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from 2005/1/15
Column

「祟り」と「ご利益」



言い訳の最有力候補

心理学では、「自分は他人より優れているという思い込み」(優越の錯覚)があることが知られています。 確たる根拠は何もありませんが、自分は神さまに選ばれた救世主のような特別な存在であると思っています。 両親や友達のように、努力したり、失敗したり、悩んだり、後悔する必要もありません。 自らは何も行動せず、唯々じっと待っているだけで、誰もが羨むような上流階級(周囲より上のランクの生活)の人生を送ることが運命で約束されていると信じて疑いません。 「私はあの人達とは違う!」「私は特別!」わりと真剣にそう思っています。

公平で客観的に自分の位置するランクを見積もるためには、優越の錯覚を差し引いて考える必要があります。 つまり、現実の人生とは、理想から遠く離れた、今ままで嘲笑の対象としていたランクの人生となります。 外から見ればつり合いの取れた分相応のランクの人生ですが、自身の心情的には下流階級です。 いかに、周囲を蔑もうとも、分相応以上のランクの人生を歩むことは叶わないのが現実です。 人の思考の特徴として、自分の身分や能力などの程度を過大評価してしまう傾向を持つがゆえ、多くの人が理想と現実のギャップに悩んでいるわけです。

そもそも幸せいっぱいで暮らしている人はごく僅かです。多くの人は、何かしらの心配事を抱えながら生活をしています。 人間は自分に都合よく考えてしまう生き物です。人生が上手く行かない原因を自分以外に求めようとします。 「超自然的存在が未来を決める」とすれば、人生の責任をそこに擦り付けたいと考えてしまうのは人情というものです。 人生に恵まれないのは、自分自身の行いが悪い所為ではなく、誰か何かの所為であって欲しいのです。 意外とありがちな話ですが、超自然的存在を信じ過ぎるがゆえの思い込みとは非常にこわいものです。

「祟り」や「ご利益」は、自分以外の誰か何かに責任を転嫁したいと思ってしまう心の闇に潜んでいます。 すなわち、「祟り」なるものの正体は、思考に内在する他罰的な部分です。素直に敗北を認めてしまえば、世間からの評価が下がってしまいます。 それでは自尊心が許しません。世間に嘲笑されないようにするため、自己を正当化し、責任を転嫁する対象が必要となります。 一方、「ご利益」なるものの正体は、思考に内在する自罰的な部分です。 物事が上手く運んでも、自分の力ではなく、たまたま偶然(誰か何かの力で)そうなったと思ってしまう思考の部分です。

「祟り」や「ご利益」という習俗や俗信を利用して、自分以外の誰か何かに責任を転嫁することができれば、周囲からそしりを受けずに済みます。 すべては不可抗力であるので自分の責任ではありません。こうした利用価値のある習俗や俗信は、広まり易く、また途絶えることなく受け継がれて行くのが世の習いです。 「祟り」や「ご利益」という習俗や俗信が廃れないのは、人生に恵まれないことに対しての言い訳として、また、人生に恵まれたことに対しての謙遜として、 そして、寺社や占い師などにとっても便利な意味合いの言葉であることに他なりません。

所詮、超自然的存在などというものは空想上の存在に過ぎません。神仏が存在するという思想それ自体が、迷信を出所とする嘘八百のデタラメです。 嘘八百をどう捏ね繰り回した所で、現実問題として、何も起こりません。 困った時には、誰か何かに助けてもらいたいと思うのは人情ですが、たとえ、どんなに心を込めて祈ろうとも、その想いが届くわけでもありません。 突如として空から現れた誰か何かが、あなたを助けてくれるわけもありませんし、邪魔をするわけでもありません。 巷に氾濫する迷信に振り回されないようにして頂きたいと思います。

人生とは、あなたの行いが周囲の人間関係に反映され、あるいは社会活動に反映され、その結果として、つくり上げられて行くものです。 今の人生をつくり上げたのは、あなた自身です。恵まれた人生を歩んでいる人は、陰日向で、そうなるように現実的な努力を続けてきたわけです。 逆に、恵まれない人生を歩んでいる人は、努力を怠ってきたわけです。そうなるべくしてなったのです。人や社会を恨んでいても道は開けません。 所在も知れない何かに責任を押し付けるのではなく、まずは自分自身の行動を振り返ってみてください。努力する方向を間違えないでください。

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