Column
ご利益信仰
お願い!何か頂戴!?
日本人の信仰の対象はかなりデタラメです。まずは、仏壇に祭られたご先祖様。日本古来の神道の天照大神。 仏の頂点に君臨する釈迦如来。知恵や学問の神さまである文殊菩薩。福徳や財宝を司る弁財天。病や薬関係には薬師如来。戦の守り神には毘沙門天。 歴史上の人物である菅原道真。日光東照宮には徳川家康。明治神宮には明治天皇。 さらには、富士山、宮崎の高千穂峡。初詣。初日の出。三日月、十五夜、満月。 加えて、クリスマスやハロウィンなど、キリスト教由来の行事まで取り入れています。見境がありません。何でも拝んでしまいます。共通する背景は「ご利益信仰」です。日本人の信仰心は、崇拝の見返りとしてのご利益に支えられています。 不思議なもの神秘的なものに潜む偉大な力に手を合わせ、その見返りとして、我が方に対するご利益を要求しているのです。 日本人にとって「信仰」とは「お願い!何か頂戴!?」と同義となります。ご利益を授けてくれるなら崇拝する対象は何でもかまわないということで、 神話に登場する神さま、大陸から伝来した仏さま、歴史上の偉人、自然の地形、太陽や月など、八百万の神(数多ある神さま仏さま)の中のひとつという位置に落ち着いています。
日本には他の宗教に見られるような「唯一神(God)を崇拝する」という宗教観はありません。 この世が神に支配されているという概念がないので、神にすがって生きて行く必要もありません。 唯一神を崇拝する他の地域から見れば、八百万の神からのご利益というものを信仰の対象としている日本人の宗教観は奇異に映ることでしょう。 日本人にとって、神仏とは、(一方的に)自分勝手で都合のよいお願いをする対象でしかありません。 ひとたび手を合わせれば、我が方に対するご利益を要求します。日本は神に束縛されることのない自由でおおらかな文化!?なのです。
宗教の発展は、金儲けの手段として『人々が求めるものを提供する』、この難しい命題に対して試行錯誤を繰り返してきた歴史です。 「ご利益」のように、商業的に利用価値のある習俗・俗信は、広まり易く、また途絶えることなく受け継がれて行くのが世の習いです。 何事も商売繁盛です。ご利益が必要とされるから、ご利益が供給されるわけです。 こうした習俗・俗信が廃れないのは、人生に恵まれないことに対しての言い訳として、また、人生に恵まれたことに対しての謙遜として、 そして、寺社や占い師などにとっても便利な意味合いの言葉であることに他なりません。
神は心の中で信じるもの
太古の昔から、多くの文明において、「神」という概念が存在します。 その神のご意向を伺う手段が「占」、神に願いを伝える手段が「祈」となります。すなわち、「神」「占」「祈」は三位一体です。 現実には、神は実在するものではありません。神は心の中で信じるものです。一方で、社会の成り立ちから、神という概念は必要不可欠なものでもあります。 そのため、宗教的・商業的な側面から神は存在するものとして扱い、かろうじてこの関係(神にまつわる設定)を維持しているというのが実状です。 神の正体とは、人類有史以来の『お約束』です。所詮、超自然的存在などというものは空想上の存在に過ぎません。神が存在するという思想それ自体が、迷信を出所とする嘘八百のデタラメです。 嘘八百をどう捏ね繰り回した所で、現実問題として、何も起こりません。 困った時には、誰か何かに助けてもらいたいと思うのは人情ですが、たとえ、どんなに心を込めて祈ろうとも、その想いが届くわけでもありません。 突如として空から現れた誰か何かが、あなたを助けてくれるわけもありませんし、邪魔をするわけでもありません。 巷に氾濫する迷信に振り回されないようにして頂きたいと思います。
当たり前ですが、何もしなければ、何も起きません。何もしないで、ただ待っているだけで、ただ願っているだけで、思い通りになることはありません。これ即ち、慣性の法則です。 もし、人智を超えた超自然的存在が何らかの意思を持って人間の営みに介入すれば、この世界は偏った社会(神の意思に沿った人生の集合体)になってしまいます。 超自然的世界は何もしないからこそ、神の偏った意思など存在しないからこそ、良くも悪くも様々な人生物語が生まれてくるのです。 運命を変えて行くのは自分自身だということを、まず肝に銘じて欲しいと思います。
その時は、ある日突然やって来ます。人の一生は、人智では計り知れないものです。 未来には、自分に都合の良い出来事だけが待っているわけではありません。当然、悪い事もあります。いや、悪い事しかないかもしれません。 もし、そうであっても、これから起こる事柄が予知できないからこそ、今この瞬間、将来に希望を持って努力することができるのです。 何事も決まっていないから、何事もわからないから、面白いのです。何でもお見通しの未来には、希望がありません。 結末がわからないからこそ、薬として作用することを忘れないでください。
人生とは、あなたの行いが周囲の人間関係に反映され、あるいは社会活動に反映され、その結果として、つくり上げられて行くものです。 今の人生をつくり上げたのは、あなた自身です。恵まれた人生を歩んでいる人は、陰日向で、そうなるように現実的な努力を続けてきたわけです。 逆に、恵まれない人生を歩んでいる人は、努力を怠ってきたわけです。そうなるべくしてなったのです。人や社会を恨んでいても道は開けません。 所在も知れない何かに責任を押し付けるのではなく、まずは自分自身の行動を振り返ってみてください。努力する方向を間違えないでください。