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厄年の意味
厄年とは
厄年とは、文字通り「厄災(縁起の悪い事)」が多く降りかかるとされる「年齢」のことです。 厄年は、飛鳥時代に中国大陸から陰陽道(陰陽五行説)として伝わり、貴族などの上流階級の間で広まった習慣が、江戸時代になって庶民の間にも広まったと考えられています。 厄年には、結婚や出産などの縁起の良いことは避けるべきであるともいわれています。 逆に、出産することで厄が落ちるともいわれています。厄年との係わり方は、その地方により様々です。 古くから伝わる風習ですが、起源や根拠や出所に関して、詳しいことはよくわかっていません。厄年は数え年(満年齢+1)で、男性は25歳、42歳、61歳。女性は19歳、33歳、37歳です。年齢については、この他にも諸説があります。 男性42歳と女性33歳は、特に大きな厄災という意味で「大厄」と呼ばれ、凶事や災難に遭う率が高いので、十分な警戒を要する年とされています。 また、厄年の前後を前厄・後厄として、計3年間(前厄・本厄・後厄)が注意すべき期間とされています。 男性25歳「後後」、42歳「死に」、女性19歳「重苦」、33歳「散々」という漢字が当てられており、如何に、人々が厄年というものを忌み嫌っていたのかがうかがえます。
統計では、ある特定の年齢に限って、事故や病気などが増えるというデータは得られていません。 科学万能の時代になって祟りでもないでしょうが、周りで厄年に何か縁起の悪い事が起きたという話を聞くと、やはり気にしている人も多いように感じます。 良い事柄に関しては、誰の所為、誰のおかげでも構いませんが、悪い事柄に関しては、どうしてそうなったのか、原因を知りたいという心理が働きます。 そうした中で、厄年といわれる時期に起きた縁起の悪い事に対して、その理由付けとして、この風習を便利に使っているというのが本当のところではないでしょうか。
厄年の意味
厄年は、その起源や科学的根拠も曖昧で単なる迷信に過ぎないとされていますが、厄年の年齢に当時の世俗を当てはめてみると、少々意味を持つものになります。 昔の生活スタイルでは、男性25歳は結婚して社会の中での役割が大きくなってくる頃、42歳は現役を退く頃、61歳は還暦を迎えそろそろお迎えが来る頃です。 女性19歳は初産の頃、33歳は体調を崩しやすい頃、37歳は閉経の時期となります。年齢の意味については、この他にも諸説があります。 おおむね、地域や家との係わりが変化する時期(人生の転機)をあらわすことが多いようです。昔は平均寿命が短かったようなイメージがありますが、60歳以上の長寿の人もかなり居たようです。乳幼児の死亡率が高かったため、平均寿命で計算すると、 平安時代は20~30歳、戦国時代は35歳、江戸時代は40歳となるようですが、成人になるまで生き残った人の寿命は、おおむね50~60歳だったようです。 70歳まで生きることは稀であることから、70歳のお祝いは「古希」と呼ばれています。一方で、現代人の寿命は、おおむね85~90歳です。 昔の70歳「古希」が、現代の100歳「百寿」と考えればイメージし易いと思います。
男性の厄年25歳、42歳、61歳は、今の年齢に換算(係数100/70=1.4)すると、それぞれ、35歳、60歳、87歳となります。 女性の厄年19歳、33歳、37歳は、それぞれ、27歳、47歳、52歳となります。すなわち、男性の大厄42歳は、今の年齢に換算すると60歳です。 現役を退く定年退職(家督を譲る)の時期で、気力や体力が衰え、社会的・身体的に、環境が大きく変化する年齢となります。 女性の大厄33歳は、今の年齢に換算すると47歳です。ホルモンバランスが崩れがちな時期で、更年期特有のつらい症状に悩まされる年齢となります。
「厄」には「苦しい・災い」などの意味があり、「厄年」は文字通り「苦しく災いの多い年齢」となります。 また、「やく」という音に掛けて「役年」、すなわち、役割が変化する年齢とも言われています。 厄年は社会的・身体的に大きく変化する年齢であり、精神や体調が不安定となりやすい時期です。 人生の節目節目では体調管理をしっかりするようにとの祖先からの戒めが込められています。 昔の習俗や俗信では、厄災は怨霊や物の怪によってもたらされると信じられていたので、厄年には寺社へお参りして厄祓いを受け、厄を落とし、厄除けを行いました。
厄祓いなどが顕著な例ですが、商業的に利用価値のある習俗や俗信は、広まり易く、また途絶えることなく受け継がれて行くのが世の習いです。何事も商売繁盛です。 後年になって、人生の節目を示していたはずの厄年の魔力の部分ばかりが強調され、厄年は縁起の悪い事が起こる時期として認識(宣伝)されるようになってしまいました。 本来の厄年とは何の関係もない、火事や事故、友人や身内の死、果ては、リストラや離婚に至るまで、 身の回りで起こる都合の悪い事すべてを、厄年の魔力として片付けてしまうのはいかがなものでしょうか。
厄年という風習が廃れないのは、こうした人生に恵まれないことに対しての言い訳のひとつとして重宝されていること、 自分に都合の悪いことは誰かに責任を取ってもらいたいという心の奥に潜む甘えた考え、そして、お布施が寺社や占い師などにとって重要な収入源となっていることに他なりません。 自分の人生の責任を何かに押し付けたいと考えてしまうのは人情として理解できますが、厄年などに罪をなすり付けたとしても、現実がどうなるものでもありません。 運命を変えていくのは自分自身だということを、まず肝に銘じて欲しいと思います。
そうは言っても、厄年に何かあったら心配という方は、然るべきところでお祓いをして頂きましょう。 もし縁起の悪いことが起こっても、「お祓いをしておいたから、この程度で済んだ‥」と良い方に考えられます。 厄除けの効果の程は何とも言えませんが、「安心感」を得るためと認識されればよろしいかと思います。 厄年の期間については、新暦では元旦(1月1日)、旧暦では節分(2月3日)を基準にします。 ちなみに、厄払いは神社でもお寺でもよいそうです。それぞれで厄祓いの方法は異なりますが、その目的は同じだというのが理由のようです。