「聖書の間違い」の間違い~佐倉哲氏の場合~

まえがき

キリスト教の聖書(旧約聖書と新約聖書)は最も有名な本であるにもかかわらず,最も誤解・曲解されています。 特に佐倉哲氏はインターネット上でたくさんの「間違い」を指摘していますが,それらが本当に「間違い」なのかどうかについて考察してみました。

目次

「はじめに」

佐倉氏は「はじめに」において,「聖書の完全無謬性の主張を吟味する作業は,決して『キリスト教を否定する』とか『聖書を否定する』試みではありません」と述べていますが,彼はこの作業の結果,棄教者(佐倉氏の「FAQ」のページ参照)となりました。 この場合の「棄教者」とは,「キリスト教を捨てた者」という意味です。 他の人が,「それでも私はキリスト教を信じるし,聖書を神のことばだと信じる」と言っても何も構わないけれど,彼自身はキリスト教を否定し,聖書が神のことばであることを信じなくなったのです。 彼自身はキリスト教や聖書を否定しているのに,他の人は聖書を否定しようがすまいがどうでもいい,というような態度は,インターネットという公の場で「聖書の間違い」を公開している以上,無責任です。 彼は「聖書の間違い」シリーズを公開する理由として,「あくまで自分自身のために,自分の意見を公表してみなさんのご批判を聞く」(参照:「土屋健二さんへ」)と述べていますが,これは自己中心的な考え方です。 第一コリント13章4~5節にも「愛は…自分の利益を求めず…」と書かれています。 (この章での「愛」は,原語のギリシア語では「アガペー(ἀγάπη)」となっています。) 彼の行為はアガペー,つまり利他的・自己犠牲的愛ではありません。 彼が公の場で「聖書の間違い」を公開するのは,単に彼の知的好奇心からではなく,聖書やキリスト教をよく知らない人に対して,聖書やキリスト教を否定させるという意図があると考えざるを得ません。 なぜなら,もし彼の目的が単なる知的好奇心によるものなら,2004年の時点で「もう自分自身のためにキリスト教を学ぶことはない」(参照:「キリスト教についての最後のコメント」)と述べているのですから,以後,どのような批判を受けても自分の考えを変えるつもりはない,聞く耳も持たない,ということになるでしょう。 実際,2007年にも批判を受けているようですが,彼は自分の考えを変えようとはしていません。 つまり,もう彼自身,この課題に対して決着がつき,自分が出した答えに充分満足しているはずです。 充分満足したのなら,公開し続ける理由はないはずです。 ところが,いまだに公開し続けています。 このように考えると,彼は単なる知的好奇心だけで公開しているのではなく,他の人に自慢したいとか,他の人に聖書やキリスト教を否定させたいのだと考えざるを得ません。 彼の隠された本当の目的は「反キリスト教」だと考えられます。

また,「はじめに」の最後の方で佐倉氏は「ご批判を歓迎いたします」と述べていますが,実際の批判に対し,「ああ言えばこう言う」という的外れな言い逃れをしたりしています。 そして,実際に彼のWebサイトを見ると,ほとんど全てが彼自身の「反論」によって締めくくられています。 このような書き方によって,結果的に彼の考えが正しいという印象を与えてしまっているかもしれません。 しかし彼の考えはかなり間違っています。 彼の的外れな言い逃れや間違いを「正しい」と思ってしまう人がいるのは,とても残念です。

以下,佐倉哲氏の指摘する「聖書の間違い」がどのように間違っているかを説明します。 ただし,これは私の個人的な見解であり,正確ではないかもしれませんので,何が正しいかはご自分で判断して下さいますよう,お願い致します。 また,聖句は主に『聖書 新改訳2017』から引用しました。

「天地創造の矛盾1:二つの創造説の食い違い」

佐倉氏は,創世記には二つの内容の異なる創造物語があると主張しています。 しかし聖書には「再記述の法則」という特徴があります。 これは,簡単に言うと,一回言ったことをもう一度取り上げる,というものです。 (再記述の法則についての詳細は参考文献の『60分でわかる旧約聖書(13)「歴代誌第一」』を参照して下さい。) 創世記1章と2章の場合,創世記1章の第6日目のことを,創世記2章4~25節(あるいは創世記2章7~25節)でもう一度詳しく述べたと考えることができます。

佐倉氏は,二つの創造物語には,創造の順序に関して矛盾があると主張します。 彼は,創世記1章では,植物→動物→人間(男女)であるのに対し,創世記2章では,男(アダム)→植物→動物→女(エバ)であると主張します。 しかし創世記2章の内容を天地創造の第6日目の詳述であるという考えは,次のようにして裏付けられます。

まず,創世記2章5節の「大地を耕す人」をアダムのことだと考えると,同節の「地」は創世記1章9~10節の「乾いた所」(地球上の陸地全部)ではなく,「エデンの園」と考えられます。 なぜなら,2章5節を読むと,地が「まだ,野の灌木(かんぼく)もなく,野の草も生えていなかった」のは,「大地を耕す人もまだいなかった」というのが理由になっており,2章15節でアダムは「エデンの園」を耕しているからです。 もし創世記2章5節の「地」が「乾いた所」のことなら,アダムは地球上の陸地全部を耕さなければならないことになります。 しかしそんなことはどう考えても不可能です。 したがって,創世記2章5節の「地」(アダムによって耕される土地)というのは,「エデンの園」であると考えられます。

さて,創世記1章によると植物は第3日目に創造されたことになっています。 しかし,植物を創造したといっても,陸地全部が植物でびっしりと覆われていたわけではないでしょう。 別の言い方をすれば,陸地で植物の生えていない場所があったとしても何もおかしくありません。 その場所の一つが「エデン」あるいは「エデンの園」だったと考えれば良いのです。 別に,創世記2章9節の出来事(「エデンの園」に「見るからに好ましく,食べるのに良いすべての木」が生えたこと)が2章7~8節の後(アダムが形造られ,「エデンの園」に置かれた後)だったとしても,植物が男(アダム)の後に創造されたことにはなりません。 (また,次のように解釈する人もいます。 創世記2章5節の「大地を耕す人」を単に人間のことを示していると考えるなら,「地」は「乾いた所」だと考えられます。 すると,創世記2章5~6節は天地創造の第6日目のことではなく,創世記1章9~10節の後の状態だと考えることができます。 そして創世記2章7節以降には天地創造の第6日目のことが書かれていると考えれば良いのです。 創世記2章4節で,「これは,天と地が創造されたときの経緯である。神であるが,地と天を造られたときのこと」と書かれていることから,この解釈はあり得るかもしれません。 しかしこの解釈の場合,2章5~6節と7節以降の関係が不連続になります。 私は,モーセは果たしてこのような不自然な書き方をしたのだろうかと疑問に思います。 よって,私個人としては,この解釈はちょっと違うのではないだろうかと思います。) これで,人間の創造以前に植物が創造された(植物が第3日目に創造された)と考えて問題ないことが分かりました。

次に動物ですが,佐倉氏は「家畜は動物ではない」とでも言うつもりでしょうか。 創世記2章19節では「あらゆる野の獣とあらゆる空の鳥を形造って,人のところに連れて来られた」としか書かれていないにもかかわらず,次の20節では「すべての家畜,空の鳥,すべての野の獣に名をつけた」と書かれています。 なぜ19節で「家畜」は含まれておらず,20節では「家畜」が含まれているのでしょうか。 創世記2章には書かれていませんが,19節と20節の内容から考えて,家畜は既に造られていて,そしてアダムのそばにいた,と考えるべきです。 神様がアダムの所に連れて来られた動物の種類を明記したのが創世記2章19節だと考えられます。 (「野の獣」や「空の鳥」は家畜のように人のそばにいるのではなく,人から離れて生きているので,わざわざ連れて来る必要があったのです。) しかし創世記2章19節には「形造って」と書いてあるではないか,と反論される人がいるでしょうが,ここは創造の順序を書いたものではないと考えても,何らおかしくありません。 ここでの「形造って」は,第5日目に創造した「空の鳥」と第6日目に創造した「野の獣」のことを言っていると考えられます。 特に創造の順序に関して述べた箇所ではないと考えるべきですし,実際そう読めます。 なぜなら,創造の順序に関しては既に創世記1章で述べてあるからです。

創世記2章4~25節(あるいは創世記2章7~25節)は,地球上の一地域である「エデン」や「エデンの園」にズームインして,そこでどんなことがあったかについて書かれているのです。 もっと言うと,人(アダムとエバ)が造られた経緯について詳述してあるのが,創世記2章4~25節です。 そしてこの箇所には,動物と人間とどちらが先に創造されたかは書いてありませんので,動物と人間の創造の順序に関しては,創世記2章を読んだだけでは分かりません。 創世記1章から読めば分かるように書かれているのです。

また,創世記2章18節で神様が言われた「ふさわしい助け手」というのは,後で造られる女(エバ)のことです。 創世記2章19~20節には,アダムは「すべての家畜,空の鳥,すべての野の獣」に名前をつけたが,それらはアダムにとっての「ふさわしい助け手」にはならなかった,と書かれています。 この時のアダムは孤独を感じていたのではないかと思います。 そこで神様は「ふさわしい助け手」として女(エバ)を造られました。 つまり,創世記2章19~20節は女(エバ)が造られた理由について説明しているのです。

以上のことから,創世記1章での創造の順序と2章の内容には,何も矛盾はないことが分かります。 創世記に二つの内容の異なった創造物語があるのではなく,創世記1章で書かれなかった内容が2章で補われているだけです。

創世記は,モーセが11種類の口伝書をまとめて編集したものと考えられています。 よって,参考にした資料が複数あるなら,使われる言葉や文体が異なっていても何らおかしくありません。 例えば神の呼び方ですが,創世記1章1節~2章3節は「エロヒーム(אֱלֹהִים)」(神)であり,2章4節~3章23節までは「ヤハウェ・エロヒーム(יהוה אֱלֹהִים)」(神である)となっています。 これは,最初に普通名詞で「神」と呼ばれたお方が,次に固有名詞によって何と呼ばれるかを明らかにしたのではないでしょうか。 (「ヤハウェ(יהוה)」が「神」の固有名詞であることは,出エジプト記3章13~15節,6章3節,15章3節,33章19節,詩篇30篇4節,97篇12節,102篇12節,135篇13節,イザヤ書42章8節,ホセア書12章5節,アモス書4章13節,5章8節,9章6節を読めば明らかです。) 創世記はバラバラの資料の寄せ集めではなく,非常によく考えて書かれた書だと思います。

「天地創造の矛盾2:太陽創造時期の不合理性」

「太陽が存在するようになる前に,海と陸があり,その上で植物が生殖している地球がすでに存在していたことになる」という創世記1章の記述に対し,佐倉氏は次の2つの点でこの聖書の記述が不合理な説だと考えています。 まず第一に,「いかなる地上の植物も太陽の光なしに生成することは不可能なのに,太陽が創造される以前に地球に植物が生殖している」こと。 第二に,「太陽の周りを回る惑星である地球が,太陽が存在する前に存在することが出来た」ということ。 これらの批判に対し,以下の反論が可能です。

前者の批判は,太陽の光の存在を必須条件と考えていますが,創世記1章の第1日目には「光」があったと書かれています。 この「光」は(ヤハウェ)の栄光,すなわち,シャカイナ・グローリー(目に見える形で現れた神の栄光)であり,このシャカイナ・グローリーによって,太陽がなくても植物は生存できたと考えることができます。 (ちなみに,光合成をしない植物も現実に存在します。 ホンゴウソウ,ヤクシマソウなどの「菌従属栄養植物」がそうです。 全ての植物が光合成をするわけではありません。)

後者の批判は現代の科学理論に基づく批判ですが,全能の神なら,太陽が存在していなくても地球を存在させることができたと考えられます。 そもそも佐倉氏が正しいと信じる科学的知識は,当然のことながら,太陽系の生成過程を直接見て得られた知識ではありません。 間接的な観測と推理によって得られた科学的知識です。 もちろん,間接的だったとしても充分な根拠となり得たりしますが,決定的な証拠にはなりませんので,「正しい」と断言するのは論理的に間違いであり,傲慢な態度です。 そして,科学というものは時代を経るに従ってどんどん変化していくもの(科学史を学べば分かります)なので,佐倉氏が正しいと信じる現在の天文学も変化する,もっと言えば,間違っている可能性があります。 間違っている可能性があるものを「本当のこと(正しいこと)」として信じるのは間違っています。 「本当のこと(正しいこと)」は分からない,と言うべきです。 佐倉氏の犯している間違いは,まさにここにあるのです。 (ここで,佐倉氏の信じる「正しいこと」は「本当のこと」を意味するのではない,という反論が考えられます。 しかし,「正しい」と信じているのなら,それは「本当のこと」と考えていることになりますので,この反論は通用しません。) いずれにせよ,全能の神による絶大な力によって,太陽なしに地球は存在できたと考えることができます。

そもそも創世記は宗教的な目的をもって書かれた物であり,今日の科学者が書くような科学の論文ではありません。 にもかかわらず,佐倉氏は,現在の発展途上の科学理論―これは,人間の理性の限界のため絶対的真理かどうかを証明できないので,本当に正しいかどうかは分からない―を正しいと信じ,その理論に合わない聖書の記述は間違っていると断言しているのです。 これは非常におかしな理屈です。 そもそも,科学的に考えられ立てられた仮説が何を意味するのかを,以下に引用して説明してみます。

ニュートン物理学によって代表される近代物理学ないしは近代科学は,20世紀初頭に誕生した量子力学や相対性理論によって代表される現代物理学ないしは現代科学によって乗り超えられるにいたったが,その方法は現代科学においてもいぜんとして妥当性をもっている。 その方法とは発想的・実験的方法である。 すなわち,仮説を発想し,それを実験によって検証する方法である。 発想(abduction)とは与えられている現象を説明しうるような仮説を立てることである。 そして実験とはこの仮説を検証するための方法である。 ある仮説を立てるならば,その仮説はいろいろなことを含意するが,実験は含意される事象がじっさいに起こるか否かを確かめるためのものである。 もし起これば,仮説は真らしいと判断される。 しかし真と断定はできない。 なぜなら,この推理は論理的には後件肯定の誤りを犯しているからである。 ちなみに,後件肯定の誤りとは,仮言命題において,その後件の真から前件の真を推理することである。 実験的検証が論理的には後件肯定の誤りを犯しているということは,仮説の完全な検証は不可能であるということを意味する。
(量義治著『西洋近世哲学史』改訂版,放送大学教育振興会,1999年,44~45頁)

太陽の創造時期を実験によって検証することは現実には不可能です。 なぜなら,太陽が存在するようになったのは,過去に起こった1回きりの出来事だからです。 ただし,そのような反復実験によって検証ができない太陽の生成過程や地球の歴史の研究も,現在では科学のまともな対象だと考えられています(「天地創造の矛盾4:地上植物と水中動物の出現時期の間違い」参照)。 反復実験ができない歴史の研究でさえ科学の対象とされているのですから,反復実験ができる物理学はなおさら,科学のまともな対象です。 そのような物理学においても,仮説の真理性を証明することは不可能であることが,上記に引用した内容からご理解いただけると思います。 ならば,太陽の創造時期についていくら精密に思える仮説を立てようとも,その仮説が論理的真であると断言することはできないのです。 この点を佐倉氏は理解していないように思われます。 ちなみに,後件肯定の誤りについて,もっと簡単に説明しておきます。 (前件否定の誤りについても,以下の参考文献にとても分かりやすく説明されていますので,是非一読されることをお勧めします。 この本の解説と書誌情報についてはお薦め図書を参照して下さい。)

前件否定の誤りと並んで,古来論理学上推理の典型的な誤りといわれているものに,後件肯定の誤りというのがあります。 これは,「PならばQである。Qである。ゆえにPである」と考えてしまう誤りです。 すなわち後件を肯定することから,ただちに前件をも肯定してしまうという誤りです。
「PならばQである。Qでない。ゆえにPでない」という推理はいうまでもなく成立します。 「雨が降れば道路がぬれる」ということが真である以上は,道路がぬれていなければ,雨は降らなかったということになります。 道路がぬれるということが成立する条件には,前に述べたように,「雨が降る」ということのみならず,他の種々のものがありえます(水道管が破裂する,撒水車がとおって水をまくなど)が,とにかく雨が降れば必ず道路がぬれるわけですから,道路がぬれていない以上は雨は降らなかったわけです。 すなわち「PならばQである」という判断の後件Qが否定されれば,前件Pもまた当然否定されることになります。 しかし逆に後件Qが肯定されたからといって,前件Pが肯定されるというわけではありません。 後件肯定の誤りとはここに成立する誤りです。 前の例でいうなら「道路がぬれている」ということから,ただちに「雨が降った」という判断を下してしまうことです。 これが誤りであることはもはや説明する必要もないことでしょう。
(岩崎武雄著『正しく考えるために』講談社現代新書,1972年,147~148頁)

「天地創造の矛盾3:日本の縄文人とアダム創造」

佐倉氏は,「聖書によれば,人類始祖としてのアダムが創造されたのはおよそ六千年前のことに」なるが,「現代考古学の発見によれば,人類はそれよりはるか昔に存在して」いる(例えば,縄文人は一万年以上前から存在している)と述べ,そのため,「創世記の創造物語の信憑性が否定されます」と主張しています。 しかし,まず,アダムの創造が約六千年前ということは確定的なことではないことを知るべきです。 この年代は,聖書の系図に欠落がないと仮定した場合の年代なので,アダムの創造が本当に約六千年前だったのかどうかは,はっきりとは分かりません。 もし系図に欠落があるなら,アダムの創造はもっと古い年代になります。 あるいは,多くの科学者(特に進化論の狂信的な信奉者)が根拠としている年代測定法に問題があるとしたら,佐倉氏の主張は最初から成立しません。 (クリエーション・リサーチ・ジャパンの「放射性物質を用いた年代測定法とは,具体的にどんな方法なのですか?」参照。) したがって,このテーマに関する佐倉氏の反論は正しくありません。 また,現代科学の知識が必ずしも正しいとは言えないことは,「天地創造の矛盾2:太陽創造時期の不合理性」の項目でも述べたとおりです。

「天地創造の矛盾4:地上植物と水中動物の出現時期の間違い」

佐倉氏は,「地上の植物の方が水中の動物より先に出現したという天地創造物語の記述も現代科学と矛盾する」と主張していますが,これも単に「科学とは何か?」を理解していないだけです。 佐倉氏は明らかに間違った科学観を持っています。 「天地創造の矛盾2:太陽創造時期の不合理性」の項目でも簡単に述べましたが,もう少し詳しく「科学とは何か?」について説明します。 (以下の文献の引用は,理学博士で,名古屋大学名誉教授の熊澤峰夫先生による見解です。 先生はクリスチャンではありませんが,以下に引用した見解がおおよそ正しい科学観だと考えられます。 ただし,「誤謬」を改めたからと言って,より「正しい」考えを得られるとは限りません。 また,引用は必要最小限にしました。)

歴史の研究が科学として成立するか,との問いに対する結論は「条件付きイエス」だ。 それは,科学のやり方と考え方に依存する。 科学が反復実験で真理を探究するものであるという古典的な考え方は,すでに崩壊している。 全面的ではないにせよ広く受け入れられているPopper(1934)の考え方によれば,科学とそうでないものを区別する基準(境界設定の問題)は,「反証可能性」ということである。 科学理論は,証明はできなくても,少なくとも反証可能でなければならない。 たとえば進化論は,10億年前の地層に哺乳類の化石が出てくれば反証できる。 しかし,創造論では,聖書の創世記の記述と合わない証拠はありえないので,反証できない。 科学とは,世の中の仕組みを推測し,それを反駁して改良していくという営みなのだ。 もう少しひらたく述べると,科学とは,辻褄の良い考え方の体系のことである。 そして,経験に基づいて推論をし,不都合があったらそれを減らすように考え方の修正や改訂をする営みである。
一方で,科学の目的という問題も関係する。 これもPopper(1972)を引用すると,「科学の目的は,われわれが説明する必要のあるすべてのことについて満足のいく説明を見出すことである,と私は主張する」ということになる。 もっと日常的に述べると,科学とは,私たちがその時点で「わかった気になる」ひとつのまとまった考えである,ということだ(コラム参照)。 科学の研究をするということは,「私たちがもっとわかった気になれるようにする営みである」といえる。 「わかったつもり」でも,辻褄の合わないことが見つかったり指摘されたりすると,「もっとわかる」ように実験や観測をしたり,物証を調べたり,論理を組み立て直したりする。 わかっていないことを知る手だてと,もっとわかるようにする手だての両方を合わせて備えているものは,科学としての資格がある。
そういうわけで,宇宙,地球,生命の起源と進化の研究では,反復実験ができないが,その物証がある限り,科学のまともな対象である。
(熊澤峰夫・伊藤孝士・吉田茂生編『全地球史解読』初版,東京大学出版会,2002年,5頁)

科学の営みとは要するに,図7.1に示したような,作業仮説作りの試行錯誤の流転に過ぎない,と主張したい。 筆者はこれをときどき「作業仮説転がし」と呼ぶ。 科学とは,私たちがその時点でわかった気になること,以前よりも「都合が良い」まとまった考えを得ることだ。 科学をするということは,知っているつもりのことから何かを予測し,観察して予想した結果と比較検討しながら,もっと都合の良い考え方に改めていく能動的な作業である。 そのことによって誤謬が改められ進化をする。 あるときの科学的認識は,後の時代から見れば,改訂されるべき誤謬だらけといっても良い。 しかし,だから価値がないと言いたいのではもちろんない。 先に,試行錯誤の流転に「過ぎない」と書いたのは実は逆説で,本当に主張したいことは,試行錯誤の流転だからこそ私たちは大きな価値を認めるということである。
ここでは,「都合が良い」あるいは「都合が悪い」という日常的な言葉をあえて使っている。 普通は「合理的」とか「不合理」という言葉を用いるのだが,筆者はそれでは少し意味が狭いと感じる。 「都合が良い」ことは,もともとはヒトの生き継ぎにとって有利なことであることを意味する。 その有利さは,具体的な物質的あるいは情報的な利益のほかに,幸せという感覚の問題までを含むものとしてとらえたい。 その有利さを得る手段が,科学の理知の方法としての論理で,それにかなっていることが合理性ということだ。 理と利,知と情が矛盾なく整合することが最も都合が良いことだ。
一方で,利や情は,科学の対象でもある。 人間の利や情の起源や発現が何であるかを知り,それに整合的な考えや使い方を知ることによって,初めて全体をわかった気になれる「私たちの科学」になるはずだ。 科学には,利や情までを含めた合理性,すなわち都合の良さが求められていて,その追究が科学の次の大きな課題である。
図7.1のような流転が合理的であるというのは,もっと都合が良いように理を改訂して行く手だてが含まれているということだ。 それを以下で説明していく。 ふつうの研究では,ある基本的な考え方の枠の中で作業仮説転がしを行う。 そのような基本的な考え方の枠組はパラダイム(Kuhn,1962)と呼ばれる。 まずひとつのパラダイムの内部での活動を説明し,次にそのパラダイムの終焉について説明する。
まず「作業仮説」という言葉を説明する。 それは,「まとまったもっともらしいひとつの考え」のことで,科学的知の特定の部分を示す言葉だ。 要するに,モデルとも呼べるひとつの解釈に過ぎない。 それは自然のありさまを私たちの頭脳の中に写し取った観念,すなわち写像だ。 あえて偏見と言っても困らない。 よく「偏見なしにものを見よ」などと言うが,何らかの偏見あるいは予断がないと,ものは見えるものではない。 このことは,Duhem(1906,1914)によって問題提起をされて,今では「観察の理論依存性」と言われていることだ。 ポイントは,ただひとつの偏見では見るなということで,たくさんの見方を試してみることが重要である。 それを試すための叩き台をモデルと呼んでいるわけだ。
そのような作業仮説は,検証を経て常に流転する。 多くの科学者がもっともらしいと考えていることを,科学的事実とか真理とか呼ぶこともあるが,そのようなものもいずれ改訂・変更されるために存在する。 知識というものが,根拠はあるが常に改訂を受けるという性質を持っていることを示す言葉として,Dewey(1938)は「保証付きの言明」という言葉を用いている。 刷新・改訂のためには,まだ確かめられていない何かをその考えを用いれば予測できて,その予測されたことを観測や測定や計算などでチェック(検証)できるようになっていなければならない。 このようなチェック機能のついたもっともらしい解釈がくるくる動いて変わるとき,「もっともではない不都合な考え」をどんどん捨てていくので,私たちは科学をしている,わかりつつある,という実感を持つことができる。 くるくる解釈が変わるのを科学らしくないと感じる人がいるかもしれない。 しかし,それはおかしい見方だ。 よくわかっていないものをもっとわかるようにする営みのことを「科学をする」というのである。 理解がくるくる変わるとき,科学は発展しつつある。
(熊澤峰夫・伊藤孝士・吉田茂生編『全地球史解読』初版,東京大学出版会,2002年,510~512頁)

上記の引用(コラムと図7.1は省略しました)からも分かるように,科学というものは実に不完全なもので,くるくる変わるものなのです。 ましてや近代科学は,神のような超自然的存在の自然界への積極的な介入を考慮しないことにより発展してきました。 (このような自然観は,自然を一つの機械と見ることから「機械論的自然観」と呼ばれ,「時計仕掛けの宇宙」という比喩によって端的に表現されたりしました。 この「機械論的自然観」は,フランス人哲学者ルネ・デカルト(1596~1650年)によって確立されたと言われています。 一方,この16~17世紀にかけて起こった科学革命以前の,アリストテレス(前384~前322年)以来の古代・中世における自然観は「目的論的自然観」と言えます。 参考文献:量義治著『西洋近世哲学史』改訂版,放送大学教育振興会,1999年,41~42頁,56~58頁;橋本毅彦著『物理・化学通史』放送大学教育振興会,1999年,70~89頁。) よって,神の働き(神による天地万物の創造や,人類の歴史や自然界への介入)を前提とする聖書の記述と,神の働きを前提しない(神による天地万物の創造や,人類の歴史や自然界への介入を考慮しない)科学で得られた知識が食い違っていても,何ら不思議ではありません。 そして,聖書は科学の教科書ではないので,その時点の科学理論と食い違う記述があれば,科学というものの性質を充分考慮すれば,クリスチャンは信仰により聖書の記述を信頼するのです。 これは盲信ではなく,実に理性的で合理的な判断です。 聖書と科学の関係については,聖書と科学の関係についても参照して下さい。

「聖書伝承の不完全性1:カインの言葉」

佐倉氏は,聖書の写本によって,カインの「さあ,野原へ行こう」ということばが書かれていたり書かれていなかったりしていることから,「聖書が現代人の手に渡るまでの伝承過程では神の聖霊が働いたとはとうてい考えられない」と述べています。

まず,テモテへの手紙第二3章16節aの「聖書はすべて神の霊感によるもので」(『聖書 新改訳2017』),「聖書はすべて神の霊感を受けて書かれたもので」(『聖書 聖書協会共同訳』)の意味を考えてみます。 ギリシア語の原文と文法事項は次のとおりです。

原文πᾶσαγραφὴθεόπνευστος
文法事項
(辞書の見出し形)
形容詞,主格・女性・単数
πᾶς
名詞,主格・女性・単数動形容詞,主格・女性・単数
逐語訳すべて,全部
All
聖書は
Scripture
神の息(霊)を吹き込まれてある,神の息(霊)がこもっている
is breathed out by God

これを直訳すると「聖書は全部(例外なく),神の息(霊)が吹き込まれてある」となります。 これは,「聖書は,書かれた結果がすべて(どの箇所も)誤りがない」ことを意味します。 つまり,2テモテ3:16aの「神の霊感による」とは,「書かれた結果に一字一句たりとも誤りがない」という意味になります。

さて,聖書が「神の霊感による」「一字一句間違いない」と保証しているのは原典(最初に書かれた書,原本)だけです。 その原典から多くの写本が作られましたが,写本は神の霊感によらないので,誤りがあります。 しかし,その誤りは些細なものであり,聖書の教理に直接関係してこないものばかりです。 よって,「聖書は原典において,誤りのない神のことばである」という聖書信仰は充分成立します。 また,多くの写本を比較・検討することで,原典の内容がほぼ回復されている校訂本が作られています。 その校訂本を底本として各言語に翻訳された聖書が作られています。 以上のことをまとめてみると,次のようになります。

  1. 神の霊感による(一字一句誤りがない)のは原典だけ。
  2. 写本には誤りがある。
  3. しかし,多くの写本の研究から,信頼できる校訂本が作られている。
  4. その校訂本から各言語に翻訳されている。
  5. よって,翻訳された聖書は信頼できる。

さて,カインのことばが書かれている写本には,サマリア五書,七十人訳,ウルガタ,シリア語訳がありますが,これらの写本よりも,カインのことばが書かれていないマソラ本文のほうが信頼できると考えられています。 したがって,原典にはカインのことばは書かれていなかったのだろうと考えられます。 たとえ,原典にカインの「さあ,野原へ行こう」ということばが書かれていたとしても,キリスト教の教理にもクリスチャンの信仰にも,何の影響もありません。 なぜなら,「教えと戒めと矯正と義の訓練のために」(2テモテ3:16b),カインの「さあ,野原へ行こう」ということばは全く重要ではないからです。

佐倉氏は,ヨハネの黙示録22章18~19節を引用して,聖書を誤りのない神のことばと信じるクリスチャンの主張を批判しています。 しかし,この聖句は,聖書以外の聖典を付け加えたりして,「黙示録の預言,ひいては,聖書全体の教理を勝手に改変するな」という意味です。 カインのことばを補足したところで,聖書の教理は何も変わりません。 したがって,佐倉氏のこの批判は的外れです。

この件における聖霊の働きや聖書の教理に関しては,「FAQ」を参照して下さい。 写本や翻訳に違いがあるから聖書は信頼できないと決めつけるのは,間違っています。

「聖書伝承の不完全性2:信頼できないマルコ16章」

佐倉氏は,マルコの福音書16章の9節から19節(日本聖書協会の改訳版『聖書』(1955年))は括弧で囲まれていることを「異常」と考えています。 また,その後に「短い結び」まであることから,マルコの福音書16章は信頼できないと言っていますが,9節以降の記述(16~18節以外)は他の福音書と矛盾する内容ではありません。 佐倉氏は,聖書は論理的に筋道立てて,最初から最後まで,まるで数学の証明問題の解答のように書かれていなければならないと考えている節があります。 しかし聖書は,今日書かれるような科学の論文として書かれたのではなく,あくまでも宗教的な目的を持って書かれた書物です。 また,たとえ9節以降が「追加文」であったとしても,マルコの福音書16章(16~18節以外)は信頼できる文章であると考えて良いと思います。 理由は,他の福音書の記述と比較しても矛盾がないからです。 (この「追加文」(16~18節以外)は,後代の信者による要約だと考えられています。) この項目においても,佐倉氏は聖霊の働きや聖書の教えについて,間違った考えを持っています。 (マルコの福音書16章16~18節については,参考文献の『メシアの生涯(209)―復活(7)―』『メシアの生涯(210)―復活(8)―(最終回)』を参照。)

「カインに関する神の予言ははずれた」

佐倉氏は創世記4章1~12節を引用して,これを神の予言と考えていますが,彼のこの解釈はおかしいと思います。 神様がカインに対して,「あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となる」と言った理由は,4章10~12節に書いてあるとおり,「その大地」にのろわれているからです。 「その大地」というのはアベルを殺した大地のことであり,陸上の全ての大地のことではありません。 (事実,ヘブル語の原文では,「大地」という意味の「アダマー(אֲדָמָה)」に,「その~」と限定する定冠詞「ハ(הַ)」が付いて,「ハアダマー(הָאֲדָמָה)」となっています。 参考文献:ミルトス・ヘブライ文化研究所編『創世記Ⅰ』オンデマンド版,ミルトス,2014年。) 4章2節を読めば分かるように,カインは大地を耕して,その大地の実りを収穫して生活していたようです。 しかし,アベルを殺したことが原因となり,耕していた大地はのろわれてしまいました。 「その大地」はのろわれてしまったので,いくら「その大地」を耕しても,カインは地の作物を得ることはできなくなってしまいました。 つまり,「その大地」において,カインの生活は成り立たなくなりました。 だから神様はカインに対して,「あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となる」と言われたのです。 その神様の裁きをカインは不服に思いましたが,神様の言われることだから仕方なしに受け入れました。 そして実際,神様の前から去って,ノデ(ノド)の地に住み着くまで,カインは神様の言うとおり,「地上をさまよい歩くさすらい人」となったのです。 カインに対するこの聖書箇所は,このように理解すべきだと思います。 また,カインは,自分の兄弟殺しの罪のために恐怖心を抱いていたことが14節から分かります。 カインは,「いつか自分も兄弟たちによって殺されるのではないか」という不安や恐怖心を抱いていました。 しかし神様は,カインが復讐されることのないように,カインに一つのしるしを与えられました。 これは神様からの恵みです。 しかしカインは神様の恵みのことば(15節)を信じ切れなかったので,町を建てるという人間的な方法で自分を守ることにしたのだと思います。

また,中川健一牧師は次のように解説しています。 創世記4章13~14節を読むと,カインは神様に文句を言いながらも,「さすらい人」となることを了承しています。 つまり,カインが「さすらい人」になるのは,神様とカインの約束でした。 しかし,16~17節でカインはノデ(ノド)の地に住み着き,町を建てています。 これは神様との約束違反になります(参考文献:『創世記(9)―カインとアベル―』)。

このように考えると,4章16節の「の前から出て行って」は,「の前から出て行ったが」と訳す方が良いと思います。 (実際,この箇所におけるヘブル語の接続詞「ヴァヴ(ו)」は,「そして」とも「しかし」とも訳せます。) いずれにせよ,佐倉氏の考えは間違っています。

「人の一生の長さに関する神の予言ははずれた」

佐倉氏は創世記6章1~3節を引用して,「人の一生は120年になった」と神は予言したのに,ノアの大洪水後も120年以上生きた人がたくさんいるので,神の予言ははずれたと主張しています。 しかし,このような主張は文脈を無視しています。 文脈から分かることは,「人の一生」の「人」とは全人類のことではなく,この時代の非常に悪い人たちのことです。 したがって,この箇所は全人類の一生の長さについての予言ではないのです。

佐倉氏は,この箇所での「120年」は,神様が大洪水でその時代の悪い人間を滅ぼすまでの忍耐の期間,あるいは,その時代の悪い人間が悔い改めることを待っておられた期間を意味するのだという主張に対し,そんなことを示すものは聖書のどこにも書かれておらず,不自然だと言っていますが(参照:「no-muさんへ」),このような解釈が妥当であることは,前後の文脈から,きちんと読み取れます。

「人の一生は」(『聖書 新共同訳』),「その生涯は」(『聖書 聖書協会共同訳』),「人の齢(よわい)は」(『聖書 新改訳2017』),「彼の年は」(『聖書 口語訳』),「彼の日は」(『聖書 文語訳』),「his days」(ESV)と訳されているヘブル語聖書の箇所を直訳すると,「彼の日々は」となります(参考文献:ミルトス・ヘブライ文化研究所編『創世記Ⅰ』オンデマンド版,ミルトス,2014年)。 ここで使われている「日々」というヘブル語(「日」という意味のヘブル語「ヨム(יוֹמ)」の複数形)は,創世記5章4節,5節,8節,11節,47章8節,9節,申命記22章19節,ヨシュア記24章31節,士師記2章18節などでも使われていて,その人が実際に生きた(あるいは生きる)年数を指しています。 ゆえに,この箇所での「人の一生」は,全人類の一生の長さを言っているのではありません。

参考のために,この箇所の文脈を説明しておきます。 結論から言うと,創世記6章1~4節の「神の子ら」はセツの子孫のことではなく,堕天使(悪霊)のことです。 この堕天使たちについては,ペテロの手紙第一3章19~20節にも書かれています。 (イエス様はこの時代の堕天使たちが捕らわれている所へ行き,勝利を宣言されました。) この堕天使たちは,メシアを人間の女性から誕生させるという神のご計画(創世記3章15節)を破壊するために,人間の女性と雑婚をしました。 すると,ネフィリムという悪魔的生物が誕生しました。 地上にこれほどの悪が増大したので,神様は大洪水で裁きを実行することにしました。 その裁きまでの期間が120年なのです。 この箇所の詳しい説明は,参考文献のアーノルド・フルクテンバウム著/佐野剛史訳『メシア的キリスト論』8頁と,同書「付録1 神の子ら」を参照して下さい。

「ノアの洪水の物語は盗作だった」

この項目における佐倉氏の主張には論理の飛躍があります。 創世記より1000年以上前に書かれた『ギルガメッシュ叙事詩』と,創世記のノアの洪水物語が酷似していても,ノアの洪水物語が盗作であるという必然性は導けません。 これは単に,ノアの時代に地球規模の大洪水があったという歴史的事実を基にして,『ギルガメッシュ叙事詩』の中に洪水物語が創作として書かれただけであり,後にモーセが聖霊に導かれて(『ギルガメッシュ叙事詩』を参考にしたかどうかは知りませんが),正確にノアの洪水物語を書いた,と考えれば良いだけのことです。

この項目で,佐倉氏は「ただのひと」さんへいろいろと疑問をぶつけていますが,これらも簡単に論破できます。 (1)聖書の原典(最初に書かれた書,原本)には誤りが全くないように神は働かれたのに,なぜ写本や翻訳にも同じように働かなかったのか,という疑問ですが,私の考えになりますが,それは人間に謙遜を教えるためではないかと思います。 人間がいくら努力をして忠実に写本を作っても,どこかに写し間違いをしてしまうという現実を見せることで,人間の努力の限界を教え,そのことにより,私たち人間が謙遜になることを神様は望んでおられるのではないかと思います。 もしも常に完璧な写本を作り続けることができたなら,人間は,「神のようになった」と思い込んで,とてつもなく傲慢になってしまうだろうと私は思います。 (写本や翻訳の誤りについては「FAQ」を参照して下さい。) また,佐倉氏は,「聖書翻訳や聖書写本は間違いだらけ」と言っていますが,これは間違いです。 学者の研究によれば,聖書全体から見れば間違いはほとんどない,というのが事実です。 また,重要な教理の部分においては特に写し間違いもないようです。 それは,神様が守って下さったおかげだと思います。 (2)なぜ神様は,アダムやエバ,そして人間が間違いを起こさないように導かれなかったのか,という疑問ですが,神様は,自由意志のないロボットが欲しかったのではなく,自由意志を持った人間と自由意志によって互いに愛し合いたかったからだと思います。 自由意志のないロボットと愛し合うためには,ロボットに「神様を愛しています」という文の入ったプログラムを組み込んで言わせたり,いつも同じパターンで神様を愛する行動をとらせれば良いと思いますが,そんなことをロボットにさせても,それでは本当に愛し合っていることにはなりません。 想像すれば分かることですが,そんなものは少しも嬉しくないでしょう。 神様は,自由意志によって互いに愛し合って喜びたかったのだと思います。 互いに愛し合うという目的のために,神様は人間に自由意志を与えられたと考えられます。

「縄文人はノアの子孫?」

佐倉氏は,約4400年前にノアの大洪水が起こり,人類はノアの家族以外滅亡したはずなのに,その時の日本には既に縄文人が住んでいたので,聖書の記述はおかしいと主張しています。 しかしこのことについても,「天地創造の矛盾3:日本の縄文人とアダム創造」で述べた反論がそのまま適用できます。 (科学についての詳しい説明は,「天地創造の矛盾4:地上植物と水中動物の出現時期の間違い」を参照して下さい。)

「ノアの箱舟に入った動物の数の矛盾」

創世記が複数の資料を参考にして書かれたことは,既に「天地創造の矛盾1:二つの創造説の食い違い」で述べたとおりです。 しかし,複数の資料の中から正しい記述を神の啓示によって選び,一つの書としてまとめたモーセの記述に矛盾はありません。 ここで特に佐倉氏がおかしいと考えている,箱舟に入った生き物の数について説明します。 創世記6章19~20節では,神様は,魚以外の全ての生き物の中から2匹ずつ箱舟に連れて入れ,と命じられましたが,7章2~3節ではより詳しく命令しました。 つまり,7章に入ってから,神様は,全ての生き物の中から,特にきよい動物と空の鳥からは7つがいずつ取りなさい,と命じられたのです。 しかし,「7章8~9節や15~16節には『2匹ずつ』と書いてあるではないか」と反論する人がいるかもしれませんが,この箇所をよく読むと,これは「雄と雌である」ことを強調するための記述だと分かります。 雄ばかり2匹ずつでもなく,雌ばかり2匹ずつでもなく,あくまで雄と雌のつがい,という意味です。 雄と雌のつがいであるのは,洪水が終わって,箱舟から出た後,繁殖していくためです。 したがって,箱舟に入った生き物の数に矛盾はありません。

「アブラハムの故郷に関する混乱:ウルか?ハランか?」

佐倉氏は,「イスラエルの祖先アブラハムは神から『生まれ故郷,父の家を離れて,私が示す地に行きなさい』と命をうけるが,そのときアブラハムはすでに『生まれ故郷,父の家』であるウルを離れてハランという地に住んでいたのである。このことが示すように,聖書はアブラハムの生まれ故郷あるいは召命の地について,ウルであるという伝承とハランであるという伝承の二つが入り交じって混乱している」と主張しています。 しかし,創世記12章1節と24章2~9節をヘブル語聖書で読むと,何の混乱もないことが分かります。

実際にヘブル語聖書の創世記12章1節を直訳すると,次のようになります。 「それからはアブラムに言われた。『あなたは自分のために行きなさい。あなたの国(土地)から,あなたの親族から,あなたの父の家から,わたしがあなたに示す地へ。』」(参考文献:ミルトス・ヘブライ文化研究所編『創世記Ⅰ』オンデマンド版,ミルトス,2014年)

これは翻訳上の問題です。 「故郷」という日本語は「生まれ育った土地」(『広辞苑』第七版)という意味なので,ハランのことを「生まれ故郷」と訳すのは間違いです。 アブラハムの故郷はウルです。 そして,文脈から,創世記12章1節,24章4節,5節,6節,7節,8節はハランのことだと分かります。 これらの箇所のヘブル語を最も正確に翻訳している日本語訳聖書は『聖書 口語訳』です。 また,『聖書 文語訳』と『聖書 新改訳2017』(本文のみ)も良いかと思います。 誤訳をしているのは『聖書 新改訳』第3版,『聖書 新共同訳』,『聖書 聖書協会共同訳』です。 この箇所のように,一つの日本語訳聖書で意味がよくわからない場合は,他の日本語訳聖書を見てみたり,英語訳聖書などを確認してみると,ヘブル語やギリシア語が分からなくても,原文の正確な意味が理解できることがあります。

アブラハムの召命の話をまとめると,次のようになります。 アブラムはカルデア人のウルで生まれ育ちました。 そして,ウルで最初の召命を受け(創世記15章7節,ネヘミヤ記9章7節,使徒の働き7章2~4節),ハランへ行き,そこで父テラが死にました。 そして,アブラムはハランで二度目の召命を受け(創世記12章1~3節),カナンの地へ行きました。

「ベエル・シェバの地の名前の由来の矛盾」

佐倉氏は,創世記21章と26章の記事から,「ベエル・シェバの地の名前の由来に関しては二つの伝承が記録されて」いて,「それぞれ別の理由があげられて」いると主張していますが,これは矛盾でも何でもありません。 まず,アブラハムが「ベエル・シェバ(בְּאֵר שֶׁבַע)」と命名したとは聖書には書いてありません。 また,イサクが井戸につけた名前は「シブア(שִׁבְעָה)」(創世記26章33節)であり,「ベエル・シェバ」ではありません。 聖書には,「シブア」という名前をつけた井戸のある場所を,イサクが「ベエル・シェバ」と名づけたとも書いてありません。 このことから,佐倉氏は聖書をきちんと読んでいないことが分かります。 ちなみに,井戸に名前をつけるのは,井戸の所有権を宣言するためです。 「ベエル・シェバ」の「シェバ」には,「七」という意味と「誓い」という意味があるので,「ベエル・シェバ」は,「七つの井戸」と「誓いの井戸」という二つの意味を持った地名となりました。 創世記21章によれば,「ベエル・シェバ」という地名はアブラハムの時代につけられたことが分かります。 アブラハムの時代に,アビメレク(これはゲラルの王の称号。古代エジプト王の称号がファラオであるのと同じ)との契約のゆえに,その井戸があった場所が「ベエル・シェバ」と呼ばれるようになりました。 しかしイサクの時代になって,やはりアビメレク(このアビメレクは,アブラハムの時のアビメレクとは別人物だと考えられます)との契約のゆえに,「誓いの井戸」という意味がより脚光を浴びるようになったのです。 別にイサクが,他の名前がつけられていたこの場所を,新たに「ベエル・シェバ」と名づけたなどとは,聖書のどこにも書いてありません。 したがって,創世記のこの記録にも何も矛盾はありません。

また,佐倉氏は創世記26章の記事から,「この井戸を掘ったのもアブラハムではなく,イサクの僕たちということになっています」と述べていますが,これも非常に簡単に解答できます。 実際に井戸を掘ったのはアブラハムのしもべたちであり(創世記26章15節),アブラハムはその監督者のような立場だったので,アブラハムが井戸を掘ったと聖書に書かれているのです。 このようなことは現代でも同じことが言えます。 例えば,家を建てたのはその家の持ち主と言いますが,実際に汗を流して家を建てたのは大工たちです。 この違いを佐倉氏は理解していないようです。 アブラハム(のしもべたち)が掘った井戸はペリシテ人によって埋められてしまったので,イサク(のしもべたち)は再び同じ井戸を掘っただけです。

「妻を妹と偽る物語の矛盾と混乱」

まず,創世記12章,20章,26章の,当時の人々の寿命を確認します。 例えば,アブラハムは175歳まで生きたと記されています(創世記25章7節参照)。 サラも127歳まで生きたと記されています(創世記23章1節参照)。 また,創世記11章10~32節を読めば,この当時の人の寿命は,少なくとも現代人の2倍はあったことが分かります。

創世記20章の事件が起こったとき,アブラハムは99~100歳,サラは89~90歳でした。 (創世記17章17節,24節参照。) しかし,前述したように,当時の人の寿命が現代人の寿命の2倍ほどであったことから,この時のサラの見た目(外見的な若さ)は,サラが特に美しい女性だった(創世記12章11節,14節)ことも考えると,現代の30代の女性と同じくらいに若く見えたのではないかと思います。 また,特別美しくなければ,ハーレムに召し入れられることもありません。 サラは当時,非常に美しい女性だったのでしょう。

さて,見た目が30代に見える女性を見て「老婆だ」と思う人はいないと思います。 よって,佐倉氏の主張は成り立ちません。

しかし,創世記18章11節には,サラは閉経していたと書いてあると反論する人がいるかもしれません。 しかし,サラが――当時の女性としては――比較的短命だったことを考えれば,比較的早く閉経しただけだと考えられます。 現代でも45歳くらいで閉経する人はいます。

「ヨセフをエジプトに売り渡したのは誰か」

佐倉氏の誤解は,イシュマエル人とミディアン人は全く違う人々(民族)だと考えている所にあります。 しかし,創世記37章のこの箇所では,イシュマエル人とミディアン人は同義語として使われています。

そこにイシュマエル人の隊商が通りかかりました。 イシュマエル人とミデヤン人が,同義語に使われています(士8:24参照)。 イシュマエル人はイシュマエルの子孫で,アラビア半島に定住した人々です。 ミデヤン人は,アブラハムとケトラの子孫で,ミデヤンの地に定住した人々です。 やがてイシュマエル人がミデヤン人を征服し,両者の間には雑婚関係ができました。
(中川健一著『クレイ聖書解説コレクション「創世記」』紙版第2版,ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,2016年,433頁)

聖書では,同じ言葉の繰り返しを避けるために,別の言葉を使って同じ意味を表現するという文学手法がよく使われています。 ここでの「イシュマエル人」と「ミディアン人」も,そのようなヘブル的文学手法によるものと思われます。 そういうわけで,ヨセフをエジプトに売り渡したのは,イシュマエル人(=ミディアン人)です。 ここにも何の矛盾もありません。

「モーセは奴隷解放者ではなかった」

佐倉氏は当時の「奴隷」の意味を誤解しています。 現代の私たちが「奴隷」と聞くと,昔,アフリカからアメリカへ連れて来られた黒人を想像するかもしれません。 その出来事にはネガティブなイメージしかありません。 しかし,聖書を読む限り,イスラエルの人々にとっての「奴隷」とは,財産ではありましたが,現代人が考えるような「人としての当然の権利さえ奪われた,虐げられる者」ではなかったようです。 落ちぶれてしまったイスラエル人は,同胞であるイスラエル人のもとで生活できるように,とても愛のある配慮がなされていました(レビ記25章35~55節参照)。 その理由は,イスラエル人は,がエジプトの地から導き出した,のしもべであるからです(レビ記25章42節,55節参照)。 よって,イスラエル人は「奴隷の身分として売られてはならない」(レビ記25章42節)し,同胞を「酷使してはならない」(レビ記25章43節)のです。 イスラエル人にとっての奴隷とは外国人に限定されていて,しかも「買い取ることができる」という許可しか与えられていませんでした(レビ記25章44~46節参照)。 奴隷となっていた人々は貧しくて自分では自立した生活ができないので,奴隷として仕えることで自分の生活を維持していたと考えるべきです。 出エジプトを経験したイスラエル人に求められていたのは,同胞はもちろん,奴隷として買い取った外国人に対しても愛のある扱いをすることでした。 なぜなら,イスラエル人はエジプトの地で,嫌というほど苦しめられたからです。 その出来事から何の教訓も得ようとしないのは,エジプトの地から導き出して下さったに対して非常に失礼で,重大な罪です。 佐倉氏は「実は,イスラエル人自身が私有財産として所有する奴隷に関しては,イスラエルの神もイスラエルの指導者も解放する意思を持っていません」と述べていますが,これはデタラメです。 その根拠は,先に挙げたレビ記25章やエレミヤ書34章8~16節に書いてあります。 佐倉氏の,当時の奴隷に関する見方は根本的に間違っています。

また佐倉氏は,創世記24章35節を引用していますが,この言葉を言っているのは,「ダマスコのエリエゼル」と呼ばれる人です(創世記15章2~3節参照)。 このエリエゼルという名のアブラハムのしもべは,主人であるアブラハムの全財産を管理していました(創世記24章2節参照)。 アブラハムはこのエリエゼルを非常に信頼しており,また,エリエゼルも主人であるアブラハムをとても尊敬し,忠実なしもべとして仕えていたことが分かります。 イスラエルの人々にとって,「主人」と「奴隷」の理想的な関係はこのようなものであり,「虐げる者」と「虐げられる者」のような関係が常にあったとは考えられません。 族長たちの時代(アブラハム,イサク,ヤコブの時代)には,奴隷を所有していることは当時の普通の習慣であり,法にもかなっていたようです。 ハンムラビ法典やヌジ文書(ともに紀元前2000年頃)の奴隷に関する規定からも,そのことが分かるそうです。 したがって,奴隷を所有するのはイスラエル人だけの特権ではなかったのです。 当時の時代背景を考慮しないと,佐倉氏のようなおかしな主張をしてしまうので,注意が必要です。

ヨセフの政策についても,愛のある配慮を感じ取ることができます。 ヨセフは貧しい人々を雇って,きちんと生活できるように取りはからいました。 佐倉氏は『聖書 新共同訳』から創世記47章21節を引用しているようですが,この箇所を正しく翻訳しているのは,『聖書 文語訳』,『聖書 聖書協会共同訳』,『聖書 新改訳』第3版,『聖書 新改訳2017』です。 『聖書 新改訳2017』によると,21節は「また民については,エジプトの領土の端から端に至るどこででも,彼らを町々に移動させた」となっています。 つまり,ヨセフは,エジプト人が飢饉の時でも生き延びられるように,彼らの望み通り,彼らの農地をファラオの直轄地とし,彼らをファラオの奴隷としたことが分かります(19節,25節参照)。 創世記47章13節から読んでいくと,ヨセフはエジプト人が飢えて死なないように愛のある配慮をしたのだと言えます。 この時,エジプト人はヨセフに感謝して,自らファラオの奴隷になることを願っています。 ヨセフがエジプトに奴隷制を推進したとは,聖書のどこにも書かれていません。

出エジプト記には奴隷の扱いについて,非常に愛のある配慮がなされています。 例えば,出エジプト記21章2節には,6年間働いて仕えたら,7年目には自由の身となり,その時,主人に何も支払わなくて良いと教えています(申命記15章12~18節も参照)。 これは奴隷となっていた人にとって,何よりの恵みです。 このような文脈の中にあって,佐倉氏は21章20~21節の教えを,非常に歪んで解釈しています。 この聖書箇所は,奴隷が非常に悪いことをした時の処罰について教えていると考えられます。 「もしその奴隷が一日か二日生き延びたなら」(21節)というのは,奴隷に対して悔い改める機会を残しなさい,という神様のご意志を感じます。 先祖がエジプトで奴隷であったイスラエルの民に対し,モーセは何度も「エジプトから助け出された恵みを忘れるな」と警告しています(申命記5章15節,15章15節,16章12節,24章18節,22節参照)。 しかし,出エジプトをしたイスラエルの民は荒野において,に逆らい続けてきました(申命記9章7節参照)。 そのため,カナンの地に入るまで40年もかかってしまいました(申命記2章7節など参照)が,神はイスラエルの民を絶ち滅ぼしませんでした。 それは,アブラハム契約を成就するためでしたが,イスラエルの民は神の財産でもあったからです。 先の出エジプト記21章21節のみことばから,エジプトの奴隷の身分から自由に解放された恵みを思い出しなさい,という神様からの語りかけを感じます。 現代の私たちには,悔い改める機会が与えられているうちに神に立ち返りなさい,というメッセージとして適用できると思います。 クリスチャンにとっては,罪の奴隷から解放された恵みに感謝することも教えられているのではないでしょうか。

また,佐倉氏は,「モーセは他民族を奴隷にすることを命じた」と主張していますが,聖書をきちんと読むと,モーセは命令してはいません。 あくまで許可をしているだけです。 (佐倉氏が引用している申命記20章14節を読めば,「~できる」と書いてあります。 これは命令ではなく,許可です。) 申命記20章の文章を読むと,この箇所には,「が相続地として与えようとしておられる次の民の町々では,息のある者を一人も生かしておいてはならない」(16節)のですが,それ以外の「非常に遠く離れている町々に対しては」(15節)生かすこともできる,と書かれています。 特に,その前に書かれた10~11節の命令からは,のあわれみを感じます。 つまり,その町の民が降伏して門を開くなら,彼らは殺されることなく,ただイスラエル人に仕えなさいと命じられているだけです。 これはイスラエルの神に対して降伏して,イスラエル人に仕えるなら,神様はアブラハム契約の条項(創世記12章3節)に従って,異邦人にも祝福を与えられることを意味していると考えられます。 何という神様の恵みでしょうか! (モーセの律法における殺人の教えについては「殺せ!と神が命じるとき」を参照して下さい。)

モーセの時代,イスラエル人はエジプトで大変な苦役を強いられていました。 神様は彼らの嘆きを聞き,アブラハム,イサク,ヤコブとの契約のため,モーセを苦役からの解放者として立てたのです。

「ダビデ物語の矛盾と混乱1:サウル王とダビデの出会い」

サウル王がダビデと知り合ったのは,サムエル記第一16章の記述通りです。 しかしサウル王は,ダビデが獅子や熊さえ殺せる勇敢な戦士でもあったことは知らなかったのでしょう。 だから,17章33節で,サウル王はダビデの「自分がゴリヤテと戦う」という申し出を拒否したのだと考えられます。 ダビデは首尾良くゴリヤテを殺したのですが,サウル王はダビデの父の名前をちゃんと覚えていなかったようです。 以前に聞いてはいても,あまり記憶に残らなかったと考えれば,この物語はきちんと筋が通ります。 佐倉氏は,17章ではサウル王は「ダビデの名前さえ知りません」と述べていますが,この主張には何の根拠もありません。 別に「少年」と呼んだからといって,名前を知らないことにはなりません。 もし名前を知らないなら,サウル王はダビデの名前を尋ねているはずですが,サウル王はそんな質問はしていません。 その理由は,ダビデの名前を知っているからです。 サウル王がダビデの父親の名前を尋ねたのは,まだ少年であったダビデの父親の許可を得て,もっとしっかりと自分のもとに召しかかえたかったからだろうと考えられます。 なぜなら,当時のダビデは,羊飼いとして父の所にいたり,サウル王の所へ行ったり来たりしていたからです(17章15節参照)。 また,17章12節で改めてダビデの出自について書かれているのは,これから主役になっていくダビデという人物を,サムエル記の著者が改めて紹介したかったからだと考えられます。

また,佐倉氏は,サムエル記第一17章54節の記述を,「前後との文脈から孤立しているだけでなく,歴史的にあり得ないことです」と述べていますが,これも簡単に論破できます。 当時のエルサレムがエブス人の住む所であったとしても,そこには既にイスラエル人も住んでいました (ヨシュア記15章63節,士師記1章21節参照。 これらの聖書箇所では,一方ではユダ族となっていて,一方ではベニヤミン族となっています。 これは,ベニヤミン族が弱小部族であったため,ユダ族とペアで数えられているだけです。 例:列王記第一12章23節。 したがって,ヨシュア記15章63節と士師記1章21節は矛盾していません。 誤解のないように。)。 イスラエル人はカナンの地を征服する時に,カナンの地の住人を完全には聖絶しませんでした(追い払いませんでした)(士師記1章27~36節参照)。 そのため,サウル王やその後のダビデ王やソロモン王の時代にもまだエルサレムにエブス人が住んでいたようです(サムエル記第二5章6節,歴代誌第一11章4節,列王記第一9章20~21節,歴代誌第二8章7~8節参照)。 そして,エブス人とイスラエル人の間には,あまり争い事はなかったと考えれば,つじつまが合います。 (事実,エブス人とイスラエル人の間に争いがあったというようなことは,聖書に書かれていません。) では何故,「持ち帰った」という表現になっているかというと,エルサレムにはイスラエル人も住んでいたからです。 当然,佐倉氏の言うように,サムエル記第一17章54節の記録は時代錯誤ではありません。

「ダビデ物語の矛盾と混乱2:ゴリアトを倒したのはダビデではない」

有名な巨人ゴリアト(ゴリヤテ)を倒したのはダビデです。 それはサムエル記第一17章に書いてあるとおりです。 佐倉氏が問題にする部分(サムエル記第二21章18~22節)を正しく解釈すると,次のようになります。

ここで倒れたのは,やはりゴリヤテの親族,サフとラフミであった(18-19)。 ヘブル語本文では,『エルハナンがガテ人ゴリヤテを打ち殺した』となっているが,この19節には,本文上の乱れがあり,I歴20:5に従って,新改訳のように修正されるべきであろう。
(『新実用聖書注解』2008年,489頁)

実際,『聖書 新改訳』第3版のサムエル記第二21章19節の本文には,「ベツレヘム人ヤイルの子エルハナンは,ガテ人ゴリヤテの兄弟ラフミを打ち殺した」と書いてあります。 そして,脚注を見れば,ヘブル語本文では「ゴリヤテ」となっていることが分かります。 しかし佐倉氏は,このようなヘブル語本文上の乱れを考えようとしていません。 (サムエル記第二21章19節を『聖書 新改訳』第3版のように修正して訳してある日本語訳聖書には,『聖書 文語訳』と日本語版『リビングバイブル<旧新約>』(改訂新版,いのちのことば社,2016)があります。)

「列王記と歴代誌の矛盾」

聖書の他の書も同じですが,列王記も歴代誌も科学の論文ではありません。 また,単なる歴史書でもありません。 列王記も歴代誌も,宗教的な目的を持って書かれた書です。

佐倉氏が指摘する「ソロモンの馬屋(厩舎)の数」(列王記第一4章26節と歴代誌第二9章25節)や「神殿建築の工事責任の監督の数」(列王記第一5章16節と歴代誌第二2章18節)や「鋳物の『海』の容量」(列王記第一7章26節と歴代誌第二4章5節)や「町々の建設工事に携わった監督者長の数」(列王記第一9章23節と歴代誌第二8章10節)や「アハズヤがユダの王となったときの歳」(列王記第二8章26節と歴代誌第二22章2節)や「ヨヤキン(エホヤキン)がユダの王となったときの歳」(列王記第二24章8節と歴代誌第二36章9節)の食い違いは,写本を制作する際に生じた誤写だと考えられます。 これらの誤写は,聖書全体から見たら非常に微々たるものであり,聖書の教えを左右することにはならないので,このような誤写のせいで聖書の信頼性が薄れることはありません。 聖書における誤写については,「聖書は書き換えられたか」も参照して下さい。

ユダの王ヨシャファト(ヨシャファテ)の船団に関して(列王記第一22章48~49節と歴代誌第二20章35~37節)は,次のように読むことができます。 ヨシャファテはタルシシュ(スペインの南端)へ行く船団をつくる前から,イスラエルの王アハズヤと友好関係を保っていて(列王記第一22章44節),船に乗って金を買いに行かせるために互いに同盟を結びました。 船団をつくる時にもお互いに自分たちの船団をそれぞれつくったのでしょう。 そして,ヨシャファテとアハズヤはタルシシュ行きの船団をつくり,彼らの家来にタルシシュとオフィルに行かせようとしました。 この時,ヨシャファテとアハズヤの家来たちは,それぞれ自分たちの王国の船に乗ったのでしょう。 (王自身が国を長い期間留守にするのは危険なので,ヨシャファテとアハズヤ自身が船に乗ったとは考えられません。) しかし,神の目の前に悪を行っていたアハズヤのせいで,ヨシャファテの船団はエツヨン・ゲベルを出向してまもなく難破してしまいました。 そこで,アハズヤはヨシャファテに,「私の船にあなたの家来を乗せて,私の家来と一緒に行かせましょう」と言いました。 しかし,ヨシャファテはそれを承知しませんでした。 なぜなら,出向してすぐ難破してしまったことを,ヨシャファテは「不吉だ。これは神のみこころではない」と思ったからではないでしょうか。 このように読めば,どこにも矛盾は生じません。

そもそも歴代誌記者は,列王記と同じことを書いても意味がないので,列王記を補うように別の視点から歴代誌を書いたと読めます。 つまり,列王記と歴代誌は互いに補い合う書だと考えるべきです(参考文献:『60分でわかる旧約聖書(13)「歴代誌第一」』)。

「サムエル記と歴代誌の矛盾」

佐倉氏が指摘する「ダビデが捕虜にした騎兵の数」(サムエル記第二8章4節と歴代誌第一18章4節)や「イスラエルとユダの戦士の数」(サムエル記第二24章9節と歴代誌第一21章5節)や「ダビデ軍に殺された戦車兵の数」(サムエル記第二10章18節と歴代誌第一19章18節)の食い違いは,「列王記と歴代誌の矛盾」で述べたように,単なる誤写でしょう。 これらの食い違いは,聖書の原典(最初に書かれた書,原本)にはなかったはずです。 どの記述が正しいのかは,何か別の文献による証拠でもない限り知り得ませんが,聖書を神のことばと信じるための障害物とはなり得ません。 (サムエル記と歴代誌の関係については,参考文献の『60分でわかる旧約聖書(13)「歴代誌第一」』を参照して下さい。)

「足し算のできないエズラ」

エズラ記2章やネヘミヤ記7章における人数の違いの説明は『新実用聖書注解』から引用します。

ここに記載されているバビロンからの帰国者名簿は,ネヘ7:6-72(参照エズ・ギ5:4-45)とほぼ同じである。 人名の相違は,つづり違い,別名などの理由が考えられる。 人数の違いは,153回のうち29回に見られる。 最も大きな相違は12節のアズガデ族の数で,エズラ記は1222名,ネヘミヤ記(7:17)では2322名である。 数えた時点が異なることによる相違か,数字(ことに数字の0のしるし)の見落としなどの筆写上の誤りによるものかもしれない。 ここに挙げられた人数を合計すると,エズラ記では2万9818名,ネヘミヤ記では3万1089名(エズラ記[ギリシア語]は3万3620名)で,64節(ネヘ7:66)に記された総数4万2360名とは著しく異なっている。 名簿に挙げられた数は成人だけ,男子だけ,ユダとベニヤミンの2部族の数だけ,最初の帰還者の数だけなどの見解があるが,はっきりとした証拠に乏しい。
(『新実用聖書注解』2008年,626頁)

いずれの見解を採るにせよ,聖書の教えを左右することにはなりません。 「聖書は書き換えられたか」も参照して下さい。

そもそもエズラは祭司でありながら,モーセの律法に精通した学者でもあった人です(エズラ記7章1~6節,11節,12節,21節,10章10節,16節,ネヘミヤ記8章9節参照)。 そのような学者が足し算ができないなど,あるはずがありません。 佐倉氏のつけたこのタイトルには悪意を感じます。 エズラは正しい数字を記述したのであり,それを他の人が誤写しただけだと思います。

「イスラエルの王バシャがユダを攻撃したのはいつ?」

歴代誌第二16章1節の問題についても『新実用聖書注解』から引用します。 結局この問題も数字の誤写によるものではないかと思います。

<アサの治世の第36年>(1)という年代には問題がある。 この時点ではバシャはすでに死んでいる(I列16:8)。 問題解決のために注解者たちの間には種々の提案があるが,それぞれ困難があり,結論は出しにくい。 事件の流れとしては治世第15年より少し前にゼラフの侵攻があり,その時の大勝利への感謝祭,北王国からの多くの民の亡命,それを防ぐためのバシャのラマ築城,と考えると理解しやすい。
(『新実用聖書注解』2008年,602頁)

「裏切り者ユダの死」

佐倉氏は,12弟子の1人であったユダの死について,二つの記録,すなわち,マタイの福音書27章3~10節と使徒の働き1章16~20節は矛盾していると述べています。 しかし,次のように考えれば矛盾は生じません。 (もっと詳しい説明は,参考文献の『マタイの福音書(27前半)』『メシアの生涯(192)―夜明け後の裁判,ユダの死―』や,アーノルド・フルクテンバウム著/佐野剛史訳『メシア的キリスト論』の「付録6 イスカリオテのユダの死」を参照して下さい。)

まずユダの死に方ですが,マタイの福音書によると,ユダは「首をつった」と書かれていますので,実際に首をつったのでしょう。 そして,ユダが首をつって死んだ後,彼の死体は取り下ろされ,エルサレムの城壁の上からヒンノムの谷へ落とされた時,「真っ逆さまに落ちて,からだが真っ二つに裂け,はらわたがすべて飛び出してしまった」と考えれば,何の矛盾も生じません。

次に,イエス様を裏切って受け取った銀貨の行方ですが,佐倉氏は「使徒の働き」を読んで,ユダ自身が「不義の報酬で地所を手に入れた」と主張していますが,マタイの記述と考え合わせると,別に矛盾していないことが分かります。 マタイの福音書27章5~7節を読むと,ユダが神殿に投げ込んだ銀貨を祭司長たちが自分たちのものにしたとは書いてありません。 祭司長たちは,当時のユダヤ法に基づいて,このお金は「血の代価だから,神殿の金庫に入れることは許されない」と考えました。 「そこで彼らは相談し,その金で陶器師の畑を買って,異国人のための墓地にした」のです。 当時の律法の規定により,畑は死後であってもユダの名によって購入されたので,「ユダが地所を手に入れた」という表現になっているだけです。

マタイの福音書27章9~10節の預言は,ゼカリヤ書11章12~13節とエレミヤ書18章2節,19章2節,11節,32章6~9節の預言の組み合わせです。 このような場合,より多くの範囲をカバーしている預言者の名を一人だけ挙げるのが普通なので,ここではエレミヤの預言とされています。 決して,佐倉氏の推測のように,マタイの記憶違いなどではありません。 また,使徒の働き1章20節の引用聖句は両方ともダビデによるものですが,引用された箇所(詩篇69篇25節,109篇8節)は厳密な意味では預言ではありません(参考文献:『使徒の働き(5)―使徒の補充―』)。 これらのような聖句の解釈は現代人には難解です。 これらの聖句は,当時の人たちが理解したように解釈しなければなりません。 引用された旧約聖書の聖句は「型(type)」であり,新約聖書での引用が「本体(anti-type)」として適用されているのです。 このように,聖書はヘブル的(ユダヤ的)に解釈する必要があります(参考文献:『マタイの福音書(2)メシア預言の成就』『メシアの生涯(15)―エジプトからナザレへ―』)。 「型(type)」と「本体(anti-type)」の関係については,「成長セミナー(1)聖書との出会い(前半)」も参照して下さい。

「イエスの最期1:『待て』と言ったのは誰か」

まず覚えていただきたいのは,マタイもルカもヨハネも,マルコと全く同じことを書こうとは思っていなかったということです。 全く同じこと(イエス様の伝記)を書いたのなら,福音書は一つで充分です。 しかし,彼らはイエス様の伝記を書こうとしたのではありません。 彼らによって書かれた四つの福音書は,それぞれ違った視点で書かれていて,互いに補い合うものなのです。 この「視点の違い」が理解できないと,「四福音書には明らかな矛盾がある」という間違った結論を出してしまいます。 (テレビ番組にたとえると,4台のカメラが,それぞれ違った場所から撮影しているようなものです。 1カメ,2カメ,3カメ,4カメの映像が全く同じにならないことは,テレビを観ている視聴者にとっても自明の理です。) 四福音書には視点の違い,目的の違い,想定している読者の違いがあることが理解できるようになると,それぞれの記述に相違はあっても矛盾はないことが分かってくると思います。 マタイの福音書はユダヤ人向けに書かれていて,イエス様をユダヤ人の王として描いています(60分でわかる新約聖書(1)「マタイの福音書」参照)。 マルコの福音書はローマ人クリスチャン向けに書かれていて,イエス様を神のしもべとして描いています(60分でわかる新約聖書(2)「マルコの福音書」参照)。 ルカの福音書はギリシア人(知識人)向けに書かれていて,イエス様を理想的な人間(人の子)として描いています(60分でわかる新約聖書(3)「ルカの福音書」参照)。 ヨハネの福音書は全世界に向けて書かれていて,イエス様を神の子として描いています(60分でわかる新約聖書(4)「ヨハネの福音書」参照)。 このような視点の違いは,例えば,マタイの福音書8章15節,マルコの福音書1章31節,ルカの福音書4章39節の表現の違いにも現れています(参考文献:『メシアの生涯(33)―ペテロの姑の癒し―』)。

また,四福音書が書かれた紀元1世紀はキリスト教に対する迫害が激しかったので,福音書記者たちはいい加減なことは書けないという状況下にありました。 (もっと言うと,いい加減なことは書けないので,実際の目撃者から情報を得て書いたと考えられます。 例えば,マルコは師であるペテロ(ペテロの手紙第一5章13節参照)から直接,目撃者情報を聞いて書いたと考えられます。 その証拠と考えられる記述に「ペテロの離反とイエスの予言」で取り上げた聖句が参考になると思います。 鶏が鳴く回数まで書いているのはマルコだけです。 こんなに詳細に書けたのは,ペテロから直接教えてもらったからでしょう。 また,ヨハネの福音書19章35節には「これを目撃した者が証ししている」と書かれています。) もしいい加減なことを書いたら,信者たちからもすぐに論破されて,今私たちの手元にある福音書は現存していなかったでしょう。 そのような当時の時代背景を知らないと,佐倉氏のように,福音書には矛盾があると誤解してしまいかねません。 福音書記者たちは,イエス様こそ約束のメシア(キリスト)だと信じてもらうために,慎重に言葉を選んで書いたと考えられます。

さて,結論から言うと,「待て」と言った人々は,酸いぶどう酒を飲ませようとした人と,その他にも何人もいたことになります。 マルコとマタイは,違った視点で書いているにすぎません。 イエス様の十字架上での最期を見た人々から話を聞いて書いた時,証言に違いがあっただけです。 マタイは,「ほかの者たちが言った」という証言を書いただけで,酸いぶどう酒を飲ませようとした人については何も言及していません。 マタイは,「ほかの者たち」に焦点を当てて書いただけです。 しかしマルコは,酸いぶどう酒を飲ませようとした人も言ったという証言を書いただけです。 このように考えれば,何も矛盾は生じません。

「イエスの最期2:イエスはぶどう酒を飲んだか」

佐倉氏は,「マルコやマタイに従えば,イエスは飲む直前に息を引き取ったことになっています」と主張していますが,これもただの誤解です。 マルコとマタイの記述から分かることは,「人々は,エリヤが来るかどうかを見ていた。しかし来なかった」ということです。 酸いぶどう酒を飲んだかどうかを書いているのではありません。 ここはヨハネの福音書19章30節に従って,イエス様は酸いぶどう酒を飲まれたと考えるのが妥当です。

「イエスの最期3:イエスの最期の言葉」

佐倉氏は,マタイとマルコによると,「わが神,わが神,なぜわたしをお見捨てになったのですか」をイエス様の最期のことばだと主張していますが,これも単なる誤解です。 イエス様が父なる神様に霊を渡される前に,マタイは「イエスは再び大声で叫んで」と書いていて,マルコは「イエスは大声をあげて」と書いていますが,イエス様が何ということばを大声で言われたのかは,マタイとマルコからは分かりません。 実際のイエス様の十字架上での最後のことばが何だったのか,確定的なことは言えませんが,私はルカが最後のことば(23章46節)を正しく記録していると思います。 (ヨハネによる「完了した(成し遂げられた)」が最後のことばだったと言う人もいますが,これは違うと思います。 贖罪の全てが完了したからこそ,父なる神様にご自分の霊をお渡しになったと考えるのが妥当だと思います。)

「イエスの最期4:イエスの死とその予言」

佐倉氏は,「イエスは,わずか一日半ほどで,墓から出てきてしまったのです」と主張していますが,これは単に日数の数え方の間違いです。 ユダヤ人の暦(ユダヤ暦)では創世記1章の記述に従って,日没が一日の始めになります。 そのユダヤ人の日数の数え方によると,イエス様が死んで墓に葬られた日(金曜日)の日没前までが一日目で,次の日(安息日である土曜日)の日没前までが二日目で,次の日(週の初めの日である日曜日)の朝には三日目になっているのです。 したがって,イエス様は死んで三日目によみがえったことになり,イエス様の預言と完全に合致します(参考文献:『マタイの福音書(28)』)。

「復活1:イエスとともに復活した人々」

佐倉氏は,イエスの復活後に多くの人が生き返り,墓から出て来て多くの人に現れたと記述しているのはマタイだけであり,これほどの奇跡が他の福音書や歴史的文献には書かれていないのを理由に,この奇跡はマタイによる加筆だと決めつけています。 (1)生き返った人々は「復活」したのではなく,「蘇生」しただけです。 聖書で言う「復活」とは,「今までとは違う肉体(栄光のからだ)を持つこと」であり,「再び死がその人を襲うことはない」のです。 一方,「蘇生」とは,「死の状態,あるいは,死んだと思われる状態から再び生の状態に戻ること」であり,「蘇生した人は,やがて死ぬ」のです。 この違いを理解する必要があります。 イエス様は公生涯の中で人を蘇生させましたが,復活させたわけではありません。 (例:ルカの福音書7章11~17節のナインのやもめの一人息子,マタイの福音書9章18~26節とマルコの福音書5章35~43節とルカの福音書8章40~56節の会堂司ヤイロの一人娘,ヨハネの福音書11~12章のラザロ。 そもそもイエス様の復活前,バプテスマのヨハネが牢獄に入れられていた時,既に何人もの死人が生き返っていたことが,マタイの福音書11章5節とルカの福音書7章22節から分かります。 この聖書箇所は,原語のギリシア語では主語は複数形になっていて,直訳すると,「死人たちは生き返らされていて」となります。 したがって,多くの人が生き返ったのは,イエス様の復活後だけの特別なことではなく,イエス様が公生涯を歩まれていた時にもあったのです。) もしこの出来事が復活だったら,当時から現在も生きている約二千歳のユダヤ人がいることになります。 しかしそんな人は一人もいません。 したがって,彼らは復活したのではなく,蘇生しただけであり,やがて死にました。 佐倉氏は,この「復活」と「蘇生」の違いを理解していません。 (2)マタイの福音書の読者を考えれば,この出来事をマタイによる加筆と考える必要もありません。 マタイはユダヤ人向けに福音書を書きました。 そしてユダヤ人はしるし(証拠としての奇跡)を求める(第一コリント1章22節参照)ので,そのことをよく知っていたマタイは同胞のユダヤ人が信じやすいように,死人たちが生き返っているという奇跡を記したのでしょう。 (3)クリスチャンがこの出来事についてほとんど語らないのは,イエス様の復活のほうが遙かに重要な出来事だからです。 もちろん,死人が生き返るというのは驚くべき奇跡ですが,私たちは,なぜ彼らが生き返ったのか,何のためにこの記録があるのかを考える必要があります。 そして,そこからイエスへと目を向け,「イエスとは誰なのか」をしっかりと考えるべきです(マタイの福音書27章54節参照)。 (4)この出来事は他の福音書には書かれていないことから,聖書のメイン・テーマではないと考えられます。 (もしメイン・テーマなら,他の福音書にも記録されているはずです。) 私たちにとって重要なことは,救い主であるイエス様が私たちの罪の身代わりとして十字架上で死なれ,墓に葬られ,三日目に復活されたことを信じ(第一コリント15章1~4節参照),イエス様がそのとおりのお方であると信頼することです。 イエス様が復活されたという事実(参考文献:『人生の謎を解く(5)―復活は歴史的事実か―』)により,クリスチャンは永遠のいのちの希望を確信することができるのです。

「復活2:イエスの墓を見た女」

佐倉氏は,「イエスの死後その墓を見に行った女性に関する物語は,すべてバラバラで,福音書にまったく一致がありません」と述べ,四福音書の記録を比較して,その矛盾を示しています。 しかし,四福音書には,イエス様の墓を見に行った女性たちの物語に相違はありますが,矛盾はありません。 例えば,ヨハネは,「マグダラのマリアだけがイエス様の墓に行き,他の女性は誰一人としてイエス様の墓には行かなかった」とは書いていません。 もしそのように書かれているのなら福音書には矛盾があることになりますが,実際にはそのようには書かれていません。 ヨハネは福音書を書くに当たり,マグダラのマリアだけを取り上げて書いたので,ヨハネの福音書にはマグダラのマリアの名前と彼女の証言だけが書かれているのでしょう。 マタイは女性たちの物語をまとめて書いただけです。 ここには何の矛盾もありません。 「相違点は,目撃者の証言をそのまま記し,互いにつじつま合わせをしなかった結果生じたもので,互いに補い合っている」(『新実用聖書注解』1341頁)というのが正しい理解です。 (マタイの「まとめて書く」という手法は,マタイの福音書21章18~22節でも見られます。)

では,イエス様の墓を見に行った女性たちの物語を,四つの福音書の記録を比較しながら,できるだけ時間順に並べてみます。 (女性たちの物語の少し前に,ローマの番兵たちの物語があります。マタイ28:2~4。) 最初に,マグダラのマリアと他の女性が,週の初めの日(日曜日)の朝早く,まだ暗いうちにイエス様の墓に行きました(ヨハネ20:1~2)。 しかし,墓の入り口にあるはずの石は,既に脇に転がしてあり,墓の中を見てもイエス様のからだはありませんでした。 この時,彼女たちは天使を見ておらず,その墓の様子をシモン・ペテロとヨハネがいる場所へ報告しに走りました。 次に,ヤコブとヨセフの母マリアとゼベダイの子たち(ヤコブとヨハネ)の母サロメとクーザの妻ヨハンナ(スザンナや他の女性もいたかもしれません。ルカ8:3,24:10)が墓に来て,墓の中に入りましたが,イエス様のからだがなかったので途方に暮れていました。 すると,二人の天使が現れ,イエス様が復活されたことと,弟子たちは復活のイエス様とガリラヤで会えることを伝えました(マタイ28:5~7,マルコ16:5~7,ルカ24:1~8)。 女性たちは天使を見て恐ろしくはあったけれど大喜びで,急いで墓から離れ,弟子たち(ペテロとヨハネ以外の弟子たち)の所へ走って行きました(マタイ28:8,マルコ16:8)。 一方,ペテロとヨハネは,マグダラのマリアの報告を聞いて,墓に走って行き,ヨハネは「見て,信じた」のです(ヨハネ20:3~10,ルカ24:12)。 ペテロとヨハネは自分の所へ帰って行きましたが,マグダラのマリアは一人でまた墓に戻って来ました(ヨハネ20:9~15)。 マグダラのマリアは,イエス様の遺体が誰かに盗まれたと思い込んでいて,泣いていました。 そこで彼女は二人の天使を見ました。 また,彼女の後ろには復活されたイエス様が立っていましたが,最初はその人物がイエス様だとは分かりませんでした。 しかし「マリア」と名を呼ばれて,ようやくその人物が復活されたイエス様であると分かり,イエス様の足にすがりついて離そうとはしませんでした。 そこでイエス様から「これから天へ上って,サタンによって汚された天の至聖所のきよめをしなければならないから(エゼキエル28:18,ヘブル9:23),わたしから離れて,弟子たちにわたしの言ったことを伝えなさい」と言われました。 イエス様にすがりついたことで不安と深い悲しみが癒やされたマグダラのマリアは,大喜びでイエス様に言われたとおりに弟子たちの所へ行き,イエス様が話されたことを告げました(ヨハネ20:16~18)。 また,墓に他の女性たちがやって来ましたが,彼女たちも復活のイエス様に出会いました。 この時,イエス様は既に天の至聖所のきよめを終えられて,地上に戻られていました。 彼女たちはイエス様に近づき,イエス様の足を抱きしめ,恐れながら礼拝しました(マタイ28:9~10)。 そして彼女たちもイエス様に言われたことを伝えるために弟子たちの所へ行きました。 (この時,再びローマの番兵たちの物語が出てきます。 そして,サンヘドリンの陰謀により,「弟子たちがイエスの死体を盗んで行った」という,考えればすぐにデタラメだと分かる噂がユダヤ人の間に広まったのです。 マタイ28:11~15。) また,復活のイエス様を見たと言った女性たちの証言を,弟子たちが信じたかというと,誰も信じませんでした(ルカ24:9~11)。 ヨハネは「信じた」と自分で書いています(ヨハネ20:8)が,復活されたことだけを信じたのかもしれません。 いずれにせよ,ヨハネ自身も,イエス様が復活しなければならなかった意味に関しては,まだ理解していなかったのです(ヨハネ20:9~10)。 結局,弟子たちは,女性たちの証言では信じず,復活のイエス様に直接出会って,ようやく信じたのです。 しかし,弟子たちは復活のイエス様を見て,すぐに信じたわけではありませんでした(ルカ24:13~43)。 その様子を,ルカは生々しく描いています。 「彼らはおびえて震え上がり,幽霊を見ているのだと思った」(ルカ24:37), 「彼らが喜びのあまりまだ信じられず,不思議がっていた」(ルカ24:41)。

また,ヨハネ20:17には,「わたしにすがりついていてはいけません」(『聖書 新改訳2017』)という訳と,「私に触れてはいけない」(『聖書 聖書協会共同訳』)という訳の2種類の翻訳があります。 この翻訳について,ギリシア語の観点から私なりの考えを述べてみます。 (1)ギリシア語の原文は「メー・ムー・ハプトゥー(μή μου ἅπτου)」です。 (「μή」は否定の小辞,「μου」は1人称代名詞「ἐγώ」の属格単数,「ἅπτου」は「ἅπτω」の中動相「ἅπτομαι」の現在命令法・2人称単数。) これをニュアンスも含めて訳すと,「(すでにイエスにすがりついていたマリアに)『もうそれ以上すがりつくのはやめよ』」(織田昭著『新約聖書ギリシア語小辞典』初版,教文館,2002年,69頁)となります。 つまり,ギリシア語の文法から考えると,マグダラのマリアはイエス様のからだ(マタイ28:9から,おそらく足)にすがりついて離そうとしなかったということになります。 しかし,中川健一先生の説明によると,マグダラのマリアは,イエス様のからだに触れること自体を禁じられたことになります(参考文献:『メシアの生涯(204)―復活(2)―』)。 つまり,マリアがイエス様のからだに触れる前に「ストップ!」と言われたことになります。 ところが,このような,行為が実行される前に禁じられる場合は,ギリシア語の文法では「μὴ+現在命令法」ではなく,「μὴ+アオリスト接続法」が用いられます。 もしこの時,マリアがイエス様のからだに触れるという行為自体を禁止されたのなら,ギリシア語の原文はアオリスト接続法を用いて「メー・ムー・ハプセー(μή μου ἅψῃ)」となっているはずです(参考文献:織田昭著『新約聖書のギリシア語文法』初版,教友社,2003年,593頁,611~612頁)。 しかし,実際には現在命令法が使われています。 これをどう考えたら良いのでしょうか。 (2)中川先生は,贖罪の日の大祭司の規定をそのままイエス様に適用されていますが,私はイエス様の場合はちょっと違うのではないかと思います。 例えば,共観福音書には,イエス様が死んだ少女の手を取って生き返らせたという記録があります(マタイ9:25,マルコ5:41,ルカ8:54)。 しかし,モーセの律法(民数記19:11)には「誰でも死人に触れた者は七日間汚れる」と書いてあります。 もしイエス様も儀式的汚れを受けるのだとしたら,この死んだ少女に触れた時,イエス様は儀式的汚れを受けたはずです。 しかし,この時イエス様が儀式的汚れを受けたという記録は聖書にはありません。 つまり,イエス様の場合は,儀式的汚れを受けることはないと考えられます(参考文献:『使徒の働き(33)―ペテロの奉仕―』)。 この時のイエス様と似たようなことを,後にペテロがしましたが,ペテロは儀式的汚れを恐れて,死んだ女性には触れなかったようです(使徒9:36~42)。 つまり,人間の大祭司の場合は儀式的汚れを受けるので誰にも触れられてはならないけれど,イエス様の場合はそもそも汚れることがないお方なので,誰かに触れられたとしても儀式的汚れを受けないのではないかと思います。 (3)また,マリアに声をかけておきながら,からだに触れることを禁じるという「おあずけ」をイエス様が食らわせるとは,私には思えません。 イエス様の愛の深さを考えると,マリアにすがりつかせて,マリアの不安と深い悲しみを癒やされてから,天へ上り,天の至聖所のきよめをされたのではないかと思います。 イエス様が形式的な律法を守ることよりも愛の実践を優先されたことは,マタイ12:1~8にも記録されています。 そして,マリアは安心して,大喜びで弟子たちに知らせに行ったと思います。 (4)以上のことから,ヨハネ20:17の翻訳は「わたしにすがりついていてはいけません」が良いと思います。

四福音書の記録にはそれぞれ省略されている部分がありますが,調和して読むことができます。 イエス様の復活に関する記事には福音書記者たちの視点の違いが大きいので,調和して読むことが難しいのではないかと思います(参考文献:『メシアの生涯(203)―復活(1)―』『メシアの生涯(204)―復活(2)―』)。

「復活3:女の報告と弟子たちの反応」

佐倉氏は,「福音書の幾つかの記録に依れば,イエスの墓を見たマグダラのマリアは,そのことをイエスの弟子たちに報告します。しかし,マリアの報告の内容,およびその弟子たちの反応に関する福音書の記録はいちじるしい矛盾を示しています」と述べていますが,矛盾なく読むことができます。 詳細は「復活2:イエスの墓を見た女」をお読み下さい。

「復活4:イエスの顕現」

聖書をきちんと読むと,佐倉氏の言うような矛盾は何もないことが分かります。 (1)「マタイとルカのイエス顕現に関する記録の第一の矛盾」の間違いは,佐倉氏が勝手に「最初の」と書いていることです。 (「マタイによると,復活後のイエスの最初の顕現は墓から帰る途中の二人のマリアに起こりました」の「最初の」と,「ルカでは,イエスの最初の顕現は,同じ日に(「ちょうどこの日」),エマオという村に向かって歩いていた二人の弟子たちに起こります」の「最初の」。) 聖書の該当箇所を読んでも「最初の」とは書かれていないにもかかわらず,佐倉氏は聖書にない言葉を勝手につけ加えて「矛盾だ」と言っています。 (2)「マタイとルカのイエス顕現に関する記録の第二の矛盾」も,どこにも矛盾はありません。 弟子たちがガリラヤに行ったことは,ルカは書いていませんが,マタイが書いてくれています。 佐倉氏は,「省略されていること」を「ないこと」だと考えているようですが,それはただの勘違いです。 また,イエス様が「都にとどまっていなさい」と命じたのは,聖霊降臨が起こる時まではエルサレムにいなさい,という意味です。 マタイとルカの福音書は,互いに補い合うように読めます。 (3)「マタイとルカのイエス顕現に関する記録の第三の矛盾」の間違いは,イエス様は遍在の神であると分かれば理解できます。 佐倉氏は「ルカにとって,イエスの昇天と聖霊降臨は,主役の入れ替わりという大きな歴史的意味を持っているのです」と述べています。 しかし,ルカは,聖霊降臨以降も復活のイエス様が教会を通して働いておられたことを知っていました。 その証拠に,使徒の働き1章1節には「イエスが行い始め,また教え始められたすべてのこと」と書かれています。 ルカは,二つ目の書である使徒の働きで,「イエスが行い始め,また教え始められたすべてのこと」の続きを書いたのです。 つまり,主役が入れ替わったわけではないのです。 「マタイにとってイエスの昇天は無意味なのです」という佐倉氏の主張も,マタイの意図を全く理解していない証拠です。 マタイはイエス様の教えに重点を置いて福音書を書きました。 そもそも,福音書記者たちは,イエス様の伝記を書こうとしたのではありません

マルコの福音書16章については,「聖書伝承の不完全性2:信頼できないマルコ16章」を参照して下さい。 また,「マルコの福音書の短い結び」では,佐倉氏は「イエスは昇天しません」と述べていますが,これも単なる読み間違いです。 マルコの福音書の短い結びの後半には,昇天されたイエス様の働きが書いてあるのです。 私の経験上,「聖書は矛盾だらけだ」と主張している人たちは,聖書のことばに自分勝手な「つけ足し」をすることがよくあります。 聖書に書いてない言葉を勝手につけ加えて「矛盾だ」と主張する人は意外と多くいます。

復活されたイエス様の記事について,四福音書はそれぞれ違う視点で記録していて,互いに比較しても矛盾はありません。 (ただ,四つの福音書に書かれた全ての出来事を時間順に正確に並べて欲しいと言われても,当時のユダヤ人の文化を知らない限り,かなり難しいと思います。 少なくとも私には無理ですが,ハーベスト・タイム・ミニストリーズの中川健一牧師が『メシアの生涯』というメッセージ・シリーズ(全210回)で,四福音書の記録を時間順に並べて解説をされていますので,イエス・キリストの生涯を時間順に追って学びたい方は,『メシアの生涯』のメッセージ・シリーズを第1回から聴いてみて,何が正しいのかをご自分で考えてみて下さい。 全210回のメッセージの概要を手っ取り早く知りたい方のために,『メシアの生涯』のメッセージのタイトルと聖書箇所をPDFファイルにまとめてみましたので,よろしければダウンロードして,ご自由にお使い下さい。 四つの福音書の記録に矛盾などないことは,聖書をきちんと読めば分かると思います。 つまり,どの福音書の記録も信頼できるということです。) 全てを説明はしませんが,佐倉氏が読み間違いをしているだけです。 例えば佐倉氏は,ルカの福音書では,「復活したイエスはその日のうちに『ベタニヤ』で昇天し」と述べていますが,ルカの福音書のどこにも「その日のうちに『ベタニヤ』で昇天した」とは書かれていません。 また,使徒の働きの記録から,「復活したイエスの顕現はその四十日間に限られるのでなければなりません」と述べていますが,そんな必然性はどこからも出て来ません。 完全に論理の飛躍です。

復活されたイエス様の顕現を,できるだけ時間順に並べてみます。 1回目はマグダラのマリアに(ヨハネ20:11~18),2回目は女性たちに(マタイ28:9~10),3回目はエマオ途上の二人の弟子たちに(ルカ24:13~33),4回目はシモン・ペテロに(ルカ24:34,1コリント15:5),5回目はトマスを除いた使徒たちに(ヨハネ20:19~25,ルカ24:36~43)現れました。 ここまでは週の初めの日(日曜日)に起こった出来事です。 6回目以降は,復活されてから昇天されるまでの40日間に起こった出来事です。 6回目は8日後(次の日曜日)にトマスを含めた使徒たちに(ヨハネ20:26~29,1コリント15:5),7回目はガリラヤ湖畔で7人の弟子たちに(ヨハネ21:1~23),8回目は500人以上の信者たちに(マタイ28:16~20,1コリント15:6),9回目は主イエスの弟ヤコブに(1コリント15:7),10回目はオリーブ山で使徒たちに(ルカ24:44~52,使徒1:3~12,1コリント15:7)現れました。 (参考文献:『メシアの生涯(205)―復活(3)―』など。)

(1)パウロは,復活されたイエス様が昇天した後に,直接イエス様を見てもいます。 (使徒の働き9章3節,17節,27節,18章9~10節,22章18節,23章11節,26章16節,コリント人への手紙第一9章1節,15章8節参照。) 佐倉氏は「パウロはイエスの声を聞いただけです」と述べていますが,上記の聖句を読むと,佐倉氏の主張は間違っていることが分かります。 パウロの回心体験やアナニアの体験は,どこにでも転がっているような宗教現象ではありません。 佐倉氏のこの主張は,聖書の記録を信じないという前提に立って述べられているので,彼は論点先取の虚偽を犯していることになります。 (2)佐倉氏は「パウロによれば,三度目の顕現は『五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました』というものですが,これはどの福音書にも使徒行伝にも相当する記録はありません。しかも,パウロはこの手紙を書いている当時,その『大部分は今なお生き残っています』と主張しているのです。なぜ,これが福音書に記録されなかったのか」と疑問を感じているようです。 しかし,マタイの福音書28章16~17節を読むと,「疑う者たちもいた」と書いてあります。 既に復活したイエス様に出会っていた11人の弟子たちは疑うわけがありません(ヨハネの福音書21章12節参照)ので,「疑う者たち」とは,そのほかの弟子たちのことです。 (実際この箇所のギリシア語は,「彼らは礼拝したが,これに対し,ある者たちは疑った」と訳せます。 「これに対し」と訳せるギリシア語は δέ(デ)で,これは対照を表現する接続詞です。) つまり,この時,11人の弟子たち以外にも弟子たちがいて,復活したイエス様を初めて見た彼らは,11人の弟子たちが初めは信じなかったように,死んだはずのイエス様が復活されたことに驚いて,疑った,ということです。 さらにこの時,11人の弟子たちを含めた500人以上もの兄弟たち(弟子たち)がいたと考えることも可能かもしれません。 ただ,いずれにせよ,このパウロの記録が福音書や使徒行伝に書かれていなくとも,何の問題もありません。 少なくとも,コリント人への手紙でパウロが書いてくれていますから,私たちはこのような事実があったと知ることができます。 この手紙でパウロは,福音書記者たちが書いたイエス様の復活の記録は全て事実であり,その生き証人が当時まだたくさんいたことを示しているのです。 つまり,イエス様の復活が事実かどうか確かめたかったら,直接目撃した弟子たちに聞けば,いくらでも確かめることができますよと,パウロは言っているのです。 そして,イエス様の復活が事実であるという証拠として,当時の多くのクリスチャンが殉教の死を選んだことに,私たちは目を向けるべきです。 人は嘘のためには死ねないと思います(聖書が信頼できる理由参照)。 信じない者にならないで,信じる者になりましょう。

また,佐倉氏はこう述べています。 「イエスの顕現の記録について,ひとつ注目すべきものがあります。それは,後代に書かれたものほど,顕現の内容が具体的,豊富になっている,という事実です。各福音書,使徒行伝,パウロの手紙を,書かれた順序にならべてみると,最初に書かれたのがパウロの手紙,次がマルコ,そしてマタイ,ルカ・使徒行伝,最後にヨハネです」。 しかし,佐倉氏が並べた順序に従って,復活されたイエス様の顕現の記録を読んでみると,「後代に書かれたものほど,顕現の内容が具体的,豊富になっている,という事実」はありません。 例えば,ルカやヨハネの福音書には,マタイの福音書に書かれている「大宣教命令」(マタイ28:18~20)がどこにも記録されていません。 また,多くの学者が考えているように,マルコの福音書は16章8節で完結していたと考えるなら,マルコの福音書に復活のイエス様の顕現が全然記録されていないことになり,佐倉氏の言う「事実」とはまるで違うことになります。 (パウロの書簡のほうがマルコの福音書よりも,復活したイエス様の顕現に関する記録が多いということです。) また,パウロがコリント人への手紙で書いている,主イエスの弟ヤコブにも現れた(1コリント15:7)という記録は,他のどこにも書かれていません。 他にも調べれば,佐倉氏の主張するような「事実」は事実ではないことが分かります。

また,佐倉氏はこうも述べています。 「この事実は,復活したイエスの顕現の伝承が,初めは単純なものだったのが,時間がたつに連れて,枝葉が付けられて,だんだん具体的な話が追加されていったことを示しています。これは,どんな物語も,口承伝承で,人から人に伝わってゆくうちに,だんだん枝葉がついてゆくという,一般法則にも合致するものです」。 彼は「どんな物語も,口承伝承で,人から人に伝わってゆくうちに」と述べているのですが,ルカの福音書1章1~4節を読むと,次のように書いてあります。 「私たちの間で成し遂げられた事柄については,初めからの目撃者で,みことばに仕える者となった人たちが私たちに伝えたとおりのことを,多くの人がまとめて書き上げようとすでに試みています。私も,すべてのことを初めから綿密に調べています」と,ルカは書いているのです。 「多くの人がまとめて書き上げようとすでに試みて」いた中身はマルコやマタイの福音書に書かれている内容と同じだろうと思われますが,多くの人が書いていた内容に間違いがないかどうか,ルカは「綿密に調べて」,福音書と使徒の働きを書いたと考えられます。 そして,ルカはテオフィロ様に,「それによって,すでにお受けになった教えが確かであることを,あなたによく分かっていただきたい」と書いています。 つまり,ルカは佐倉氏の主張を否定しているのです。 また,使徒の働き1章3節によると,ルカは「イエスは苦しみを受けた後,数多くの確かな証拠をもって,ご自分が生きていることを使徒たちに示された」と書いています。 つまり,佐倉氏が言うように,「彼ら(弟子たちやパウロ)の証言は説得力のないもの」などではなく,「数多くの確かな証拠」がある歴史的事実だということです。 そして,復活され,今も生きておられるこのイエス様は,今も働いておられることを,私たちは弟子たちの証言から信じることができるのです(参考文献:『使徒の働き(2)―前書き(2)―』)。

「復活物語の調和化」

佐倉氏は,聖書は数多くの矛盾を含んでいて,その矛盾を解消するためにつじつまを合わせる解釈作業,すなわち「調和化」がなされたと主張しています。 そのために福音書には加筆や削除が行われていると主張するのですが,聖書を素直に読めば,どこにも矛盾は存在しません。 単に佐倉氏の読み間違いにすぎないことは,今までの項目で述べてきたとおりです。

私は佐倉氏のような不信者へ問いたいと思います。 私は原典(最初に書かれた書,原本)において,数字に至るまで一字一句たりとも聖書のどこにも間違いなど存在しないと信じていますが,あえて不信者の考え方にならい,次のように問いたいと思います。 「もし矛盾も間違いもどこにも見られない完璧な聖書があったら,あなたはその聖書に書かれているイエス・キリストを自分の救い主として,心の中に受け入れますか? あるいは,受け入れる気はありますか?」と。 この私の問いに,心から「はい」と答えられる人は,仮にいたとしても,ごく少数しかいないと思います。 つまり,ほとんどの不信者は,聖書がどれほど完璧な神様の自己啓示の書であったとしても,聞く耳を持とうとせずに,その聖書に書かれているイエス・キリストを受け入れないだろうと思います。 なぜなら,自分の行いが悪いからです(ヨハネの福音書3章19~20節参照)。 これが現実だと思います。 聖書に書かれているイエス・キリストを自分の救い主として受け入れ,信頼するには,聖書を隅から隅まで調べる必要はありません。 そんなことをして信じたクリスチャンは一人もいないと思います。 佐倉氏が行ってきた聖書批判は,イエス・キリストを信じたくない人が行う言い訳にすぎないと思います。 彼の言い訳に同調しないで,素直に聖書と向き合って欲しいと思います。 そうすれば,彼の批判が的外れであり,特にこだわる必要もない内容が多いと思えるようになると思います。 なぜなら,彼の聖書に対する見方(聖書観)は,完全に間違っているからです。

「『ユダの手紙』の著者の無知」

佐倉氏は,新約聖書のユダの手紙14~15節をエノク書1章9節からの直接引用としています。 (このエノク書は,旧約聖書と新約聖書の間の時代,すなわち中間時代に書かれた「旧約偽典」と呼ばれる文書の一つです。) ユダの手紙14~15節の内容は,他の聖書の記述,例えばマタイの福音書16章27節と同じことを言っているので,正しい記述(神様によって啓示されたもの)であると考えて良いのです。 「偽典」と呼ばれるものに書かれてある記述は全て間違いであるので読む価値がない,という考え方は間違っていると思います。 全体として神のことばとしての権威はなくても,正しい記述も含んでいる可能性があります。 それを判断するのは,真理の御霊である聖霊(ヨハネの福音書14章16~17節,26節参照)に導かれて書かれたものか,正典として認められている書の記録と矛盾しないかどうかによります。 ユダの手紙14~15節の内容は,既に正典として認められていた書の記録と矛盾しないものであり,聖霊によって真理だと教えられた(ヨハネの福音書15章26節参照)ので,ユダは手紙に書いたと考えられます。 また,ユダの手紙9節は旧約偽典「モーセの昇天」に書かれているそうですが,これも同様に,聖霊によって真理であると教えられて書かれたものと考えられます。

「アビアタルとアヒメレクを取り違えたマルコ」

狸さんの指摘により,マルコの福音書2章26節のアビアタル(アビヤタル,ヘブル語では「エブヤタル」)は,本当はアヒメレクのはずであると,佐倉氏も同意しています。 そして,マルコは二人を取り違えた,と述べています。 しかし,この問題はギリシア語の前置詞「エピ(ἐπί)」の用法を理解すれば簡単に解決します。

マルコ2章26節「大祭司エブヤタルのころ」の原文と文法事項は以下のとおりです。

原文ἐπὶἈβιαθὰρἀρχιερέως
文法事項
(辞書の見出し形)
前置詞無変化名詞名詞,属格・男性・単数
ἀρχιερεύς
逐語訳~のころアビアタル大祭司

「エピ(ἐπί)」という前置詞は,時を指す場合,二通りの用法があります。 (1)ぴったり「そのとき」を指す場合。例:使徒11章28節「クラウディウス帝の時に(ἐπὶ Κλαυδίου)」。 (2)「だいたいその辺りの頃」を指す場合。例:マタイ1章11節「バビロン捕囚のころ(ἐπὶ τῆς μετοικεσίας Βαβυλῶνος)」。 マタイ1章11節では,「バビロン捕囚のころ,ヨシヤがエコンヤを生んだ」と書かれていますが,エコンヤが生まれたのは祖父ヨシヤの治世で,バビロン捕囚はまだ起こっていませんでした。

マルコ2章26節の「エピ(ἐπί)」は(2)の用法です。 ユダヤ人にとって,ダビデの話全体の中で最も有名な大祭司はエブヤタルなので(列王記第一2章26節),エブヤタル(アビアタル)の名前が出されているだけです。 この時(サムエル記第一21章1~9節),エブヤタルがまだ大祭司になっていなかったとしても,マルコは間違ったことを書いているのではありません。 そして,この時の実際の大祭司が誰だったかは,また別の問題です。

マタイとルカの福音書にも並行記事があります(マタイの福音書12章1~8節,ルカの福音書6章1~5節)が,彼らは大祭司の名前について何も触れていません。 マタイとルカは,それは重要なことではないと考えただけでしょう。 (実際,重要なことではありません。)

また佐倉氏は,マルコの福音書1章2節はイザヤ書からの引用ではないことから,「マルコは旧約聖書引用に関してずぼらです」と述べています。 しかし,マルコは1章3節の「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ』」をイザヤ書(40章3節)からの引用であると言っているのです。 (現代人の感覚で言えば,2節と3節は,マラキ書3章1節とイザヤ書40章3節の,2箇所からの引用であると言うべきでしょう。) 既に「裏切り者ユダの死」の項目でも述べましたが,聖書はヘブル的解釈をしなければなりません。 マルコは預言者イザヤを代表として書いただけです。 聖書など,過去の文献はその当時の人たちが理解したように読まないと,佐倉氏のような大間違いをしてしまいます。

「『盲人癒しの物語』の矛盾」

佐倉氏は,マタイの福音書20章29~34節とマルコの福音書10章46~52節とルカの福音書18章35~43節の記述が矛盾していると主張していますが,当時の状況をきちんと理解すれば何の矛盾もないことが簡単に分かります。 当時,エリコは「旧約のエリコ」と「新約のエリコ」の二つがありました。 「新約のエリコ」はヘロデ大王が建設を始めたもので,「旧約のエリコ」の南方,数キロメートルの所に建設されました。 そして,マタイとマルコの福音書におけるエリコとは「旧約のエリコ」のことで,ルカの福音書におけるエリコとは「新約のエリコ」のことです。 したがって,イエス様が盲人を癒やしたのは,旧約のエリコを出てから新約のエリコへ行く途中の出来事だったのです。 また,イエス様が癒やした盲人の人数ですが,事実はマタイが書いているとおり,二人いたのでしょう。 マルコとルカはそのうちの一人に焦点を当てて書いただけです。 事実,マルコとルカの福音書には,盲人は一人「だけ」だったとは書かれていません。 したがって,盲人の人数に矛盾はないと言えます。 盲人の癒やしの方法については,イエス様は盲人の目を触り,ことばをかけたと考えれば良いだけのことです。 (この物語の詳細は,参考文献の『メシアの生涯(148)―バルテマイの癒し―』を参照。)

「『母の願いの物語』の矛盾」

佐倉氏は,マタイの福音書20章20~21節ではゼベダイの子たち(ヤコブとヨハネ)の母がイエスに願いをしているのに,マルコの福音書10章35~37節ではヤコブとヨハネが直接イエスに願い出ていて,これは矛盾であると主張しています。 しかし,マタイの福音書20章20節を読むと,「ゼベダイの息子たちの母が,息子たちと一緒にイエスのところに来て」とあり,22節ではイエス様は「あなたがたは…」と言っています。 つまり,イエス様はゼベダイの息子たち(ヤコブとヨハネ)に語りかけているのです。 よって,この話は母だけが願い出たのではなく,息子たち(ヤコブとヨハネ)も母と一緒に願い出ていることが分かります。 また,ゼベダイの息子たちの母の名はサロメと言います(マタイ27:56,マルコ15:40参照)が,このサロメは主イエスの母マリアの姉妹でした(マルコ15:40,ヨハネ19:25参照)。 つまり,ゼベダイの息子たちであるヤコブとヨハネは,主イエスの従兄弟(いとこ)に当たります。 その血縁関係を利用して,サロメは,息子であるヤコブとヨハネを神の国(メシア的王国)で特別扱いして欲しいと願い出たと考えられます。 一方,マルコは,ヤコブとヨハネに焦点を当てて書いただけです。 (わざわざ,「ゼベダイの息子たち」(マルコ10:35)と前書きをしたのは,ヤコブとかヨハネという名前はユダヤ人にはありふれた名前であり,さすがに省略してしまうと,どのヤコブとヨハネか分からなくなってしまうとマルコは考えたのではないかと思います。) そしてマタイ20:24とマルコ10:41に書いてあるとおり,この二人の権力と栄誉を求める抜け駆けに,他の十人の弟子たちは「腹を立てた」のです。 ただそれだけのことであり,矛盾はありません。

これと似たような記事がマタイの福音書8章5~13節とルカの福音書7章1~10節にあります。 この場合,マタイの記事によると,百人隊長がイエス様に直接話しているように書かれています。 しかし,ルカの記事を読むと,百人隊長はイエス様に対して使いの者を送って,間接的に自分の言葉を伝えています。 事実を書いているのはルカでしょうが,マタイは決して間違ったことを書いているのではありません。 ユダヤ的な理解では,主人の名によって送られた使者は,主人が直接来たのと同じだと見なされたからです。 ユダヤ人の習慣を知らない私たち異邦人にとっては矛盾に思える箇所ですが,ユダヤ的視点で読むと,何もおかしい点はないのです。 この箇所からも分かるように,マタイはユダヤ人を読者と想定して福音書を書いたことが分かります。

「『二人の強盗』の矛盾」

佐倉氏は,「福音書の記録によれば,イエスが処刑されたとき,二人の強盗が一緒に処刑されたことになっていますが,処刑される直前にイエスと二人の強盗の間に交わされた言葉のやりとりに関して,マルコやマタイの記述とルカの記述の間には矛盾があります」と主張しています。 しかしこの問題にも,実に簡単に解答できます。 まず,マルコの福音書15章27~32節とマタイの福音書27章38~44節では,強盗は二人ともイエス様をののしったと書かれています。 しかしルカの福音書23章32~43節では,一人の強盗は回心して,イエス様を信じるようになっています。 これは,マルコやマタイで省略された内容が,ルカの福音書には書かれているというだけのことです。

「ペテロの離反とイエスの予言」

佐倉氏は,「マタイやルカやヨハネの福音書によると,鶏が鳴くまでにペテロが三度イエスのことを知らないと言うだろう,とイエスは予言しました」が,「マルコの記述によると,鶏はペテロがイエスを知らないと一度言ったあと,すぐ鳴いてしまうのです」と述べて,イエスの予言は外れた,と主張しています。 しかし,これもただの読み間違いです。 福音書をそれぞれ完結した書として読めば分かるはずです。 (例えば,マタイの福音書はそれ自体の内部に何も矛盾はありません。) 参考までに,『聖書 新改訳2017』からマルコの福音書14章30節と72節を引用しておきます。

イエスは彼に言われた。 「まことに,あなたに言います。 まさに今夜,鶏が二度鳴く前に,あなたは三度わたしを知らないと言います。」
(『聖書 新改訳2017』マルコの福音書 14章30節)

するとすぐに,鶏がもう一度(直訳「二度目に」)鳴いた。 ペテロは,「鶏が二度鳴く前に,あなたは三度わたしを知らないと言います」と,イエスが自分に話されたことを思い出した。 そして彼は泣き崩れた。
(『聖書 新改訳2017』マルコの福音書 14章72節)

鶏が鳴く回数まで記録しているのはマルコだけです。 マルコはペテロから直接この話を聞いて書いたと思われます。 ここにも何の矛盾もありませんし,イエス様の預言(マルコの福音書14章30節)はそのまま成就したことが分かります。

また,中川健一牧師は次のように説明しています。 「『鶏が二度鳴く』とは,時間を示す用語です。 一番鶏は午前0時,二番鶏は午前3時です」(ハーベスト・タイム・ミニストリーズ『Clay』2016年4月号78頁)。 つまり,ペテロは午前0時前から午前3時前にかけて,三度イエスを否定した,ということです。 このペテロの失敗に関しては,参考文献の『メシアの生涯(191)―ペテロの失敗―』も参考になります。

「『ヨハネの第一の手紙』の間違い」

佐倉氏は,イエスの言われた「世の終わり」(『聖書 新共同訳』マルコによる福音書13章7節)が,ヨハネは既に来ていると勝手に思い込んでいたと主張しています。 この「終わり」についての解釈は非常に難解なので,まずはイエス様が語られた「世の終わり」の意味について説明します。 マルコの福音書13章でイエス様が語られた終末預言を一番詳細に記録しているのは,マタイの福音書24章です。 イエス様が語られた終末預言は,マタイの福音書24章3節から文脈をしっかり見ていかないと,混乱してしまうと思います。 なぜなら,イエス様は弟子たちの質問に対して順番通りに答えているわけではないからです。 したがって,問題を分かりやすくするために,イエス様が語られた「世の終わり」の意味と,ヨハネの手紙を書いた使徒ヨハネが言っている「終わりの時」の意味について,文脈を確認しながら,それぞれ整理して考えてみましょう。 (ユダヤ的理解から言えば,「世」は「この世」と「来(きた)るべき世」に分かれます。 「この世」が終わると「来るべき世」(メシア的王国)がやって来ます。 「世の終わり」とは,「この世の終わりが近い時代」,つまり「終末時代」を指しています。 参考文献:中川健一著『クレイ聖書解説コレクション「マタイの福音書」』紙版,ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,2016年,301頁。)

まず,弟子たちがイエス様に質問した「世の終わり」とは何を意味しているのでしょうか。 イエス様の解答は次のとおりです。 まず,偽(にせ)キリストが出現し,戦争や戦争のうわさを聞くことになりますが,これ自体は「世の終わり」が来たことの「しるし」ではありません。 これは教会時代(使徒2章の五旬節の日から携挙の時までの時代)に起こる一般的な現象です。 だから「まだ終わりではない」(マタイ24:6)と言われたのです。 それから,世界戦争,飢饉,地震が起こりますが,これが「世の終わり」の時代が来たことの「しるし」となります。 マタイ24:7の「民族は民族に,国は国に敵対して立ち上がる」という言葉は,旧約聖書やラビ文書の用例を見ると,ユダヤ的には「世界戦争」を意味しているそうです。 この戦争は,マタイ24:6に出てきた地域紛争とは根本的に異なる戦争です。 実際,第一次世界大戦(1914~1918年)は世界戦争そのものだったので,今は「世の終わり」の時代であると言えます。 この「世の終わり」と言われる時代がどれほどの期間続くのかは誰にも分かりません。

次に,ヨハネの手紙第一2章18節の「終わりの時」とは何を意味しているのでしょうか。 ヨハネは,「今や多くの反キリストが現れている」ことが「今が終わりの時であると分かります」と言っています。 ヨハネが言っている「多くの反キリスト」とは「誤った教理を広めている人たち」のことで,彼らはキリストの受肉やキリストの神性を否定するのが特徴です。 (具体的には,グノーシス主義やドケティズム(仮現論)を主張する人たちを指していると考えられます。) そしてヨハネが言った「今が終わりの時である」ということの根拠は,ペテロの手紙第二2章1節や,テモテへの手紙第一6章20~21節にあると思います。 ヨハネの手紙は紀元80年代の後半に(おそらくエペソで)書かれたと考えられているので,それ以前にペテロやパウロが「誤った教理を広めている人たち」に注意するように言っていたことを考えれば,ヨハネが「反キリストが来るとあなたがたが聞いていたとおり」だと言っているのは筋が通っています。 そして,この箇所での「終わりの時」とは,神の人類救済計画の最後の段階という意味です。 ヨハネは,いつ「終わりの時」が終わるかについては語っていません(参考文献:中川健一著『クレイ聖書解説コレクション「ヨハネの手紙第一・第二・第三」』紙版第1版,ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,2016年)。

また,ギリシア語の原文では,イエス様が語られた「世の終わり」(マタイ24:3)は「ヘー・シュンテレイア・トゥー・アイオーノス(ἡ συντέλεια τοῦ αἰῶνος)」と書かれていて,ヨハネが言った「終わりの時」(1ヨハネ2:18)は「エスカテー・ホーラー(ἐσχάτη ὥρα)」と書かれています。 つまり,それぞれ異なるギリシア語が使われていて,古典ギリシア語辞典を調べれば,意味も違うことが分かります。 (例えば,英語訳(NIVESV)では,イエス様が語られた「世の終わり」は「the end of the age」と訳されていて,ヨハネが言った「終わりの時」は「the last hour」と訳されています。) したがって,ヨハネは,イエス様の言われた「世の終わり」が既に来ていると勝手に思い込んでいたのではありません。 ちなみに,イエス様はマタイ13:39,13:40,13:49,28:20でも「世の終わり」ということばを使っていますが,これらの箇所でもマタイ24:3と同じギリシア語が使われています。 また,マタイ24章の並行箇所であるマルコ13:7とルカ21:9で「終わり(the end)」と訳されたギリシア語は,マタイ24:6,24:14の「終わり(the end)」と同じギリシア語「ト・テロス(τὸ τέλος)」で,「ト(τό)」は定冠詞,「テロス(τέλος)」は「終了」という意味です。 実際にギリシア語の原文を調べると,それぞれの言葉の意味がよく理解できると思います。

さて,まとめてみると,イエス様が語られた「世の終わり」とヨハネが言った「終わりの時」とは同じ意味ではないことが分かります。 ヨハネが手紙を書いた時代(紀元1世紀)は,イエス様が語られた「世の終わり」はまだ来ていませんでした。 ヨハネは当然そのことを理解していました。 なぜそう言えるのかというと,ヨハネは,イエス様が「世の終わり」について語られた時,その場にいて直接質問し,解答を聞いていたからです(マルコの福音書13章3~37節)。 イエス様の終末預言とヨハネの言葉が見事に調和していることからも,ヨハネはイエス様が語られた「世の終わり」のことを勘違いしていなかったことが分かります。 そして,私たちが生きている今も「終わりの時」が続いていて,「世の終わり」の時代もまだ続いているのです。 「終わりの時」も「世の終わり」の時代も,いつまで続くのかは誰にも分かりません。 これが結論です。 (イエス様が語られた終末論については,参考文献の『メシアの生涯(165)―オリーブ山での説教(1)―』から『メシアの生涯(169)―オリーブ山での説教(5)―』までを参照して下さい。)

「イエスの系図の間違い」

佐倉氏は,マタイの福音書1章の系図における第3のグループは13代しかない,という主張に賛同しているようですが,これは単なる数え方の間違いです。 第3のグループは,17節によると「バビロン捕囚からキリストまで」なので,エコンヤ(エホヤキン)が1代目になり,14代目がキリストになります。

「それではエコンヤは2回数えられていることになるので,おかしい」という反論が考えられますが,17節の数え方を読むと,この数え方で間違いないことが分かります。 第1のグループはアブラハムからダビデ王まで,第2のグループはダビデからヨシヤまで,第3のグループはエコンヤからキリストまでです。 この系図によって,イエス・キリストはアブラハムの子孫(つまり,ユダヤ人)であり,ダビデの子孫(つまり,王)であることを明確に示したいというマタイの意図が表現されています。 (この系図で「アブラハムの子」というのは,「ユダヤ人である」ということを意味しています。 そして「ダビデの子」とは,メシアの称号(タイトル)であり,「メシアは王である」ということを意味しています。 これはユダヤ人の専門用語(テクニカル・ターム)なので,そのことを知らない日本人がこの系図を読んでも,意味がよく分からないと思います。 重要なことは,聖書を読む時に現代人の感覚で読むのではなく,当時のユダヤ人が理解した方法で読むことです。 書かれた当時の読み方で解釈しなければ,聖書の本当の意味は理解できません。 このことは,あらゆる時代の,どの文献にも当てはまる,大原則です。)

マタイの福音書1章の系図で重要なことは,イエス様がどの系統から出ているのか,ということです。 この系図によると,マリアの夫ヨセフは,ダビデの子ソロモンの直系の子孫,エコンヤの子孫であることが分かります。 (ちなみに,この系図には省略があり,記されなかった人たちがいます。 例えば,ヨラムの後の王であるアハズヤ,ヨアシュ,アマツヤ。 また,ヨシヤの子でありエコンヤの父であるエホヤキム(エルヤキム)も書かれていません。 省略されている王に関する聖書箇所は次のとおり。 アハズヤ(2列王記8:26~9:29),ヨアシュ(2列王記12章),アマツヤ(2列王記14:1~22),エホアハズ(2列王記23:30~34),エホヤキム(2列王記23:34~24:6),ゼデキヤ(2列王記24:17~25:7)。 このように,マタイの福音書1章の系図には省略がありますが,マタイの意図を考えれば,すぐ後に書かれている人物が前の人物の直系の子孫であることが分かれば,それで良いのです。 なぜなら,マタイは系統を重視してこの系図を書いているからです。) しかし,エレミヤ書22章24~30節から,エコンヤの子孫からダビデの王座に着く者は出ないことが分かります。 つまり,もしイエス様がヨセフの本当の子なら,イエス様にはダビデの王座に着く権利はないのです。 ダビデの王座に着く権利がなければ,当然その人物にはメシアとなる資格はありません。 しかし,マタイはこのエコンヤ問題に対し,処女降誕の記事(18~25節)によって解答を示しました。 つまり,マタイは,イエス様はユダヤ人の王となる権利があることを示すために,この系図を書いたとも言えるのです。 (イエス様の系図については,参考文献のアーノルド・フルクテンバウム著/佐野剛史訳『メシア的キリスト論―旧約聖書のメシア預言で読み解くイエスの生涯―』(紙版,ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,2016年)の「付録3 ダビデの王位を継承するキリストの権利」で詳しく説明されています。)

マタイは福音書を書くにあたり,どのように書き始めれば良いか,とても悩んだと思います。 系図を最初に持ってきたのは,第一にユダヤ人の心をしっかりとつかみたいと考えたからでしょう。 なぜなら,ユダヤ人にとって,系図は非常に重要だからです。 (旧約聖書を読むと,たくさんの系図が出てきますが,これらは系図の重要性を示していると考えられます。 例:エズラ記2章59~62節,ネヘミヤ記7章61~64節。) そして,この系図と(ヨセフの視点による)処女降誕の記事によって,イエス様はユダヤ人の王であり,メシアであるという証拠を提示しているのです(参考文献:『メシアの生涯(5)―2つの系図―』)。

また,佐倉氏はこの系図の「間違い」から,「福音書は,真実を知らせるための書ではない」と述べていますが,このような結論はこのテーマのどこからも導かれない,飛躍した論理です。

「汚れた霊に取り付かれた男の数の矛盾」

佐倉氏は,平田修氏の指摘通り,「汚れた霊に取り付かれた男の数に矛盾がある」と主張しています。 その「矛盾」とやらの聖書箇所は次のとおりです。 マルコの福音書5章2節,ルカの福音書8章27節,マタイの福音書8章28節。 これらを説明しておくと,マタイは二人の悪霊つきが墓場にいたと書いているのに対し,マルコとルカでは悪霊つきは一人だけの記述になっています。 しかし,これらは矛盾と言えるでしょうか。 マルコとルカは,悪霊につかれた人のうち,より重傷だった人に焦点を当てて,詳しく書いただけのことです。 より重傷だった人が癒やされたのなら,症状の軽い人が癒やされるのは言うまでもないですよね,という論法です。 (マルコとルカの福音書に比べて,マタイの福音書では簡単な記述になっています。 この話の並行箇所では,マルコが一番詳しく書いています。) いずれにせよ,単なる視点の違いにすぎません。 ただそれだけのことであり,この記事に矛盾はありません。

マタイでは「ガダラ人の地」と書いてあり,マルコとルカでは「ゲラサ人の地」と書いてありますが,これも矛盾ではありません。 ガダラは地域の名前でゲラサは町の名前です(参考文献:『メシアの生涯(75)―悪霊につかれたゲラサ人の癒し―』)。 ゲラサという町の名前に関して『新聖書辞典』(いのちのことば社,1985年)から補足しておきます。

この地名は2つの異なる都市に関係している。 一つはトランス・ヨルダンにあり,ヨルダン川の東約30キロにあるデカポリスの一つゲラサ,現在のジェラシュで,もう一つはガリラヤ湖東岸の町ゲルゲサである。 福音書に出てくるのはこちらの町であろう。
(『新聖書辞典』いのちのことば社,1985年,448頁)

「FAQ」

4番目の質問「翻訳書や写本の間違いを指摘しても,本来の聖書の批判にはならないのではありませんか。」の「河村さんへ」の中で,佐倉氏は「矛盾した,二重の論理(タテマエとホンネ)が共存している」と述べていますが,どこにも矛盾はありませんし,二重の論理もありません。 佐倉氏の言う「タテマエ」と「ホンネ」について,引用しておきます。 (これは久保有政氏の「レムナント誌」を読んで書かれた,佐倉氏の主張です。)

(a)外部から聖書の矛盾を指摘されたときに使用される,聖書の無謬性を守るための護教用の論理が,「正しいのは原本だけ,写本訳本には間違いがある」という外的論理(タテマエ)です。
(b)信仰仲間(レムナント誌の読者)のために,聖書の信頼性を語るための論理が,「私たちが今読んでいる聖書は,ほぼ原本の内容そのまま」という内的論理(ホンネ)です。
(「写本・訳本問題」)

(a)と(b)は矛盾していません。 100パーセント完璧なのは原本だけであり,現存している写本や翻訳された聖書には,教理に影響しないような数字の誤写や名前の誤写が,ほんの少しあるくらいです。 したがって,今私たちが読んでいる聖書は,ほぼ原本の内容そのままと言えるのです。 (ただし,翻訳された聖書の場合は,原文の細かいニュアンスを全て訳出することはできません。 ゆえに,翻訳で物足りないなら,原文を直接読まれることをお勧めします。)

既に失われた原典(最初に書かれた書,原本)には誤りは全くないことは,キリストの使徒パウロが保証しています。 テモテへの手紙第二3章16節に,「聖書はすべて神の霊感によるもの」と書かれています。 この聖句の詳しい説明は「聖書伝承の不完全性1:カインの言葉」をご覧下さい。 (この聖句での「聖書」とは,第一義的な意味は,現在私たちが手にしている66巻から成る聖書のことではなく,旧約聖書のことです。 15節で,パウロはテモテに「幼いころから聖書に親しんできた」と言っていることから,旧約聖書のことだと分かります。 そして,その適用として,新約聖書も含めて考えて良いと言えます。 なぜなら,27巻から成る新約聖書には使徒的権威があるので,神のことばとしての権威があります。 使徒的権威というのは,使徒の権威のことです。 使徒の権威はキリストの権威と同等とみなされるので,使徒的権威のある書物,つまり使徒が書いた書物や使徒が認めた書物には神のことばとしての権威がある,ということです。) この「霊感」という言葉の意味を正しく理解することは非常に重要なので,聖書入門.comの「聖書には誤りは含まれていないのですか?」をよく読んでご理解いただければ幸いです。

天理教や大本教などで言われる「御筆先(おふでさき)」と,聖書が教える「霊感」との違いについて,もう少し補足説明をしておきます。 「御筆先」というのは,教祖がその宗教の神(聖書の神ではない)のお告げを書き記したと言われる文書のことです。 その場合,記者はその神の啓示を書き記す道具になっているだけであり,自由意志が全くない機械と同じ状態になっているのです。 つまり,その神は人間が持っている自由意志を用いながら,自分の教えを誤りなく書かせることもできない低レベルの存在にすぎません。 ということは,その神は全能の神ではなく,不完全な存在だということになります。 一方,聖書の神は全能の神なので,人間の自由意志を用いながら,ご自身の教えを誤りなく書かせることができたのです。 これが,聖書に書かれている「霊感」という言葉の意味です。 もっと詳しく説明すると,聖霊が働いている時にも人間は常に自由意志を持っていて,その自由意志によって人間は判断し,決断しているのです。 聖書記者たちは,神様から与えられている個性的な自由意志を用いながら,真理の御霊(みたま)である聖霊の導きに従って,神のことばを誤りなく書き記すことができたのです。 佐倉氏はこの点が理解できないようです。 例えば,イエス様が心の扉を叩いているにもかかわらず,人間がそれを無視し続けている場合,イエス様はその人に働かなかったと言えるでしょうか。 また,聖霊が真理を教えようとしているのに,人間がそれを無視し続けている場合,聖霊はその人に働かなかったと言えるでしょうか。 佐倉氏はこの点を理解していません。

また,「神の霊感によるもの」は原典だけであることについても補足説明をしておきます。 もし仮に,写本や翻訳も「神の霊感によるもの」なら,異なる部分のある写本や翻訳が全て誤りなき神のことばとなり,どれが本当の神のことばなのか分からなくなってしまいます。 正しい神のことばは一つだけですから,そう考えると,「神の霊感によるもの」は原典だけであると結論づけなければなりません。 テモテへの手紙第二3章16節は,そのことを保証しているのです。 また,聖書は,聖書の写本や翻訳が誤りなく書かれることを保証していません。 よって,人間はその不完全な自由意志により,写本を写し間違えたり,誤訳してしまうことがあるのです。 以上のことから言える結論は,「聖書は原典において,誤りなき神のことばである」ということです。 ここで注意していただきたいことは,写本に写し間違いがあったり翻訳に誤りがあっても,聖書の重要な教理を否定してしまうほどの大問題にはなっていないということです。 そのことは,このページで私が最初から説明してきたことをご理解していただけるなら,よく分かると思います。 つまり,私たちは翻訳された聖書を安心して読むことができるということです。

また,「狸さんへ」の中で,「『神人混合体』を意味するメシヤ思想は本来の聖書の伝統には見えません」と述べていますが,それも間違いです。

(1)創世記4章1節でエバは「私は,によって一人の男子を得た」と言いましたが,この箇所のヘブル語聖書の直訳は「私は一人の男子,ヤハウェを得た」となります。 (「によって」という翻訳は七十人訳聖書の「ディア・トゥー・テウー(διὰ τοῦ θεοῦ)」(訳すと「神によって」)というギリシア語を参考にしたものです。) 一人の子が人であり神である,その子が私に与えられた,とエバは言っているのです。 創世記3章15節で神様は救い主(メシア)を送ることを約束されました。 エバはその約束がすぐ成就すると思ったので,産まれた子(カイン)がメシアではないかと思ったのです。 エバのメシアに関する理解は正しかったのですが,適用が間違っていました。 つまり,カインはメシアではなかったことを,エバは後ほど知るようになります。 それは,次に生まれた男の子にアベル(「空しさ」という意味)という名前をつけたことから分かります。 したがって,佐倉氏の主張である「『神人混合体』を意味するメシヤ思想は本来の聖書の伝統には見えません」というのは間違いなのです。

(2)その証拠はイザヤ書にも見られます。 まず,旧約聖書によれば,メシアは人間として生まれるということに異議を唱えることはできません。 (創世記3章15節,49章10節,歴代誌第一17章10b~14節,ミカ書5章2節,イザヤ書9章6節,53章,ダニエル書9章25~26節,ゼカリヤ書12章10節など参照。) よって,メシアは神でもあるのかどうかを見てみます。 イザヤ書9章6節(『聖書 新共同訳』と『聖書 聖書協会共同訳』では9章5節)には有名なメシア誕生の預言があります。 この聖句では,メシアははっきりと「力ある神」と書かれています。 つまり,イザヤ書の預言によると,メシアは人間でもありながら神でもあることになります。

(3)ここで,「神である」ではなく,「神のようである」とイザヤは言ったのだというおかしな理屈をこねる人がいるかもしれませんので,それは間違いであることを言っておきます。 イザヤは,はっきりと「神」と預言しています。 また,イザヤはユダヤ人なので,当然,モーセの十戒(そしてそれが神のことばであること)を知っていました。 モーセの十戒では,まことの神様以外のものを「神」と呼んではならないとされています。 実際,ユダヤ人は律法(ミシュナ的律法)に違反することを恐れて,「神」という言葉を使いたがらないそうです。 (ユダヤ人向けに書かれたマタイの福音書を読むと「天の御国(みくに)」という言葉が出て来ますが,この言葉は「神の国」と同じ意味です。 マタイはユダヤ人に配慮して福音書を書いたことが,「天の御国」という言葉を使っていることからも分かります。) したがって,預言者イザヤは,単なる人間や天使や被造物を「神」と言うわけがありません。 イザヤは,メシアは人間として生まれるが,神でもあることを,神様ご自身から啓示されたのです。 その啓示を,イザヤは謙虚に受け取り,そのまま預言したのです。

(4)また,ゼカリヤ書13章7節にも根拠を見つけることができます。

剣よ。目をさましてわたしの牧者を攻め,わたしの仲間の者を攻めよ。――万軍のの御告げ――牧者を打ち殺せ。 そうすれば,羊は散って行き,わたしは,この手を子どもたちに向ける。
(『聖書 新改訳』第3版,ゼカリヤ書 13章7節)

(1)「剣よ。目をさましてわたしの牧者を攻め,」。 「剣よ」は,暴力的死の手段の擬人化です。 死ぬということは,メシアが人間性を持っていることを示しています。 (2)「わたしの仲間の者を攻めよ」。 「仲間の者」とは,「私の同僚」「私と同じ地位にある者」を意味します。 つまり,父なる神とメシアが同等の地位にあるという意味です。 この言葉は,メシアの神性を示しています。 メシアは,神性と人間性をともに持ったお方です。 (3)「牧者を打ち殺せ。そうすれば,羊は散って行き,わたしは,この手を子どもたちに向ける」。 牧者(メシア)の死は紀元30年に起こりました。 羊が散らされる出来事は,紀元70年に起こりました。 エルサレムは崩壊し,イスラエルの民は世界に離散する民となりました。 この悲劇は,罪のない人たち(子どもたち)をも襲いました。
(中川健一著『クレイ聖書解説コレクション「ハガイ書,ゼカリヤ書,マラキ書」』紙版第1版,ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,2017年,122頁)

その他にも,メシアが神でもあり人でもあることを示す聖書箇所がいくつもありますが,その詳細については,参考文献に挙げたアーノルド・フルクテンバウム著/佐野剛史訳『メシア的キリスト論―旧約聖書のメシア預言で読み解くイエスの生涯―』(紙版,ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,2016年)を参照して下さい。 フルクテンバウム博士は,代々続くユダヤ教のラビの家系に生まれ,幼い頃より旧約聖書の教育を受けて育ったユダヤ人の聖書学者で,イエス様をメシアと信じるメシアニック・ジューとして世界的に評価されています。 この本一冊を学ぶだけで,キリスト論や三位一体論や,新約聖書における旧約聖書の聖句の引用問題が一挙に解決すると思います。

6番目の質問「クリスチャンをやめたそうですが,棄教後の気持ちを聞かせて下さい」で佐倉氏は,クリスチャンであった時,「神やキリストや未来の世界などについて,本当は自分は何も知らないくせに,あたかもなにか知っているかのごとく確信しふるまわなければならな」かったとか,「本心から信じることのできない様々なキリスト教ドグマを,自らの救いのために,あれこれとアクロバット的な正当化を施して信じなければならないやましさ」があったと述べています。 しかし,本当に救われたクリスチャン(新生したクリスチャン,ボーン・アゲイン・クリスチャン)だったら,そのような知ったかぶりや盲信をすること自体がおかしいのです。 なぜなら,見栄(みえ)を張って知ったかぶりをすることは,自分を欺くという罪だからです。 佐倉氏は自分のことを元クリスチャンと言っていますが,本当に元クリスチャン,つまり,本当に福音を信じて救われたかどうか,大変疑問に思います。 クリスチャンになったら,知らないことまで知ったふりをしなければならないと考えるのは間違いであり,罪です。 分からないことは素直に「分かりません」と言えば良いし,謙遜になって,牧師や他のクリスチャンに「教えていただけませんか?」と質問すれば良いのです。 それでも分からない時は,祈ったり,難しい問題なら一時的に頭の片隅に閉まっておくと,後々ふと理解できることがあります。 佐倉氏はなぜそうしなかったのでしょうか。 佐倉氏の信仰は本物ではなかったのでしょう。 つまり,本当は救われていないのに,自分は救われたと思い込んでしまったのだと思います。 したがって,佐倉氏は「元クリスチャン」ではなく「自称元クリスチャン」である可能性が非常に高いと思います。 そうでなければ,聖書の基本中の基本を「間違いだ」などと言うはずがありません。 残念ながら,佐倉氏は聖書を完全に誤解・曲解しています。 そもそも,佐倉氏は何をどのように信じたのでしょうか。 彼の証言を聞くと,彼は福音(第一コリント15章1~4節参照)を理解せず,本心からは信じていなかったようです。 そして彼は,自分を偽ることがばかばかしくなって,「信仰を捨てた」と言っているのだと思います。 本当に残念です。 佐倉氏が謙遜になって正しい聖書解釈を学び(聖書理解の難しさ参照),神様と和解し,罪からの解放という本当の喜びや,この世が与えるものとは違う,まことの神様が与えて下さる心からの平安を,身を持って体験して下さることを願っています。

「結論」

結局,佐倉氏は,聖書とは何か(「聖書は書き換えられたか」参照),聖霊の働きとはどういうものか(「FAQ」参照)を理解しようとせず,聞く耳を持たなかったので,「聖書は真理の根拠にも権威にもなり得ません」という間違った結論を出されました。 彼の一番の問題点は,その傲慢な心の在り方にあります。 彼は傲慢になって,自分が今持っている枠組みの中で,自分に引きつけて聖書を理解しようとしました。 このような自己中心的な理解の仕方は間違っています。 聖書は,書かれた当時の人たちが理解したように読む必要があります。 そうして初めて,聖書を正しく理解できるようになるからです。

「天の父なる神様。 どうか佐倉哲さんのような方々が,心砕かれて,あなたに拠り頼みながら聖書を正しく理解して下さいますように。 そして,あなたに信頼を置くことによって与えられる心からの平安,喜び,自由,罪からの解放を体験し,また,終末論を学ぶことによって永遠のいのちの確かな希望を持って下さいますように。 主イエス・キリストの御名によって,お祈り致します。 アーメン。」

最後に,既にクリスチャンとなられている方々へ,励ましの言葉を贈りたいと思います。 イエス・キリストの使徒,シモン・ペテロのことばです。

ですから,愛する者たち。 これらのことを待ち望んでいるのなら,しみも傷もない者として平安のうちに神に見出していただけるように努力しなさい。
また,私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。 愛する,私たちの兄弟パウロも,自分に与えられた知恵にしたがって,あなたがたに書き送ったとおりです。
その手紙でパウロは,ほかのすべての手紙でもしているように,このことについて語っています。 その中には理解しにくいところがあります。 無知な,心の定まらない人たちは,聖書の他の箇所と同様,それらを曲解して,自分自身に滅びを招きます。
ですから,愛する者たち。 あなたがたは前もって分かっているのですから,不道徳な者たちの惑わしに誘い込まれて,自分自身の堅実さを失わないよう,よく気をつけなさい。
私たちの主であり,救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。 イエス・キリストに栄光が,今も永遠の日に至るまでもありますように。
(『聖書 新改訳2017』ペテロの手紙 第二 3章14~18節)

「殺せ!と神が命じるとき」

佐倉氏はキリスト教関連エッセイの一つとして「殺せ!と神が命じるとき」というテーマについても書いていますが,これについても反論してみます。 まず,佐倉氏の言う「神」とは具体的にどんな神なのかを限定して考えなければ,このエッセイは無意味になりますので,以下では「神」を聖書の神に限定します。 (つまり,統一教会の存在しない「神」や,エホバの証人の「エホバ」や,モルモン教の「神」や,オウム真理教の教祖のような神格化されたただの人間ではない,ということです。)

神様が殺人を命じられたのは旧約時代(モーセの律法が有効だった時代)のことであり,新約時代(モーセの律法が,イエス様の十字架上の死によって無効になった時代)には,神様による殺人命令はありません。 新約聖書を読めば誰でも分かると思いますが,神様による殺人命令など,新約聖書のどこにも登場しません。 (モーセの十戒と新約時代の戒めの関係参照。)

クリスチャンの戦いは,「悪魔の策略に対して堅く立つことができるように,神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく,支配,力,この暗闇の世界の支配者たち,また天上にいるもろもろの悪霊(あくれい)に対するものです」(エペソ人への手紙6章11~12節)とあるように,悪魔(サタン)や悪霊どもとの霊的な戦いであり,人間に対する戦いではありません。 また,クリスチャンの戦いは,自分の罪の性質との戦いでもあります(ヘブル人への手紙12章1~13節参照)。 よって,クリスチャンでありながら意図的に殺人を犯した者は,たとえそれが神様の名によって行われた宗教戦争だったとしても,必ずその罪の刈り取りをすることになります(ガラテヤ人への手紙6章7節参照)。 これが聖書の教えです。 (ただし,当たり前ですが,正当防衛や故意でない殺人の場合には,神様による憐れみがあると思います。 出エジプト記21章13節,民数記35章10~15節,22~28節,申命記19章1~10節,ヨシュア記20章参照。)

では,「旧約時代における,神様による殺人命令をどのように考えるのか」という問いに対して,私なりの回答をしてみます。

(1)まず最初に,旧約聖書における神様の殺人禁止の命令を正確に理解するために,原語のヘブル語から具体的に説明します。 イスラエルに与えられた十戒(じっかい)の「殺してはならない(לֹא תִרְצָח)」「Thou shalt not murder.」(出エジプト記20章13節,申命記5章17節)で使われている「殺す」という意味のヘブル語は「ラーツァフ(רָצַח)」です。 よって,ヘブル語を使ってこの命令を言い直せば「あなた(イスラエル)は決してラーツァフしてはならない」あるいは「あなた(イスラエル)は決してラーツァフしないでしょう」となります。 これがヘブル語聖書(旧約聖書)における神様の基本的な殺人禁止命令です。 「ラーツァフ(רָצַח)」は『新実用聖書注解』213頁によると,「血の報復を求めるような殺人という意味から,憎しみや悪意といった個人の感情に基づいて加えられる暴力的行為という広い意味まであるが,動物を殺害することや戦争における殺人には用いられない」とあります。 実際に,佐倉氏が例として挙げている聖句(民数記25章,31章,申命記7章1~2節,20章10~17節,ヨシュア記6章16~21節,8章1~26節,10章22~26節,10章29節~11章15節)における殺人では,「ラーツァフ(רָצַח)」は使われていません。 (動物を殺す)レビ記20章15節,(戦で人を殺す)民数記31章7節,8節,17節,ヨシュア記8章24節,10章11節など,(法により人を殺す)出エジプト記32章27節,レビ記20章15節,16節,民数記25章5節,申命記13章9節(『聖書 新共同訳』と『聖書 聖書協会共同訳』では申命記13章10節)などでは,「ハーラグ(הָרַג)」(「殺す」という意味)というヘブル語が使われています。 ヨシュア記10章26節では「ムット(מוּת)」(「殺す」という意味)というヘブル語が使われています。 また,新改訳聖書で「聖絶(せいぜつ)する」と訳されているヘブル語は「ハラム(חָרַם)」で,申命記7章2節,20章17節,ヨシュア記2章10節,6章18節,21節,8章26節,10章1節,28節,35節,37節,39節,40節,11章11節,12節,20節,21節などで使われています。 「聖絶」と訳されている名詞は,ヘブル語で「ヘレム(חֵרֶם)」で,申命記7章26節,ヨシュア記6章18節,7章1節,11節,15節などで使われています。 (「聖絶」の詳しい意味は,参考文献に挙げた『新聖書辞典』の「せいぜつ」の項を参照して下さい。) 以上のことから,モーセとヨシュアは「ラーツァフ」していないので,彼らの行為は十戒の命令違反ではありません。 (ちなみに,佐倉氏は,イスラエルに対する重要な聖句をわざと省いて,読者に神様への反感を抱かせようとしているのではないかと思います。 その重要な聖書箇所は,例えば,申命記4章25~40節,6章4~25節,7章6節~8章20節,10章12~22節,12章31節,18章9~12節,20章18節,30章です。 これらの箇所を読んで,イスラエルに対する神様の本当のみこころに触れていただきたいと思います。)

(2)次に,旧約聖書の文脈から「殺す」という言葉の実質的な意味について考えてみます。 (文脈を無視すると,必ずおかしな考えが出て来るので,注意して下さい。) そもそも十戒の「殺してはならない」は,殺人の全否定ではありません。 なぜなら,出エジプト記32章27節を読むと,「殺してはならない」と言われた神様は,モーセを通して悪いイスラエル人を殺すように命令しておられるからです。 神様が彼らを殺すように命令した理由は,彼らが金の子牛を造り礼拝したからです(出エジプト記32章35節)。 他にも,例えばレビ記20章を読めば,死刑に当たる罪がたくさん書かれています。 したがって,十戒の「殺してはならない」は殺人の全否定ではありません。 つまり,神様の命令により,殺してはならない場合と殺さねばならない場合があるということです。

(3)カナンを占領するのは神様の戦いであり,人間の勝手な思いによって起こされた戦争ではありません。 カナン征服戦争は,イスラエルを祝福するために,神様が起こされた戦いでした(申命記1章30節,3章22節,ヨシュア記10章14節,42節,23章3節など参照)。 ヨシュアに率いられたイスラエル人は,カナンの先住民たちに対する神様のさばきの器として用いられ,神様の代理人として戦ったのです。

(4)神様がカナンの先住民たちを追い出そうとした理由を考えてみます。 ①第一に,彼らは神様のみこころに反する非常に悪い人々でした。 カナンの先住民たちが,どのような「忌みきらうべき風習」を行っていたかは,レビ記18章,20章1~23節に詳しく書かれていますので,是非一度お読み下さい。 彼らは,今日の私たちの道徳的な感覚から考えても,到底容認できないレベルの悪事(近親相姦,獣姦,自分の子どもをいけにえとして火で焼くなど)を行っていました。 それだけでなく,カナンの先住民たちには悔い改めの期間として,400年もの長い時間が与えられていました(創世記15章13~16節参照)。 神様はこんなにも長い間,彼らにご自身の怒りを下すことを忍耐されたのです。 400年もの間,神様による恵みが与えられていたにもかかわらず,彼らは悔い改めようとはしませんでした。 したがって,彼らには申し開きの余地はないのです。 ただし,エリコの町の遊女ラハブは,イスラエルの神に対する信仰のゆえに生かされました。 それどころか,彼女はメシアの系図に属する女性とされました(マタイの福音書1章5節)。 神様は,決して非情な暴君ではないのです。 (ヨシュア記2章,6章17節,22~25節,ヘブル人への手紙11章31節参照。) ②第二に,イスラエル人の父祖であるアブラハム,イサク,ヤコブに対して誓った契約(アブラハム契約)のためでもありました。 申命記9章4~5節に書いてあるとおり,イスラエル人が神様の目に正しかったわけではありません。 覚えておくべきなのは,聖書の神こそ世界の主権者であり,歴史を支配しておられるお方であり,人知を超えた愛をもって人間を祝福して下さる恵み深いお方だということです。 と同時に,神様は悪者を放置したままにはなさらないお方であることも知っておく必要があります

(5)しかしながら,「アイの住民にしたような皆殺しは,やりすぎではないか」と考える人もいると思います(ヨシュア記8章参照)。 そのように思うのも無理はないと思います。 しかし,人のいのちの所有権は神様にあるのであって,人にあるのではありません。 神様が人にいのちを与えられるのであり,人が自分の力で自分のいのちを創造することはできません。 人のいのちも,人が生きることができるのも,全て神様から与えられた恵みです。 このことをよく覚えておく必要があると思います。

(6)結論は次のとおりです。 モーセやヨシュアの行為は自分勝手なものではなく,世界の主権者である真(まこと)の神様の命令に従った行為なので,罪ではありません。 そして,彼らによって殺された人たちに対しては,神様が公正なさばきを行い,責任を持って彼らを取り扱って下さると信頼しましょう。 事実,神様は信頼できるお方です。

そもそも人間は,いつ神様に殺されても仕方がないほど罪にまみれた存在です(ヨブ記25章5~6節参照)。 例えば創世記には,ノアの時代に,神様に立ち返らなかった人々全てが洪水によって滅ぼされ,信仰によって神様に応答したノアたち8人だけが生き残ることを許されたと書かれています(創世記6章1節~9章19節参照)。 同様に,神様がモーセに殺人を命じられたのは,相手が神様のみこころに反する非常に悪い人々だったからです。 しかし,現在において,神様が「殺せ!」と命じられることがあり得るのかと言うと,前述したようにあり得ません。 もし霊的存在によって「殺せ!」と言われたとしたら,その霊的存在は神様ではなく,悪魔(サタン)か悪霊です。

佐倉氏は「『敵を愛せよ』と教えるクリスチャンが,聖書の神の殺人命令を否定することに,いかに非力であることか!」と述べていますが,これは単に彼自身が聖書や,聖書の神のご性質(完全なる愛,完全なる聖,完全なる義)を全く理解していないだけです。 聖書の神のご性質を理解することは大変重要です。 聖書の神のご性質を理解したくない人は,佐倉氏と同じような考えを持ってしまうと思います。 また彼は「キリスト教のおこなってきた異端狩りや宗教戦争や新大陸侵略」と述べていますが,これらは聖書解釈を間違えた,あるいは,神様のみことばを自分たちに都合良く利用した「人間」が行ったのであり,「キリスト教」が行ったのではありません。 佐倉氏は「キリスト教」と「キリスト教徒」の区別ができないのでしょうか。 それとも,区別したくないのでしょうか。

この項目において,佐倉氏はオウム真理教を例に挙げていますが,キリスト教とオウム真理教を並列にして論じるのは的外れです。 なぜなら,キリスト教には信頼に足る根拠が充分にあります(聖書が信頼できる理由参照)が,オウム真理教には信頼できる根拠が全くありません。 オウム真理教は人々を洗脳する破壊的カルト(精神的・肉体的な暴力によって人々の判断力を失わせ,心理を操作する集団)であるのも,キリスト教とは全く異なる点です。 佐倉氏は「聖書における神の殺人命令を否定することのできないクリスチャン,もっと一般的にいえば,人間的判断より神の意思を先行させる信仰原理を信奉する者には,麻原の命令にしたがって殺人を犯したオウム信者を根本的に批判することはできません」と述べていますが,これも根本的な間違いです。 麻原は宇宙を創造したこともなければ,世界の歴史を支配したこともありません。 彼は選挙にさえ勝てなかった,弱い,ただの一人の人間にすぎません。 しかし,聖書の神は宇宙を創造し,世界の歴史を支配しておられる唯一のお方です。 したがって,聖書の神と麻原を比較したり,クリスチャンとオウム信者を比較して論じるのは,完全に的外れです。 表面だけを見るのではなく,実質を見るべきです。

聖書によると,「神様を第一にした生き方をすれば,必要なものは全て与えられる」と書いてあります(マタイの福音書6章33節,22章37~40節,11章29節など参照)。 この約束が本当であることは,実際に神様を第一にした生活をしていれば体験的に知ることができます。 当然,通常の道徳や倫理に反する行い(殺人など)は,神様に従う生き方ではありません。 神様を第一にした生き方とは,聖書が教えているとおりに愛(アガペー)を実践することです。 聖書の教える愛(アガペー)の実践こそ,理想的なクリスチャンの姿です。 それは,麻原やオウム信者の実際の生き方とは根本的に異なる姿です。

「聖書は書き換えられたか」

佐倉氏はキリスト教関連エッセイの一つとして,申命記の著者について述べていますが,聖書になじみのない方のために少し補足をしておきたいと思います。 申命記の著者は伝統的にモーセだと言われてきました。 (モーセ五書がモーセによって書かれたことはイエスご自身も認めておられます。 ヨハネの福音書5章45~47節参照。 参考文献:『60分でわかる旧約聖書(1)「創世記」』。) この点に関して,二つの意見を考えることができると思います。

(1)一つ目は,申命記の全てがモーセによって書かれたと考えるのは無理がある,という意見です。 なぜなら,申命記31章9節はモーセではない他の人によって書かれたと思われる節がありますし,34章には誰も知ることのできないはずのモーセの死のことも書かれているからです。 それにもかかわらず,申命記の著者をモーセだと言うのは,申命記の多くの部分を書いたのがモーセだと考えられるからでしょう。 また,複数の人が関わっている場合は代表的な人を一人だけ挙げるのが,ユダヤ人の伝統的な習慣でもあったからです。 (例えば,マタイの福音書27章9~10節は,ゼカリヤとエレミヤの預言の組み合わせです(「裏切り者ユダの死」参照)。 このような場合,多くの範囲をカバーしている預言者の名を一人だけ挙げるのが普通なので,ここではエレミヤの預言とされています。) したがって,申命記の著者はモーセだと言うことができます。 これは現実的な考え方なので,この説を正しいと考えるのは妥当でしょう。

(2)二つ目の意見は,申命記の全てが文字通りモーセによって書かれた(あるいは書記を通して書かれた)というものです。 (一つ目の考え方も同様に,モーセ自身ではなく書記を通して書かれたと思われます。 根拠は,モーセが教育を受けた古代エジプトには書記がいたことが,考古学的発掘によって明らかになっているからです。 実際の古代エジプトの出土品の中に,書記の絵が描かれたパピルスや書記のシャプティ(墓に置かれる小像で,副葬品の一種)や像などがあります。 参考文献:『オランダ国立ライデン古代博物館所蔵 古代エジプト展』1987年;『ルーヴル美術館所蔵 古代エジプト展』2005年。) そもそも預言者というのは超自然的存在である神様のことばを語る者なのですから,「地の上のだれにもまさって柔和」(民数記12章3節)なモーセは,神様の語ることばをそのまま忠実に書いた(あるいは書かせた)と考えることもできるのではないでしょうか。 聖書の神的起源を考えれば,むしろこの考えの方が自然に思えますが,現実的に考えると,この説には無理があると思います。 いずれにせよ,佐倉氏はこの点も誤解しているように思います(参考文献:『60分でわかる旧約聖書(5)「申命記」』)。

さて,彼のこのエッセイの文頭には次のように書かれています。 「『聖書は神の霊によって書かれたものであり,いかなる誤謬も含まない』という聖書信仰が,わたしたちにとって意味あるものとして認められるためには,単にオリジナルの聖書に間違いがないというだけでなく,現在のわたしたちに伝わってきた聖書に誤りがない,ということでなければなりません」。 彼はこの考えに取り憑かれてしまっていますが,そもそも聖書信仰とはこのようなものではありません。 「聖書の原典だけが,神の息(霊)が吹き込まれている,誤りのない神のことばである」というのが正しい聖書信仰です。 聖書の写本や翻訳には神の息(霊)が吹き込まれていないので,誤りがあります。 例えば,イスラエルの初代の王であるサウル王の在位期間は,使徒の働き13章21節によると40年と書いてありますが,サムエル記第一13章1節を見ると,日本語訳聖書によって異なる数字が書いてあることに気づかれると思います。 例えば,『聖書 文語訳』,『聖書 口語訳』,『聖書 新共同訳』,『聖書 聖書協会共同訳』(欄外注),『聖書 新改訳』(第3版の欄外注),『聖書 新改訳2017』(本文中)では2年となっていますが,『聖書 聖書協会共同訳』(本文中),『聖書 新改訳』(第3版の本文中)と『聖書 新改訳2017』(欄外注の別訳)では12年となっています。 サムエル記第一13章1節がこのような翻訳になっている理由は,そもそもヘブル語本文では数字が欠けているからです。 英語訳聖書のRSVは,「サウルが治め始めた時は〔 〕歳であり,〔 〕2年イスラエルを治めた」と,数字の部分を欠けたままにしています。 これが最も原文に忠実な訳です。 (参考文献:中川健一著『クレイ聖書解説コレクション「サムエル記第一・第二」』紙版第1版,ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,2016年,98頁。) ちなみに,サウル王の在位期間は40年が正確だと考えられています。 写本を写しながら聖書は書き継がれてきましたが,上記のような問題は,誰かが途中で写し間違えて生じた結果だと考えられています。 写本を写す際に,いくら神様の守りがあったとはいえ,そこは人間のすること,誤りが生じたとしても何も不思議ではありません。 むしろ完全に写し取れるはずだと考えるのは傲慢であり,無理があります。 なぜなら,神様は御筆先(おふでさき)によって写本を写してきたのではないからです。 神様が人間に乗り移り,人間は神様の操り人形となっていたのではなく,あくまでも人間の頭脳(知識・感情・意志)を使うことによって写本は写されてきました。 人間の知識・感情・意志は,完全な神様から見れば不完全なものです。 ここに誤りが生じる原因があります。 しかし聖書には,「地上生涯をどのように生きれば良いか」などの教理の部分においては,写し間違いはないようです。 しかも,それ以外の歴史的な記述においても写し間違いはほとんどないそうです。 クリスチャンは,そこに神様の守りがあったと信じています。 聖書において,大事なのは教理の部分です。 教理が内的に矛盾していないのなら,つまりキリスト教で言えば,聖書全体の教理に矛盾がなく調和がとれていて一貫性があるなら,それで宗教として何の問題もありません。 ところが佐倉氏は,写本においても,(どうでも良い数字まで含めて)全ての箇所で誤りがないのでなければ意味がないと述べているのです。 このような考えは間違っています。 佐倉氏は,聖書は現代の科学の論文のように書かれていなければならないと思い込んでいるようですが,そもそも宗教とは,生きるための指針を与えるものです。 キリスト教にとって,その指針とは聖書の教理です。 もし,聖書の教理(例えば「このように生きなさい」とか「このようなことはしてはいけません」という教え)自体が書き換えられているのなら,確かにそれは大問題ですが,佐倉氏の指摘している「聖書の間違い」は,教理の本質とは関係ないか,あるいは指摘自体が間違っているかのどちらか,あるいはその両方です。 よって,教理の本質とは関係のない箇所で「間違っている」と主張されても,何の問題にもならないのです。 (学者や宗教家の中には,些末なことにこだわって,いろいろと議論をする人もいるそうですが,そういう姿勢には私は反対です。 テモテへの手紙第一6章20節,テモテへの手紙第二2章14節,16節,23節参照。) 指摘自体が間違っているのなら,なおさら意味がありません。 以上のことから,佐倉氏の冒頭の主張は完全に間違っていると言えます。

佐倉氏は申命記に書いてある「ヨルダン川の向こう側(בְּעֵבֶר הַיַּרְדֵּן)」という原文の翻訳が東になったり西になったりしている(例えば『聖書 新共同訳』)ので,聖書は意図的に書き換えられていると主張していますが,前後の文脈をよく読むと「向こう側」がどこになるのか,きちんと書いてあります。 「東側」とか「西側」という翻訳は,ただの意訳です。 それだけのことです。 この程度の意訳を「意図的な書き換えだ」と言うのは無理があります。 (ちなみに,『聖書 新共同訳』の次に日本聖書協会から出版された『聖書 聖書協会共同訳』では,この意訳はなくなっています。)

申命記は誰のために書かれたのか,つまり申命記の目的を考えれば,佐倉氏の主張が的外れだということが分かります。 申命記は第一に,これからカナンの地で生活するイスラエルの人々のために書かれたものです。 モーセは,自分の語った言葉(申命記3章20節,25節,11章30節)の中では自分がいるモアブの地からの視点で書き,地の文(申命記1章1節,5節,3章8節,4章41節,46節,47節)においてはカナンの地からの視点で書きました。 これは,これからカナンの地で生活するイスラエルの人々が理解しやすいように書かれたものです。 よって,カナンの地を視点にした記述があっても,何もおかしくありません。 モーセの謙遜な性格を考えれば,そのほうが自然です。 モーセは,カナンの地で生活するイスラエルの人々を意識して申命記を書きました。 「モーセは,エジプト人のあらゆる学問を教え込まれ」(使徒の働き7章22節)ていて,「地の上のだれにもまさって柔和」(民数記12章3節)だったので,カナンの地で生活するイスラエルの人々の気持ちを考えて申命記を書いたと考えられます。

「永遠の命」

佐倉氏はキリスト教関連エッセイの一つとして「永遠の命」についても書いていますが,これについても簡単に反論できます。 佐倉氏は,「本来の聖書(旧約聖書)には『永遠の命』の思想なるものは存在しない」ので,キリスト教は「本来の聖書(旧約聖書)の伝統から逸脱した宗教である」と述べています。 また,「samtsumiさんへ」の中で,「新約聖書にとってはきわめて重要な『死後の魂の生存』とか『永遠の命』の考え方が,本来の聖書(旧約聖書)にはないという事実」とまで述べています。 彼のこの主張が事実ではないことを,旧約聖書から証明したいと思います(参考文献:『メシアの生涯(160)―サドカイ人の質問―』)。

まず,旧約聖書と新約聖書(あるいは,人類に対する神様のご計画の全体像)を理解するために非常に重要な「アブラハム契約」(創世記12章1~3節,7節,13章14~17節,15章17~21節,17章1~21節,18章18~19節,22章15~18節,26章1~5節,24節,28章13~15節,35章9~12節)が成就するためには,永遠のいのちが必要です。 アブラハム契約の内容を具体的に一つ挙げると,創世記17章8節のみことばがあります。 この聖句は,アブラハムとその子孫(イサク,ヤコブ,イスラエル民族)に与えられた,土地の約束です。 アブラハムは生存中にカナンの全土を所有することはありませんでした。 もし,永遠のいのちがないのなら,神様はアブラハム契約を成就できなかったことになり,「神様は嘘つきだ」という結論になります。 しかし,神様は嘘つきではありません。 その一つの証拠として,神様は,既に老年になっていたアブラハムの妻サラにイサクという息子をお与えになりました。 人間的に考えれば,こんなことは起こり得ません。 実際,創世記18章11節を読めば,既にサラは閉経していたことが分かります。 しかし,サラは身ごもり,年老いたアブラハムにイサクを産んだのです。 これは創世記15章4節,17章16節,19節,21節,18章10節,14節のみことばの成就です。 つまり,神様には人間の理解を超えたことを行える力があり,また,神様は必ず約束を守られるお方であると信頼することができます。 さて,神様がアブラハム契約の土地の約束を成就するためには,アブラハムを復活させるしかありません。 神様は必ず約束を守られるお方であると信頼できますので,必ずアブラハムは復活します。 そして,創世記15章6節から分かるように,アブラハムは神様から義とされているので,アブラハムには永遠のいのちが与えられていることになります。 したがって,佐倉氏の言う「本来の聖書(旧約聖書)」にも,きちんと「永遠のいのち」の思想があることが分かります。 (アブラハムが永遠のいのちを持っていることは,イエス様もはっきり認めておられます。 ルカの福音書16章19~31節参照。)

死後の魂の生存についての考え方は,創世記37章35節,42章38節,44章29節,31節,民数記16章30節,33節,申命記32章22節,詩篇6篇5節などに,「よみに下る」というような表現があることから,佐倉氏の言う「本来の聖書(旧約聖書)」にもきちんとあることが分かります。 ちなみに,「よみ」と訳されているヘブル語の「シェオール(שְׁאוֹל)」は,旧約聖書に65回出てくるそうです(参考文献:『新聖書辞典』の「よみ」の項。1339頁)。

また,創世記25章8節に見られるように,「自分の民に加えられた」という表現も,死後のいのちへの信仰があることを示しています。 この用語は,同じ墓に葬られたという意味ではなく,霊的に先祖たちがいるところに移ったという意味です。 この表現はモーセ五書に10回出てきます。 その箇所は,創世記25章8節,17節,35章29節,49章29節,33節,民数記20章24節,26節,27章13節,31章2節,申命記32章50節です(参考文献:中川健一著『クレイ聖書解説コレクション「創世記」』紙版第2版,ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,2016年,292~293頁)。

今度は出エジプト記から説明します。 出エジプト記3章6節で,神様はモーセに次のように言われました。 「わたしはあなたの父祖の神,アブラハムの神,イサクの神,ヤコブの神である」。 この時,アブラハムもイサクもヤコブも既に死んでいました。 もし,佐倉氏の言うように,死後の魂が存在しないのなら,神様は次のように言われたはずです。 「わたしはあなたの父祖の神,アブラハムの神,イサクの神,ヤコブの神であった」。 しかし神様はそのようには言われませんでした。 ということは,「本来の聖書(旧約聖書)」も死後の魂の生存をはっきりと認めていることが分かります。 そして,ルカの福音書20章37~38節やマルコの福音書12章26~27節やマタイの福音書22章31~32節でイエス様もこの箇所を示して,死後の魂の生存を認めておられます。 ここには何の矛盾もありませんし,キリスト教は「本来の聖書(旧約聖書)の伝統から逸脱した宗教」などではないことが分かります。 これらは,旧約聖書と新約聖書は調和のとれた書であることの,一つの証拠となっています。 (ちなみに,「ルカの福音書20章37節は引用が間違っている」と主張する人がいるかもしれません。 しかし,この箇所は,出エジプト記3章6節はモーセが書いたということを前提にしながら,モーセの視点で書かれているだけです。 したがって,決して引用の間違いではありません。 そして同時に,この箇所は,モーセ五書はモーセによって書かれたことを保証する一つの根拠ともなります。 時々,「モーセ五書は,モーセが生きていた時代よりもずっと後になってから(例えば,列王記の時代に)書かれた」と主張する人がいるそうですが,それは間違いであることが,この箇所からも分かります。)

死後の魂の生存について,サムエル記第一28章も一つの証拠になっていると思います。 この箇所では,サムエルは既に死んでいましたが,霊媒をする女によってサムエルの霊(魂と同義)が呼び出されたと書いてあります。 文脈から判断すると,この「サムエル」の霊はまさしくサムエル本人であると考えられます。 (サムエルの霊が語った内容からも,そのことが分かります。) したがって,「本来の聖書(旧約聖書)」にも死後の魂が生存し続けることが,はっきりと書かれていることになります。

また,(アダムから7代目の)エノクと預言者エリヤが死を経ないで天に上げられた(創世記5章21~24節,列王記第二2章10~11節)のも,根拠として挙げられると思います。 天に上げられたということは,神様のもとへ行ったということですから,この二人には永遠のいのちが与えられていると考えられます。 もし人間に永遠のいのちが与えられないとしたら,なぜ神様は人間の中でエノクとエリヤだけを特別扱いしたのでしょうか? この疑問を合理的に説明することは不可能だと思います。 この二人の出来事は,信仰者には永遠のいのちが与えられるということを示唆したものだと考えれば,うまく説明がつきます。 そう考えると,「本来の聖書(旧約聖書)」には死後の魂の生存と「永遠のいのち」の思想があると考えるのが妥当です。

また,詩篇の中にも「永遠のいのち」の思想が存在しています。 例えば,16篇10~11節から,死後の魂の生存と「永遠のいのち」の思想があることが分かります。

また,ヨブ記19章25~26節では,ヨブは復活の希望を告白しています。 また,イザヤ書26章19節には復活の教理があります。 (イザヤ書26章14節や19節の日本語訳は,文語訳と『新改訳2017』が分かりやすいです。) よって,「本来の聖書(旧約聖書)」には死後の魂の生存と「永遠のいのち」の思想があると考えなければなりません。

また,ダニエル書12章2~3節には,はっきりと「永遠のいのち」のことが書かれています。 よって,「旧約聖書に『永遠の命』の思想がないのは事実だ」という佐倉氏の主張は間違いだと分かります。 これに対し,佐倉氏は,「ダニエル書7章以降は後の時代になってから付け加えられた偽書であるので,『本来の聖書』ではない」(参照:「魚の切り身さんへ」)と反論しています。 しかしダニエル書(1~12章)の構造は統一がとれていて,7章以降が後の時代(紀元前2世紀の中頃)になってからの追加文とは考えられません。 (その理由の詳細は,参考文献の『新聖書辞典』の「ダニエルしょ」の項を参照して下さい。 もし該当箇所を全て引用したら,その文章量が多すぎて著作権法違反に当たると思いますので,該当箇所を全て引用することはできません。 どうぞ,ご了承下さい。)

少しだけ私なりの説明をしておくと,佐倉氏のように,ダニエル書7章以降が後の時代になってから預言者ダニエルの名を勝手に使って書かれた偽書だと考える根拠は全くないとしか言えません。 (そもそもダニエル書を聖書の正典と認めたがらない人々が存在する理由は,ダニエル書の前半である1~6章の預言があまりにも正確に成就したからです。 つまり,ダニエル書を正典と認めようとしないのは,超自然的な預言の存在を認めたくないからなのです。) 仮に,佐倉氏の言っていることが正しいとします。 当時(紀元前2世紀の中頃)のユダヤ人の気持ちを考えれば,いきなりダニエル書に6章分もの追加がなされたら,誰でも「これはおかしい」と考えるはずです。 なぜなら,ダニエル書は紀元前6世紀に書かれたと言われているからです。 いきなり6章分もの追加がなされたら,旧約聖書の写本を作成していたユダヤ人や,律法学者にしてみても「何だこれは!」という感想を抱くでしょう。 その結果,偽書の部分は,写本が作成されなかったり捨てられていたと思います。 神様の啓示でもないのに,勝手に旧約聖書に堂々と追加することは,イエス様の時代にユダヤ人たちを口伝律法で束縛していた律法学者ですら,やらなかったことです。 (口伝律法というのは,モーセが啓示を受けて書いたモーセ五書以外の,モーセが神様から受けた啓示だと言って口伝で伝えてきた律法のことです。 もちろん,口伝律法は神様の啓示ではなく,人間たちが勝手に作り出したものです。 この口伝律法は,福音書の中で「言い伝え」と呼ばれています。 マタイの福音書15章2節,3節,6節,マルコの福音書7章5節,9節,13節参照。 口伝律法は後に,「ミシュナ」として成文化され,タルムードの中心本文となりました。) もし,「時代が黙示文学を必要としていたから7章以降が追加され認められてきた」と言うのなら,口伝律法もモーセ五書か旧約聖書のどこかに追加されているはずです。 なぜなら,口伝律法はモーセの律法を守るために必要だと考えられて,作り出されたのですから。 しかし,実際には口伝律法は旧約聖書の中には追加されませんでした。 口伝律法が追加されなかったのに,ダニエル書7章以降は偽書であっても追加されたという理屈は,論理に一貫性がありません。 したがって,ダニエル書7章以降は偽書ではなく,紀元前6世紀に預言者ダニエル本人によって書かれたと考えるのが最も妥当です。 また,マタイの福音書24章15節には,ダニエル書9章27節や11章31節や12章11節で預言されている反キリストの像(「荒らす忌まわしいもの」)について,「預言者ダニエルによって語られた」とイエス様が言われたことが記録されています。 イエス様だけではなく,イエス様の弟子たちも,ダニエル書7章以降も預言者ダニエル本人によって書かれたことを常識として知っていたので,マタイは堂々と記録しているのです。 その常識は,イエス様や弟子たちだけの常識ではなく,ユダヤ人なら誰でも知っていることだったので,マタイが福音書を書いた迫害の激しい時代から現在に至るまで,きちんと記録として残されてきたと考えるのが,最も妥当だと思います。 (マタイは,イエス様が旧約聖書で預言されていた約束のメシアであることを伝えるために,特にユダヤ人読者が良く理解できるように正確に福音書を書いたと考えられますが,もしダニエル書7章以降が偽書だったのなら,同胞のユダヤ人たちから「この記述は間違っているぞ!」と言われて,削除されていたと思います。 しかし,今も正典としてきちんと残されている記録であるということは,ダニエル書7章以降は偽書ではないことの証拠になっていると考えられます。) つまり,ダニエル書7章以降も,預言者ダニエル本人によって書かれた正典であると考えられるので,12章での「永遠のいのち」に関する記述は「本来の聖書」のものであると結論づけられます。

参考文献

2024年2月19日更新
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