太田朝久氏の聖書批判に対する回答
統一教会(現:家庭連合)のメンバーである太田朝久氏は,自身の著書『「原理講論」に対する補足説明』(初版,広和,1995年)の中で,聖書の「相違点や矛盾点」について数多くの指摘をしています。
それらの指摘に対する私の回答を,以下に「質問と回答」という形式で箇条書きにしてみます。
(「聖書の間違い」の間違い~佐倉哲氏の場合~と重複するものもありますので,どうぞ参考にして下さい。)
『「原理講論」に対する補足説明』の内容については,統一原理(『原理講論』)の間違いの「補足1:『「原理講論」に対する補足説明』に関して」の項目で説明しました。
旧約聖書
- 質問:創世記には二つの創造物語がある。
- 回答:創世記1章で創造の順序を書き,2章ではエデンの園に焦点を当てて,主に第6日目の出来事を詳述しているだけ。つまり,2章は1章の第6日目の再記述(一度言ったことをもう一度取り上げること)になっている。聖書には「再記述の法則」に従って書かれた箇所がいくつもある。「天地創造の矛盾1:二つの創造説の食い違い」参照。
- 質問:神は本当に6日間で天地創造をしたのか?
- 回答:私はそう信じている。なぜなら,イエス・キリストというお方は完全に信頼できるから。イエス様はモーセの書いたこと(モーセ五書)をそのまま受け入れている(ヨハネ5:45~47)。また,科学の方法を使って,天地創造の出来事をある程度まで説明可能になるだろうと予想している。現代科学の仮説の中には,進化論のように,聖書の記述と合わないものがあるので,そういう仮説は間違いだと考えている。また,創世記1:3の「光,あれ。」の「光」はビッグバンのことではないと思う。なぜなら,創世記1:3の視点は地上にあるから。
- 質問:エデンの園とはどこにあったのか?
- 回答:ノアの大洪水によって跡形もなく破壊されてしまったと考えられるので,正確な場所を特定することはできないが,メソポタミアのどこか。
- 質問:生命の木や善悪を知る木とは何科の植物なのか?
- 回答:聖書からは何も分からないので,分からないとしか答えようがない。仮に,「何科の植物であった」と聖書に書かれていたとしても,いったい何の意味があろうか。
- 質問:木の実とは文字通りの果物だったのか?
- 回答:文字通りの木の実だったと思うが,それ以上のことは何も分からない。
- 質問:昔の蛇は本当にしゃべったのか?
- 回答:悪魔(サタン)が蛇を悪用して,しゃべった。しゃべった本人は悪魔(サタン)。
- 質問:カインのささげ物(麦の実)が受け入れられなかったのは,かわいそうだ。(「元クリスチャン」を名乗る人からの指摘)
- 回答:(1)カインが持って来た「大地の実(みの)り」(創世記4:3)を「麦の実」だと断定することはできない。カインが具体的に何をささげたのかは聖書からは分からない。例えば申命記23:25(『聖書 新共同訳』と『聖書 聖書協会共同訳』では申命記23:26)を見てみると,麦の場合は「実」ではなく「穂」という単語が使われているので,カインのささげ物は「麦の実」ではないと言えるだろう。少なくとも,カインが血のささげ物を持って来なかったことは確かである。(2)カインをかわいそうに思うのは人間的なレベルで判断しているから。神の聖(きよ)さと,神が人間の創造主であり主権者であることを忘れてはならない。カインは信仰によってささげたのではなかった(ヘブル11:4,1ヨハネ3:12)。(3)神が罪を犯したのではなく,人間が神に対して罪を犯したのだから,神が提供する方法(血を流すこと)でなければ,罪の赦しはない(ヘブル9:22)。(4)カインを含め,罪を犯した全ての人間は,神に対して文句を言う資格はない。
- 質問:カインの妻はどこから来たのか?
- 回答:アダムとエバの子孫の一人(創世記5:4)。カインから見て,実の妹か姪(めい)。あるいは,又姪(まためい。姪の次の世代の姪)に当たる女性かもしれない。
- 質問:アダムは本当に930歳まで生きたのか?
- 回答:本当に930歳まで生きた。当時の地球環境は現在の環境よりも遙かに良かったと考えられる。また,遺伝子も現代人ほど壊れてはいなかったと考えられる。聖書の記述によると,人類の罪が広がるにつれて,人間の寿命は短くなっている。ちなみに,創世記5章の年数を文字通りに計算すると,アダムはノアの父レメクが56歳の時に死んだことになるので,天地創造の物語やエデンの園での出来事も,アダムの子孫に正確に伝えることができたと考えられる。アダムからノアの時代のような長寿はメシア的王国(千年王国)に入ってから回復される(イザヤ65:20)。
- 質問:創世記にはアダムの子孫の系図が二つある。
- 回答:創世記4章の系図はアダムの長男カインの系図で,5章の系図はカインの弟セツの系図。
- 質問:創世記6~8章には二つの洪水物語が織り重ねられている。
- 回答:再記述されているだけ。大洪水の水は天からの雨と地下の水源から来た。大雨は40日間降り続いた。水は150日間増え続け,それから減っていった。大洪水が始まってから1年と10日経って,地はすっかり乾いた。箱舟に入った動物の数は,きよい動物と鳥は7つがいずつ,きよくない動物は1つがいずつ。
- 質問:創世記7章7節と13節により,ノアは二回箱舟に入っている。
- 回答:7:13で再度確認しているだけ。
- 質問:バベルの塔はどこに建てられ,何階建ての建造物だったのか?
- 回答:バビロンに建てられたが,塔が何階建てかまでは分からない。
- 質問:テラが205歳で死んだ時(創11:32),アブラムは75歳だったのなら(創12:4,使徒7:4),アブラムはテラが130歳の時に生まれたはず。しかし,創世記11章26節ではテラが70歳の時にアブラムが生まれている。(太田氏ではない,一般の人からの指摘)
- 回答:創世記11章26節は,テラが70歳になった後でアブラム,ナホル,ハランが生まれたという意味。「七十歳になったとき」という翻訳(『聖書 新共同訳』と『聖書 聖書協会共同訳』)に問題がある。直訳は「七十年生きて」なので,『聖書 新改訳』(第3版)と『聖書 新改訳2017』が最も忠実に訳している。
- 質問:アブラハムはハガルを二回追放している(創世記16章と21章)。
- 回答:それぞれ状況の異なる全く別の話。16:15から,ハガルはアブラムとサライの所へ戻り,イシュマエルを出産したことが分かる。
- 質問:創世記37章18~35節より,ヨセフは,ルベンの助けによってミディアン人に連れ去られたのか,ユダの助けによってイシュマエル人に連れ去られたのか?
- 回答:兄たちはヨセフを殺そうと考えたが,ルベンはヨセフを助けようと思い,穴に投げ込むことを提案した。ルベンはヨセフをあとで父のもとに帰すつもりだったから。ルベンを除く兄たちが食事をしたその場に,ミディアン人(=イシュマエル人)の商人が通りかかった。その時,ユダが兄弟たちに,ヨセフをミディアン人に売ろうと提案し,売った。そしてヨセフはミディアン人によって連れ去られた。ここではミディアン人とイシュマエル人が同義語として使われている。「ヨセフをエジプトに売り渡したのは誰か」参照。
- 質問:考古学者が,古代エジプトには奴隷はいなかったと言っている。(太田氏ではない,一般の人からの指摘)
- 回答:モーセの時代(第18王朝)にはエジプト人の奴隷はいなかったが,イスラエル人がエジプト人によって奴隷にされていた。出エジプトに関する証拠がエジプトで発見されなくても,別におかしいことではない。なぜなら,出エジプトの出来事は,当時のエジプトやファラオにとって屈辱的な出来事だったから。イスラエルの神によって,古代エジプトの神々が無力であることを10回も思い知らされたのは,当時のエジプト人にとっては屈辱以外の何ものでもない。ちなみに,かごの中にいた赤子のモーセを見つけたのはトトメス1世の娘ハトシェプスト(出2:5~10),モーセの命を狙っていたファラオ(出2:15)はトトメス3世,出エジプトの時(前1445年頃)のファラオ(出エジプト記3~14章)はアメンヘテプ2世ではないかと考えられる。
- 質問:モーセのしゅうとの名前はレウエル(出2:18,民10:29)かイテロ(出3:1,4:18)か?
- 回答:レウエル(「神の友」という意味)が名前で,イテロ(「卓越した」という意味)は地位を表す称号(タイトル)だと思われる。(ホバブはレウエルの子なので,士4:11のヘブル語「ホテン(חֹתֵן)」は「しゅうと」ではなく,『聖書 新改訳』第3版のように「義兄弟」と訳すのが正しいと思う。)
- 質問:出エジプト記20章24節は,だれでも自由に土の祭壇を築いて神の前に供え物を捧げることが許され,礼拝者自身が祭司であるというような観点で記述されている。
- 回答:出エジプト記20章24~26節は,幕屋の設計図が示される前の祭壇に関する命令である。
- 質問:申命記12章5節などでは,祭司という階級があることについて述べられ,供え物も神に定められたエルサレム神殿でしか捧げられないとなっている。
- 回答:エルサレム神殿でしか捧げられないとは,どこにも書いてない。ちなみに,申命記は「第二の律法」ではなく,今までに啓示された律法の解説を,これからカナンの地へ入っていく第二世代のイスラエル人に対してモーセが語り聞かせている説教である。ソロモンによってエルサレムに神殿が建設されるまで(1列王記6~8章)は,祭司は幕屋(会見の天幕)で奉仕した。
- 質問:契約の箱を作った人はベツァルエル(出37:1)かモーセ(申10:3)か?
- 回答:ベツァルエルとモーセの関係は,大工と棟梁の関係と同じ。実際に手を動かして作ったのはベツァルエル。モーセはその仕事の責任者。
- 質問:レビ記11章5~6節によると,岩だぬきも野うさぎも「反芻(はんすう)する」と書いてあるが,実際には岩だぬきも野うさぎも反芻動物ではない。これは自然界の事実と反する。
- 回答:(1)レビ記11章3~7節の「反芻する」を直訳すると「反芻を行う」という意味になる。(参考文献:古代語研究会編,谷川政美著『聖書ヘブライ語-日本語辞典 聖書アラム語語彙付』初版,ミルトス,2018年,749頁。)(2)この聖書箇所の「反芻」について,具体的には,「一度のみこんだ食物を再び口中に戻し,嚙(か)み直して再びのみこむこと」(『広辞苑』第七版)と考えれば良い。そもそもレビ記11章に書かれている規定は全て,人が目で見て判断すれば良いようになっている。つまり,死骸を解剖して反芻胃を持っているかどうかを確認する必要はないのだ(レビ11:8)。また,胃から口に戻すことに限定する必要もない。どのような形であれ,一度飲み込んだ食物を再度口中に戻して食べるなら,それは「反芻する」と言って良い。(3)例えば,ウサギの食糞(Coprophagy)はよく知られているが,ウサギが食物を摂取しない時に排泄し摂取する軟糞(盲腸糞)には,多くのたんぱく質やビタミンB群が含まれている。ウサギはその軟糞を直接肛門から摂取し,栄養源としている。野うさぎの場合,この盲腸糞食(Cecotrophy)を,聖書の言う「反芻」と考えれば良いと思う。(参考文献:坂口英「ウサギはなぜ糞を食べる?」-『岡山大学農学部学術報告 Vol. 104』(2015年,23-34頁)所収-)(4)いずれにせよ,変更される可能性のある現代の生物学的定義(現代人の解釈)を,当時のイスラエル人に押し付けて「聖書は間違っている」と主張するのは的外れである。
- 質問:昆虫は6本足であって,4本足ではないのに,レビ記11章20~23節では4本足と書かれている。(太田氏ではない,一般の人からの指摘)
- 回答:いなごやバッタなどの昆虫は,動く姿が4本足で歩いているように見えるので,「4本の足で歩き回るもの」という表現になっているだけ。当時のイスラエル人が住んでいた土地の昆虫を想像すべきであって,現代の日本に生息する昆虫一般を想像してはならない。
- 質問:モーセ一人が神の啓示によってモーセ五書を書いたと言うならば,創世記36章31節の「イスラエルの人々を治める王がまだなかった時」の表現をどう考えれば良いのか。
- 回答:モーセは単に資料を編集しただけではなく,神の啓示を受けてトーラー(モーセ五書と呼ばれる五つの書で,本来は一つの書として書かれた)を書いた。また,イスラエルを治める王が出て来ることは,創世記17章6節,16節,35章11節で,神ご自身が啓示されている。モーセは神の啓示を受け,信仰により,誤りなく書いた。
- 質問:モーセ一人が神の啓示によってモーセ五書を書いたと言うならば,モーセの死後の記述が挿入されていることをどう考えれば良いのか。
- 回答:モーセの死後の記述は,おそらくヨシュアが書いたのだろう。それでもトーラー(モーセ五書)の大部分をモーセが書いたので,モーセが書いたと言って良い。モーセはトーラーを書いた代表者だと考えれば良いだけのこと。
- 質問:列王記第二2章23~25節によると,ベテルへ向かったエリシャに対して「はげ頭よ,のぼれ。はげ頭よ,のぼれ」と言ってあざけった小さい子どもたちが,エリシャによって呪い殺されている。これはひどすぎるのではないか。(太田氏ではない,一般の人からの指摘)
- 回答:(1)エリシャは,バアルの預言者たちと戦った主の預言者エリヤ(1列王記18:1~40)の後継者だった(1列王記19:16b~21,2列王記2:1~18)。(2)ベテルは金の子牛礼拝の中心地の一つだった(1列王記12:25~33)。(3)「小さい子ども」と訳されているヘブル語の「ナアル(נַעַר)」は,聖書時代には幼児から青年までを指す幅広い言葉として使われていた。この文脈では,10代後半から20代の青年だと思う。(4)若者たちは徒党を組んで(少なくとも42人の大人数で)エリシャをあざけった。意訳すると,彼らは,「お前が本当に主の預言者なら,エリヤのように天に上ってみろ,このはげ頭よ」と言って,エリシャを馬鹿にしたのである。「はげ頭よ」と言っているが,当時の男性は頭を布で覆っていたので,実際にエリシャがはげ頭かどうかは,彼らには分からなかったはず。つまり,彼らは,はげ頭そのものをからかったのではなく,主の預言者を馬鹿にしたのである。(エリシャが本当にはげ頭だったかどうかは聖書からは分からない。)(5)エリシャは主の名によって彼らを呪った。(6)主が二頭の雌熊を用いて彼らをさばかれた。(7)以上のことから,若者たちはバアルの預言者の卵だったと思われる。つまり,若者たちは主の預言者を侮(あなど)り,主を侮った罪でさばかれたのである。「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば,刈り取りもすることになります」(ガラテヤ6:7)と書いてあるとおりである。神の聖(きよ)さを侮ってはならない。
- 質問:「旧約聖書とは神の啓示ではなく,人類が生み出した歴史的所産物であり,また優れた "文学書" である」という立場を取る神学者も少なくない。
- 回答:真理は多数決で決まるものではない。このような立場を取る神学者の最大の問題点は,超自然的な要素を何一つ認めたがらないことである。彼らはとても傲慢な態度に陥っている。世界の主権者である聖書の神が存在することを認めたくないというのが,彼らの隠された本音である。つまり,彼らは意図的に聖書の神を拒否しているのである。
新約聖書
- 質問:イエスの生涯が書かれている4つの福音書(マタイ,マルコ,ルカ,ヨハネ)には数多くの食い違いがあるので,史実に基づいて書かれたとは言えない。特にヨハネ伝は,「イエス伝」(一つにまとまったイエスに関する伝記)の学問的な研究対象としては,どうも信頼できない。
- 回答:4つの福音書に書かれた記事は全て目撃者情報である。したがって,4つの福音書は互いに補い合っていて,調和して読むことができる。例えば,共観福音書(マタイ,マルコ,ルカ)の中で省略されている記事を「なかったこと」だと考えるのは間違っている。共観福音書と同様に,ヨハネの福音書も信頼できる(ヨハネ21:24)。イエスの生涯について4つの福音書から詳しく知りたい人は,ハーベスト・タイムの『メシアの生涯』シリーズ(全210回)を第1回から順番に聴いてみることをお勧めします。この『メシアの生涯』シリーズのタイトルと聖書箇所をPDFファイルにまとめてみたので,よければお使い下さい。
- 質問:共観福音書では「受難週」に位置している「宮きよめ」の事件は,ヨハネ伝によるとかなり初期のころに出てくる(ヨハネ2:13~16)。
- 回答:宮きよめは二回あった。最初の宮きよめはヨハネ2:13~22に,二度目の宮きよめはマルコ11:15~19(並行箇所はマタイ21:12~13,ルカ19:45~46)に書かれている。
- 質問:共観福音書では,イエスが弟子アンデレとペテロを得たのは,洗礼ヨハネが捕らえられた後で行った "ガリラヤ宣教" においてであるのに,ヨハネ伝では,まだ洗礼ヨハネが活躍している頃(イエスがガリラヤへ行く以前に),ベタニア付近の地において導かれたことになっている。
- 回答:アンデレとペテロは,最初はパートタイムの弟子であった(ヨハネ1:28~43)が,後にガリラヤ湖で漁をしていた時にイエスから召されてフルタイムの弟子となった(ルカ5:1~11,マタイ4:18~20,マルコ1:16~18)。
共観福音書間における相違点
- 質問:マタイ伝(マタイ1:1~17)とルカ伝(ルカ3:23~38)の「イエスの系図」に違いがある。
- 回答:(1)イエスの誕生に関して,マタイはヨセフの視点で書き,ルカはマリアの視点で書いたことが文脈から分かる。したがって,マタイ伝の系図はヨセフの系図で,ルカ伝の系図はマリアの系図だと分かる。また,ルカ伝の系図がヨセフの系図でないことは,ギリシア語の原文からも分かる。ルカ伝の系図を原語のギリシア語で読むと,ヨセフの名前にだけ定冠詞がついておらず,他の人物の名前には全て定冠詞がついていることから,ルカ伝の系図はヨセフの系図ではないことが分かる。また,ユダヤ法では,女性の家系をたどりたい場合は,女性の夫の名前を使うことからも,ルカ伝の系図はマリアの系図だと分かる。したがって,ヘリ(エリ。ルカ3:23)はマリアの実の父であり,ヨセフの義父だと分かる。(2)さらに,ヨセフはダビデの子ソロモンの家系に属しているが,マリアはダビデの子ナタンの家系に属していることが分かる。したがって,ダビデ以降の名前が異なっているのは当然である。(3)サラテル(シェアルティエル)とゾロバベル(ゼルバベル)の名はマタイ伝にもルカ伝にも登場するが,次のように考えれば良い。サラテルは,エコンヤの娘とネリから生まれた子であろう。したがって,エコンヤの孫としてサラテルは生まれた。マタイはそれを省略して書いただけなので,この系図に間違いはない。ゾロバベルは,サラテルが子なくして死んだので,その未亡人を未婚の弟ペダヤがめとり(レビラート婚。申命記25:5~10,創世記38:8~9),生まれた子をサラテルの子とした可能性が考えられる。あるいは,ゾロバベルはペダヤの子と同名の,サラテルの実の子なのかもしれない。歴代誌の系図には断片的なものも多いので,現代人が知りたがるような明確な血縁関係は分からないが,マタイ伝の系図にもルカ伝の系図にも間違いはないと考えて良い。また,マタイ伝の系図に省略があるのは明らかである。いずれにせよ,これらの系図は,ユダヤ人の考え方を知らないと理解が困難である。「イエスの系図の間違い」参照。(4)マタイ1:4のサルモンとルカ3:32のサラは同一人物。ちなみに,ルツ記4:20~21のサルマ(サルモン)と1歴代誌2:11のサルマも同一人物。(5)ルカ3:35~36にはカイナンという名があるが,創世記11:12にはカイナンの名がないのは,創世記の系図ではカイナンが省かれているだけだと考えれば良い。ちなみに,1歴代誌1:18にもカイナンの名はない。その理由は,歴代誌は創世記の資料を用いて書かれたからだろう。(6)「歴代志の系図(歴代志上3章16~19節)によるとサラテルとゾロバベルとの間にペダヤがいる」というのは,ただの読み間違い。
- 質問:イエスの「三大試練」における順序が違う(マタイ4章とルカ4章)。
- 回答:この試みの順序は重要なことではない。重要なのは内容。
- 質問:長血をわずらっていた女の人を癒やす物語が,マルコ伝(マルコ5:29)とルカ伝(ルカ8:44)ではイエスの衣を触った時に癒やされているのに,マタイ伝(マタイ9:22)によるとイエスのみことばによって癒やされている。
- 回答:出血が止まった(体の病気そのものが癒やされた)のは,イエスの衣の房に触れた時。このルカの書き方は,いかにも医者らしい。マタイは,病気そのものが癒やされた瞬間は記録していない。マタイ9:22の「すると,その時から彼女は癒やされた」の「癒やされた」は意訳で,直訳は「救われた」である。
- 質問:マタイ15:22の「カナンの女」が,マルコ7:26では「ギリシア人」になっている。
- 回答:マタイは,「ツロとシドンの地方の,異邦人の女」という意味で「カナンの女」と書いた(創世記10:15~19,士師記1:27~33参照)。このほうが,ユダヤ人には理解しやすかったのだろう。一方,マルコはローマ人が理解しやすいように,「彼女はギリシア人で,シリア・フェニキアの生まれであった」と具体的に書いただけ。
- 質問:マルコ8:10の「ダルマヌタの地方へ行かれた」が,マタイ15:39では「マガダンの地方へ」というように変化している。
- 回答:「ダルマヌタ地方」も「マガダン地方」も,ガリラヤ湖の北西岸の地域を指す。それ以上のことは定かでない。
- 質問:変貌山での出来事が,マタイ17:1とマルコ9:2では6日後に起こったと明記されているのにかかわらず,ルカ9:28によれば「8日ほどたって」からの出来事となっている。
- 回答:「8日ほど」と「6日目」は矛盾すると言えるだろうか?
- 質問:マタイ20:21ではヤコブとヨハネの母親がイエスに願い出ているのに,マルコ10:37では彼ら自らがイエスに願い出たことになっている。
- 回答:ヤコブとヨハネも母親と一緒に願い出たと考えれば良い。誰が言葉をしゃべったかは問題ではない。意味は同じだから。「『母の願いの物語』の矛盾」参照。(他の指摘に関しても同じことが言える。「一字一句同じ記述になっていないと,神の霊感を受けて書かれたとは言えない」と考えるのは間違いで,聖書の言う「神の霊感」の意味を誤解している。結論だけ言うと,意味が同じであれば,それで良い。相違点があるのは,人間の著者の性格や文学形式などが反映されているから。聖書の神は人間をロボットにしたりはしない。それぞれの個性を尊重して下さるので,相違点がある。まことに神は愛である。聖書の言う「神の霊感」については,「FAQ」参照。)
- 質問:マタイ8:5~13では百人隊長自身がイエスのもとに来ているのに,ルカ7:2~10では代理人がイエスのもとに遣わされている。
- 回答:事実はルカが書いたとおりだろう。ただし,マタイは間違ったことを書いているのではない。なぜならユダヤ的理解では,主人の名によって送られた使者は,主人が直接来たのと同じだとみなされたから。「『母の願いの物語』の矛盾」参照。(聖書はユダヤ的背景の下で書かれているので,ユダヤ的視点(ヘブル的視点)で読む必要がある。聖書理解の難しさ参照。)
- 質問:エリコで,目の見えない人を癒やす奇跡は,マタイ20:30では「二人」だが,マルコ10:46やルカ18:35では「一人」になっている。
- 回答:実際には二人いたが,マルコとルカはそのうちの一人に焦点を当てて書いただけ。「『盲人癒しの物語』の矛盾」参照。
- 質問:ガダラ人の悪霊(あくれい)追放の話も,マタイ8:28では「二人」だが,マルコ5:2やルカ8:27では「一人」になっている。(マタイ伝ではガダラ人だが,マルコ伝とルカ伝ではゲラサ人になっている。)
- 回答:実際には二人いたが,マルコとルカはそのうちの一人に焦点を当てて書いただけ。(ガダラは地域の名前で,ゲラサは町の名前。本文上の不明瞭さがあるが,福音書に登場する場所はガリラヤ湖東岸の町ゲルゲサだと思われる。)「汚れた霊に取り付かれた男の数の矛盾」参照。
- 質問:エルサレム入城の際に弟子たちが準備したろばは,マルコ11:7とルカ19:33では「ろばの子」だけだが,マタイ21:7では「ろばと子ろばとを引いてきた」ことになっている。
- 回答:マルコとルカは「子ろば」に焦点を当てて書いただけ。どこにも「ろばの子だけ」とは書いてない。ちなみに,この状況はゼカリヤ9:9の成就である。
- 質問:イエスがいちじくの木を枯れさせた奇跡は,マタイ21:19では「たちまち枯れ」ているのに対し,マルコ11:20では「翌朝」という時間性が存在している。
- 回答:マタイは時の経過を省略して書いただけ。(他の福音書と比較して読んでみても分かるが,マタイは時間順に並べて出来事を書くことに,あまりこだわらなかったようだ。一番時間順にこだわって書いたのはルカ。)
- 質問:共観福音書の記事には,編纂順序に関して数多くの相違点や矛盾点がある。(ペテロの姑(しゅうとめ)の癒やし,中風の人の癒やし,12弟子の選び,イエスの「10人のおとめ」や「タラント」のたとえ話,律法学者に対して語られた「最大の律法」の話,イエスのエルサレムに対する嘆きの言葉など。)
- 回答:マタイやマルコは,必ずしも記事を時間順に並べて書いたわけではない。事実,マタイ伝やマルコ伝では「順序立てて書く」とは宣言されていない。また,相違点はあっても,矛盾点はない。イエスの教えや行動そのものに矛盾はない。ちなみに,「10人のおとめ」のたとえ(マタイ25:1~13)も「タラント」のたとえ(マタイ25:14~30)も,他の福音書には記録されていない。「ミナ」のたとえ(ルカ19:11~27)は「タラント」のたとえに似ているが,別のたとえ話である。「最大の律法」の話は,ルカ10:25~37と,マルコ12:28~34とマタイ22:34~40とでは別の話である。また,イエスのエルサレムに対する嘆きのことばは,ルカ13:34~35とマタイ23:37~39の二箇所に記録されているが,時間的にはルカが正確だと思われる。マタイはイエスの教えをテーマ別に書いているので,イエスの公生涯のまとめとして,このことばを23:37~39に置いたのだろう。
- 質問:マタイ19:3~9の「離婚に関する教え」には矛盾がある。イエスは「神が結び合わせたものを人が引き離してはなりません」(マタイ19:6)と教えた一方で,「だれでも,淫らな行い以外の理由で自分の妻を離縁し,別の女を妻とする者は,姦淫を犯すことになるのです」(マタイ19:9)と,離婚を許容する教えを語っている。
- 回答:まず理解しておくことは,これはモーセの律法に関する教えである。それを踏まえてマタイ19:3~9の文脈を見れば,これは矛盾ではないことが分かる。ここでイエスは,モーセの律法の正しい解釈を教えておられるのである。イエスは「モーセは,あなたがたの心が頑ななので,あなたがたに妻を離縁することを許したのです。しかし,はじめの時からそうだったのではありません。あなたがたに言います。だれでも,淫らな行い以外の理由で自分の妻を離縁し,別の女を妻とする者は,姦淫を犯すことになるのです」(マタイ19:8~9)と教えられた。この教えは既にマタイ5:32で説明されている。マタイ5:31で引用されている「妻を離縁する(直訳「去らせる」)者は離縁状を与えよ」という申命記24:1の命令の本来の意図は,妻の権利を守ることにあった。離婚してからも,夫としての権利を主張する横暴な男性たちがいたために,妻を保護する必要があった。しかし,後の時代になるとこの命令が乱用されるようになった。つまり,離婚状を与えさえすれば,合法的に離婚できると考えられるようになったのである。当時のユダヤ教のパリサイ派には,ヒレル学派(ヒルレル学派)とシャマイ学派(シャンマイ学派)という二つの代表的な学派があったが,ヒレル学派の教えでは,「料理が下手というだけで離婚して良い」とされていた。一方,シャマイ学派は妻に不貞があった場合のみ離婚が許されるとしていた。そのような時代背景の中で,イエスはモーセの律法の正しい解釈を教えられたのである。「だれでも,淫らな行い以外の理由で自分の妻を離縁し,別の女を妻とする者は,姦淫を犯すことになるのです」(マタイ19:9)というイエスの教えは,一見するとシャマイ学派の教えと同じように思えるかもしれない。しかし,このイエスの教えはシャマイ学派の教えと決定的な違いがある。それは,不貞以外の理由で妻を離縁した男性が別の女性と結婚した場合は,その男性は姦淫の罪を犯すことになると言われたことである。イエスがこのように言われた理由は,当時,離婚した女性が生きる道は,他の男性に身を寄せることしかなかったからである。イエスは,不貞を働いた女性だけでなく,不貞を働いた男性もまた姦淫の罪を犯すことになると教えられた。これがモーセの律法の正しい解釈なのである。また,そもそも結婚というものは,神が二人の男女を一つにされたものであり,本来,創造の秩序の中で離婚は想定されていなかった。モーセが離婚状を渡せと命じたのは,離婚の命令ではなく許可であった。つまり,イスラエルの民の心が頑ななので,譲歩して離婚の許可が与えられたのである。この離婚に関する教えは,マルコ10:2~12に詳しく説明されている。また,ルカ16:18でも夫の姦淫の罪も問題にすべきだと教えている。以上の教えは,当時機能していたモーセの律法に関する教えであり,今日の私たちにそのまま適用されるものではない。(モーセの律法に関してはモーセの十戒と新約時代の戒めの関係参照。)今日の私たちにも適用される離婚の問題に関する理想的な解決法は,赦しと和解によって結婚関係を継続することである。なぜなら,結婚は神の創造の秩序に属することであり,祝されたものだから。
- 質問:マタイの「わたしよりも父や母を愛する者は,わたしにふさわしい者ではありません。わたしよりも息子や娘を愛する者は,わたしにふさわしい者ではありません」(マタイ10:37)と「父と母を敬え」(マタイ19:19)は矛盾した教えである。
- 回答:イエスは両親を敬うよう命じておられる。これはどのような状況であっても変わることのない普遍的な命令である。もし両親がイエスに敵対するような時には,両親を敬いながらもイエスを第一にすべきだという愛の優先順位について教えているのである。イエスを第一にしながら,両親を敬うことは可能である。
- 質問:ベタニアで埋葬の準備としてイエスに「香油を注いだ女」の話は,マタイ伝とマルコ伝では「エルサレム入城」後の受難週の出来事になっているが,ルカ伝(及びヨハネ伝)ではそれ以前になっている。しかも,マタイ伝とマルコ伝では頭に香油を注いでおり,ルカ伝(とヨハネ伝)では足に塗っている。
- 回答:(1)ルカ伝にはベタニアのマリアによる香油注ぎの話は記録されていない。ルカ7:36~50の香油注ぎの話は全く別の女性による,全く別の話である。(2)マタイ伝とマルコ伝では頭に香油を注いだことが記録されているだけであり,「足には塗らなかった」とは書いてない。同様に,ヨハネ伝では「頭には注がなかった」とは書いてない。したがって,矛盾ではない。実際には,ベタニアのマリアは非常に高価なナルドの香油をイエスの頭に注ぎ,足に塗った。こうして,香油はイエスのからだ全体に塗られたのである。この献身的な行為が,ベタニアのマリアの記念として現在も語られている。この事実はマタイ26:13,マルコ14:9の成就である。(3)いつの話なのかを断定するのは難しいと思う。過越の祭りの2日前(ニサンの月の13日)だと考える人もいるが,私はヨハネが正確な日時を記録していると思う。つまり,過越の祭りの6日前(ニサンの月の9日)の夕食での出来事だと思う。その根拠は,ヨハネ12:12~15のエルサレム入城(ニサンの月の10日)が「その翌日」と書いてあるから。マタイとマルコは,ベタニアのマリアによる香油注ぎの話を挿入句として書いたのだと思う。事実,原文のギリシア語でも挿入句として読める。(4)場所は,ツァラアトに冒された人(重い皮膚病の人)シモンの家(マタイ26:6,マルコ14:3,ヨハネ12:1~2)で,そこにはベタニアのマルタ,マリア,ラザロの兄弟姉妹もいた。ちなみに,シモンの病気は既に完全に癒やされていた。(5)マリアを責めたのは複数の弟子たち。ヨハネはイスカリオテのユダに焦点を当てて書いただけ。(6)この話で重要なのは,日時や場所ではなく,ベタニアのマリアが行ったことである。
- 質問:受難週の出来事である「宮きよめ」が,マタイ伝ではエルサレム入城したその日のうちに行われているのに,マルコ伝では翌日に行われている。だから,この「宮きよめ」と「いちじくの木が枯れる」奇跡との順序は全く逆転している。
- 回答:マタイは時の経過を省略して書いたと考えれば,マタイ伝の「宮きよめ」(マタイ21:12~13)もエルサレム入城の翌日だと読める。また,「枯れたいちじくの木」については前述したとおり。よって,マタイ伝とマルコ伝の記事は矛盾しない。
- 質問:ペテロの「三度の否認」は,マタイ伝とマルコ伝によればサンヘドリン(最高法院)によるイエスの裁判の後に記述されているが,ルカ伝ではイエスへの尋問よりも先に記述されている。(ちなみにヨハネ伝によると,イエスは大祭司カヤパのところに行く前に,まずアンナスのところへ連行されたことになっている。)
- 回答:イエスはまずアンナスの所に連れて行かれ,次に大祭司カヤパの所に連れて行かれた(ヨハネ18:12~24,マタイ26:57,マルコ14:53)。場所はどちらも大祭司カヤパの官邸。ペテロは,イエスがアンナスから審問を受けていた時に一度否認し(ヨハネ18:15~18),大祭司カヤパの所で行われたサンヘドリンによる私的な裁判の時(マタイ26:59~68,マルコ14:55~65)に二度否認した(ヨハネ18:25~27)。マタイとマルコとルカはこのペテロの「三度の否認」をまとめて書いただけ(マタイ26:69~75,マルコ14:66~72,ルカ22:54~62)。そして,夜が明けてからすぐに行われたサンヘドリンによる公式な裁判で,イエスは公式に有罪宣言を受けた(ルカ22:66~71,マタイ27:1,マルコ15:1)。この夜明け後の裁判は,単に形式を整えるためのものであった。その後,イエスはピラトの官邸に連れて行かれた(ヨハネ18:28,ルカ23:1,マタイ27:2,マルコ15:1)。
- 質問:五千人を養った「パンの奇跡」は,マルコ6:35では単なる「寂しい所」での出来事であり,それを解散させた後で弟子たちを「向こう岸のベツサイダへ」行かせているのに,ルカ9:10ではベツサイダの町中に既にいて,そこで起こった出来事になっている。ちなみに,マタイ伝では,この「パンの奇跡」の直前にイエスは故郷にいた(13:54~58)ことになっているにもかかわらず,その後,不自然なことに突然舟に乗って寂しい所へ行かれ(14:13),その場所で奇跡が行われたことになっている。
- 回答:次のように考えれば良い。イエスと弟子たちはイエスの郷里のナザレから,伝道の拠点にしていたカペナウムへ行った。それから弟子たちだけで伝道した。伝道から帰ってきた弟子たちはイエスと舟に乗って,休息をとるために密かにカペナウム(あるいはその周辺)からベツサイダ・ユリアスというガリラヤ湖の北東にある町へ行った。(ベツサイダという町は二つあった。もう一つはガリラヤ湖の北西にある町で,ペテロとアンデレとピリポの出身地。)彼らが出て行くのに気づいた人々は,ガリラヤ湖の岸辺を走って,舟の先回りをした。イエスは舟から上がり,寂しい所で人々を教え,また,癒やした。そして五千人のパンの奇跡が行われた。マルコ6:45の「向こう岸のベツサイダ」とはガリラヤ湖の北西にある町のことだろう。五千人のパンの奇跡の後,弟子たちは舟に乗せられ,ガリラヤ湖を渡ってゲネサレの地に着いた。(ゲネサレの地に着く前にイエスがペテロを助けて舟に上がられた。)ゲネサレの地はガリラヤ湖の北西に広がる肥沃な地で,ユダヤ人たちは「神の園」とか「パラダイス」と呼んでいた。それからイエスはカペナウムへ行き,「いのちのパン」のメッセージをした(ヨハネ6:22~71)。
- 質問:マルコ12:37~40によると,イエスは大勢の群衆に対して話をしているのに,ルカ20:45ではそこに「弟子たちに」という言葉が挿入されており,語る対象が民衆から弟子へと変更され,民衆はそれを聞いているだけの存在となっている。
- 回答:並行箇所のマタイ23:1を読めば,イエスは群衆と弟子たちに語られたことが分かる。
- 質問:マタイ13:1~9やマルコ4:1~9によると,イエスが「種を蒔く人」のたとえ話をされた時,それは海辺の出来事であり,しかも舟の上からの説教であったという "状況設定" が明確にされているのに対して,ルカ8:4~8になると海辺という状況設定すら,まったくない。
- 回答:イエスが「種を蒔く人」のたとえ話をされた時の詳しい状況は,マタイ伝やマルコ伝を読めば分かる。ルカは省略して書いただけ。
- 質問:ルカ伝に記述されている地理的状況と,現実のパレスチナ地方の地理とを比較してみると,さまざまな矛盾が見えてくる。したがって,一般的に,ルカ伝とは「パレスチナの地理をあまり知らない人物が編纂した書である」とされている(参考,『新共同訳・新約聖書注解Ⅰ』262頁)。
- 回答:他の福音書と照らし合わせて考えれば,何も矛盾はないことが分かる。(1)ルカ4:44の「ユダヤ」は広義でのユダヤを意味し,並行箇所のマタイ4:23とマルコ1:39から,ガリラヤ全域のことだと分かる。(2)ルカ9:51~53の文脈を説明すると,次のようになる。イエスによるガリラヤでの弟子訓練は終わった。イエスは約半年後の過越の祭りの時にエルサレムで十字架につくことを決意して,ユダヤ人にとっては一般的な旅程ではなかったが,サマリアを通られた。そして仮庵(かりいお)の祭りを祝うためにエルサレムへ上った(ヨハネ7章)。(3)ルカ17:11の意味は文脈をよく確認しないと,理解するのが難しい箇所である。ルカ17:11~12によると,イエスはエルサレムに向かう途中,サマリアとガリラヤの境を通ってある村に入られるが,その前に,ベタニアでラザロをよみがえらせてから,エフライムという北の町に去っている(ヨハネ11章)。それからさらに北へ行き,過越の祭りを祝うためにエルサレムへ上る巡礼者たちが通る通常のルート(サマリアとガリラヤの境を東へ進みヨルダン川の東岸へ出る道)を通って,エルサレム(十字架)に向かったと考えられる。(4)したがって,ルカはパレスチナの地理をよく知らなかったのではない。また,ルカ伝には矛盾もない。
- 質問:ヘロデの誕生日の祝いの席で,洗礼ヨハネの首が盆に載せられ運ばれてくる場面(マタイ14:6~11,マルコ6:21~29)は,地理的にみて極めて不自然だ。なぜなら,「誕生日の宴会に高官,武将たちを集めるにふさわしい所として当然ティベリアス(テベリア―ガリラヤ湖西岸の町)の王宮が考えられるが,ヨハネの投獄されていた場所は死海東岸のマケルス砦(とりで)であったから(ヨセフス『古代誌』18・5・1~2),はねた首を即座に持って来ることはできない」(『新共同訳・新約聖書注解Ⅰ』100頁)。
- 回答:ヘロデ・アンテパス(ヘロデ大王の息子で,ガリラヤ地方とペレア地方の領主。聖書では「ヘロデ」と記述。マルコは皮肉を込めて「ヘロデ王」と書いた。王のように振る舞っていたから。)が自分の誕生日に祝宴を設けた場所は,バプテスマのヨハネが投獄されていたマケルスの砦と考えられる。マケルスは要塞兼王宮であり,その中に牢獄があった。また,マケルスの要塞には食堂が2つあり,男女が分かれて食事をした。ところで,ヘロデ・アンテパスは妻へロディアの要求もあり,ヨハネを投獄したが,ヨハネを恐れていたので,殺せずにいた。そして,ヨハネを時々呼び出しては,その教えを喜んで聞いていた(マルコ6:20)。ヘロデ・アンテパスが,獄中のヨハネを時々呼び出して教えを聞いていた理由は,当時の時代背景にある。当時,ローマ人の貴族たちは,哲学者の話を聞くことを趣味としていた。ヘロデ・アンテパスはローマ文化の影響を受けていたので,ローマ人の貴族たちに倣って,獄中のヨハネを呼び出して,喜んで教えを聞いていたのである。また,誕生パーティーをするのも,ギリシア人やローマ人の習慣だった。このような状況から考えれば,ヘロデ・アンテパスが自分の誕生日に祝宴を設けた場所は,ヨハネが投獄されていたマケルスの砦だと考えるのが自然である。
福音書における修正部分と明細化
- 質問:マルコ1:2はイザヤ書からの引用ではない。
- 回答:マルコは1:3をイザヤ40:3からの引用として書いているだけ。この文脈でマルコが言おうとしているのは,バプテスマのヨハネが,預言者イザヤによって預言されていた人だということ。イザヤの預言をより分かりやすくするために,2節のことばを書いたと思われる。ちなみに,マルコ1:2はマラキ3:1からの引用。
- 質問:マルコ2:25~26に書かれている祭司の本当の名前は「アヒメレク」(1サムエル記21:1~6)であり,「アビアタル」ではない。
- 回答:マルコ2:26に書かれている大祭司の名前は「エブヤタル」(アビアタル)で問題ない。「アビアタルとアヒメレクを取り違えたマルコ」参照。
- 質問:マタイ23:35の「バラキヤの子ザカリヤ」のザカリヤは,正しくは「エホヤダの子」(2歴代誌24:20~22)である。
- 回答:マタイ23:35のザカリヤがエホヤダの子である場合,マタイが書き間違えたのではなく,後に写本を作る時に,預言者ゼカリヤ(ゼカリヤ1:1)と混同して「バラキヤの子」が挿入された可能性が考えられる。というのも,有力なシナイ写本(4世紀)のマタイ23:35には「バラキヤの子」が欠けているからである。また,並行箇所のルカ11:51にも「バラキヤの子」は書かれていない。ただし,有力なヴァチカン写本(4世紀)のマタイ23:35には「バラキヤの子」(ギリシア語で「ΥΙΟΥΒΑΡΑΧΙΟΥ」)が書かれているので,かなり早い時期に誤って挿入されたのだろう。(三大写本のうちのアレクサンドリア写本にはマタイ1:1~25:6が欠けているので不明。)いずれにせよ,イエスはこの箇所で,ヘブル語聖書(創世記に始まり歴代誌で閉じていたヘブル語聖書)に登場する最初の殉教者アベルから最後の殉教者ザカリヤまでの血の報いを,当時の不信仰なユダヤ人たちが受けることになると言われたのである。そして,それは紀元70年に成就した。ちなみに,マタイ23:35やルカ11:50~51は,イエスや律法の専門家たちが用いていた聖書の内訳が,現在私たちの持っている旧約聖書と同じであることを示す,一つの証拠となっている。つまり,旧約正典はイエスの時代には既に完結しており,「イエスが十字架で亡くなられたのちに,約60年を経てから行われたユダヤ教のラビたちによるヤムニヤ会議(AD90年)において,旧約文書が取捨選択され,最終的な決定(注,現プロテスタント教会使用の旧約39巻の基準となったもの)が出され」(『「原理講論」に対する補足説明』31頁)たのではないと考えられる。(参考文献:榊原康夫著『旧約聖書の生い立ちと成立』増補改訂版,いのちのことば社,1994年;『新実用聖書注解』いのちのことば社,2008年,25~44頁。)
- 質問:マタイ6:28に「野のゆり」とあるが,現実にはイスラエルの野原に百合の花は咲いていない。自然界の事実と食い違っている。
- 回答:とても珍しいが,イスラエルの野にゆりの花は咲いている。
- 質問:マルコ11:13によれば,イエスは「いちじくの季節ではなかった」にもかかわらず,空腹を満たそうとその実を探し求めており,季節感覚の乏しさというものをそこで浮き彫りにしている。
- 回答:イスラエルでは,いちじくの木はよく見かけるが,私たちの知っているいちじくの木とは実のつけ方が少し違う。いちじくの木が葉を茂らせるのは4月だが,その前(3月)に食用の緑の実(つぼみ)をつける。この実を「初なりの実」(イザヤ28:4)と言い,農夫がよく食べていた。イエスが期待されたのは,この「初なりの実」であった。いちじくの実そのものがなるのは5月末から6月にかけてであり,8月末までいちじくの実の収穫が行われる。このようなことはユダヤ人にとって常識だった。
- 質問:マルコ6:17にも誤りが存在している。「このヘロデは,自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤをめとったが,このことで,人をつかわし,ヨハネを捕えて獄につないだ。」このヘロデヤとは「兄弟ピリポ」の妻ではなく,史実的には「異母弟ヘロデ」の妻だったのが,その後にヘロデ・アンティパスの妻となったのだ。だから,この資料を用いるとき,ルカ伝記者は「ピリポ」という名を省略して用いている。
- 回答:ヘロデヤ(へロディア)はヘロデ大王の息子のヘロデ・ピリポ(聖書では「ピリポ」と記述)の妻だったが,その後にヘロデ大王の息子のヘロデ・アンティパス(ヘロデ・アンテパス)の妻となった。ヘロデ・ピリポとヘロデ・アンテパスは腹違いの兄弟である。したがって,マルコ6:17に誤りはない。ゆえに,ルカが3:19で「ピリポ」の名を省略したのは,マルコの記述に誤りがあったからではない。
- 質問:マルコ7:17でイエスに質問した無名の弟子は,ルカ伝によればそれが「ペテロであった」ことになっている。
- 回答:ルカ伝ではなく,マタイ伝(15:15)の間違い。ペテロが弟子たちを代表して質問したという意味。
- 質問:マルコ14:23では最後の晩餐(過越の食事)の時に「一同はその杯から飲んだ」とされている場面に,マタイ26:27では「みな,この杯から飲みなさい……」ということばをイエスの口に語らせている。
- 回答:マルコは省略して書いただけだろう。実際には,イエスはマタイ26:27のことばを言われたと考えられる。というのも,そもそも過越の食事は一つの儀式として行われるものなので,各々が好きなタイミングで好きな料理を食べる一般的な食事とは勝手が違うから。
- 質問:ユダの裏切りの接吻の場面で,マルコ伝ではイエスは無言のままなのに,マタイ伝とルカ伝ではイエスにおのおの違ったことばを語らせている(参考文献,R・ブルトマン著『共観福音書の研究』第四章)。
- 回答:マルコ伝には,「その時,イエスはユダに何も言われなかった」とは書いてない。マルコは省略しただけ。実際にはイエスはこの時,「ユダ,あなたは口づけで人の子を裏切るのか。」(ルカ22:48)と言われたのだろう。マタイが書いた「友よ,あなたがしようとしていることをしなさい(別訳「何のために来たのですか」)」(マタイ26:50)ということばは,ルカ22:48と同じ意味である。
- 質問:「大祭司の祈り」(ヨハネ17章)と呼ばれている祈りの場面では,イエスの口に,他のどの福音書にも見られなかったような膨大な祈りのことばを,長々と語らせている。
- 回答:実際に,イエスは「大祭司の祈り」をされたと考えられる。ヨハネ14:26の約束の成就と考えれば良い。
NHK教育テレビ「イエスはどんな人だったか」(1994年9月12~13日放送)
- 質問:イエスはローマ政府との対立という政治的イザコザに巻き込まれて,願わざる死を遂げた(殺害された)。
- 回答:もしイエスが,ローマとユダヤ人との政治的対立に巻き込まれて殺されたと考えるなら,聖書の記述を自分勝手に都合良く無視していることになる。(1)例えば,当時のサンヘドリン(最高法院)のメンバーにはサドカイ派(大祭司と祭司長たち)とパリサイ派(律法学者たちと長老たち)がいたが,サドカイ派は親ローマであり,パリサイ派は反ローマであった。この相反する勢力が一緒になってイエスを死刑にしようとし,彼らが本来守るべき律法(当時のユダヤ法)に次々と違反しながら,神を冒瀆(ぼうとく)したという「冒瀆罪」をでっち上げて,イエスに死刑判決を出した(マタイ26:47~27:2)。ユダヤ人による死刑は「石打ちの刑」であるが,当時(紀元30年)はローマによって死刑を執行する権限が奪われていたので,イエスを死刑にするために,祭司長たち(サドカイ派)と長老たち(パリサイ派)は次にピラトの所へイエスを連れて行き,そのローマの法廷で死刑判決を出してもらおうとした。そのために祭司長たちは,群衆を扇動し(マルコ15:11),何が何でもイエスを十字架刑で殺そうとした。しかし,ユダヤの総督ポンティオ・ピラトはイエスが無罪だと判断した。なぜなら,イエスはローマ法に全く違反していなかったからである。「ピラトは,彼らがねたみからイエスを引き渡したことを知っていた」(マタイ27:18)と書いてある。これが聖書に記述されている真実である。したがって,イエスはローマとの政治的イザコザに巻き込まれたのではない。(2)イエスは殺害されたように見えるが,実はそうでない。イエスが十字架につけられ,死なれたのは,旧約聖書のメシア預言(イザヤ42:4,53章,ゼカリヤ13:7,詩篇22篇,ダニエル9:26)が成就するためであった。これらの旧約聖書のメシア預言はイエスの死後に付け加えられたのではないことが,死海写本の発見によって判明している。また,イエスは自発的に死なれたのであって,願わざる死を遂げたのではない。イエスは十字架上で全ての贖いが「完了した」(ヨハネ19:30)ので,自らの意志で「頭を垂れて霊をお渡しになった」(ヨハネ19:30)のである。十字架につけられてから死ぬまでの時間も,軍人であるピラトが驚くほどの短さだった。「ピラトは,イエスがもう死んだのかと驚いた」(マルコ15:44)と書いてある。イエスの十字架上の死は人間の想像を遙かに超えた出来事であった。ゆえに,「百人隊長はこの出来事を見て,神をほめたたえ,『本当にこの方は正しい人であった』と言った」(ルカ23:47)のである。(3)以上のことから,イエスの死は批評学者たちが言うような "政治的問題" に巻き込まれたために起こってしまった不慮の死ではないことが,聖書の記述によって分かる。そして,メシアの初臨に関する旧約聖書のメシア預言が全て文字通りに成就したことを考えると,聖書は疑う余地なく信頼できると確信を持って言えるのである(旧約聖書のメシア預言とその成就する確率参照)。
「新約聖書」における聖句の引用問題
ここでは,太田氏が主張している「マタイ伝における聖句の引用問題」を取り上げます。
この問題に対する詳しい解説は,アーノルド・フルクテンバウム著/佐野剛史訳『メシア的キリスト論―旧約聖書のメシア預言で読み解くイエスの生涯―』(紙版,ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,2016年)を参照して下さい。
- 質問:「旧約聖書と新約聖書の関係」=「ユダヤ教とキリスト教の関係」である。両者の間には大きな "断絶" がある。
- 回答:旧約聖書と新約聖書は連続している。断絶はない。したがって,旧約聖書を正しく理解すれば,イエスこそメシアであることが証明される。しかし残念ながら,ユダヤ教徒は旧約聖書を正しく理解していない。これが真実である。
- 質問①:マタイ伝の冒頭に書かれている「イエス・キリストの系図」には省略されている人物がいる。これは勝手に改ざんされた系図である。
- 回答:ヘブル語聖書(旧約聖書)の知識があるユダヤ人なら,系図に省略があっても,すぐ後に書かれている人物が前の人物の直系の子孫であることが分かる。ゆえに,この系図は「改ざんされた」とは言えない。「イエスの系図の間違い」参照。
- 質問②:マタイは,処女マリアが聖霊によって身ごもったのは,イザヤの預言の成就であるとして,イザヤ7:14の聖句を引用した(1:23)。しかし,イザヤ7:14で使われているヘブライ語「アルマー」は単に「若い女」という意味の言葉である。それが七十人訳聖書(旧約聖書のギリシア語訳)では「処女」を意味するパルセノスというギリシア語に誤訳されてしまった。マタイはそれをいいことに,七十人訳聖書から引用して,「預言の成就だ」とした。「処女」という言葉はヘブライ語で「ベトゥラー」であるから,パルセノスと訳したのは問題である。また,この預言はアハズ王の息子ヒゼキヤの誕生を指していた。
- 回答:ヘブライ語の「ベトゥラー(בְּתוּלָה)」は常に処女を指すわけではない。一方,「アルマー(עַלְמָה)」というヘブライ語は旧約聖書全体で7回使われていて,イザヤ7:14以外の全てで「処女」を意味している。よって,イザヤ7:14を例外とする根拠はない。また,古代のユダヤ人学者の間では,イザヤ7:14は処女が子を産むことの預言であるという意見で一致していた。したがって,紀元前200年頃に完成した七十人訳は誤訳したのではない。「パルセノス(παρθένος)」というギリシア語は間違いなく,例外なく「処女」を意味する言葉であるから,七十人訳は正確に訳したと言える。また,イザヤ7:13~14の預言はダビデ家全体のためのものである。(呼びかけの対象が「あなたがた」となっていることから分かる。)アハズへのしるしはイザヤ7:15~17で語られていて,16節の「その子」とは3節に出てきたイザヤの息子シェアル・ヤシュブのことである。
- 質問③:マタイは,イエスがベツレヘムに生まれたのは「預言の成就だ」として,ミカ5:1から聖句を引用した(2:6)。しかし,マタイは引用した旧約句に否定詞「でない」をおいて,本来の旧約文の意味を全く逆転させてしまった。つまり,ミカはベツレヘムが「最も小さい」と言っているのに,マタイは「最も小さいものではない」と言っている。
- 回答:これは「字義通りの預言+文字通りの成就」である。イエスがメシアとして生まれた時,ユダ地方のベツレヘムで誕生した。マタイは,ミカ5:2(『聖書 新共同訳』と『聖書 聖書協会共同訳』ではミカ5:1)の預言が文字通りに成就したので,成就したという視点で引用しただけ。
- 質問④:マタイは,イエスがエジプトに逃避行したのも「預言の成就」として,ホセア11:1の「エジプトからわが子を呼び出した」を引用した(2:15)。しかし,ホセア書の文脈では,これはモーセによってエジプトから解放されたイスラエルの民自身を指している。しかもホセア書では「わたしが呼ばわるにしたがって,彼らはいよいよわたしから遠ざかり,もろもろのバアルに犠牲をささげ,刻んだ像に香をたいた」と叱責している場面である。
- 回答:これは「字義通りの意味+型」である。これは,実際に起こった歴史的事件(出エジプトの出来事)を取り上げ,それを「型(タイプ)」として説明する引用法である。出エジプトの出来事では,神が「わたしの子」と呼ばれるイスラエルの民をエジプトから呼び出された。これが「型(タイプ)」である。「本体(「オリジナル」あるいは「アンチタイプ」)」は,神の子の中の「神の子」である御子イエスが,「エジプト」から救出されたことである。ここでの「エジプト」とは「ヘロデの脅威」を指す。このような旧約聖書の引用法は,ユダヤ教のラビたちが普通に行っていた。字義通りの意味は史実であって預言ではないが,その史実が新約聖書で起こったことの型になっているので引用されているのである。また,ホセア11:2は関係ない。マタイが引用したのはホセア11:1だけである。
- 質問⑤:マタイは,ヘロデ王が「ベツレヘムとその付近の地方とにいる二歳以下の男の子を,ことごとく殺した」ことについて,それはエレミヤの預言が成就したのだと,エレミヤ31:15を引用した(2:17)。エレミヤによれば,ラケルの墓とはベニヤミン族の領地ラマにあったとされ,彼女の子孫であるユダヤの民がバビロンに連れ去られる時,このラマの地を通過したので,エレミヤは「さぞかしラケルは草葉の陰から泣いていることだろう」と嘆いたのだ。つまり,この預言はもともとバビロン捕囚を指していたものだった。また,ラマはエルサレムの北方にある町で,ベツレヘムとは正反対の方向に位置していた。にもかかわらず,マタイは「ラケルはベツレヘム近くに葬られた」(創世記35:19)という伝承に基づいて,ちゃっかりとここに引用したのだった。
- 回答:これは「字義通りの意味+適用」である。このような引用法も,当時のラビたちが普通に行っていたもので,「実際の出来事」を現代の出来事に「適用」しようとするものである。エレミヤ31:15の文脈はバビロン捕囚で,息子たちがバビロンに連行され,二度と会うことがなくなるために,母親たちがラマ(エルサレムの北にある町)で嘆いている。ここでラケルの名前が出てくるが,ラケルはヤコブ(イスラエル)の最愛の妻だった。ラケルはイスラエルの民(ユダヤ人)の母の象徴であり代表なのである。ラケルはラマの近くに葬られたので,ラマでラケルが泣いているという表現になっている。これが字義通りに読み取ったエレミヤ31:15の意味である。新約聖書の記事との共通点は,もう二度と見ることがない息子のためにユダヤ人の母親が泣いているという点にある。この一つの共通点のために,マタイは「実際の出来事」を「適用」として引用しているのである。
- 質問⑥:マタイは,イエスが「ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちによって,『彼はナザレ人と呼ばれるであろう』と言われたことが,成就するためである」(2:23)と述べている。しかし,そのような預言は旧約聖書のどこを捜しても見当たらない。
- 回答:これは旧約聖書の直接引用ではなく,旧約聖書が教えていることの「要約」である。これも,当時のユダヤ教のラビたちが使っていた引用法なのである。23節で「預言者たち」と複数形になっていることから,要約だと分かる。ナザレの人々は,紀元1世紀のユダヤ人にとって軽蔑の対象であった(ヨハネ1:46)。「ナザレ人」とは,人を非難したり,そしったりするための言葉だった。イエスは,そのような寒村ナザレで育った。マタイは,その事実の中に,さげすまれたしもべとしてのメシア預言の成就を見た。
- 質問⑦:マタイは,洗礼ヨハネの出現を指した預言であるとして,「預言者イザヤによって,『荒野で呼ばわる者の声がする,"主の道を備えよ,その道筋をまっすぐにせよ"』と言われたのは,この人のことである」(3:3)と,イザヤ40:3を引用して述べている。しかし,本来イザヤ(第二イザヤ)は,この箇所でバビロン捕囚からの帰還を指して語っていた。だから,その声は,クロス王(イザヤ45:1),ペルシャ人,メディヤ人に対して向けられているのである。
- 回答:イザヤ書40~66章の預言は,バビロン捕囚からの回復以上の預言である。また,「荒野で呼ばわる者の声」は,クロス王,ペルシャ人,メディヤ人に対して向けられた声ではなく,ユダヤ人に対して向けられた声である。この預言はバプテスマのヨハネにおいて部分的に成就した。完全に成就するのは,大患難時代の前に預言者エリヤ本人が地上に来てからになる(マラキ4:5~6)。ちなみに,イザヤ書40~66章は「第二イザヤ」という無名の預言者によるものではなく,1~39章と同じ預言者イザヤによって書かれた。イザヤという預言者が一人であったことは,ヨハネ12:37~41から分かる。
- 質問⑧:マタイは,イエスが洗礼ヨハネからバプテスマを受けた時,「天が開け,神の御霊(みたま)が鳩のように自分(イエス)の上に下って……また天から声があっ(た)」として,そこに詩篇2:7とイザヤ42:1とを複合引用して,「これはわたしの愛する子,わたしの心にかなう者である」(3:17)と述べた。しかし,詩篇2:7の原文は「あなたは,わたしの子…」(新改訳聖書)となっているにもかかわらず,マタイはここでも勝手な書き替えを行って,「これはわたしの愛する子…」としている。しかも,マルコ1:11やルカ3:22においては,「あなたはわたしの愛する子……」と二人称で述べられているため,果たして "天からの声" がこれら二つのうちのいずれの言葉であったのか,そこに微妙な食い違いが生じている。
- 回答:マタイはユダヤ人向けに福音書を書いた。その読者に対して,マタイは,「このイエスこそヘブル語聖書(旧約聖書)で預言されていたメシアである」ことを示すために,「これは」という言葉を使っただけだと考えれば良い。意味は詩篇2:7と同じ。実際の天からの声(「バット・コル(בַּת־קוֹל)」と言う)は,マルコやルカが記録しているとおりだろう。
- 質問⑨:マタイは,洗礼ヨハネが捕らえられたのちにイエスがガリラヤへ退かれ,その後にガリラヤ湖畔の町カペナウムに住まわれたことに対して,イザヤ9:1~2を引用して「預言の成就だ」とした(4:14)。(1)しかし,マタイは,七十人訳聖書の原文は "未来形" であるにもかかわらず「……人々に,光がのぼった」と "過去形" に改めて用いている(参考,『新共同訳・新約聖書注解Ⅰ』48頁)。(2)また,もともとイザヤ自身はここで,北イスラエルの地がアッシリアに占領されて「暗黒の地」となってしまったが,のちに栄光を取り戻すであろうということを預言していた。したがってイザヤの述べている「暗やみの中の光」とは,本来的にはイスラエルの民が捕囚から回復され,アッシリアの圧制から解放されることを意味していた。そのイザヤの言葉を,マタイは "イエスの出来事" を預言していたものとして借用し,語っているのである。また,アッシリアは北から攻撃をしかけ,ナフタリ全土を占領し,続いて南下してギレアデ,さらにはゼブルン,そこから西に向かって地中海へと進軍して広大な地域を攻め取ってしまったわけだから,イザヤが9:1で語っている「海に至る道」とは,ダマスコからカルメル山に至るまでの道を指していた。だから,ここで言う「海」とは,正確には "地中海" を指している。にもかかわらず,マタイはそれを意図的に "ガリラヤ湖" へと置き換え,「海べの町カペナウム」というかたちにして引用した。つまり,マタイが引用している聖句のうち,15節で述べている「海」とは,マタイにとってはイザヤ書と違うガリラヤ湖を指しているのである。
- 回答:(1)マタイは七十人訳聖書から引用したのではなく,ヘブル語聖書から引用している(『聖書 新共同訳』の「新約聖書における旧約聖書からの引用個所一覧表」参照)。ヘブル語の原文では完了形である。よって,マタイが過去形(正確にはアオリスト)で引用していても何もおかしくない。(2)イザヤ9:1~2の解釈が間違っている。文脈から,この預言は9章1~7節でひとまとまりのものだと分かる。テーマは「メシア来臨の希望」である。イザヤは,ガリラヤ地方(ゼブルンの地とナフタリの地)がアッシリアの侵略により大きな被害を受けることを預言した。そこには,多くの外国人(異邦人)の移住により,「異邦人のガリラヤ」と呼ばれるようになる。「海沿いの道」「ヨルダンの川向こう」とは,ともにヨルダン川の東の地(アッシリア人の視点)から見た情景である。ガリラヤ地方の住民は,アッシリアの次はバビロン,その次はペルシア,その次はアレクサンドロス,その次はプトレマイオス朝,その次はセレウコス朝によって支配された。その後,マカベアの反乱により数世紀ぶりにユダヤ人は独立を勝ち取ったが,ハスモン朝も次第に腐敗した支配を行うようになった。サドカイ派とパリサイ派が現れたのはこの時代である。そして,紀元前63年に国はローマによって制圧された。そのような,何の希望もなかった民の上に,突如,光がもたらされる。その光は,メシアの来臨によってもたらされる光である。「闇の中を歩んでいた民」「死の陰の地に住んでいた者たち」とは,メシアであるイエスが登場する前のガリラヤ地方の住民のことである。イエスの時代,ローマの支配下にあった彼らは,圧制と風土病とギリシア化された文明から来る霊的な暗黒状態で苦しんでいた。ナタナエルの「ナザレから何か良いものが出るだろうか」(ヨハネ1:46)という発言は,当時のユダヤ人一般がガリラヤ地方に対して持っていた思いを表している(ヨハネ7:41,7:52)。そのガリラヤ地方が,イエスの活動の中心地となった。ガリラヤ湖畔の町カペナウムに住んでいたマタイは,イエスがカペナウムに移り住んだことを,イザヤ9:1~2の預言の成就と見た。
- 質問⑩:イエスは "山上の垂訓" のなかで,「『隣り人を愛し,敵を憎め』と言われていたことは,あなたがたの聞いているところである。しかし,わたしはあなたがたに言う。敵を愛し,迫害する者のために祈れ」(5:43~44)と語っている。以下,『新共同訳・新約聖書注解Ⅰ』(日本基督教団出版局)59~60頁からの要約。(1)この43節の後半の部分は旧約文書中に見いだされないし,ユダヤ教文献にもこれに適合する言葉は見いだされない。これはマタイが書き加えたと考えられる。(2)イスラエルにおいて《隣人》とは,同じ神への信仰をもつ同胞のことであり,神との契約共同体に入っている者のことである。したがって非イスラエル人は《寄留する者》(レビ19:34)であって《隣人》ではない。これに対し,イエスは敵をも愛することを教える。つまりイエスの言葉は隣人愛の限界を破る言葉であった。45節bは素朴な比喩的表現であるが,そこには新しい『神』観が提示されている。(3)こうしたイエスの思想に対して,マタイは45節aを付加することによって歪みを与えている。つまり,マタイは「天の父の子となるため」(義とされるため)に愛の行為を命じている。これは,天の父のあり方に矛盾する。
- 回答:山上の垂訓の内容は,メシアによるモーセの律法の正しい解釈である。当時のユダヤ人たちは「……と言われていた」のを聞いていたが,これらは当時の「言い伝え」(口伝律法)であって,モーセの律法の教えとは違っていた。(モーセの律法の場合は「……と書いてある」になっている。マタイ4:4,4:7,4:10。)(1)マタイ5:43には「敵を憎め」と書いてあるが,これはエッセネ派の教えである。このイエスの教えを聞いていた群衆も,この言葉は当然知っていた。したがって,この言葉はマタイが勝手に書き加えたのではない。(2)当時のユダヤ人たちは,一般的には,「隣人とは同胞のユダヤ人たちのことだ」と定義していたが,聖書的には「隣人とは,目の前にいる,必要を抱えた人」のことである。事実,レビ19:18と19:34から,イスラエルにとっての隣人とは,同胞だけでなく寄留者も含まれていることが分かる。これがモーセの律法の正しい解釈であることを,イエスは群衆に教えられた。したがって,イエスは新しい神観を提示しているのではない。(3)マタイ5:43~48でイエスは,義とされるために,自分の敵を愛し,自分を迫害する者のために祈れと教えているのではない。イエスは,「天の父が分け隔てなく人を愛されるように,あなたがたも信仰によって,自分の敵を愛し,自分を迫害する者のために祈りなさい」と教えているのである。それが天におられる父の御心(みこころ)にかなったことだという教えが,45節aの「天におられるあなたがたの父の子どもになるため」の意味である。
- 質問⑪:マタイは,イエスが悪霊を追い出し,病人を癒やしたことに対し,それを "預言の成就" としてイザヤ53:4の「まことに彼はわれわれの病を負い,われわれの悲しみをになった」を引用した(8:17)。この引用は,マタイ伝では「彼は,わたしたちのわずらいを身に受け,わたしたちの病を負うた」となっている。しかし,マタイはイザヤ書53章の一部分だけをヘブライ語原典の方からほぼ直訳して引用したため,本来そこで謳われていた "代償的苦難" や "贖罪" の概念を損なわせてしまい,イザヤ書が本来的にもっていた文脈を無視する結果を招いてしまっている。つまり,原文には存在した,罪に対する "罰としての病" という含意が消えてしまっているのである(参考,『新共同訳・新約聖書注解Ⅰ』70頁)。しかもマタイは「彼(イエス)は,わたしたちのわずらいを身に受け(た)」と引用して治癒活動を説明してはみたものの,イエス自身がその "治癒活動によって" 患(わずら)いを身に受けてしまって病気になられたという訳でもない。したがって,マタイのこの引用には,どこまでも問題点や矛盾点が含まれていると言えるのである。
- 回答:マタイは,病人たちへの癒やしが,後に来るイエスの身代わりの死による究極的な癒やしを予感させるものとして,先取りして引用したのであろう。また,マタイが引用したイザヤ53:4の前半部分は,「イエス自身がその "治癒活動によって" 患(わずら)いを身に受けてしまって病気になられた」ことを全く意味しない。「病を負う」と「悲しみをになう」は,同じ意味のことを別の言葉で表現した,ヘブル的対句法である。つまり,ここでは「病」=「悲しみ」という意味になる。(事実,「病」と訳されているヘブル語「ホリー(חֳלִי)」は,肉体的な病気だけでなく,精神的・霊的な苦痛や苦悩をも指す語である。英語なら "suffering" の意味。イザヤ1:5,エレミヤ6:7,10:19,伝道者6:2参照。)ゆえに,マタイのこの引用には何の問題点も矛盾点もない。
- 質問⑫:安息日に麦の穂を摘んで食べ始めたイエスの弟子に対し,パリサイ人たちが「ごらんなさい,あなたの弟子たちが,安息日にしてはならないことをしています」と語った時,イエスは旧約聖書からダビデの故事をとりあげて,その行為を弁明したとされる(12:1~8)。この部分について,『新共同訳・新約聖書注解Ⅰ』(日本基督教団出版局)は次のように解説している。「マタイは,弟子たちが麦の穂を摘んだのは《空腹になった》からだという。この句の挿入によって,緊急の事態には律法の拘束力を一時停止させ得るというダビデの故事(サム上21:1~6)と共通性をもつことになる。ダビデにおいて許されたことは――それはファリサイ派が常にその論拠とする他ならぬ聖書に書いてある(《読んだことがないのか》)――同じ状況(空腹)におかれた弟子たちにも認められるはずだという論理で,著者は挿入句で伝承のもつ論理を徹底させている。しかしこの論理の大きな弱点は,ダビデの事件が安息日に起こったのではないということである。そこでマタイはこのエピソードへの引証だけでは不十分と考え,5節以下に別の論理を付け加える。その新しい論拠への接点となっているのは,4節の《神の家》である。ダビデ時代にはこれはまだ天幕であったが,マタイの文脈上では神殿が暗示され,それを接点にして,5節の神殿に働く祭司の特別な立場へ論旨を移していく。祭司が安息日にも働くことは,レビ24:8,民28:9~10に記されている。彼らは神殿の聖務(せいむ)に携わるのであるから,安息日の仕事は律法違反にならない。この祭司の務めを祭司ではない弟子たちの行為に適応してファリサイ派への論駁とするには,その前提として,祭司の仕える神殿と弟子たちの仕えるもの(神殿よりも偉大なもの――イエスの福音)の対応が考えられているわけで,こうして祭司の律法免除の特権はイエスの弟子たちにも及ぶことになる。…………イエスの到来によって神の救いの力が現実に働きかけ,福音が与えられているのであるから(11:5),それに仕える弟子たちは神殿に働く祭司よりも上位に立つことになる」(87頁)。以上の解説で分かるように,明らかにマタイ伝記者は,イエスに仕える弟子たちが神殿に仕える祭司たちよりも上位にあるという大前提のもとに,それを語っているのである。
- 回答:この問題の要点は,安息日の意味を理解しているかどうかである。まず,当時の時代背景を知っておく必要がある。イエス時代のユダヤ教では,安息日が最も重要な口伝律法であった。イエス時代にはタナイーム学派(前30年~220年)という学派がいた。彼らは,律法学者エズラによって設立されたソフリーム学派(前450年~前30年)が次々と作り出した口伝律法を,聖書と同等か,それ以上のものとみなした。そのソフリーム学派の人たちは安息日の重要性を教えるために,次のような問答を作った。「神はなぜイスラエルを創造したのか。それはイスラエルに安息日を守らせるためである。」また,イエス時代のパリサイ人は「全てのユダヤ人が一回でも安息日を完全に守ったなら,メシアが来られる」と教え,安息日を非常に強調していた。そして,メシアが来られたら,口伝律法の安息日規定を全て守られるはずだと考えていた。(パリサイ人の教えでは,モーセは口伝律法も神から受けたことになっていた。)そのような時代背景の中で,マタイ12:1~8の内容を理解する必要がある。モーセの律法によれば,麦の穂を摘んで食べる行為自体は許されていた(申命記23:24~25)。パリサイ人たちが問題にしたのは,それを安息日に行ったという点である。当時のパリサイ的ユダヤ教では,「安息日を聖なるものとせよ」というモーセの律法に対し,1500以上もの細則(口伝律法)が付け加えられていた。そして安息日に麦の穂を摘んで食べる行為は,主に4つの細則に違反していた。第一に,麦の穂を摘むことは収穫に当たる。第二に,手でもみ出すこと(ルカ6:1)は,脱穀に当たる。第三に,息を吹きかけることは,籾殻(もみがら)の選別に当たる。第四に,麦を食べることは,貯蔵に当たる。これらは全て口伝律法に違反する行為だったので,パリサイ人たちは,イエスの弟子たちを糾弾したのである。そこで,イエスは答えられた。(1)マタイ12:3~4で,イエスは,ダビデが行ったことを例に出している(1サムエル21:3~6)。この箇所で重要なのは,祭司しか食べてはならない「聖別されたパン」(レビ24:5~9)を,ダビデと供の者たちが食べたということである。ダビデは律法よりもいのちの維持を優先した。そして,この行動は律法違反とはみなされなかった。事実,ダビデの行動を律法違反だと言って責める者は誰もいなかった。ダビデが「聖別されたパン」を食べたのが安息日だったかどうかは,どうでも良いことである。事実,イエスは,ダビデが「聖別されたパン」を食べた日については何も言及していない。(私の考えでは,この日は安息日であった。それは,1サムエル21:6に「その日」に温かいパンと置き換えられたとあり,レビ24:5~9で「安息日ごとに」主の前のきよい机の上に整えておくことが命じられているからである。その机の上に「供えのパン」を置くことは,出エジプト25:30で命じられている。)この論点のポイントは,人のいのちは律法よりも重いということである。(2)もし,何が何でも安息日を守らなければならないのなら,祭司たちは安息日に宮(神殿)で仕えることができないはずである。なぜなら,パリサイ人は,安息日は他のどの律法よりも重要だと教えていたからだ。しかし,実際は,安息日であっても宮で仕える祭司たちは休まなかった。それどころか,安息日には普段以上に忙しく働いた。これは,宮の中には安息日の規定は適用されなかったことを意味している。これがマタイ12:5の意味である。また,パリサイ人の教えには矛盾があることを示してもいる。実際には,最も重要な律法だと言われていた安息日よりも優先されることがあったのである。ここまでの論点をまとめると,人のいのちは,最も重要な律法だと言われていた安息日よりも重いということである。(3)そこでイエスは,マタイ12:6のみことばを言われた。この論法は「カル・バホメル(קַל־וָחֹמֶר)」と呼ばれるユダヤ的論法である。つまり,宮(あるいは宮で仕える祭司たち)に,最も重要な律法であると言われていた安息日の規定が適用されないのなら,なおさら,その「宮よりも大いなるもの」(イエス)が安息日の規定に縛られるわけがないでしょう,という論法である。この箇所では,祭司たちとイエスの弟子たちと,どちらが上位であるかという話をしているのではない。(4)そしてイエスは,ホセア6:6を引用し,「わたしが喜びとするのは真実の愛。(あるいは「あわれみ。」)いけにえではない」と言われた(マタイ12:7)。つまり,あわれみを示すことは,いかなる場合でも,神に喜ばれるのである。安息日は,イスラエルの民が休息を取るため,また,善を行うために設けられたものであって,その逆ではない(マルコ2:27)。イエスはここでパリサイ人の教えを否定しているのである。安息日に許される労働もある。食べること,癒やすこと,人のいのちに関わる労働は,許される労働であることを,イエスはホセア6:6を引用して教えられた。(5)イエスはご自身を指して,「人の子は安息日の主です」(マタイ12:8)と言われた。安息日はメシア(主)であるイエスが作ったものである。口伝律法が禁じる労働であっても,メシアには適用されない。神の啓示を超えて律法を作ることは,誰にも許されていないのである。
- 質問⑬:『新共同訳・新約聖書注解Ⅰ』(日本基督教団出版局)は,次のように注解している。「マタイは定型導入文を伴ってイザヤ42:1~4を引用するが,引用文は(21節を除いて)ヘブライ語原典,ギリシア語七十人訳,アラム語タルグムのいずれにも合致せず,しかもそのいずれからも適当に必要な語を寄せ集めた文型になっている。…………19節a《争わず》(ウーク・エリセイ)は旧約原典にも各種の訳文にも相当する語がない。著者が引用文構成に当たって書き加えた語と考えられるが,これはイエスがファリサイ派との論争の場から離れたという本書の文脈に適合している。彼は殺害を企てる敵対者と《争わず》対決を避けるが,しかしそれはなお果たすべき任務――弱い者を救う――を完了するためで,その終局の時点ではイエスは《勝利》を得る。20節の《勝利》(ニーコス)も旧約原典とその訳文にないが,この語の挿入によってマタイはイエスの活動全体を復活の時点から包括しているわけである」(89頁)。以上の注解で分かるように,マタイ伝記者は自分の述べる文脈に合致するように,意図的に旧約句を編纂しているばかりか,驚くべきことに,そこに勝手な言葉を付け加え,自己流に改竄(かいざん)している。
- 回答:(1)「コピペのように引用されていないと,引用として問題がある」と考えるのは間違っている。一字一句同じかどうかに注目するのではなく,言っていることの意味を考えるべきである。(2)マタイは12:19で「ウーク・エリセイ(οὐκ ἐρίσει)」と書いたが,これはギリシア語「エリゾー(ἐρίζω)」の否定で,「口げんかせず」とか「声高く論争せず」という意味である。この引用元であるイザヤ42:2のヘブル語聖書を見てみると「ロー・イサー(לֹא יִשָּׂא)」となっている。これはヘブル語「ナサー(נָשָׂא)」の否定で,「声をあげず」という意味である。「声をあげる」と言ったら,「声を張り上げて口げんかする」ことも含まれるのは当然である。つまり,マタイは勝手にことばを付け加えたのではない。(3)イザヤ42:3~4とマタイ12:20~21は,同じ意味である。つまり,マタイは勝手に「勝利」ということばを付け加えたのでもない。(4)以上のことから,マタイは勝手なことばを付け加えたのでもなく,自己流に改竄したのでもない。
- 質問⑭:(1)マタイ13:14~15で引用されたイザヤ6:9~10に関連して,『NTD新約聖書註解2』(ATD・NTD聖書註解刊行会)では,次のような注解を行っている。「(マタイ13:14~15には)引用句がはっきりとした形で導入され,文字通りにギリシア語の聖書(および使徒行伝28:26~27)に従って記される………成就を問題にする引用句の中で,ここの引用はイエスの口に入れられている唯一のものである。また,ギリシア語のテキストと完全に一致しているという点も,ほかでは精々1章23節で確認できるだけである」(403頁)。以上の説明で分かるように,マタイ伝記者が,当時初代教会で広く用いられていたギリシア語聖書(七十人訳)から引用した "旧約句" の中から,厳密な意味で正確な引用を行っている箇所としては,せいぜいがこの13章14~15節と1章23節の二箇所という,ごくわずかな部分に限られているということだ。その他の箇所は,ヘブライ語聖書からの引用を自由に織り混ぜながら,あるいは七十人訳を自分流の言葉に翻訳しなおして用いているのが実情なのである。(2)マタイ伝がここでイザヤ6:9~10の聖句を引用した意図を,マルコ伝のそれと比較してみると,そこに "相違点" というものが見えてくる。マルコ伝では,イエスにこの聖句を語らせながら,弟子たちに対しても「あなたがたはこの譬(たとえ)がわからないのか」(4:13)と言って,彼らをも悟らない人物のなかに含めて取り扱っている。つまりマルコ伝では,聞く者すべてが "イエスの譬の内容" が分からない,として旧約句を用いている。しかしマタイ伝の方になると,既に弟子たちは「見ており,耳は聞いている」(13:16)とされており,弟子たちは悟らない人物のうちに数えられていない。つまりマタイ伝では,イエスは "なぜ譬で語られるのか" という理由付けをそこで問題にしており,その説明としてイザヤ書の旧約句が用いられているのである。したがって,マタイ伝が言うところの,悟ることの許されていない "彼ら"(13:13)とは,いったい誰のことを指しているのかが曖昧(あいまい)になってしまった。このように,同じ聖句を用いるにしても,それをどのような意図に基づいて引用するのかという点については,各々の福音書記者の "思惑" によって異なってしまい,その意味合いに違いが生じてしまっている。
- 回答:(1)質問⑬で回答したように,「コピペのように引用されていないと,引用として問題がある」と考えるのは間違っている。前述したように,マタイの引用法は,当時のユダヤ教のラビたちが普通に行っていたものである。そのようなユダヤ的背景に無知な私たち異邦人には,マタイの引用法は理解するのが困難なだけである。(2)マタイ伝とマルコ伝に矛盾はない。弟子たちはたとえを聞いただけではその意味が分からなかったが,イエスからたとえの意味の解き明かしをしてもらえた。それは,弟子たちには神の国の奥義が与えられているからだった(マルコ4:11,マタイ13:11)。弟子たちはイエスに対して心を開いていた(マタイ13:16)。しかし,大勢の群衆はイエスに対して心を閉ざしていた(マタイ13:13)。つまり,悟ることの許されていない「彼ら」とは,イエスに対して意図的に心を閉ざしていた群衆のことなのである。
- 質問⑮:マタイ13:35における詩篇78:2の引用について,『新共同訳・新約聖書注解Ⅰ』(日本基督教団出版局)は次のように解説している。「35節は詩78:2の引用である。これが預言者からの引用と解されたのは,詩編の作者であるアサフという人物が代下29:30で,預言者のうちに数えられている《アサフ》と同一視されたためと思われる。また詩編は神の霊感によって生み出されたもので,イエスの時代には,神の霊感には預言能力があると一般に考えられていたためであろう。引用文の第一行はギリシア語七十人訳を利用しているが,二行目はヘブライ語原文からの独自な訳である。注目すべきことに,この訳において著者は原文の「なぞ」(ヒドート)を《隠されていたこと》とする。これは実は原文の文脈を全く無視したものである(詩78:4《わたしは……子孫に隠さず》)」(97頁)。すなわち,この聖句も,自分の主張に合うように意図的に改竄(かいざん)されて用いられている。
- 回答:(1)詩篇は,律法や預言者のメッセージを詩という形式で表現したものである。よって,詩篇からの引用が「預言者を通して語られたこと」とされていても,何もおかしくない。(2)マタイ13:35には預言者の名前は書かれていないので,誰が語ったのかは重要なことではない。(3)「謎」とは「隠されていること」である。詩篇78篇では,イスラエルの民が神に従わないことが「謎」と言われている。マタイ13:35では,イスラエルの民がメシアを受け入れない結果,到来する教会時代のことを「隠されたこと」と言っている。事実,教会時代に起こることは,旧約聖書には啓示されていなかった。したがって,マタイの引用は適切だと言える。(4)新約聖書が旧約聖書を引用する方法には,マタイ2章に出て来るように,4つのカテゴリーがある。この4つのカテゴリーを知らないと,「新約聖書に出て来る旧約聖書の引用はおかしい」という間違った結論を出してしまう。(5)詩篇78:4の「隠さず」の主語は「私たち」であって,「わたし」ではない。
- 質問:ユダヤ教の教義にはメシアが十字架にかかって死んでしまうという概念はないのにもかかわらず,クリスチャンたちは実体のイエス,すなわちメシアに出会ってしまったというあまりの感動に,旧約聖書を厳密に検討しないまま,それらしく使用したのだ。『NTD新約聖書註解4』(ジークフリート・シュルツ著,ATD・NTD聖書註解刊行会,229頁)には次のように書かれている。「エルサレムの権威者らにとってイエスは,大衆誘惑者であり,責任ある地位の人からは一度も信じられたことがなく,信じているのは無知な賤民(せんみん),ラビ文献に言うアム・ハ・アレツ〔=地の民〕で,モーセ律法を知らず,だから実際上それを守ることもできない,むしろ呪われた者たちなのである。……第四福音書(ヨハネ伝)の『メシア論』など神を涜(けが)すものとして退けるほかない。というのは,救世主が先在(せんざい)からこの世に来,人の姿を取り,こうして異郷に旅人としてある時も神たることを止めず,十字架において父のもとに帰ることによって救いの業をなし遂げる,というようなことをモーセ律法は実際のところ知らないからである。そんなことはユダヤ教会にとっては昔も今も,涜神(とくしん)的な神話であって,モーセ律法によって証明されることなどまったくあり得ないのである!」
- 回答:(1)責任ある地位の人で,イエスをメシアだと信じたユダヤ教徒は存在する。一人目はニコデモ。彼はパリサイ人の一人で,ユダヤ人の議員(サンヘドリンの一員)であった(ヨハネ3:1)。また,彼はイスラエルの教師(ユダヤ教の神学校の校長)でもあった(ヨハネ3:10)。二人目はアリマタヤのヨセフ。彼はアリマタヤというユダヤ人の町の出身(ルカ23:50~51)で,有力な議員であった(マルコ15:43)。議員ということは,モーセの律法をよく知っていたということである。また,金持ちだった(マタイ27:57)。三人目はパウロ。彼は「ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しく教育を受け」(使徒22:3)た,パリサイ人であった(使徒23:6,26:5,ピリピ3:5)。ガマリエルとは,イスラエルの民全体に尊敬されていた律法の教師(「紀元1世紀最大のラビ」と言われている人で,「ラバン(רַבָּן)」(「我らの師」という意味)の称号が付けられた最初のラビ)で,パリサイ人であった(使徒5:34)。パウロは,このガマリエルから教育を受けた博学な人だった(使徒26:24)。そしてパウロは,イエスの弟子たちを捕縛する権限を,祭司長たちから与えられていた(使徒9:14)ことから,責任ある地位の人だったことが分かる。四人目はクリスポ。彼はコリント在住のユダヤ人で,会堂司だった(使徒18:8)。会堂司はユダヤ人の長老の中から選ばれた,責任ある地位の人である。五人目はソステネ(1コリント1:1)。彼もまた会堂司だった(使徒18:17)。以上のことから,ニコデモもアリマタヤのヨセフもパウロもクリスポもソステネも,責任ある地位の人で,モーセの律法をよく知っていたことが分かる。また,アポロというユダヤ人もヘブル語聖書に通じていた(使徒18:24~28)。(2)モーセの律法をよく知っていても,それを完全に守れるユダヤ人など一人もいないことは,歴史が証明している(申命記31:16~18,31:20,31:29,2歴代誌36:14~16,エズラ9:1~2,9:7,ネヘミヤ1:6~7,8:17,9:2,9:13~37,ダニエル9:3~20,マラキ1~2章,3:7~15,4:4,マタイ3:7,5:20,ローマ2:17~24,3:20,10:1~3など)。ゆえに,いつの時代も,人は恵みのゆえに,信仰によって義とされるのである(ヨハネ1:12~13,エペソ2:8~9,ヘブル11:4~31,ローマ3:21~4:25など)。(3)イエスは,不信仰なユダヤ人たちに,次のように言われた。「わたしが,父の前にあなたがたを訴えると思ってはなりません。あなたがたを訴えるのは,あなたがたが望みを置いているモーセです。もしも,あなたがたがモーセを信じているのなら,わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことなのですから。しかし,モーセが書いたものをあなたがたが信じていないのなら,どうしてわたしのことばを信じるでしょうか」(ヨハネ5:45~47)。「モーセが書いたもの」とはトーラー(モーセ五書)のことである。トーラーから分かることは,メシアが神であり人であること(創世記4:1),アダムの堕落がもたらした呪いをメシアが取り除くこと(創世記5:21~29),メシアはアブラハムの子孫(ユダヤ人)であり,メシアによって異邦人は祝福を受けるようになること(創世記22:18),メシアは王となること,また,ユダ部族から出ること(創世記49:10),つまり,メシアは紀元70年よりも前に来ていること,メシアはモーセのような預言者であること(申命記18:15~19)が分かる。ただし,メシアが死ぬことは,ヘブル語聖書の区分によると,イザヤ53:8~12で初めて明らかにされるので,トーラーだけではメシアが死ぬことまでは分からない。また,イエスも弟子たちも,トーラーの他に,必ず預言書も使って,メシアが死ぬことと復活しなければならないことを証明している(ルカ24:25~27,24:44~48,使徒8:26~39,17:1~4,18:27~28,28:23)。(参考文献:アーノルド・フルクテンバウム著/佐野剛史訳『メシア的キリスト論―旧約聖書のメシア預言で読み解くイエスの生涯―』紙版,ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,2016年。)したがって,ジークフリート・シュルツ氏は,的外れなことを主張している。また,ジークフリート・シュルツ氏自身も,モーセの律法(レビ19:17~18)に違反しているのだが,彼は自分の傲慢な罪に全く気づいていない。彼は霊的に盲目になっている。(4)また,レビ記23章に書かれている7つの主の例祭は,メシアの生涯を予表している。(参考文献:中川健一著『クレイ聖書解説コレクション「レビ記」』紙版,ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,2016年。)(5)また,過越の食事におけるアフィコーメンの儀式が,イエスがメシアであることを示している。(参考映像:「過越の食事について」。)(6)謙遜になって旧約聖書を厳密に検討すれば,一点の曇りもないほどに,イエスこそ旧約聖書で預言されていたメシアだと分かるのである!
「聖句の引用問題」に対する統一教会のアプローチ
- 質問:旧約時代のユダヤ教は,その基本が「律法」であったわけです。そして新約時代のキリスト教は「福音」であったわけです。そのキリスト教が言わんとすることは,イエスの十字架が絶対であったということで,その十字架を信じるという「信仰義認(信義)」によって義とされると主張するのです。ところが,ユダヤ教の方では律法を守り行って義とされる,すなわち「行義」という救済観のままなのです。ですから,そこには明確なギャップ(gap)というものが存在しているのです。
- 回答:旧約時代のユダヤ教,特に紀元1世紀のユダヤ教は聖書的ユダヤ教ではなく,パリサイ的ユダヤ教だった。当時のユダヤ人たちは「律法を守ることによって救われる」とは信じていなかった。当時のパリサイ派の神学では,「ユダヤ人は神の選びのゆえにすでに救われている」と教えられていた。ユダヤ人が律法を守る理由は,神の民としての地位を守るためであった。つまり,旧約聖書の教え=ユダヤ教とは言えないのである。事実,旧約聖書によると,律法を守ることで義とされた人は一人もいない。あのモーセでさえも,律法(神の命令)を完全に守ることはできなかった(民数記20:7~12,20:22~24,27:12~14)。しかし,モーセは信仰によって救われている(エレミヤ15:1参照)。また,ダビデは次のように主に祈っている。「あなたのしもべをさばきにかけないでください。生ける者はだれ一人 あなたの前に正しいと認められないからです」(詩篇143:2)。旧約聖書は,人は律法を行うことで義とされるのではなく,信仰によって義とされると教えている(ハバクク2:4)。旧約聖書に精通したパウロの言うとおりである(ローマ1:17)。したがって,旧約聖書と新約聖書の間にはギャップなど存在しない。現在のユダヤ教はラビ的ユダヤ教であり,やはり聖書的ユダヤ教ではない。このことが問題なのであって,聖書そのものにギャップや断絶はない。
『原理講論』における検討箇所,及び補足説明
ここでは,「第二部 『原理講論』に対する補足説明」の「検討箇所,及び補足説明」の中で述べられている聖書に関する内容だけを取り上げて,説明しておきます。
本論
- (2):「淫乱がキリスト教の教理で最も大きな罪として取り扱われている」(27頁・15行目)
- 回答:これは事実とは言えない。(1)聖書は罪を次のように定義している。「罪とは律法に違反することです」(1ヨハネ3:4)。律法とは神の戒めのことである。ゆえに,罪とは神の戒め(みこころ)に反する全てであると言える。(2)淫乱が最も大きな罪だとは聖書に書いてない。(3)聖書はアダムの堕落に関して,次のように教えている。①アダムは人類の代表として神と契約を結んだが,アダムはその契約を破った(ホセア6:7)。②エバは蛇(サタン)にだまされて罪を犯したが,アダムはだまされて罪を犯したのではなかった(1テモテ2:14)。この時,アダムはエバのそばにいて,エバが神の命令に違反するのを黙って見ていた(創世記3:6)。アダムはエバの違反行為を止めることができたにもかかわらず,わざと止めなかったのである。③創世記3章の話の内容から,アダムはエバとの性的行為によって堕落したという結論はどこからも導かれない。④アダムの堕落の原因は,神のようになりたいと思い,神の命令に従うことよりも,自分の意志で善悪の判断をしたいという自己中心的な欲求に従ったことにある。性欲が堕落の主要な原因だという考えは,聖書のどこからも導かれない,誤った考えである。
- (3)「無形にいます神の神性を,我々はいかにして知ることができるだろうか。それは,被造世界を観察することによって,知ることができる。そこで,パウロは,『神の見えない性質,すなわち,神の永遠の力と神性とは,天地創造このかた,被造物において知られていて,明らかに認められるからである。したがって,彼らには弁解の余地がない』(ロマ1:20)と記録している」(42頁・3行目)とありますが,けれども,キリスト教神学においては,ここで引用されているロマ書1章20節の解釈をめぐってエミール・ブルンナー(1889~1966)とカール・バルト(1886~1968)との間で「自然神学論争」が展開されており,バルト側からは「自然神学」を一切否定する主張がなされています。
- 回答:ローマ1:20で聖書が教えていることは,世界を創造した神が存在することと,その神は力あるお方であることは,自然界を見れば明らかに認められるということである。(パウロとバルナバは使徒14:14~17で,ローマ1:20と同じ内容を,聖書を知らない異邦人たちに言っている。)それ以上の神に関することまで分かるとは言っていない。例えば,神が三位一体であることや,なぜ世界が創造されたのかということは,いくら自然界を見ても知ることはできない。また,なぜ人は神の前に罪人なのか,人はどのようにして救われるのかといったことも,自然界からは分からない。つまり,聖書は一般啓示(自然界や良心を通した啓示)の存在を明確に主張しているが,自然神学(自然界を通した啓示だけで神を論じる学問)だけで充分な神理解に至るとは教えていない。この問題は,聖書を一貫して字義通りに解釈するかどうかにかかっている。バルトがどうのこうのという議論は本質的な問題ではない。
- (4)「神はあらゆる存在の創造主として,時間と空間を超越して,永遠に自存する絶対者である(出エ3:14)。それゆえ,黙示録22章13節には,『わたしはアルパであり,オメガである。最初の者であり,最後の者である。初めであり,終りである』と記録されているのである。したがって……」(50頁・3行目)とありますが,原本となっている韓国語版の『原理講論』には,黙示録22章13節の聖句は記載されておらず,これは日本語へ翻訳されるにさいし,独自的に補足文として書き加えられたものと思われます。しかも,この黙示録22章13節は「イエス・キリスト」のことを指しているのであって,創造主である神を直接意味していません。したがって,神の属性を論証する聖句として用いるのには,あまり適切でないという側面もあります。故に,ここは韓国語の原本に忠実にし,「それゆえ,黙示録22章13節………記録されているのである」までの文章を削除しておくのがよいと思われます。しかし,あえてここに聖句を引用するとすれば,黙示録1章8節の「わたしはアルパであり,オメガである」がふさわしいと思われます。
- 回答:黙示録22:13だけでなく,黙示録1:8も21:6もイエス・キリストご自身のことばである。つまり,イエスは神ご自身だと黙示録は教えているのである。
- (14)「イエスの十字架の死は,彼がメシアとして来られた全目的を完成するための予定から起こった必然的なことではなく,ユダヤ人たちの無知と不信の結果に起因したものである」ことを証言する聖句として,コリントⅠ2章8節の「この世の支配者たちのうちで,この知恵を知っていた者は,ひとりもいなかった。もし知っていたなら,栄光の主を十字架につけはしなかったであろう」が挙げられています(184頁・6行目)
- 回答:旧約聖書のメシア預言を厳密に検討すれば,イエスの十字架の死は必然的なことだったと分かる。また,イエスの十字架の死はユダヤ人たちの無知と不信にあることも確かである。ここには神の主権と人間の自由意志という,極めて難しい問題があるため,人間が完全に理解することは不可能だと思われる。
- (16)「イエスの十字架の救いを受けている我々も,依然として原罪のために罪人であることを免れることはできない」という "十字架の救いの限界性" を傍証する聖句として,ヨハネⅠ1章8~10節がそこに引用されています(188頁・7行目)
- 回答:イエスの十字架による贖罪は,十字架の救いに限界があることを意味しない。事実,イエスは十字架上で「すべてのことが完了した」(ヨハネ19:28)ことを知られ,「完了した」(ヨハネ19:30)と言われた。この「完了した」という言葉はギリシア語で「テテレスタイ(τετέλεσται)」と言い,当時の商売用語で「負債が全額支払われた」という意味で使われていた。つまり,イエスの贖罪死は不完全なものではなく,完全なものだったのである。ゆえに,イエス以外のメシアなどあり得ないのである。また,原罪が完全になくなるのは携挙の時である(携挙の時に関しては聖書が教える救いと終末論を参照)。イエスを信じた瞬間に全ての罪がなくなるとは聖書は教えていない。
- (17)「洗礼ヨハネは,当然自分がエリヤであるという事実を,自らの智恵で悟らねばならなかった。…………しかし,彼は神のみ旨に対して無知であったので(マタイ11:18,19),イエスの証言を否認したばかりでなく(ヨハネ1:21),そののちにも,摂理の方向と道を異にして歩んだのである」(199頁・11~17行)
- 回答:バプテスマのヨハネは,旧約聖書で登場した預言者エリヤ本人ではない。イエスが「この人こそ来たるべきエリヤなのです」(マタイ11:14)と言った「来たるべきエリヤ」とは,マタイ11:10で引用したマラキ3:1の,メシアの先駆者のことである。また,バプテスマのヨハネは神のみ旨に対して無知だったのではなく,不信仰に陥っていたのである。バプテスマのヨハネは,自分がメシアの先駆者だと知っていた(マタイ3:1~2,3:7~12,マルコ1:1~8,ルカ3:3,3:7~18,ヨハネ1:6~8,1:15,1:19~36,3:23~30)。
- (20)「それゆえ,堕落人間を再び生み直してくださるために,イエスは,後のアダム(コリントⅠ15:45)として,生命の木の使命をもって(黙22:14)人類の真の父として来られたのである」(266頁・2~4行目)という表現のなかの「後のアダム」についてですが,日本で出版されているプロテスタント聖書によれば,コリントⅠ15章45節は「最後のアダム」と訳されています。
- 回答:1コリント15:45の「ホ・エスカトス・アダム(ὁ ἔσχατος Ἀδὰμ)」というギリシア語の原文は,聖書全体の文脈を見ても「最後のアダム(the last Adam)」と訳すべきである。事実,「最後のアダム」と訳しているのは日本語の聖書だけではない。太田氏は韓国語と中国語のカトリック用聖書を持ち出して「後のアダム」という翻訳を正当化しようとしているが,韓国語の聖書は「마지막 아담은」と訳しているし,中国語のカトリックの聖書も「最后的亚当」と訳している。どちらも「最後のアダム」という訳である。ちなみに,カトリック教会が底本として使用しているラテン語訳聖書『ウルガタ(Vulgata)』でも「viventem novissimus Adam」(最後のアダム)となっている。もし「後のアダム」と言いたければ,「ホ・ヒュステロス・アダム(ὁ ὕστερος Ἀδὰμ)」のような,別のギリシア語が使われているはずだが,原文はそうなってはいない。また,太田氏が引き合いに出しているマタイ27:64のギリシア語の原文も,直訳は「最後の」である。つまり,「前」と「後」ではなく,「最初」と「最後」なのである。1コリント15:45やマタイ27:64の翻訳は,英語訳聖書を見ると分かりやすい。
- (31)「旧約聖書の歴史書には,第一イスラエルの2000年の歴史が全部記録されているが,新約聖書の使徒行伝には,イエス当時の第二イスラエル(キリスト教信徒)の歴史だけしか記録されていない」(467頁・3~5行目)
- 回答:第一イスラエルや第二イスラエルといったものを想定する神学は置換神学と呼ばれるが,この神学が間違っていることは聖書(特にアブラハム契約)が証明している。聖書は字義通りに解釈すべきである。(アブラハム契約や神の計画の全体像を理解するために,中川健一牧師のメッセージ「アブラハム契約」や,聖書入門.comの「ディスペンセーショナリズムとは何か(1)~(6)」を参照して下さい。)
- (37)「このように,南北王朝分立時代において,イスラエル民族が,神殿理想に相反する立場に立つたびに,神は,継続して,四大預言者と十二小預言者を遣わされて,彼らを励まし,内的な刷新運動を起こされたのである。しかし,彼らは,預言者たちの勧告に耳を傾けず,悔い改めなかったので,神は,彼らをエジプト,カルデヤ,シリヤ,アッシリヤ,バビロニアなどの異邦人たちに引き渡して,外的な粛清(しゅくせい)の摂理をされたのであった」(477頁・13~16行目)と書かれていますが,十二小預言者の中には,バビロン捕囚以後の預言者も多数含まれています。…ヨエルは神殿再建後のBC400年頃,…またヨナ書の成立年代はBC300年頃と考えられています。さらにダニエル書は,それ自体の内容によると時代的背景は "捕囚期" のものとして書き記されていますが,実際の成立年代はBC165年頃とされています。
- 回答:ヨエルとヨナは捕囚期前の預言者,ダニエルは捕囚期の預言者である。ヨエル書は紀元前9世紀,ヨナ書は紀元前8世紀,ダニエル書は紀元前6世紀に執筆されたと考えられる。
参考文献
- 中川健一,『60分でわかる旧約聖書(1)「創世記」』,2015年;『60分でわかる旧約聖書(5)「申命記」』,2015年;『メシアの生涯』,2012-2016年
- ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,「メシアを信じたユダヤ人の証言」「ラビたちの教えに対する反論」
- 中川健一著『クレイ聖書解説コレクション「創世記」』紙版第2版,ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,2016年
- 中川健一著『クレイ聖書解説コレクション「出エジプト記」』紙版第1版,ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,2016年
- 中川健一著『クレイ聖書解説コレクション「レビ記」』紙版,ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,2016年
- 中川健一著『クレイ聖書解説コレクション「列王記第一・第二」』紙版第1版,ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,2017年
- 中川健一著『クレイ聖書解説コレクション「イザヤ書」』紙版第1版,ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,2016年
- 中川健一著『クレイ聖書解説コレクション「マタイの福音書」』紙版,ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,2016年
- 中川健一著『クレイ聖書解説コレクション「マルコの福音書」』紙版第1版,ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,2016年
- 中川健一著『クレイ聖書解説コレクション「ローマ人への手紙」』紙版第1版,ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,2016年
- 中川健一著『クレイ聖書解説コレクション「コリント人への手紙 第一・第二」』紙版第1版,ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,2016年
- 中川健一著『日本人に贈る聖書ものがたり Ⅲ メシアの巻』初版,文芸社,2005年
- 『新実用聖書注解』いのちのことば社,2008年
- 『新聖書辞典』いのちのことば社,1985年
- CSNTM,「Codex Sinaiticus(Digital Facsimile)」「Codex Vaticanus(Digital Facsimile)」
- 榊原康夫著『旧約聖書の生い立ちと成立』増補改訂版,いのちのことば社,1994年
- アーノルド・フルクテンバウム著/佐野剛史訳『メシア的キリスト論―旧約聖書のメシア預言で読み解くイエスの生涯―』紙版,ハーベスト・タイム・ミニストリーズ,2016年
- ニック・ペイジ著/いのちのことば社出版部訳『バイブルワールド―地図でめぐる聖書』いのちのことば社,2013年
- 古代語研究会編,谷川政美著『聖書ヘブライ語-日本語辞典 聖書アラム語語彙付』初版,ミルトス,2018年
- 名尾耕作著『旧約聖書ヘブル語大辞典 付・アラム語』改訂3版,教文館,2003年
- キリスト聖書塾編『現代ヘブライ語辞典』改版,日本ヘブライ文化協会,2006年
- F. Wilbur Gingrich, Shorter Lexicon of the Greek New Testament, The University of Chicago Press, 1965
- Joseph H. Thayer, Thayer's Greek-English Lexicon of the New Testament: Coded with Strong's Concordance Numbers, Reprinting of the fourth edition, Hendrickson Publishers, 1896
2022年7月23日更新
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