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from 2005/1/15
Column

運命の人とは赤い糸で結ばれているのか?



人は己が信じたいものを信じる

「結婚して幸せに暮らしたい」「玉の輿に乗りたい」「自分だけは結婚の当たりクジを引きたい」など、誰もが結婚に対する強い憧れを持っていると思います。 できることなら、理想の人と結婚して末永く幸せに暮らしたいものです。 それでは理想の相手を見つけるために何か努力をしているのかといえば、特に何もしていないという人が多いのではないでしょうか。 そのための良い方法も思い付きません。闇雲にアタックして、フラれて傷つきたくもありません。 大半の人は、何も行動をせず、結婚相手が現れるのを唯々じっと待っているというのが現実ではないでしょうか。

子供の頃は大人になったら何もしなくとも自然と相手が現れ、結婚して、子宝に恵まれるのだと考えていた人も多いと思います。しかし、現実は違います。 いつまで経っても、相手が現れる気配すらありません。このまま、ずっと結婚できなかったら? 子供を産めなかったら? 最悪の結末が頭をよぎります。 どうすれば良い相手と巡り合えるのか? 運命の人はどこに居るのか? 占い師に聞いたところで頼りにはなりません。 この先、もっと素敵な出会いがあるかもしれませんし、そうでないかもしれません。将来の事を考えると、誰もが不安で一杯です。

そんな折、脳裏をよぎるのが、すべての悩みを解決してくれる「運命の人」の存在です。

老いも若きも男も女も、結婚は人生最大の目標です。同時に、世間に対して自身の優越性をアピールするためのツールでもあります。 それゆえ、相手選びに際しては、自身の評価より、世間の評価の方が重要となります。 何よりも優先するのは世間に対する優越感です。周囲に嫉妬されるような相手と結婚して羨望の的にならなくてはいけません。 すなわち、世間に対してアピールし易い指標を持つ、自分より上のランクの相手でなくてはなりません。 貧乏・不細工では、母親の許しが得られません。好きとか、嫌いとか、世間の評価と関係のない指標は二の次三の次です。

心理学では、「自分は他人より優れているという思い込み」(優越の錯覚)があることが知られています。 確たる根拠は何もありませんが、自分は神さまに選ばれたシンデレラのような特別な存在であると思っています。 両親や友達のように、努力したり、失敗したり、悩んだり、後悔する必要もありません。 自らは何も行動せず、唯々じっと待っているだけで、幸せな結婚(自分より上のランクの相手との結婚)をすることが運命で約束されていると信じて疑いません。 「私はあの人達とは違う!」「私は特別!」わりと真剣にそう思っています。

人の思考の特徴として、簡単・便利・お手軽、利益を好み、損失を嫌います。そして、自尊心、優越感です。 男性女性の双方で、上方婚(自分より上のランクの相手との結婚)を望んでいます。下方婚(自分より下のランクの相手との結婚)を望む人は居ません。 双方のランクが異なる限り、一方は得をし、一方は損をします。 我が方が上方婚として利益を得れば、先方は下方婚として損失を被ります。 Win‐Win とはなりません。これでは話はまとまりません。 すなわち、何人もランクの異なる相手との結婚は叶わないのが、この業界での常識です。

双方のランクが同等であれば、どちらも得もしませんが、損もしません。双方の損得勘定を納得させられる落しどころは、唯一ここしかありません。 公平で客観的に自分の位置するランクを見積もるためには、優越の錯覚を差し引いて考える必要があります。 つまり、現実に結婚相手の候補となり得る人とは、理想から遠く離れた、今まで嘲笑の対象としていたランクの相手となります。 外から見ればつり合いの取れた分相応の同等婚ですが、自身の心情的には下方婚です。 最大限の上方婚を望んだところで、分相応の相手としか結婚の可能性がないのが現実です。

素直に敗北を認めてしまえば、世間からの評価が下がってしまいます。それでは自尊心が許しません。なんとしても、結婚の負け組になることだけは避けなくてはなりません。 世間に嘲笑されないようにするため、自己を正当化し、責任を転嫁する対象が必要となります。 シンデレラのように誰もが羨むような幸せな結婚をして自身の優越性をアピールするためには、不可能を可能にする誰か何かの力にすがるしかありません。 まったく見通しも立たない状況の中で、運命の人という特別な存在との出会いに、一縷の望みを託すより他に残された手はないのです。



結婚の理想と現実

自分に相応しい相手をカタログで選ぶように大勢の候補の中から吟味できれば文句ありませんが、そう選り好みもしてはいられないのが実状です。 結婚適齢期といわれる短い期間に、お付き合いができる人の数は、たかが知れています。 今、決めなければ、この先、結婚するチャンスに恵まれないかもしれません。現実には、非常に限られた人の中から相手を選ばなくてはなりません。 こうした切羽詰った状況の中では、「この人以外に考えられない」という積極的な理由より、 「仕方ないけど、この人でもいいか」という消極的な理由で結婚を決めてしまうことが多いものです。

世の習わしでは、交際の申し込みは男性から、結婚の申し込みも男性から、と相場は決まっています。女性が男性に対して交際や結婚の申し込みをすることは一般的ではありません。 女性はリスクを取るのを嫌うため、男性に見初められて交際や結婚を申し込まれるのを唯々じっと待っているだけの受け身の立場に甘んじています。 一連の過程で女性側に決定権があるのは、男性からの告白に対する返答や承諾のみです。 逆説的に言えば、女性は心の中で秘かに気に入った意中の男性が居たとしても、その人とは交際も結婚も叶わないのが世の習わしです。

年収が‥‥顔貌が‥‥身長が‥‥女性が優位で、自分が選ぶ立場にあると思っていても、現実には男性から選ばれる立場にあります。 職場、友人の紹介、学校など、非常に狭い生活圏の中で、たまたま偶然に自分を選んでくれた男性とお付き合いを始め、 本命の相手に出会うことができないままタイムリミットを迎え、仕方ないので我慢して妥協して、その相手と結婚する。 これが、子供の頃から憧れていた、恋愛結婚の王道パターンです。 こうした結婚を取り巻く世の習わしでは、「この人以外に考えられない」という本命の相手と結婚することは、ほぼ不可能です。

我慢や妥協は、自分にとっての損失です。ふつう利益が得られないことはしません。しかし、そうした損失をすべてリセットできるイベントがあるなら話は別です。 女性にとって結婚とは人生最大の目標です。仏教でいうところの極楽浄土のような存在です。 相手が本命ではなくとも、我慢して妥協してでも、損失を覚悟してでも、とにかく目標を達成したい。 結婚には女性の心を衝き動かす不思議な魔力が宿っています。 この魔力のおかげで、比較的多くの人が結婚するチャンスにも恵まれ、結果的に、子孫繁栄が成し遂げられ、社会が発展してきたわけです。

辛くも結婚という大きな目標は達成しましたが、所詮は、仕方なく消極的に選んだ相手です。 そこに大きな問題が押し寄せてくると、夫婦関係を維持するのが難しくなるのも自然の流れです。 結婚したら最後、平穏な時間などありません。相手への些細な不満から始まり、浮気、不倫、病気、リストラ、借金など、様々な問題が次から次へと押し寄せてきます。 実際に結婚してみれば、「騙された。こんな筈じゃなかった‥」という後悔の念でいっぱいです。 魔法が解けた時、結婚とは終着点ではなく、新たなる苦労の始まりであるということに気付くのです。

もし、すべての人が運命の人という特別な存在に出会うことができるのなら、おとぎ話として成り立ちません。 運命の人伝説は、多くの人々が生涯の伴侶選びに失敗していることの裏返しとして生まれたものです。 「もしも、運命の人がいるのなら、こんな大変な苦労をしなくても済んだのに」という先人達の後悔の念が、この伝説には込められているのです。 こうした苦い想いは、永い間、世界中の誰もが経験してきた悲しい教訓です。 「自分だけは結婚の当たりクジを引きたい」、今も昔も、洋の東西を問わず、運命の人伝説は人類共通のテーマなのです。



運命の人の見分け方(勘違い編)

素敵な異性と出会った時、「目の前がパッと明るくなった」「後光が差して見えた」「電気が走った」「鳥肌が立った」「ベルが鳴った」など、 今まで経験したことのない不思議な感覚に襲われることがあります。 こうした現象は、脳科学的に見れば、「相手の外見的特徴に強く共感した際に生じる感覚」と説明できます。 「旅先で素敵な景色を見て感動した」と同じ感覚で、いわゆる「琴線に触れる」という状態です。 つまり、相手と出会った瞬間、五感で感じ取った「何か」によって、大脳が興奮し、幻聴や幻覚を見ているということになります。

いわゆる、おとぎ話に出てくるような運命の人と呼ばれる相手が、この世に実在するわけではありません。 「出会った瞬間、その人だけ光って見えた」と「この人と結婚するかもしれない」が、なぜ結び付くのか説明に困るところですが、 比較的多くの人が経験する、こうした大脳の生理的反応に対して、 その理由付けとして、願望を込めて、運命の人伝説を当て嵌めたというのが本当のところではないでしょうか。 人間の本能として、生殖行動(エッチなこと)に係わる思考の割合が大きいため、何かあると自分に都合よくそれらと絡めて考える人が多いのです。

あくまでも、相手の外見的魅力に対して、強く興奮して舞い上がっている状態に過ぎないので、その人と結婚して上手く行くかと言うと‥‥そうとは限りません。 お金持ちで、笑顔が素敵で、背が高く、スポーツマンというだけで、結婚生活が上手く行くわけもありません。 相手の外見的魅力から感じ取ったヒラメキだけでやって行ける程、結婚は甘くありません。 長く生活を共にして行くためには、双方の人間性が重要なのは言うまでもありません。 出会った時の高揚感に惑わされると失敗します。惚れっぽい性格であると自覚される方は注意が必要です。



運命の人の見分け方(本命編)

一方、結婚して幸せに暮らしているカップルの共通した感情としては、 「一緒に居るのが自然な感じ」「落ち着く」「ずっと前からの知り合いのような感じ」「どこか懐かしい感じ」ということのようです。 大脳生理学的に言えば、大脳辺縁系の扁桃体という部分が共鳴してリラックスした状態です。いわゆる「波長の合う人」となります。 この「自然体」「落ち着く」「懐かしい」「波長が合う」という感覚が、運命の人となり得る候補者かどうかを見分けるカギなのです。 出会った瞬間に感じるヒラメキ(高揚感)は全く当てになりません。

結婚相手として相応しい人 ⇒ 生活して行く上で衝突する点が少なそうな人
 ・類似性、波長の合う人。
 ・高揚感ではなく、安心感。
 ・深層心理で共感できる人。
 ・価値観が似ている人(泣くポイント・笑うポイント、自動車の運転、お金の使い方など)。
 ・知性レベルが似ている人。
 ・社会的ステータス、家柄も同等程度が望ましい。

実際の結婚生活には、様々な要素が絡んできます。いざ、結婚生活ということになりますと、夫婦間の相性や愛情問題に留まらず、 子育て、経済問題、健康問題、嫁姑問題など様々な難問が押し寄せてきます。相手が浮気をするかもしれません。 将来リストラに合うかもしれません。大きな病気にかかるかもしれません。幸せな結婚生活がずっと続いていく保証なんてどこにもありません。 これから押し寄せてくる数々の試練を二人で力を合わせて解決していかなくてはなりません。 「恋愛(恋愛衝動)」と「結婚(社会的契約)」は別物と考えた方がいいでしょう。

結婚する年齢や相手は、あらかじめ運命で決められているわけではありません。長い人生、出会いなんてどこにあるかわかりません。 それまでの人生は運命の人に出会うまでの練習みたいなものです。結婚相手に出会うと、不思議とすべてが結婚の方向に働き、話がまとまってしまいます。 それが「赤い糸で結ばれた人」です。そして、最期の時、「この人が運命の人だったんだ‥‥」としみじみ感じるものなのです。 前もって、その真偽を知りたいと思うのは人情ですが、そんな不埒なことを考えてはいけません。幾多の苦楽を共にしなければ、その答えはわからないのです。

この世界は、たまたま偶然が織り成す人生物語です。 我々の身の回りで起こる事柄すべてが、それぞれの当事者の自由意思に委ねられているからこそ、人生に当たり外れが出てくるのです。 その結果として、人生の妙というものが生まれてくるのです。 もし、人智を超えた超自然的存在が何らかの意思を持って人間の営みに介入したりすれば、この世界は偏った社会、すなわち、神さまの意思に沿った人生の集合体になってしまいます。 超自然的世界は何もしない(偏った意思など存在しない)からこそ、良くも悪くも様々な人生物語が生まれてくるのです。

その時は、ある日突然やって来ます。人の一生は、人智では計り知れないものです。 未来には、自分に都合の良い出来事だけが待っているわけではありません。当然、悪い事もあります。いや、悪い事しかないかもしれません。 もし、そうであっても、これから起こる事柄が予知できないからこそ、今この瞬間、将来に希望を持って努力することができるのです。 何事も決まっていないから、何事もわからないから、面白いのです。何でもお見通しの未来には、希望がありません。 結末がわからないからこそ、薬として作用することを忘れないでください。

人生とは、あなたの行いが周囲の人間関係に反映され、あるいは社会活動に反映され、その結果として、つくり上げられて行くものです。 今の人生をつくり上げたのは、あなた自身です。恵まれた人生を歩んでいる人は、陰日向で、そうなるように現実的な努力を続けてきたわけです。 逆に、恵まれない人生を歩んでいる人は、努力を怠ってきたわけです。そうなるべくしてなったのです。人や社会を恨んでいても道は開けません。 所在も知れない何かに責任を押し付けるのではなく、まずは自分自身の行動を振り返ってみてください。努力する方向を間違えないでください。

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