Column
結婚相手との出会い
結婚相手はすぐそこに居る
ある統計によれば、結婚相手との出会いは、職場・紹介・学校など、非常に狭い範囲の人間関係に限定されています。 人は死ぬまでにあまり多くの人と係わりを持ちません。地域、学校、職場、取引先‥‥日頃、挨拶を交わす人は何人いるでしょうか? そういう意味では、結婚適齢期といわれる短い期間に、如何に多くの人と係わるか、如何に周囲と良好な関係を築けるかが、理想の相手を得るカギと言えます。 もし、出会いの定番である職場・紹介・学校が期待できない状況ならば、他に新しい出会いを求めるようにしましょう。積極的に行動して吉です。結婚相手と出会った場所
1位 職場(取引先、アルバイト)
2位 誰かの紹介
3位 学校(同級生、先輩、後輩)
4位 ネット(SNS、出会いアプリなど)
学生時代から付き合っていた相手と結婚したという人、まあまあ誰とでも上手く行く人、結婚と離婚を繰り返す人、いくら出会いを重ねても、なかなか良い相手に巡り合えないという人、 なぜか地位や財産に恵まれた相手に縁があるという人も居たりします。良くも悪くも、そのような人生や相手を選んでしまう原因は自分自身の中に潜んでいます。 すなわち、生まれながらに授かった先天的要素(性別、身分、家柄、社会的地位、顔貌、容姿、思考傾向、行動傾向‥‥)の中に、 そのような未来を選択してしまう要素や可能性を持っているということになります。
結婚に成功する人は、大勢の中から結婚に最適な人を選び出す能力を持つ人となります。反対に、結婚に失敗する人は、結婚に不適な人を選んでしまう傾向にあるわけです。 生まれつき恋愛衝動が小さい人は、どんな素敵な異性に出会ったとしても、それを出会いとは感じないのです。 容姿が人より優れていたり、人間としての魅力に溢れる人は、どことなく目立つ存在になるので、地位や財産に恵まれた相手に見初められる機会も多くなるわけです。 すべては因果応報です。必ず、原因があって結果があります。そのようになるべくしてなったのです。
出会いの「縁」は、自分自身を映す鏡です。一方的に良い縁を望んでも上手くは行きません。縁はつり合いです。自分が位置するランクをよく考えてください。 良縁に恵まれないと嘆く前に、まずは自分自身の行動を振り返ってみてください。あなたが持つ人間的な魅力が良縁を引き寄せるのだということを肝に銘じてほしいと思います。 所詮、神仏というものは空想上の存在に過ぎません。たとえ、どんなに心を込めて祈ろうとも、その想いが届くわけではありません。 良縁とは、神に願えば叶うものではありません。無理は通りません。方法を間違えないでください。
恋愛結婚できる人。できない人。
人が思考し判断し行動するのは、大脳の働きです。生まれながらに授かった大脳の資質は、誰にでも平等ではありません。他人より長けるところもあれば、劣るところもあります。 もし、学習能力に恵まれていれば、大した勉強をしなくともテストで良い点が取れるでしょう。また、運動能力に恵まれていれば、スポーツを楽しむことができるでしょう。 恋愛も同じです。すなわち、生まれながらに恋愛能力に恵まれている者だけが、恋愛を楽しむことができるわけです。 まずは、誰にでも平等に恋愛を楽しむことができるわけではないということを認識して下さい。恋愛能力に優れるのは約3割程度です。他の多くの人は、恋愛能力に劣るタイプとなります。中には、恋愛感情を抱いたことがないという人も珍しくありません。 恋が始まるためには、とてつもなく大きな恋愛衝動を必要とします。恋をし易いかどうか、すなわち、恋愛衝動を生じ易いかどうかは、その人の大脳の資質に関係しています。 恋愛衝動を生じ易い人は、何気ない日々の人との出会いにも、トキメキを感じることができるわけです。 逆に、恋愛衝動を生じ難い人は、結婚相手として申し分のない人に出会ったとしても、それを出会いとは感じられないのです。
恋愛能力に優れる人(約3割)は、どんな些細な相手に出会ったとしても恋をしてしまいます。人を好きになるのに理由はありません。衝動は自らの力でコントロールできません。 これは、その人の大脳の資質の問題です。恋愛衝動を生じ易い体質のため、何気ない日々の人との出会いにも、それを運命の出会いと感じてしまうのです。 しかしながら、恋は急激に冷めるものです。人を嫌いになるのも理由はありません。恋愛衝動の有効期間はおおよそ3年程度です。 結果として、出会いと別れ(結婚と離婚)を繰り返し、寂しい晩年を余儀なくされるタイプとなります。
恋愛能力に劣る人(約7割)は、どんな素敵な相手に出会ったとしてもジャストフィットを感じることはありません。 「この人ではない」「ちょっと違う」「別に何も‥‥」という違和感が頭をもたげ、結婚へ突き進もうとする衝動が湧いて来ません。 出会いが無いのではありません。相手が悪いのではありません。これは、その人の大脳の資質の問題です。 恋愛衝動を生じ難い体質のため、結婚相手として申し分のない人に出会ったとしても、トキメキを感じられないのです。 これが多くの人が経験する「幸せの青い鳥症候群」と言われる症状の発生メカニズムです。
人には、誰にでも平等に無限の可能性が秘められているわけではありません。 人が生まれながらに授かった先天的要素に起因するところの人生の方向性は間違いなく存在します。 もともと備わってもいない資質や性質を利用しようとしても、また、伸ばそうとしても、良い結果が得られないのは言うまでもありません。 もし、努力する方向性を見誤れば、芽が出る確率も低くなります。 したがって、今後の人生修養にあたっては、長所(好ましい先天的要素)を活かす方法、あるいは短所(好ましくない先天的要素)を矯正する方法を考えるのが重要です。
体質的に恋愛に向かない人が、恋愛結婚にこだわっていてもロクなことがありません。宿命に逆らう生き方は、常に困難が伴なうものです。 わざわざ自分に不利な道を選ぶ必要はありません。友達に負けないように恋愛することだけがすべてではありません。 恋愛能力に劣る人は、恋愛至上主義を返上しなくてはなりません。恋愛を経由しない幸せの行方を模索するのがベストの選択です。 恋愛結婚だけに固着せず、それとは別の人生の在り処も考えてみたらいかがでしょうか。これを機会に今までの生き方を見つめ直す余裕を持って欲しいと思います。
結婚したくない人。
心理学では、「自分は他人より優れているという思い込み」(優越の錯覚)があることが知られています。 確たる根拠は何もありませんが、自分は神さまに選ばれたシンデレラのような特別な存在であると思っています。 両親や友達のように、努力したり、失敗したり、悩んだり、後悔する必要もありません。 自らは何も行動せず、唯々じっと待っているだけで、幸せな結婚(自分より上のランクの相手との結婚)をすることが運命で約束されていると信じて疑いません。 「私はあの人達とは違う!」「私は特別!」わりと真剣にそう思っています。人の思考の特徴として、簡単・便利・お手軽、利益を好み、損失を嫌います。そして、自尊心、優越感です。 男性女性の双方で、上方婚(自分より上のランクの相手との結婚)を望んでいます。わざわざ好き好んで、下方婚(自分より下のランクの相手との結婚)を望む人は居ません。 双方のランクが異なる限り、一方は得をし、一方は損をします。 我が方が上方婚として利益を得れば、先方は下方婚として損失を被ります。 Win‐Win とはなりません。これでは話はまとまりません。 すなわち、何人もランクの異なる相手との結婚は叶わないのが、この業界での常識です。
双方のランクが同等であれば、どちらも得もしませんが、損もしません。双方の損得勘定を納得させられる落しどころは、唯一ここしかありません。 公平で客観的に自分の位置するランクを見積もるためには、優越の錯覚を差し引いて考える必要があります。 つまり、現実に結婚相手の候補となり得る人とは、理想から遠く離れた、今まで嘲笑の対象としていた相手となります。 外から見ればつり合いの取れた分相応の同等婚ですが、自身の心情的には我慢と妥協の下方婚です。 如何に、周囲を蔑もうとも、分相応以上のランクの人生を歩むことは叶わないのが現実です。
世の習わしでは、交際の申し込みは男性から、結婚の申し込みも男性から、と相場は決まっています。女性が男性に対して交際や結婚の申し込みをすることは一般的ではありません。 女性はリスクを取るのを嫌うため、男性に見初められて交際や結婚を申し込まれるのを唯々じっと待っているだけの受け身の立場に甘んじています。 一連の過程で女性側に決定権があるのは、男性からの告白に対する返答や承諾のみです。 逆説的に言えば、女性は心の中で秘かに気に入った意中の男性が居たとしても、その人とは交際も結婚も叶わないのが世の習わしです。
年収が‥‥顔貌が‥‥身長が‥‥女性が優位で、自分が選ぶ立場にあると思っていても、現実には男性から選ばれる立場にあります。すなわち、結婚のスタートボタンは男性が握っています。 結婚至上主義の社会では、たとえ、利益が少ない相手でも、結婚という目標を達成するため、すべてを妥協して我慢したわけですが、 個人至上主義の社会に移行すると、必ずしも結婚という選択肢に拘る必要がなくなります。 未婚化や少子化の根本的な原因は、男性が結婚や子育てを人生最大の目標として認識しなくなっている(男性がスタートボタンを押さない)ことです。
統計によれば、女性が生涯結婚しない割合は18%程度と言われています。これが2030年には25%になるだろうと予測されています。また、離婚率も急上昇しています。 今は個人至上主義の時代です。結婚をするもしないも個人の自由です。 「結婚しなければ一人前として認められない」という社会的な圧力(世間体)を背景に強制的に結婚させられる時代ではありません。 結婚するのが当たり前の時代には、唯々じっと待っているだけで親や近所や親戚の人が相手を世話してくれたわけですが、 昨今の個人を尊重し自由恋愛を尊ぶ風潮においては、その限りではありません。
結婚は自由競争です。結婚が競争で椅子を取るゲームである限り、皆が勝者にはなり得ません。敗者は必ず生まれます。 敗者復活の道を絶たれた日本の皆婚制度は破綻しました。世代を超えて共有していた結婚至上主義は消滅しました。 ひと昔前のように、結婚するのが当たり前の社会には戻れません。単身世帯 50%という時代は、すぐそこまで来ています。 結婚だけが目的の人生、結婚だけに縛り付けられる人生、結婚に係わる妥協や我慢は、過去のもの。 結婚しない人生という選択肢について、真剣に考える時期を迎えています。残念ですが、これが現実です。
人生とは、あなたの行いが周囲の人間関係に反映され、あるいは社会活動に反映され、その結果として、つくり上げられて行くものです。 今の人生をつくり上げたのは、あなた自身です。恵まれた人生を歩んでいる人は、陰日向で、そうなるように現実的な努力を続けてきたわけです。 逆に、恵まれない人生を歩んでいる人は、努力を怠ってきたわけです。そうなるべくしてなったのです。人や社会を恨んでいても道は開けません。 所在も知れない何かに責任を押し付けるのではなく、まずは自分自身の行動を振り返ってみてください。努力する方向を間違えないでください。