Column
風水占い
風水占いの真実
風水とは、古代の中国思想です。「気」という架空エネルギーを物の位置で制御する思想で、都市計画、住居、建物、墓、などの位置の吉凶を決定するために用いられてきました。 アジアの中華圏においては、都市計画などを行う際に思想的役割を担ってきました。 「そのよろしきを得れば、死者は永く幸を受け、生者はその子孫繁栄する」という効果・効能がうたわれています。 日本式の風水は、これを個人で使うためにカスタマイズ(九星気学や家相術などを包括)して、住居や間取りや家具の配置などに係わる方位・方角占いとして用いられています。風水は中国思想に基づいた占いです。すなわち、中国思想に照らし合わせ、その方位・方角は縁起が良いのか悪いのかを判断するということになります。 「何かを示している」「必ずそうなる」というような科学的根拠に基づいた話ではなく、方位・方角を方程式に代入し、吉凶を判断しただけの話に過ぎません。 神様が現地に赴き、建物の方位・方角を調べ、その地の吉凶を決めているわけではありません。得られた結果に有用性や有効性はありません。 それによって現実世界の何がどうなるというものではありません。あくまでも「縁起物」として捉えてください。
誕生日は生まれ変わらない限り変えられませんが、方位・方角は自由に変えることができます。 すでに未来は決まっているというスタンスの占いが多くを占める中で、 良い方位・方角を選ぶだけで開運につながるというのは、今までにない魅力的で都合の良い方法であったということができると思います。 風水は、一種の開運術として広く取り入れられるようになり、迷信を大切にする国民性とマッチして急速に広まって行きました。 同時に、寺社や占い師の側としても、大事な収入源になって行ったことも忘れてはなりません。双方の利害が一致したわけです。
人は誰もが漠然とした不安を抱え生活しています。何をしても自信が持てません。 安心感を得るためには、身の回りのありとあらゆるものに対して、超自然的存在(神仏、運命、守護霊‥‥ )のご意向を伺い、お墨付きを賜らなくてはなりません。 特に、人生の大きな決断の場面においては、他の誰の言葉よりも心強い存在となり得ます。 占いが廃れないのは、超自然的存在、また、それらにまつわる、祟りやご利益というものを信じている人が多いということです。 その向こう側にあるとされる超自然的世界からのメッセージを期待しているからに他なりません。
良い事柄に関しては、誰の所為なのか、誰のおかげでも構いませんが、 悪い事柄に関しては、誰の所為なのか、どうしてそうなったのか、犯人を見つけたい、原因をハッキリさせたいという心理が働きます。 科学も発達していなかった時代には、その責任を超自然的存在に押し付けるのが最も合理的な判断であったわけです。 たまたま偶然では納得できません。その事件を引き起こしたのは超自然的存在であると考えたわけです。 天変地異、疫病、事件、事故、よい事わるい事、この世で起きたすべての事柄を神仏や怨霊や物の怪の仕業として人々は納得したわけです。
迷信に支配されていた時代は終わりを告げましたが、いまだにそうした宗教観は人々の心の中に強く残されています。 いきなり科学を持ち出して、超自然的存在を否定したところで、そう易々と頭を切り替えられるものでもありません。 この科学万能の時代になっても、身の回りで起きた事件の原因を超自然的存在に求めようとする方々が数多くいらっしゃいます。 今朝見た夢、手のひらのシワやホクロ、名前の画数、生年月日、星座、血液型など、その矛先は数え上げたらきりがありません。 ひとたび何かが起これば、自分以外の誰か何かの所為だと思ってしまうのです。
所詮、超自然的存在などというものは空想上の存在に過ぎません。神が存在するという思想それ自体が、迷信を出所とする嘘八百のデタラメです。 嘘八百をどう捏ね繰り回した所で、現実問題として、何も起こりません。 困った時には、誰か何かに助けてもらいたいと思うのは人情ですが、たとえ、どんなに心を込めて祈ろうとも、その想いが届くわけでもありません。 突如として空から現れた誰か何かが、あなたを助けてくれるわけもありませんし、邪魔をするわけでもありません。 巷に氾濫する迷信に振り回されないようにして頂きたいと思います。
確かに、方位・方角を変えれば、占いの結果だけなら良くも悪くも変えられますが、それに従い現実世界までも変わるものなのか甚だ疑問が残るところです。 風水占いは、中国思想に基づいて、方位・方角の吉凶を判断しただけの話に過ぎません。それによって現実世界の何がどうなるというものではありません。 風水占いの理論は、中国思想的には成立していると言えますが、科学的根拠は何もありません。 「占いの結果」≠「現実の世界」です。これを短絡的にイコール「=」と考えてしまうと危険です。 たとえ、吉方位・方角を取ったとしても、現実の人生は人それぞれです。
風水でよく聞く言葉として、「鬼門」があります。鬼門とは、災いがやってくる方角、すなわち、北東(丑寅うしとら)の方角のことです。 おとぎ話で鬼は牛の角を生やして虎のパンツを履いています。古代中国では、北方の騎馬民族の侵略に悩まされており、この対策のため、万里の長城を築いていました。 すなわち、侵略者=鬼は、北の方角からやって来るのです。このため、街づくりに際しては、北の城壁の守りをより強固にしなけばなりませんでした。 鬼門という考え方は、中国特有の社会環境から生まれたものです。(鬼門の起源は、この他にも諸説あります。)
鬼門のように、日本の社会環境とは何ら関係のない事柄でも、風水が伝来し100年‥1000年‥と経つ間に、それらが神格化されていきます。 本来、風水とは、都市計画に関する思想的な位置付けであった筈が、いつの間にか、方位・方角に宿る何か得体の知れない魔力が、人の運命を支配しているような話に変化しています。 鬼門の起源は、中国特有の地理的条件・社会環境・思想的には成立していると言えますが、現代の日本社会にそのままの形で適用できるわけではありません。 鬼門を恐れる必要はありません。鬼門とは北東の方角を示す古い名前のひとつに過ぎません。
一方、風水には、家相術のように「合理的な住まい」「生活の知恵」などをまとめた実用的なものもあります。 例えば、北側(日陰)に水回りがあると、カビや細菌などが繁殖しやすく、衛生環境が不良となり、様々な病気にかかりやすい事から、家相では北の台所は「凶」とされています。 北にある台所から発せられた何か得体の知れない魔力によって、家人を病気にしてしまうわけではありません。病気にさせるのは、カビや細菌の仕業だったのです。 こうした問題も、現在では衛生環境が向上し、北に水回りがあっても何ら問題はなくなっています。
風水が廃れないのは、人生を都合よく変えるための魔法として、また、人生に恵まれない原因を探し出すため道具として、 そして、お布施が寺社や占い師などにとって重要な収入源となっていることに他なりません。占いを必要とする人が居るから、占いを供給する人が居るわけです。 人生の責任を自分以外の誰か何かに押し付けたいと考えてしまうのは人情として理解できますが、方位や方角の魔力などに罪をなすり付けたとしても、現実がどうなるものでもありません。 運命を変えていくのは自分自身だということを、まず肝に銘じて欲しいと思います。
そうは言っても、悪い方位・方角を取って、何か不吉なことでも起こったら心配という方は、迷わずに然るべきところで良い方位を見てもらいましょう。 新築住宅の間取りの相談は、近所の占い師などでもお願いできます。お布施はおおよそ¥5,000~¥100,000程度です。 もし縁起の悪いことが起こっても、「吉方位だから、この程度で済んだ‥‥」と良い方に考えられます。 心配事は多々ありますが、方位・方角に関しては、後々後悔せずに済むでしょう。効果の程は何とも言えませんが、安心感を得るためと認識されればよろしいかと思います。