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from 2005/1/15
Column

姓名判断のホント



姓名判断の真実

姓名判断(名前占い、字画数占い)は発明から100年程度の比較的新しい占いです。 江戸時代初め頃の識字率については詳しくわかっていませんが、都市部では、武士・僧侶・役人・商人など、文字を読み書きできる人もそれなりに居たようです。 幕末の頃になると、全国的に学校(藩校、寺子屋など)が急増し、男性で 5割、女性で 1割程度の識字率であったようです。 その後、明治時代になり学制の発布によって、庶民の識字率はさらに上昇していきます。 こうして、庶民の多くが文字を読み書きできるようになっていきました。そこに商機を見出したのが姓名判断です。

中国思想では数にも吉凶があると考えられていました。姓名判断は、これをヒントに発明された占いです。 それまでにあった誕生日などをもとに生まれながらに授かった運命を占う方法ではなく、 文字そのものを画数という数字に置き換え、数字で吉凶を判断するという斬新なアイディアの占いです。 多種多様で複雑な文字の意味や読み方は無視して、数字のみで判断するので、誰にでも簡単に答えが得られるのが特徴です。 したがって、形として記すことができるなら、漢字やひらがなカタカナはもちろん、外国語ABC、記号△◇、何でも占うことができます。

姓名判断は中国思想に基づいた占いです。すなわち、中国思想に照らし合わせ、《姓名》の画数は縁起が良いのか悪いのかを《判断》するということになります。 「何かを示している」「必ずそうなる」というような科学的根拠に基づいた話ではなく、文字の画数を方程式に代入し、そこから導き出された星の吉凶により縁起を担いだわけです。 神様が、その人の戸籍を調べ、名前の画数を計算しているわけではありません。得られた結果に有用性や有効性はありません。 現実とはリンクしません。思想世界や架空世界の話です。あくまでも「縁起物」として捉えてください。

誕生日は生まれ変わらない限り変えられませんが、名前は自由に付けることができます。すでに未来は決まっているというスタンスの占いが多くを占める中で、 良い画数の名前を付けるだけで開運につながるというのは、今までにない魅力的で都合の良い方法であったということができると思います。 姓名判断は、一種の開運術として広く取り入れられるようになり、迷信を大切にする国民性とマッチして急速に広まって行きました。 同時に、寺社や占い師の側としても、大事な収入源になって行ったことも忘れてはなりません。双方の利害が一致したわけです。

人は誰もが漠然とした不安を抱え生活しています。何をしても自信が持てません。 安心感を得るためには、身の回りのありとあらゆるものに対して、超自然的存在(神仏、運命、守護霊‥)のご意向を伺い、お墨付きを賜らなくてはなりません。 特に、人生の大きな決断の場面においては、他の誰の言葉よりも心強い存在となり得ます。 占いが廃れないのは、超自然的存在、また、それらにまつわる、祟りやご利益というものを信じている人が多いということです。 その向こう側にあるとされる超自然的世界からのメッセージを期待しているからに他なりません。

良い事柄に関しては、誰の所為なのか、誰のおかげでも構いませんが、 悪い事柄に関しては、誰の所為なのか、どうしてそうなったのか、犯人を見つけたい、原因をハッキリさせたいという心理が働きます。 科学も発達していなかった時代には、その責任を超自然的存在に押し付けるのが最も合理的な判断であったわけです。 たまたま偶然では納得できません。その事件を引き起こしたのは超自然的存在であると考えたわけです。 天変地異、疫病、事件、事故、よい事わるい事、この世で起きたすべての事柄を神仏や怨霊や物の怪の仕業として人々は納得したわけです。

迷信に支配されていた時代は終わりを告げましたが、いまだにそうした宗教観は人々の心の中に強く残されています。 いきなり科学を持ち出して、超自然的存在を否定したところで、そう易々と頭を切り替えられるものでもありません。 この科学万能の時代になっても、身の回りで起きた事件の原因を超自然的存在に求めようとする方々が数多くいらっしゃいます。 今朝見た夢、手のひらのシワやホクロ、名前の画数、生年月日、星座、血液型など、その矛先は数え上げたらきりがありません。 ひとたび何かが起これば、自分以外の誰か何かの所為だと思ってしまうのです。

所詮、超自然的存在などというものは空想上の存在に過ぎません。神仏が存在するという思想それ自体が、迷信を出所とする嘘八百のデタラメです。 嘘八百をどう捏ね繰り回した所で、現実問題として、何も起こりません。 困った時には、誰か何かに助けてもらいたいと思うのは人情ですが、たとえ、どんなに心を込めて祈ろうとも、その想いが届くわけでもありません。 突如として空から現れた誰か何かが、あなたを助けてくれるわけもありませんし、邪魔をするわけでもありません。 巷に氾濫する迷信に振り回されないようにして頂きたいと思います。

確かに、名前の画数を変えれば、占いの結果だけなら良くも悪くも変えられますが、それに従い現実の人生までも変わるものなのか甚だ疑問が残るところです。 姓名判断は、中国思想に基づいて、文字の画数の吉凶を計算した程度の話に過ぎません。現実の人生とはリンクしません。架空の世界の話です。 姓名判断の理論は、中国思想的には成立していると言えますが、科学的根拠は何もありません。 「占いの結果」≠「現実の世界」です。これを短絡的にイコール「=」と考えてしまうと危険です。たとえ、同姓同名であったとしても、現実の人生は人それぞれです。

名前の画数に運命的な意味などありません。 「名前の画数が人生のすべてを決める」という運命論は、科学的根拠もない占いの効能書きに過ぎません。占いの思想の中で、そうした役割を持たされただけの話です。 名前とは、個人を識別するための戸籍上の分類記号に過ぎません。そこに神秘的な力が宿っているわけではありません。 重要なのは、どのような先天的要素を持っているのか、そして、それらを活かすべく努力や経験を積み重ねてきたかということです。 どのような原理で人生が形成されるのか、背景にある事柄を理解してください。

姓名判断が廃れないのは、人生を都合よく変えるための魔法として、また、人生に恵まれない原因を探し出すため道具として、 そして、お布施が寺社や占い師などにとって重要な収入源となっていることに他なりません。占いを必要とする人が居るから、占いを供給する人が居るわけです。 人生の責任を自分以外の誰か何かに押し付けたいと考えてしまうのは人情として理解できますが、名前の画数の魔力などに罪をなすり付けたとしても、現実がどうなるものでもありません。 運命を変えていくのは自分自身だということを、まず肝に銘じて欲しいと思います。

そうは言っても、悪い名前を付けて何か不吉なことでもあったら心配という方は、迷わずに然るべきところで良い名前を付けてもらいましょう。 子供の名づけについては、近くのお寺や神社などでもお願いできます。お布施はおおよそ¥5,000~¥100,000程度です。 もし縁起の悪いことが起こっても、「良い名前を付けておいたから、この程度で済んだ‥‥」と良い方に考えられます。 心配事は多々ありますが、名前の画数に関しては、後々後悔せずに済むでしょう。効果の程は何とも言えませんが、安心感を得るためと認識されればよろしいかと思います。

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