Column
四柱推命
四柱推命の真実
運命は、ある日突然やって来ます。人の一生は、人智では計り知れないものです。 古来より洋の東西を問わず、人々は未来を予知したいと願い、様々な占いを発明し発展させてきました。 四柱推命は、その人の生年月日より生れながらに授かった先天的な資質や運勢を推理し判断する占いです。 この占いの出発点は、その人が生まれた時点ですべての事柄が決まっているという運命論的思想です。 一生の運勢をはじめ、仕事運・金運・健康運・結婚運などまで幅広く占えますが、特にその人の資質(性格、才能、適性、適職‥‥)を占うのに適しているといわれています。四柱推命は古代の中国思想「陰陽説」「五行説」に基づいた占いです。 すなわち、中国思想に照らし合わせ、その人が生まれた年月日時《四柱》は縁起が良いのか悪いのかを判断《推命》するということになります。 「何かを示している」「必ずそうなる」というような科学的根拠に基づいた話ではなく、生年月日を方程式に代入し、吉凶を判断しただけの話に過ぎません。 得られた結果に有用性や有効性はありません。 それによって現実世界の何がどうなるというものではありません。あくまでも「縁起物」として捉えてください。
人は誰もが漠然とした不安を抱え生活しています。何をしても自信が持てません。 安心感を得るためには、身の回りのありとあらゆるものに対して、超自然的存在(神仏、運命、守護霊‥‥ )のご意向を伺い、お墨付きを賜らなくてはなりません。 特に、人生の大きな決断の場面においては、他の誰の言葉よりも心強い存在となり得ます。 占いが廃れないのは、超自然的存在、また、それらにまつわる、祟りやご利益というものを信じている人が多いということです。 その向こう側にあるとされる超自然的世界からのメッセージを期待しているからに他なりません。
良い事柄に関しては、誰の所為なのか、誰のおかげでも構いませんが、 悪い事柄に関しては、誰の所為なのか、どうしてそうなったのか、犯人を見つけたい、原因をハッキリさせたいという心理が働きます。 科学も発達していなかった時代には、その責任を超自然的存在に押し付けるのが最も合理的な判断であったわけです。 たまたま偶然では納得できません。その事件を引き起こしたのは超自然的存在であると考えたわけです。 天変地異、疫病、事件、事故、よい事わるい事、この世で起きたすべての事柄を神仏や怨霊や物の怪の仕業として人々は納得したわけです。
迷信に支配されていた時代は終わりを告げましたが、いまだにそうした宗教観は人々の心の中に強く残されています。 いきなり科学を持ち出して、超自然的存在を否定したところで、そう易々と頭を切り替えられるものでもありません。 この科学万能の時代になっても、身の回りで起きた事件の原因を超自然的存在に求めようとする方々が数多くいらっしゃいます。 今朝見た夢、手のひらのシワやホクロ、名前の画数、生年月日、星座、血液型など、その矛先は数え上げたらきりがありません。 ひとたび何かが起これば、自分以外の誰か何かの所為だと思ってしまうのです。
所詮、超自然的存在などというものは空想上の存在に過ぎません。神が存在するという思想それ自体が、迷信を出所とする嘘八百のデタラメです。 嘘八百をどう捏ね繰り回した所で、現実問題として、何も起こりません。 困った時には、誰か何かに助けてもらいたいと思うのは人情ですが、たとえ、どんなに心を込めて祈ろうとも、その想いが届くわけでもありません。 突如として空から現れた誰か何かが、あなたを助けてくれるわけもありませんし、邪魔をするわけでもありません。 巷に氾濫する迷信に振り回されないようにして頂きたいと思います。
四柱推命が廃れないのは、人生を都合よく変えるための魔法として、また、人生に恵まれない原因を探し出すため道具として、 そして、お布施が寺社や占い師などにとって重要な収入源となっていることに他なりません。占いを必要とする人が居るから、占いを供給する人が居るわけです。 自分の人生の責任を何かに押し付けたいと考えてしまうのは人情として理解できますが、誕生日の魔力などに罪をなすり付けたとしても、現実がどうなるものでもありません。 運命を変えていくのは自分自身だということを、まず肝に銘じて欲しいと思います。
誕生日の運命的な意味について
「占いの結果が良くなるように誕生日を操作したら本当に運が開けるか?」と考えた事がある方もいらっしゃるかと思います。 ‥‥ところ変わればですが、日本に比べ占いが盛んな韓国や台湾などでは、生活の中にも深く占いが入り込んでいるようです。 日本では考えられないことですが、子供の運を開くためにと、占いで日付を決め、その計画通りに子供を産んでしまう人もいるということです。 誕生日~名前~将来、すべての事柄を占いで決めてもらうのです。意外とありがちな話ですが、占いを信じ過ぎるがゆえの思い込みとは非常にこわいものです。確かに、誕生日を操作すれば、占いの結果だけなら良くも悪くも変えられますが、それに従い現実世界までも変わるものなのか甚だ疑問が残るところです。 四柱推命は、中国思想に基づいて、誕生日の吉凶を計算しただけの話に過ぎません。それによって現実世界の何がどうなるというものではありません。 四柱推命の理論は、中国思想的には成立していると言えますが、科学的根拠は何もありません。「占いの結果」≠「現実の世界」です。 これを短絡的にイコール「=」と考えてしまうと危険です。たとえ、誕生日が同じであったとしても、人生は人それぞれです。
胎児は、受精によって決定された遺伝子DNAのプログラムに従い成長して行きます。 たとえ、いつ生まれようと、どんな方法で生まれようと、分娩の前後において胎児自身の何が変わるというものではありません。 分娩を迎える段階で、すでに生を受けてから10か月経っています。体外から見れば、分娩 ⇒ 誕生 ですが、胎内の胎児から見れば、その前後でも一貫とした生命の流れの中にあります。 分娩は、胎児にとって住環境が変わる程度の小さなイベントに過ぎません。胎児が生まれながらに授かった遺伝子DNAと分娩日は何ら関係ないことは明らかです。
女性にとって、妊娠や出産は人生最大のイベントのひとつです。占いなどの神秘的なことに興味を持っていますと、妊娠や出産と運命とを結び付け、 その意味などについて深く考えてしまいがちですが、その実体は人間に備わっている生理的活動のひとつに過ぎません。 妊娠や出産する日時に運命的な意味などありません。中国の運命論的な思想の中で、そうした役割を持たされただけの話です。 そこに神様やら運勢やら神秘的な力が関与しているわけではありません。妊娠や出産という人間の生理的活動に神秘的な存在を求めないでください。
受精 ―――― 分娩 ――――
DNA ―――――――――――≫ 死ぬまで変わらない
すべての出発点は遺伝子DNAです。 両親から優れた遺伝子や家庭環境を受け継ぎ、相応しい教育を受け、努力を惜しまず、さらには、人やチャンスにも恵まれ、その結果として良い人生を歩むことができるわけです。 これを誕生日に潜むとされる魔力だけに頼り、楽な人生を歩んで行こうと企んでも、よい結果が得られないのは言うまでもありません。 たとえ、四柱推命の結果だけが良くても、現実が伴わなければ何の意味もありません。 吉日生まれというだけで、安泰な人生が約束されるわけはありませんので、あまり迷信に惑わされすぎなようにして頂きたいと思います。
法律上のことは別にして、誕生日に運命的な意味などありません。 「誕生日が人生のすべてを決める」という運命論は、科学的根拠もない占いの効能書きに過ぎません。占いの思想の中で、そうした役割を持たされただけの話です。 誕生日とは、個人を識別するための戸籍上の記念日に過ぎません。そこに神秘的な力が宿っているわけではありません。 重要なのは、どのような先天的要素を持っているのか、そして、それらを活かすべく努力や経験を積み重ねてきたかということです。 どのような原理で人生が形成されるのか、背景にある事柄を理解してください。