝に銘じて欲しいと思います。

人生とは、あなたの行いが周囲の人間関係に反映され、あるいは社会活動に反映され、その結果として、つくり上げられて行くものです。 今の人生をつくり上げたのは、あなた自身です。恵まれた人生を歩んでいる人は、陰日向で、そうなるように現実的な努力を続けてきたわけです。 逆に、恵まれない人生を歩んでいる人は、努力を怠ってきたわけです。そうなるべくしてなったのです。人や社会を恨んでいても道は開けません。 所在も知れない何かに責任を押し付けるのではなく、まずは自分自身の行動を振り返ってみてください。努力する方向を間違えないでください。

インフォメーション

ページのトップへ戻る